従者が超必死になっちゃう婚約破棄。
「ナナ、お前との婚約を今この瞬間をもって破棄する!」
アシル第二王子が声高々と宣った。
場所は学園内の生徒の多い往来。道行く生徒や教師が大声に驚き、次々と足を止める。
「ちょ、な、いきなり何言ってるんですかっ!?」
王子の言葉に過剰に反応したのは、婚約破棄を言い渡された当人ではなく、傍に仕えていた従者だった。放課後、これから帰ろうかとしているときに主人の婚約が突然破棄されたのだから従者として慌てるのは当然のことだが、実はこの従者が慌てている理由は、これとは別のところにあった。
「聞け従者。ナナは気高き名門貴族の人間でありながら、学園の同級生であるサリタ君に出身が平民というだけの理由で数々の悪質で陰湿な嫌がらせをしたのだ。これは貴族の誇りを汚すあるまじき行為だ!」
アシルの声に引かれ、いつのまにか、彼女たちをぐるりと囲むように人だかりが出来ていた。その人だかりから幾つか、ナナに対して男と思われる非難の声が飛ぶ。
従者の胸の内で警鐘が鳴る。これはマズイ。早急に、そして穏便に事態を済まさねば、手遅れになってしまう。内心、従者はもの凄く焦っていたが、ひたすらに心を押し殺して冷静に振舞い続ける。
「えっと、その……どなたでしょう、その方って。オレ、初めて聞きましたけど」
声を荒げるアシルに対し、従者は相手を刺激しないように言葉を返す。
従者は主人であるナナに仕えるために彼女と共に学園に通っている。四六時中、二人は行動を共にしているのだが、それなのに、従者はそのサリタという名に心当たりが無かった。
「お嬢様、知ってます?」
従者に尋ねられたナナは静かに首を横に振った。
「ふん、悪いがとぼけても無駄だぞ。五人以上の生徒から証言がでている。お前が、サリタ君の筆記用具や教科書を捨て、制服の上着を切り裂いた、とな」
「はあ、それで当の本人はどこに?」
「彼女なら、ここにいる」
アシルの背後から、少女が歩み出て来る。初めて見る顔だが、このタイミングで出て来たのだから、おそらく彼女がサリタだろう。だが、見ると不自然な点が一つあった。アシル曰く彼女は平民の出だという。それなのに指定の制服に使われている生地や装飾がどうみても、一般のものより高価で派手なのだ。
「……その制服ってもしかして、アシル王子があなたに買い与えたものですか?」
「ええ、そうよ。アシル様はとても優しいお方ですもの」
「筆記用具や教科書も新しく買って貰ったんですか?」
「ええ、勿論よ。アシル様が私にと、とても質の良いものを用意してくれましたの。だって、ナナ様に全て焼却炉の中に投げ込まれてしまいましたから」
その表情は悲しみとは程遠く、まるで、自分の洋服を自慢するかのような口ぶりで答えるサリタ。
「これで分かっただろう」
もう、勝負は着いたのだと、勝ち誇った顔で言うアシル。
「……そうですか、分かりました」
事の真相は、サリタの言動からすとんと腑に落ちたようで、従者はひとり頷いた後、こう言った。
「では、お二方とも、お嬢様に謝ってください。土下座で、今すぐに」
『っ!?』
観念したのかと思いきや、返ってきたのは全くもって予想外の反応。これに対し、アシルとサリタは目を剥き、猛烈にまくしたてる。
「ふ、ふざけるな! 謝罪するのはそっちだろう!!」
「そうよ! 私は被害者なのよ! 土下座するのは、そこの卑劣なお嬢様でしょ!! 泣いて謝りなさいよ!!」
「──いいから、さっさとやれ!!」
従者から怒号が飛んだ。あまりの激しい剣幕に二人は怯む。
王子と貴族令嬢の婚約破棄。一大事であることには変わりないが、今はどうでもいい。いや、どうでもよくないが、この際はどうでもいい。
「お嬢様を貶めようとしたことは今は罪に問わないし、話は全部後で聞きますから! とにかく本当にお願いだから、お嬢様に謝ってください!!」
従者は必死だった。その声は最早、悲鳴に近かった。
目下のところ、授業が早く終わってさっさと帰ってゆっくり過ごそうと考えていたところを邪魔された自分の主人の機嫌がただでさえ悪いのに、これ以上悪くなることだけは絶対に、今、この状況で避けなくてはならなかった。
ゆえに、従者は超必死になる。
「お、俺は王子だ! か、仮にするとしても、こんな往来の中心で土下座出来るか! 国民が見ているんだぞ! 恥ずべき行為だ!」
従者の異常なまでの迫力に圧倒され、少し心が折れかかった王子が叫ぶ。
従者はちらりとナナの表情を窺う。彼女の表情は前より、一層不機嫌になっていた。うわあ、と従者は冷や汗がだらだらになる。
この馬鹿王子は自分が今、地雷原の上でタップダンスどころか、無意識のうちに縦横無尽にブレイクダンスを披露していることが分からないのか。
「あんた、こんな往来の中心で婚約破棄宣言したじゃん! もうそれ十分、恥ずべき行為じゃん! なら、土下座も大して変わらないって!!」
今となっては既に従者はタメ口になっていた。
「う、うるさい! 元はと言えば、ナナがサリタ君をいじめたからだろうが!!」
「うわ、なんで、そんな根も葉もない嘘を信じるのかなあ、オレ、信じられないんだけど。あんた、一国の王子じゃん。集られてるだけってことにどうして気付かないの!?」
このままでは埒があかない。業を煮やした従者はついに強行に出る。
「ああ、はい、そうですか、分かりました! じゃあ、オレも土下座するから。一緒にやれば、恥ずかしくないでしょう。はい、それでいきましょう」
「なぜ、そうなる!? って、おい、触るな!」
斜め上の言動に困惑するアシル。
「ちょっと! あなた、いい加減に……」
「あ、お前元凶だから、ハイパージャンピングスクワットデスロール土下座な? 絶対だかんな。やれよ、いいな?」
「え、何それ、やり方知らない……」
サリタも違う意味で困惑する。
従者はアシルとサリタ、両者の間に割って入り、二人の頭を掴んで無理やり頭を下げさせ、地面に付けようとする。
「はい、せーの! 慈悲深き女神のナナ様、馬鹿で阿呆なこと言って、誠に申し訳ございませんでしたあああぁぁ!!」
『言えるかああああぁぁ!!』
アシルとサリタは同時に従者の手を振り払った。
「お前、さっきから一国の王子に向かってその態度は何だ! 不敬罪で牢屋送りにするぞ!」
「それでいいですよ。後で問答無用に牢屋送りにしていいですから、今は土下座しましょう。ね、ね?」
なだめるように説得する従者。現在の状況はカオスであった。だが、従者は構わない。ナナの手にかかってしまえば、今の状況をこれ以上に混迷させてしまいかねない。やはり、形振りかまってなどいられないな。
──更なる強行を。そう、従者が決意した瞬間だった。
「ええい、鬱陶しい! そもそも、呪いを持って生まれた女なぞ貴族であろうが、平民以下で畜生と同等の存在だ。そのような卑しい者だからこそ、今回のような事件をいつかしでかすのだと確信していたのだ! さあ、ナナ、さっさと観念して、お前自身の口から罪を告白しろ! まあ出来ないだろうがな」
アシル王子が吐いた言葉に周囲の空気が凍った。
「……もういいわ。いい加減、うんざりよ」
静寂を破るかのように冷めた声音で吐き捨てたのは、ナナであった。
──嗚呼、終わった。
必死の努力は徒労になってしまった。従者は嘆息する。
一方、アシル王子とサリタの二人は驚愕していた。
「馬鹿な……ナナが……」
「喋った……!」
まあ当たり前である。だが、その当たり前は従者にとってであって、この二人にとってではない。それどころか、彼女と密接な関係がないと、当たり前にはまずなることはない。そのため、おそらく二人が驚いたわけは学園内では、決して声を発さなかったナナの声を今初めて聞いたという計算違いからだろう。
「そこのハイエナ。この私に濡れ衣を着せようだなんて片腹痛いにもほどがあるわ。お生憎様ね、私はこの通りちゃんと話せるわよ。私の従者が言った通り、その間抜けな王子様を騙して集るつもりだったのでしょうけど、ホント馬鹿な真似をしたものね」
「何ですって!? アシル様も何か言ってください!」
実は彼女が今まで黙っていたのには訳があった。外では絶対に声を発してはならないと、国から固く命じられていたからだ。何故なら──
「……美しい。ああ、なんと美しすぎる声だろうか……」
「あ、アシル様!?」
アシルの様子が先ほどとはまるで違う。恍惚とした表情を浮かべ、酔いしれているかのようにうわ言を繰り返すばかりだ。
「あなた、アシル様に何をしたの!?」
「別に何もしていないわ。ただ喋っただけ」
古き昔から行き過ぎた美には魔力が宿るとされる。それは絵画であったり、彫刻であったりと芸術の域を超えてしまったものの周りには、次々と不可解な出来事が引き起こされる。それは人にでも有り得ることだ。歌の女神より与えられた人々を魅了する『魅惑の美声』。これが外で彼女が口を閉ざし続けた理由であり、先祖は魔物だの、呪いを持って生まれただのと噂される原因でもあった。
「はじめに私に向かって野次を飛ばした奴ら、今すぐ出てきなさい」
ナナが周囲の人だかりに声をかけると、三人の男子生徒が、「はい!」「はい!」「はい!」と勢いよく飛び出してきた。
「嘘偽りなく、答えなさい。誰にサクラを頼まれたの?」
「はい、サリタさんに頼まれました!」
「そうです、サリタさんがナナ様を蹴落とすのに必要不可欠だとか何とか!」
「それと、自分が王子の婚約者になったら良い地位に就けさせてやるっていってました!」
魅了の魔力にかかった男子生徒は、塩茹でされた貝のごとくペラペラと聞かれたこと以上の情報も喋り出す。
「分かったわ、消えなさい」
男子生徒たちは、「消えろって言われちゃったぜぇぇ!」「違うね! ナナ様は俺に消えろって言ったんだよぉぉ!」「いいや、言われちゃったのは俺だぁぁ!!」と、はしゃぎながらどこかへ颯爽と走り去っていった。
「で、あなたは何か言い訳とかある?」
ナナはサリタの方を向き、見つめる。その立ち振る舞いは凛としていて様になっていた。
「い、今のはっ、あ、あなたが無理やり言わせたのでしょう!」
顔面蒼白になりながらも、気丈にふるまい続けようとするサリタ。
「そうね、でも彼らは嘘をつけない。嘘偽りない本当の事実しか言えないわ」
「っ!? しょ、証言だけで決めつけることなんて出来ないわ!」
「それ、数人の証言だけで難癖つけてきたあなたが言うの?」
「なら、そうね」、とナナは周りをぐるりと見回す。
「この中に物的証拠を持っているものがいたら、手を上げなさい!」
間をおかずして、十人以上の手が上がった。
「あなた……仮にも一国の王子に取り入るにしては杜撰すぎない?」
呆れたと、露骨な表情を顔に出すナナ。
「今ここで、その証拠を全て提示させてもいいのだけれど、どうする?」
「っ……!」
サリタは歯を食いしばるだけで、黙り込むしかなかった。
ナナはその大人しくなった様子を見止めた後に、次はアシル王子へと視線を移した。
「アシル王子、あなたは先ほど私のことを家畜と同じ卑しい存在だと仰いましたね。なるほど、そう言えば私を糾弾した理由は何でしたか?」
「上に立つ者がむやみに力を行使し、下で支える者を軽んじたことです、ナナ様!」
ナナの声の魅力に憑りつかれたアシルは、陶酔した表情で嬉々として答える。
「発言を、撤回しますか?」
ナナはにっこりと笑う。
「はい、撤回します! あなたではなく、俺がナナ様の家畜です! ぶひー!」
嫌だと絶対にやらなかった土下座をさも嬉しそうに遂行する王子。とても哀れな姿であった。嗚呼、まただと従者は目を逸らす。従者の主人が動けば、毎回このような展開になってしまう。そうならないために、従者は尽力したのに。
「……やっぱり、納得できない……私は何もしていないわ! ええ、そうよ、この女がっ、私のことを気に食わないからって全部仕組んだことなのよ……!」
やっと大人しくなったばかりのサリタが再び声を張り上げた。
まだ言うか。その姿はあまりにも見苦しく、癇癪を起したかのようにヒステリックに騒ぎ立てるサリタ。これでは、何をするか分からない。従者は、庇うようにしてナナの前に立つ。
「……あんたなんか……あんたなんかいなければ……!」
そう呟きながら、サリタが、一歩前に踏み出した瞬間、
──どこからか突如飛来してきた矢がサリタの足元近くの地面に突き刺さった。
「ひっ、」
短い悲鳴を上げて地面にへたりこむサリタ。腰が抜けてしまったのだろう。もがきながら、必死に後ずさる。
それを見て嗚呼、これもまただと従者は天を仰ぐ。従者がアシルとサリタに土下座を無理強いしていたのは、主人の機嫌を損ねないようにすることに加え、彼らに、王子たちには手を出させないよう、諫めていたからであった。
地面に深々と突き立った矢には一枚の布が括りつけられていて、その表面には何の塗料を使ったのかは知らないが真っ赤な文字で、ご丁寧に目立つようにして、こう書かれていた。
『我らの女神ナナ様に近づけば、死を見ることになると覚悟せよ』
彼らが、通称『ナナ様ファンクラブ』の会員たちである(ちなみにこの脅し文句は総意である)。彼らはナナ様至上主義を信念に掲げ、崇拝するナナを陰から見守り、彼女を害する者には容赦はしない。闇討ち上等。身分の上下関係一切無し。邪教の狂信者もびっくりの忠誠心と統率力を誇る集団である。まあ要するに、幸か不幸か、偶然既にナナの声に魅了された者たちの集まりなだけなのだが。
それで、そんな集団を従者が何故諫めることが出来たのかは、従者が従者として彼女にいつも付き従っているからであり、有難いことなのか分からないが、彼らは従者をファンクラブ名誉会長として認めているからである。そしてファンクラブ入会の際の通過儀礼として、ナナの目の前で何か罪を改めながら土下座を行わなければならない、というものがある(もしかしたら踏んでもらえるかもしれないとか何とか)。それで、とにかく従者は彼らが王子たちをこの場でいきなり強襲するのを防ぐ手立てとして、自分の顔を立てることにして二人に土下座を強いたのだ。結果は、武器や凶器の持ち込み禁止の学園内で自作された矢が放たれるということになってしまったが。
気が付けば、人だかりは前面が全てファンクラブ会員によって埋め尽くされている。相も変わらず仕事が早い。これならば、どんな会話であっても無関係な者に聞かれるおそれはないだろう。
──それなら、いつもの手筈通りことを為すとしようか。
「……騙す相手を間違えましたね」
従者はゆっくりとした動作で、上手く立ちあがることが出来ないサリタに歩み寄る。
「な、何なのよ! あなたたち……」
「本当に馬鹿な真似をしてくれました。あなたはお嬢様の便利で都合の良い隠れ蓑を奪おうとした。……いや、でも今の隠れ蓑が小娘一人に簡単にたぶらかされる欠陥品だと分かっただけでも今回は良かったかな。まあ、次の新しい隠れ蓑は今よりも機能性が良いことには違いないでしょうし、結果オーライですね」
サリタの問いに従者は、半ば独り言に近いつぶやきで答えた。
「嗚呼、それにしても事後処理が面倒だ……これで、また連日徹夜か。国王様にも叱られる」
従者はひとり嘆く。主人の後始末はいつだって、全て従者がしてきた。そういう契約を国と交わしたのだから仕方のないことであるし、そのおかげか、気の合う友人が増え、退屈しない日々を送っているのも事実。まあ、変わり者ばかりなのだが。
「国の重要機密であるお嬢様の秘密を学園内の大半に知られてしまいましたので、とりあえず明日の朝から念を押して学園内の女子生徒と女性教師皆には予防接種を受けてもらわないといけませんね。これ以上変な噂が立つのは困りますし、学園外に漏れるのはもっと困るので」
不意に従者の口から不穏な言葉がこぼれる。
「予防接種……?」
「だって、お嬢様の『声』は同性の方には効果がありませんから。大丈夫、少しチクっとするだけです。別に痛くはありませんよ」
含みのある言い方をする従者。これも仕方のないことだ。男子生徒や男性教師はどうとでもなるのだから。
「そ、そんな……!」
「これは、あなたが引き起こしたことです。安い授業料だとでも思ってちゃんと覚えておいて下さい。世の中には知らない方が良いことが沢山あるのを──ね」
従者はひどく渇いた笑みを浮かべた。
「ひ、ひぃいい!」
サリタはそのゾっとする笑みに底知れぬ恐怖を覚え、慄いた。
──よし、もういいだろう。従者は無事にことを完遂したと踵を返す。今はとりあえず、踏まれるのを今か今かと待ち望みながら無言の土下座を続けている王子をどうにかしよう。その後は、ファンクラブの会員たちに頼んで色々と事態の収拾に動いてもらうとするか。それと、お嬢様には我慢の仕方をもう少し言い聞かせなければならないな。あ、あと話す機会がないからと言って口が悪いのも注意しないと、いや自分も十分悪いけれども……。そう考えをまとめている時だった。
「なんで……」
まだ口を利く気力が残っていたのか、サリタは震えた声で一つだけ訊いてきた。
「ど……どうして、あなた……男子なのに、普通でいられるの……?」
この場では取るに足らないことだが、答えないわけにいかなかった。
従者は足を止めて振り返る。
「嫌だなあ、何言ってるんですか。オレ、女ですよ。そうじゃないと、お嬢様に魅了されてまともに従者なんてやれないじゃないですか」
婚約破棄って難しいね。