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マルグリットは夢を見る

作者: 草村しげる

 親愛なるマリーロベリア様

 突然のお手紙に、驚かれたでしょうか。もしそうなら、ごめんなさい。わたしはこれからもっとあなたを驚かせてしまうかもしれません。それとも呆れるでしょうか。身の程知らずだって。学園の薔薇にこんな大それたことを願うなんて、と。それでも勇気を出して言います。わたしはあなたとお友達になりたいと思っています。もし、あなたがわたしのお願いを聞いて下さるのなら、明日の放課後にリンデンヴァームの森でお会いしましょう。

エディット・マーユ


   ***

 郊外へ出掛ければよく見かけるロージーは、白い野の花だ。冬の終わりに蕾をつけ、雪解けを告げるように春になれば国中で白い花を咲かせる。

 だからロージーを見る度に、私は春の訪れを感じる。多分、私以外の人間にとっても、ロージーは春告げの使者なのではないだろうか。

 退屈な授業の最中、私はぼんやりとそんなことを考えていた。窓の外に見える小さな花壇にロージーを見つけたからだろうか。

 しかし窓際の席を選んだのは失敗だった。

教壇に立つ教授の話は堅苦しく面白みに欠けていた。春の昼下がりに抑揚なく響く声は眠りの縁に突き落とそうとしているようにしか思えなかった。

 そんな私が、ふと教授が窓の外に向けた視線に気付くはずもない。


「君たちは知っているかな」


 油断すると途切れそうになる意識を必死に繋ぎ止める私の戦いを知る由もない教授の声が、遠くに聞こえる。


「ロージーの花はもともと、北の国に咲く野草だったことを」


 教授自身は意図しているはずもないだろうけれど、彼のしわがれた声は子守唄というより呪いのように、夢の国に片足を突っ込んだ私の背を押し出そうとしていた。


「あの花は、百年ほど前に北国から嫁いできた王の妃がもたらした花でね。かの人の故郷では別の名を持っている。まあよくある話だがね。あれは元々マルグリットという名でね。あちらでも春の花として親しまれているというが、どうしてそれがロージーと変化したのか……」


 ロージー。

 マルグリット。


 教授の声が遠くに聞こえる。

 浅い眠りは夢を運ぶ。


「この花を国中に広めたのは、その息子、君たちもよく知るかの名君エルヴィン王だと伝わるが、彼は母の墓標に咲くこの花に力を得て王位を手にした。……そんな伝承すらあるのだね。さて、あの野草にそれだけの力があるものか大いなる疑問は残されるが、伝承とはそのようなものであるからね」


 薄れゆく意識の端で、二つの名を持つ一つの花が、私の脳裏に浮かんで消えた。

 春告げの花。王妃の花。

 ロージー。

 くすくすと笑い合う、少女の声が聞こえた気がした。

 それは一体誰だろう?

 目を付けられる覚悟を決める間もなく、私の意識を夢がさらった。


   ***


 愛するあなたへ

 マルグリットの花を、贈ります。


   ***


 『僕』が久しぶりに足を踏み入れた母の私室は、宮廷の華と謳われた彼女の美貌に相応しい華美な調度品が溢れていた。国きっての名工の作もあれば、隣国から取り寄せられた品もある。

 輝く煌びやかなそれらが、部屋の主の趣味嗜好を一切無視したものであることを僕は当の本人から聞かされていた。彼女は派手なものを好まない。

例えば貴婦人たちが愛する大粒の紅玉や碧玉。色とりどりの水晶、金剛石。そんなものよりもずっと、母は野山に咲く花や草木、風の匂いを好ましく思っていた。

羽扇の下の噂話より、小鳥のさえずりを求めていた。

献上品を前に、彼女が浮かない顔をしていたのを、僕はよく覚えている。

女がすべからくこういうものを好むと思っているのなら、愚かなことだ。


「女という同じ生き物でも、好むものが同じであるはずがない。そんなことは少し考えればわかりそうなものではないかな」


 ため息交じりに吐き出された声には、少しばかりの侮蔑が混じっていた。

 幼い頃にはわからなかった、そんなことを思うにつけて、狭い後宮という箱庭は彼女にはさぞ窮屈だっただろうと同情する心が生まれる。

 もっとも、彼女が後宮に閉じ込められてくれなければ僕という存在はこの世に生まれることもなかったのだが。


「エドワード」


 母はいつも、僕をそう呼んだ。

 母以外は僕を別の名で呼んだ。母だけが、僕を「エドワード」と呼んでいた。

僕の名を口にする時、母の声音は郷愁を帯びていた。母がつけた僕の二つ目の名は、彼女の故郷の音だったから。

 遥か北の国から南のこの地へ嫁いできた母の、二度と届かないふるさと。

 歌うように唇に乗せたその音は、彼女の心の慰めだったのだろうか。

 僕を見る母の瞳には、いつも不可思議な色が宿っていた。幼いながらに僕は知っていた。けれど、幼さ故に意味までは理解できなかった。

 それは僕にとっての母そのものであったのかもしれない。


「エドワード、本当に美しいものは、ここにはないよ」


 母は時折そう言った。


「本当に美しいものはね、この空の向こうにある」


 彼女はどこか夢の中で生きているようなひとだった。

 口にすれば賛同を得ることは容易かっただろう。彼女程ゆめゆめしい存在に、僕自身出会ったことはない。

 女にしては長身の部類に入る肢体をドレスに包んだ彼女は、翠の瞳に艶やかな色を乗せて悠然と笑う。それだけで、世界は動いていた。

 後宮という世界で、彼女に抗える存在などいなかった。茨で武装した花々でさえ、異国からやってきた種子が枝葉を伸ばすことに抗えなかった。


 薔薇の女王。


 いつしか母はそう呼ばれ、花の王の下で花園は、互いに傷つけあうことなく共存していた。奇妙なほどの平穏は、彼女が君臨していたからこそもたらされたものだった。


 世界は男が統べ、動かしている。そんなことを考えるのは男の浅はかさであり、思い上がりだ。現に狭い箱庭にあってなお、花たちはあらゆる枝葉から様々なものを得ていた。

 表舞台に立つことなく、母は国内外の様々な事象――例えば作物の不出来や異国の貴族の醜聞など――を知り得ていたし、どんな些細な情報であっても己の内に書きとどめておくことで、利用することができた。

生き残るために必要なことを、僕は母から学んだ。

 小さな机の上で、紙切れの中で、世界が動かされていること。その仕組みを正しく把握し、本当に強い力が何かを知ること。必要とされているものを差し出し、求めるものを勝ち取る術。

 母はその才に長けていた。

 天性のものと言ってもいいだろう。


 まるで魔術のよう。


 ため息交じりに彼女は讃えられていた。

 しかしどれだけ優れた魔術師であっても、魔術を振るう舞台がなければ意味もない。

 母について思う時、僕はよくそう考える。

 夕暮れ時、母が窓辺に佇んでいた姿を、僕はよく覚えている。

 たったひとり沈む太陽を見つめる瞳に常の王者の光はなく、陰りのさした横顔は別人のようだった。

 あの夕暮れ時、そこに立っていたのは薔薇の女王ではなく彼女自身であったのではないだろうか。

 彼女の瞳が見つめていたのは夕陽ではなく、遠く離れた故国ではなかったのだろうか。心は遥か遠くへ羽ばたいていたのではないだろうか。彼女の本質は花園の花ではなく、渡り鳥のようなものではなかろうか。

 いや、そうありたかったのではないだろうか。

 どうしてそんなことを考えるのかと人は言うだろう。南の大国で最上位に立つ女性であり、国母。そんな誉れを持つ者が、何故愚かにもあえてそれを捨てたいと思うだろうかと。


 僕は掌に握りこんでいたものに目を落とした。

 それは、古びた鍵だった。装飾など一切ない、小さな鍵。みすぼらしい、と言ってもいいかもしれない。


 誰が想像しただろう?


 望めばあらゆるものを手にできた彼女が終生大切にしていた唯一のものが、このちっぽけな鍵だなどと。

 目の前に鍵をかざし、僕はそっと息を吐いた。

 多分、母はこの鍵を僕が手にすると思ってはいなかった。自分と共に消えるのだと考えていただろう。

 鍵を首にかけ、秘密の箱を抱いて墓に入るつもりだったに違いない。

 予定通りに物事は進まないと知っていたはずのあの人が、何の疑いもなく信じていたであろうと思うと、少し可笑しかった。

 僕は笑う代わりに小さく息を吐いた。

 誰も知らない。


 ――父でさえ。


 いや、父だからこそ、知らないのだ。

 父は、父であり夫である以前に君主だった。祖父や曾祖父や、そのまた祖父と同じく、権力ある者の象徴とも言うべき広大な後宮を持ち、多くの臣下を従えていた。

 最上の椅子に座り、首を垂れる者を睥睨することが当然で、すべては己の所有物だと信じて疑っていない、王の中の王。


 けれど。


 王は人の王。薔薇の女王の胸の内、更に奥深くに踏み込むことは叶わなかった。薔薇に心があるとすら考えなかったのかもしれない。蹂躙の代償に差し出された花の心など彼はきっと思わなかった。

 なんにせよ、これは秘密の鍵。母の、誰にも触れさせなかった宝物を閉じ込めた鍵なのだ。

 鍵がなければ開かれることもなかったに違いない、小さな箱を僕は手にしていた。そしてそこに眠っていた紙片を、僕はそっと開いた。


   ***


ロージーへ

あなたのエディットより


   ***


 親愛なるマリーロベリア

いかがお過ごしですか?

もう旅立つ準備を終えた頃かしら?それともあなたは、旅立ってしまったのかしら。

何にせよ、あなたにこの手紙が届くことを信じて、私はペンをとりました。

あなたにこうして手紙を書くなんて何だか随分と久しぶりね。

覚えている?初めて私があなたに送った手紙のこと。

私たちは二人とも、十三で、私は寄宿舎に入ったばかりだった。あなたは学園中の憧れで、紅薔薇の君だなんてあだ名で呼ばれていたわね。薔薇のように強く華やかなマリーロベリア様。完璧な淑女。私と同い年なのに、あなたはとても落ち着いていて、自信に満ち溢れているようで、私は愚かにもあなたを小憎らしく思ったの。

あなたの持つものは生まれついてのもの。私が努力しても手に入るはずなんてないと、意固地になったの。

だから、そんなに素晴らしい方の欠点を探してやろうなんて意地悪なことを考えたわ。そしてあなたに、手紙を書いた。

お会いしましょう、お友達になりたいのですって。いいえ、そんなに可愛らしいものではなかったかもしれない。もっとつんと尖っていたかしら。

そんな手紙でも、あなたは私と会ってくれた。今にして思うと、あなたの寛大さが私の幸運だったのね。

こんな風にあの頃を思い出すと、心が浮かれるわ。でもね、もう手紙でしかあなたと会えないことが寂しいのも本当なのよ。ごめんなさい。困らせたいわけではないの。

私はいつも、あなたに甘えていた。あなたは私のすべてを許してくれていた。それがどれだけ稀有なことか、気付いていなかった愚かな私を、それでもあなたは許してくれるのでしょうね。

あなたに伝えたいことがたくさんあってペンをとったのにどうしてかしら。今日は書いても書いても、あなたと出会ったあの日のことばかり思い出すわ。

覚えていてね。ロージー。

私はずっとあなたが大好き。

私にとって、あなたは特別なの。

いつも、あなたを想っているわ。たとえどれだけ遠くに行ってしまっても、心は自由なのだから。夢の中に会いに行くわ。こんなことを言うと、あなたは笑うかしら?相変わらず子供のようだって。それでもいいわ。あなたが笑っていてくれるのなら。

またあなたに会えることを願って。

あなたの友エディット



 親愛なるマリーロベリア

 お元気ですか。こちらではマルグリットの花が咲きました。そちらでは、どんな花が咲きますか?

あなたが旅立って初めての春が来ます。

あの白い花を一人で眺めていると、あなたがいないことを今更に感じて、時々私はとても寂しいです。それだけ私にとって、あなたが大切な存在だということね。……なんていうと、あなたはきっと困ったように笑うでしょうね。マルグリットの花が咲くリンデンヴァームの森で私があなたにわがままを言った時のように。

あの時はシンディとけんかをして、寮に帰りたくないと駄々をこねたわね。覚えている?私と同室だったシンディよ。金の髪のあなたと並ぶと対になるような、きれいな銀の髪をしていたあの子。

けんかの原因はなんだったかしら?思い出せないほど些細なことだったかしら。それともあなたがいてくれたから、そればかり覚えているのかしら。

あなたは月がのぼる夜になっても、私と一緒にいてくれた。今に思うと恥ずかしくて火が出そう。淑女のすべきことではないわね。それにいくら馴染んだリンデンヴァームの森でも、よく二人きりで夜を過ごせたものだわと、昔の自分の無謀さに呆れてしまいます。でもあなただから、真っ暗な森でも平気だとも思っていた私は、とてもあなたに甘えていたのね。懐かしい思い出と呼ぶには少し早いかしら。

そうそう、そちらにはマルグリットがないのですってね。だから秋になれば、マルグリットの種を贈ります。花をつけてくれると嬉しいわ。

あなたのエディット



 麗しきマリーロベリア王妃陛下

 王子殿下御誕生、心よりお喜び申し上げます。あなたによく似た、青い目の御子様なのでしょうか?あなたによく似た金の髪なのでしょうか?そんなことを考えながら、この手紙を書きました。あなたと、王子殿下の心身が安からんことを、北の地から祈っています。

 エディット・マーユ



 親愛なるマリーロベリア

 ご機嫌いかがでしょうか。

今年の冬の訪れは例年よりいくらか早い様子ですね。

王子殿下はお元気ですか。お風邪など召されていらっしゃらないでしょうか。そちらはこちらより随分寒いのでしょう。

初めて聞いた時はとても驚きました。夏の暑さに対しての落差がひどいのだと、先日舞踏会でお見かけした大使殿が零しておいででした。

麦の収穫も今年は少なかったのでしょう?不作は国を疲弊させる。大使殿はまるでそれを体現しているかのようでした。

気を悪くしたならごめんなさい。外も知らない女の戯言と聞き流してください。

でも、マリーロベリア。もしも助けが必要なのであれば、私のできることは何でもするわ。あなたの為なら、なんでもできる。違うわね。結局それは、私の為なのだわ。

私の心を満たす行為なのだわ。

こんな浅はかな私でも、あなたの役に立つことができますように。

いつもあなたを思っています。

 あなたのエディット



 親愛なるマリーロベリア

 これが私からの、最後の手紙になるでしょう。

驚かせたならごめんなさい。

でもだから、最後にできることを考えていました。あなたに残すことができるものを探していました。

覚えている?

あの春、私が秋になればマルグリットの種を贈ると言ったこと。結局あの約束は、果たせなかったわね。

マルグリットの花が咲いていた場所は、赤く濡れたから。残らず焼き尽くされることはなかったけれど、それでも私はあなたに贈ることができなかった。

あなたには、真っ白なマルグリットが似合うと思っていたから。

だからこの花を、あなたに。

 私のロージーへ

 エディットから、マルグリットの花を、贈ります。

 いつか永遠の向こう側で、あなたと会えると信じて。


   ***


 小箱の底に隠されていた朽ちかけた茶色の花弁を、僕はつまみ上げた。

 秘密の鍵で閉ざされた箱で眠っていたこの花は、彼女が言う『マルグリット』なのだろうか。

 ひとつひとつ大切に折りたたまれていた書簡を見つめる僕に応えてくれる相手はいない。

 それでいいと、僕は思った。

 母が何より愛していた、春に咲く白い花。後宮の外れの小さな庭園で、はなばなしく咲き誇る大輪の薔薇の側で少しずつ少しずつ、数を増やしていた花。

 花の名を知る者はいなかっただろう。母は誰にも教えなかったし、訊ねる者もいなかったから。


「けれど母上」


 あなたも知らないでしょう。

 あなたが白い花を何より愛していたことを、僕が知っていたことを。輝くドレスの下にこの鍵を隠していたことを僕が知っていたことを。


 エディット・マーユ。


 顔も知らないあなたの旧知のひとが言う様に、あなたは薔薇ではなくマルグリットの花のようだと思っていたことを。

 僕は母の小さな箱をそっと閉じた。彼女の秘密が再び隠されるように。そして二度と開かれることがないように。

 窓の外に広がる庭園は、今や白の花で埋め尽くされている。母がこの部屋の中で唯一愛した場所があるのなら、彼女の小さな庭が見下ろせるこの窓辺だろう。

 僕はしばらく白の花園を見つめ、そして手にしていた鍵を投げた。土に埋もれて眠ることを願って。

 この時、彼女の宝物は僕の秘密となったのだ。

 小さく笑い、僕は呟いた。


「母上、僕はあなたが、好きでしたよ」


母の気配が、色濃く残る夕暮れだった。


   ***


 私のエディットへ

 この手紙が、あなたの元へ届くことを信じています。

まずお手紙と贈り物をありがとう。あなたは優しいから、私があなたに返信しなかったことも仕方がないわねと笑って許してくれることと思います。

あなたは私に甘えていたというけれど、私こそいつもあなたに甘えているわ。

マルグリットの花を見て、あなたが私のようだと言って笑った顔を思い出しました。私たちがまだ、少女だったあの頃のことです。

 野に咲く強い花はまるであなたのようね、ロージー。みんながあなたを紅薔薇(ローズ)と呼ぶけれど、私はあなたはマルグリットだと思うわ。

 あなたがそう言ってくれたことを。

けれど私は、マルグリットの花はあなたのようだと思います。

小さくても愛らしく、美しい姿を。あなたのその心を、思います。

エディ、あなたがどんなに大きな存在であったか、あなたは知っているでしょうか。

妾腹と呼ばれた幼い私にとって世界は冷たいだけのものでした。長じて紅薔薇と呼ばれるようになってなお、私は世界を信じてはいなかった。遠巻きに眺めるだけで、誰も私に触れようとはしない。薔薇の棘に傷つけられたくはないから。

その中であなたがどれだけ輝く光であったか知っているでしょうか。

エディ。私は、あなたにマルグリットと呼ばれるには相応しくないのです。私はあなたに、幸福を運ぶことはできなかったし、あの子にもそうだったでしょう。

私はあなたに平穏を贈りたかった。炎と血ではなく、穏やかな時間こそがあなたに相応しいと信じていたから。

けれど私は何一つうまくできなかったように思うのです。

私ひとりが嫁いでも、世界は大きく変わることもなかった。

私ひとりがどうにかする力があるだなんてとんだ思い上がりだったと、後々まで気付かなかった。

ねえエディ。私の選択が、あなたに何を運んだと思う?いたずらに傷付けただけではないかしら。

私はあの子にも母らしいことは何もしてやれませんでした。あなたが幸いを祈ってくれた、あの子に。

妃として、国母としてそれが正しいという人間もいることは知っています。けれど私自身としてはどうなのでしょう。母としての私は正しかったのでしょうか。

自ら選んだことも忘れてあなたと引き離されて再び世界を憎んだ私は、あの子にこの世が生まれてくるに値する場所であると伝えることもできなかったでしょう。

愚かなことです。

あなたと出会えた。

そんな奇跡が起こる場所でもあることを伝えてあげればよかった。茨にひるむことなく手を伸ばしてくれる誰かが必ずいる事を、伝えてあげればよかった。

私はあの子が王子として、一人で立つことができるように、そればかり考えていたように思うのです。

どんな重圧にも屈することなく、誇り高くあれるように。傀儡となることなく、裸の王となることもないように。

それは正しいことだったのでしょうか。私はあの子に、美しいものを教えるべきだったのではないでしょうか。

ねえ、エディ。あなたは笑うかしら。

まるで萎れた薔薇のようねと。

ひとは私をいつも薔薇と呼ぶわ。

昔も、この国であっても。私はそれがよくわからなかったの。

どうして私は薔薇なのか。

この茨で誰かを傷付ける為に生まれたのかしら。そうかもしれないわね。薔薇は、己以外触れるものを傷付けるわ。

あなただけよエディ。私が薔薇ではないと言ったのは。

ロージー。あなたは私のマルグリット。春を届ける花だわ。

エディ、あなたはそう言って笑ったわね。

それがどんなに大きな力であったか、あなたはきっと想像もしていないと思うの。

ただあなたが私を信じてくれたから、マルグリットと呼んでくれたから、そうありたいと思い続けてきました。

どんな時で顔を上げ、立っていることができたのです。

あなたの言葉、それが私を支える杖でした。

エディ。私はあなたのマルグリットの花であれたでしょうか。

あなたが私のマルグリットであったように。

あなたに誇れる、花であったのでしょうか。

最後にそれを聞かせてほしいと思います。

 あなたが言ったように、いつか、永遠の向こう側でまた逢えることを願っています。

 あなたのことを、夢に見るわ。

あなたのロージー



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