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春風の心地良いこの季節。
校門の桜も満開を迎え、登校する生徒たちの頭上に花びらを散らしていた。
古き良き伝統あるこの桜女子高校は今時珍しい県立の女子高であり、県内有数の進学校でもある。
学校名にちなんでか、学校設立当初に植えられたというその桜は、長い歴史の中で立派な大木となり、晴れの日も雨の日も、学び舎に通う生徒たちを見守ってきた。
今ではすっかり学校のシンボルであり、朝一番に桜の木に願い事をすると叶う、なんて、ベタなジンクスがあったりもする。
新学期初日の朝、校門付近は生徒たちで賑わっていた。
丸襟に紐リボン、黒のベストに黒のプリーツスカートといった、一見お嬢様らしい制服姿の少女たちが挨拶を交わす姿はとても清々しい。
…といっても、きちんと制服を着こなしているのは新入生くらいで、角襟だったり、リボンやベストがなかったり、パーカーを羽織っていたり…ともはや違う学校の制服のように着崩している上級生も多い。
藤崎奏は、この春無事に二年生になった1人だが、彼女は上級生にしては珍しく、丸襟にリボン、ベストはしっかりつけて、白靴下に黒いローファー、と完全装備の出で立ちだった。
ストレートの黒髪は肩ほどの長さで、目の上で切りそろえた前髪の下にくりくりとした瞳が揺れる。
よく言えば清楚だが、二年生ながら新入生に見事に溶け込んでしまうような容姿である。
そんな彼女は校門をくぐるとすぐ、桜の木に両手を合わせていた。
時刻はちょうど登校時間帯。
挨拶を交わし合う生徒は多いが、必死に何かを祈る少女には声をかけ難いものがある。
それでも、親友だとしたら声をかけないわけにもいくまい。
「…ふじ?」
城田七海はおはよう、より何よりも、まずは友の名を呼んでみる。
藤崎奏は七海と同じ部活の仲間である。
「…なっななななななちゃん!?」
弾かれたように顔をあげた奏は、ワンテンポ遅れて間の抜けた声をあげた。
ストレートの黒髪が肩先で跳ね、丸い瞳をくりくりとさせる。
その動作は、七海に小動物を連想させた。
「…人の名前の文字数をそんなに増やさないでよね」
「…なが七つでななちゃん?」
「…」
「…おはよ、ななちゃん」
「…おはよう」
簡単に挨拶を交わすと二人は肩を並べて歩き出した。新学期初日ゆえに二人とも早めに家を出ていたため、時間には余裕がある。
「…ななちゃん、春休み明けだけど、全然変わらないね」
「変わるって?」
「いや、だからこう…なんてゆーか、なんてゆーか、新学期だし!二年生だし!ちょっと気合入れて髪型変えてみたり、髪染めちゃったり、メガネ変えてみたり、とか!」
「…春休み中ずっと部活で顔合わせてたんだから、そんな急に変わるわけないでしょ」
七海はすでにトレードマークのようになっているポニーテールを揺らし、黒縁の眼鏡に手をかけた。
ゆるく結んだ紐リボンも、黒のハイソックスもいつも通りである。
なぜかテンションの高い奏に対し、七海はあくまでいつも通り、冷静だ。
「そういうふじも、何も変わってないみたいだけど?」
「なっなにをいうのななちゃん!私のこの変化がわからない?!」
小さな胸をはる姿を眺めるが、一切変わったところがあるようには思えない。
「ごめん、全然わからない」
「なーーーっ!!」
奇声をあげながらぽかぽかと叩かれて、七海はため息をついた。
「…そんなことより、あんた、何を桜にお願いしてたの?」
「えーっ!」
今度は顔を真っ赤にさせて両手で覆う奏。
まったくコロコロと表情が変わるやつだ。
「どーしよ、ななちゃん、知りたい知りたい?」
「いや、そこまで知りたくはない」
「…!」
「言いたくないなら別にいいけど…」
「えー!聞いてよーー!」
まったく相変わらずの奏に七海は苦笑いした。
「ななちゃん、今日は何の日だかわかる?」
そわそわと言う奏に、七海は首をかしげる。
何の日、何の日…入学式?は昨日だし、春分の日はとっくにすぎたし、誰かの誕生日…はいちいち覚えてなどいない。
「もーっ!タイムアップーっ!」
答えは出ないと見切ってか、奏は勝手にあきらめて締め切った。
「今日はななちゃん、新学期だよ?一大イベントがあるでしょう?!」
「一大イベント?」
「もーっ!クラス替えだよー!ななちゃんは気にならないの?!」
1人じたばたする奏にやっと合点がいった。
「あんた、もしかして朝ずっとお祈りしてたの?」
「うん!朝一番にきて、ずっとお願いしてたの!これはもう、叶うよね!」
「叶うも何も、ほぼ確率は100%でしょうが…」
「だだだだって、もしも何かの偶然で、先生の意地悪で、運命の女神様の気まぐれで、ミズキと違うクラスになっちゃったら…私の青春はもう真っ暗になっちゃうんだよ…!」
桜高校は一学年につき6クラス。
二年生になると理系、文系に分かれる。
内1組2組は理系。3〜6組は文系。
理系の1組は化学選択。2組は生物選択。
3組は文系の化学選択。4〜6組は文系の地学選択である。
となると、文系の化学選択である奏とミズキは違うクラスにはなり得ない。
同じく文系の化学選択である七海も、残念ながら違うクラスにはなり得ない。
決まった仲間が同じクラスだとわかっているなら、クラス替えなんて、特にどきどきもしないものだ。
「あーもう、なんでななちゃんはそんなに落ち着いていられるのさー!」
ミズキ…こと水木佐知子は奏一年生時の級友で、同じく同じ部活の仲間である。
見飽きるほど一緒にいることの多い人物だが、自他ともに認めるミズキ大好き人間である奏にとって、ミズキと同じクラスを勝ち取るか否かは死活問題のようだった。
「ああ、もう着いちゃった…!」
二年生の教室前には大きくクラスメイトの名前と席順が書かれた紙が貼り出されている。
3組の教室前で、奏は祈るようにそれを見上げた。