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「うううー…ひどいよね、ひどいよね…」
「…はいはい」
「私はミズキと隣の席になって、本当にうれしかったのに…」
「…はいはい」
「ミズキは私なんてどうでもよかったんだね…」
「……はあ」
放課後、学校の敷地内にある弓道部の弓道場では、奏がいつまでもグズグズしていた。
その恨み節を散々聞かされている水木は、隣で盛大にため息をつく。
「だーかーらー、奏の隣の席だなんて思わなかったんだってば!朝いそいで学校きて、座席表見たら後ろの方の席だったから、先生にいったの!」
「そんなの…自分の席の周りの名前くらいちゃんと見てよ!ミズキのばかー!」
「ばっ…ばかとは何を…っ!」
あの朝の一件から、今日はずっとこの調子である。
子供のように駄々をこねる奏に、ミズキは一日なだめたり、謝ったり、怒ったり、餌でつったり、無視したりしながら、なんだかんだで付き合っている。
いつまで続くのだろうと、七海は呆れながら見守っていた。
結局、奏は水木の隣の席にはなれなかった。
水木の申し出を快く引き受けた西園寺先生は、すぐに最前列の子に席の交換を募り、同じ列の一番前の席だった正月さんが、これまたすぐに志願したのだ。
晴れて水木は一番前の席に移り、奏は水木の隣の席ライフを一瞬で終えることになった。
それでも、新しい隣人に落胆した態度を見せては失礼と思ったのだろう。
奏も最初はひきつりながらも笑顔で、友好的に正月さんに話しかけていた。
ただ、この正月さんというのがすごくクールな人で、傍から見ていても可哀想なほどの奏の空回りっぷりだった。
「正月さん、よろしくね!藤咲奏です。」
「…よろしく」
「あ、私、みんなからふじって呼ばれてるの。よければそう呼んでね」
「…」
「正月さんは、去年何組だったの?」
「1組」
「あ、じゃあ西園寺先生のクラスだったんだね!」
「…まあ」
「…私は4組だったから、西園寺先生には授業でお世話になったくらいで…」
「…そう」
「…えーと、正月さんてちょっと変わった名字だよねー。最初、お正月かと思っちゃったの!」
「…そう」
「…あ、ごめん、失礼だったかな?」
「…別に」
「…あ、そう…?」
「…うん」
そう言って、本を開いて読み始める正月さん。
人懐こいことには定評のあるはずの奏が、沈黙。
…そしてその後、こうして水木に当たり散らしている。
「おーっと、部活をサボってる子がいるぞーっ!」
ぎゅっと。
突如弓道場に現れた乱入者が、座っている水木にのしかかるように抱きついた。
「げ。ひろ先輩」
奏がぎょっとした声をあげる。
ひろ先輩はそのまま顏をあげていたずらっぽく笑った。
「げ、とはなんだふじちゃん。先輩に対して失礼だぞ」
「…先輩、とりあえず、重いので、のいて下さい」
水木が苦しげに声をあげると、悪いねとさっと離れた。
ひろ先輩こと達村寛子先輩は弓道部OGの三年生である。
進学校である桜女子の弓道部では、二年生までで代替わりなのだが、大方、ちょっと顏を出してからかいにきたようだ。
ひろ先輩がいるってことは…と思って奏が視線を移すと、案の定、ひろ先輩といつもペアのようにしていらっしゃる弓道部元部長、大河原由衣子先輩が引戸を開けて入ってきた。
「こら、寛子。練習の邪魔をしてるんじゃないでしょうね」
「えー、ちょっと可愛い後輩と話してただけだよー」
ひろ先輩はそう言って水木の頭をくしゃくしゃとする。
それを見た奏が猫のように毛を逆立てていた。
ひろ先輩は奏をからかうのがお気に入りだ。
「寛子がちょっと練習風景を見るだけだっていうから来たのに…」
大河原先輩はため息をつく。
長い黒髪が美しい大河原先輩と、色素の薄い目と髪にすらっと長い手足を持つひろ先輩。
大河原先輩は真面目で硬派。
ひろ先輩は不真面目で軟派。
何かと対象的な二人だが、仲が良く、一緒にいることが多い。
また二人とも面倒見がよくて、引退後にもちょくちょく顏を出してくれていた。
「先輩、せっかくですから、お茶でも飲んでいきません?」
持っていた弓具を置いて、七海が申し出た。
弓道場には簡単な給湯室がついており、お茶をいれられるように道具も一式揃えてある。
先輩が現れたらお茶くらい入れるのが、後輩の嗜みだ。
「ななちゃん、ありがとねー。せっかくだけど、今日は本当にちょっと顔出しに来ただけなんだ。」
「私たち、今日は塾なのよ。だからすぐ行かなくちゃ」
そうですか、と水木が残念そうにうなだれる。
先輩方なら奏の暴走も止められると思ったのだろう。
「…本当はまっすぐ塾に行こうかと思ってたんだけど、クラス替えで浮かれてるやつがいるんじゃないかと思ってさ」
そう言ってひろ先輩がにやっと笑うと、誰かさんはちょろっと目を泳がせた。
「…寛子はストレス解消に寄りたかっただけみたいだから、気にしないでね」
大河原先輩は奏の頭をなで、ひろ先輩の頭を軽くこずいた。
「じゃあ、みんな、練習がんばってね」
「さぼるなよー」
ひろ先輩は最後に釘を刺すように奏にデコピンした。
奏はこっそり、いーっとした顏をしたが、先輩にはばれたようで、もう一度デコピンされていた。
「あ、そうだ」
引き戸に手をかけた大河原先輩は、何かを思い出したように、立ち止まった。
振り返るとにっこり微笑む。
「…部活動紹介の出し物、たのしみにしてるからね」
ぴしゃんと引き戸がしまった。
素敵な笑顔を残して去って行かれたけれど、おそらくこれが、今日先輩が一番言いたかったこと。
部活動紹介とは、新入生たちに部活をアピールするために、各部活の部員たちがステージに立つ、毎年恒例の行事。
これが普通の部活動紹介では済まず…毎年踊ったり、歌ったり、はては漫才をしたり、あらゆる工夫をこらしたパフォーマンスを上級生がこなすのだ。
…新入部員を確保するための、大事な行事であり、その年の執行代が試される最初の行事でもある。
前部長の笑顔のプレッシャーに、部員一同顔を見合わせたのだった。