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「先輩っ!なんでいるんですかっ?!」
「なんでって…そんないたらいけないような言い方、傷つくなあ」
奏が思わず叫ぶと、ひろ先輩はあははと笑った。
奏に続いて出ようとしていた秋巳も、ぽかんとしている。
「…まったく、はしたないわね。弓道場では静かにしなさい」
呆れたような声がして、顔を上げると大河原先輩が立っていた。
長い髪は今日もサラサラで、そんな表情をしていても美しい。
「お茶を入れてくれるかしら?私も寛子も、今日は塾が休みなの」
そう言ってにっこりと微笑んだ。
「日本茶ですが」
七海がお盆から湯のみを差し出すと、先輩方はありがとうと受け取った。
「うん!さすがななちゃん、私の好みがわかってるねえ」
一口すすったひろ先輩が満足そうに褒めると、七海はどうもと頭を下げる。
どっかの上司とお茶汲みの女の子みたいだ。
休憩スペースの長机。
翼と里花を除いた二年生が、押しかけの三年生二人を囲うようにして座った。
「…さて、ひろ先輩、りっちゃんに一体何をしたんですか?!」
先輩がお茶を飲んで一息つくのを待ち構えていた奏は、両手をついて身を乗り出した。
その正面に座ってしまっていたひろ先輩はギョッと言って身を引く。
「ちょっとちょっと、何で私が何かしたって話になるわけ…」
「いや。そのとおりでしょ。ちゃんと責任持ってみんなに説明しなさい」
隣に座った大河原先輩にぴしゃりと言われて、気まずそうに首をすくめた。
「…だって、あんなに反応するとは思わなくってさ」
ひろ先輩はお茶菓子として出されたチョコレートをつまんで口にほおりこんだ。
「まあ、私だって、さすがに迷惑かけたかと思って、それで説明しに来たんだけど」
「私に促されてね」
大河原先輩がすかさず口をはさむ。
「そうですね。ありがたいご助言をいただいて」
ひろ先輩はにやっと笑い、大河原先輩の口にもチョコレートをほおりこんだ。
大河原先輩は口をふさごうとしたが間に合わず、そのままもぐもぐしている。
なんだかハムスターみたいだ。
「それで…何があったのか、そろそろ話してくれません?」
七海に促されて、ひろ先輩はやっと話し出した。
「うん、最初は何か悩んでるみたいだったから、ちょっと話をきいてみよっかと思って、お茶に誘ったの。そしたら今、翼ちゃんが来なくなっちゃって困ってるって言うじゃない?」
同意を求めるように二年生組に視線を合わすと、みんなパラパラとうなずいた。
「そう。それで、部活動紹介の主役がいなくなっちゃってどうしようかと思ってる。翼にも連絡がつかないし、どうしようもないって言うの。でも、なんとかしますから大丈夫ですって。なんだかねえ…最初に見たときは悩んでるように見えたけど、話しかけた途端、ぱったりそれを隠されちゃったような感じがたんだよねえ。あの子って、そーゆーとこない?責任感が強くて、全部背負い込むようなところ」
「まあ、わかる気はしますね…」
七海も複雑そうな表情でうなずいた。
副部長になって、まだ日は浅いが、里花にはあまり頼られていないような気がしていた。
誰にでも愛想が良くて、何事もそつなくこなす子だけど、どこか壁を作っているような感じ。
「それで、なんかちょっとつつきたくなっちゃったんだよね。あの余裕ないくせに余裕ぶってるとこを崩したいってさあ…。だって、肩はってばかりじゃ疲れちゃうでしょ?」
「…はあ」
「そしたら、つつきすぎちゃった☆」
「は?!」
ひろ先輩は急に真剣な表情を崩して、失敗失敗、とでも言うように頭をかいた。
「あの子の嫌がりそうなとこついたの。前部長の由衣子と比べて嫌味を言ったのよ。由衣子なら、こんな問題、あっとゆーまに解決するんだろうけどなあ。里花ちゃんに部長は荷が重かったのかもねえ…って。そんなとこ。そしたら怒っちゃった。あのいつも温和な里花ちゃんが。」
「…それで、殴られたんですか?」
「ああ、それは事故」
水木がおそるおそるというように聞くと、ひろ先輩は軽く片手をパタパタとさせて笑った。
「ちょーっと、感情的になってたけど。さすがに暴力を振るうような子じゃないよ。すっごいタイミングでさ、なんなんですかっ!って里花ちゃんが怒って立ち上がった時に、私の持ってたびっくり箱がはじけて、中身が飛び出して、わたしの顔に当たったの。すごい音だった」
「はあああ?!」
これにはさすがに、大河原先輩以外のみんなが口をぽかんと開けた。
なんだって、この人はびっくり箱なんて持ち歩いてるんだ。
「いや、ちょうど友だちにサプライズにいくとこだったわけよ。そしたら里香ちゃんにあって、気になって話しかけちゃって。びっくり箱が飛び出すタイマーかけてたの忘れてた」
みんな呆れて声も出ない様子だが、ひろ先輩はなぜか一人面白そうで、それからが大変で…とつづける。
要は目撃していた生徒の話から、里香がきれてひろ先輩を殴った、という騒ぎになり、駆けつけた先生に職員室へ連れていかれたのだそうだ。
先生は事情をきいて、すぐにわかってくれたが(びっくり箱を持ち歩いていたことについては怒られたが)、廊下の騒ぎがひどくて予鈴がなるまで外に出られなかったらしい。
「まあ、それで、里香は怒って来なくなっちゃったわけですか?よりによってこんな時に…」
「早く、りっちゃんに謝ってきてくださいよ!」
七海と奏が口ぐちに文句を言ったが、ひろ先輩は余裕の表情である。
「まあ、その必要はないと思うなあ。だってあの後、里香ちゃん、火がついた顔してたよ?」
「「火がついた顔⁇」」
「わたしが、1人でいろいろやろうとするなって言ったのがきいたのかな?何が何でもみんなで最高の部活動紹介見せますから、首洗って見てろ、と捨てゼリフをはかれた」
「なんだそりゃ…」
水木は意味がわからないとため息をついた。
「まあ、あんだけ騒ぎになったおかげで、何か吹っ切れたんじゃない?うん、里香ちゃんも何か変わるかもね!」
先輩はははっと笑う。
二年生はやや呆然としていたが、秋巳だけは目を輝かせていった。
「そ、そっか。先輩は、りかちゃんや、私たちの成長のために、嫌われ役を買ってくれたんですね!」
…なんでそうなる。
少なくともその場にいた二年生は、みなそうおもったと思う。
でも、秋巳はそう言って疑わない。
まあ、天使のような子なのだ。
奏はよしよし、と秋巳の頭をなでた。
秋巳は意味もわからなそうにニコニコとしている。
「うんうん、秋ちゃんはいい子だねえ」
満足そうに言うひろ先輩を、大河原先輩がこずいた。
「…こら、そうやって自分のやったことを正当化しようとしない」
やっぱり頼りになる、大河原先輩である。
「まあ結果として、里香ちゃんに何かスイッチをいれたのかもしれないけど、翼ちゃんのことで大変な時にさらに厄介ごと起こしてみんなに心配かけたのは確かなんだから。ちゃんとあやまんなさい。」
「…はい、ごめんなさい」
ひろ先輩も大河原先輩にはかなわないようだ。
素直に頭を下げた。
そして大河原先輩は、お茶目に片目をつぶって、こうも付け加える。
「…あと、寛子は後輩を思って…みたいな言い方をしてるけど、たぶん面白そうでってだけでちょっかいかけたんだと思うから、みんな、許しちゃダメよ」
「そんなー、由衣子〜」
ひろ先輩は情けない声をあげる。
その様子に、みんな思わず笑ってしまった。
ちょっと暗くなっていた弓道場の空気が、少し明るくなったような。
「…まあ、本当に里香ちゃんは大丈夫だと思う。だって、私たちが部長に選んだ子だし」
大河原先輩はそう言って自信あり気に微笑んだ。
堂々とこんなことを言える先輩はすごいと思う。
「明日には普通に顔出すと思うわよ」
「しかも、すごくやる気に満ちてるかもね」
先輩たちはそんなことを言い残して、帰って行った。






