〝Hello World〟
ねぇ、君は今頃何をしているんだろう。
初めて会った時は眩しい人だな、と思った。同時に、また会うことはないのだろう、とも。
再び君に出会えた時は、本当に驚いた。それはすぐに嬉しさへ変わった。運命に近いものを感じた、と言っても良いかもしれない。そして、もっと君と話してみたい、と思うようになった。
天は僕に味方してくれた。話す度に、もっと君を知りたくなった。知る度に、もっと傍に居たいと願った。一緒にいる時間が増えるほどに、君を愛おしく感じた。君を愛している、と気付いたのは何時だったか。君の瞳が真っ直ぐに向けられた時だったか、君の声に耳を傾けていた時だったか。もしかすると、最初からだったかもしれない。
その想いを君に受け取ってもらえた時は本当に嬉しかった。君と同じ思いだったことを知って喜びはもっと大きくなった。それからの日々は、それまでとは全く違う色に見えた。それまでの日々も幸せだったが、それ以上の幸福が溢れていた。君が傍に居てくれるだけで世界がこれだけ変わるなんて知らなかった。僕たちはずっと幸福だった。自分たちの歩むその先の未来も、同じ輝きを放っていると信じていた。夢見ていた。
君が僕と共に歩むことはやはり運命だったと、今なら言い切れる。そうでなければ、僕が再び生を受ける事なんてなかっただろうから。君と僕は、共に在らなければならない。その命を全うする前に終わってしまうなど、やはり有り得ないことだった。
ああ、今すぐにでも君に会いに行きたい。君も今、この世にいるのだろうか。いや居るだろう。そうでなければ何故僕がここに居るのか。君は今、何処にいるのだろうか。君の顔を一目見たい。君の声が聴きたい。君と言葉を交わしたい。せめて歩いてゆけたなら。
けれど、それは叶わない。今の僕には、その術が無い。君の居場所も調べられない。そもそも顔を見ても判別できるかどうか。そもそも言葉だって満足に解せない。話すことなんて到底無理だ。歩くことすらままならないのに。僕の体がまだ未完成だから。
最初に光を見たあの時から、まだ一年も経っていない。だから、周りの大人の力を借りなければ、命を繋ぐ事すら危うい。初めは、自分でできたことが何一つできなくて、分かっていたことまで何一つ分からなくなっていた事に、ただただ歯痒く思った。屈辱すら感じた。けれど折角得たまたとないチャンスを自分の意志で棒に振る事もない、と割り切った。今でも割り切れていないところもある。これならば死んだ方がましだ、と。でも自分で命を絶つような真似は絶対にしない。君を、この世界に一人残すようなことは絶対にしない。だから今は待つしかない、時が来るまで。
そうして何度はまったか分からない思考の泥沼の中で模索を続ける。思考が奪われなかったのは幸いだと考えていると、声が掛けられた。
「ヒロくーん、ご飯よぉ」
仕方が無い。生きる為だ。
そう自分に言い聞かせて、ろくに回らない舌で訳の分からない返事をし、“今の母親”に向かって四つん這いで歩み寄って行った。
―1―
どこかに、いかなくちゃ。
きがつくと、いつもそんなふうにかんがえてる。じぶんでもへんだなあ、っておもってるんだけど。
ほら、しんぱいしてハルトくんがのぞきこんできた。
「オマエ、またぼーっとしてるのか?」
「そうだった?」
「おう。またフラフラどっかいきそうなかんじだった」
「だいじょうぶだよ。しんぱいすんなって」
「え、ヒロキくん、ぐあいわるいの?」
ありさちゃんまで。そんなにぼく、へんかなあ。
ありさちゃんは、よくぼくにはなしかけてくれる。やさしいし、かわいいし、いいこだなっておもうよ。
けど、ほかのともだちみたいに『しょうらい、およめさんにする!』って、いえないんだ。
はずかしい、とかじゃなくて、いおうとするとむねのあたりがモヤモヤする。で、いつのまにかそとをみてる。
「そうじゃなくて、またどっかいきそうだっただけだよ。まえみたいに」
ハルトくん、とくいそう。ハルトくんのことじゃないのに。ありさちゃんをとらないでほしいんだけど。
まえにぼくは、ようちえんのそとまでひとりでかってにあるいていったことがあるんだ。せんせいもすごくしんぱいしておこられたけど、なんででていったのか、ぼくにもよくわかんない。
そんなことまでおぼえてしんぱいしてくれたなんて、ハルトくんもやさしいや。
はなしてたら、そとあそびのじかんもおわっちゃった。
せんせいによばれて、またそとがきになって、ずっともんのそとをみてた。
あの向こうに……あの向こうに行かないと……。
……あれ? いま、なにかんがえてたんだろう。またかな。
「宏樹くん! 早くしないとおやつなくなっちゃうよ?」
おやつのじかんだ!
せんせいのいるほうへ、ぼくははしった。
はやく、いかなくちゃ。
―2―
勢いよく、顔に水を浴びせかける。寝起きでぼんやりした頭には丁度良い冷たさだ。
顔を上げて鏡を見る。僕とは似ているようで違う顔が、左右反転した寝ぼけ眼で見つめ返してきた。
小学生らしいあどけない顔。邪気のないその瞳が今の自分かと思うと、いつも落ち着かない気分になる。
その顔の中で一つだけ満足できるパーツがある。眼だ。
君に「優しそうな目ね」と言われたことがあった。それが変わってしまっていては困る。また同じ言葉を掛けて貰わなければならないのだから。
幼少期にはまだ目鼻立ちが決まっていないから、何とも言えなかった。ただ、これから急に切れ長になったり、つり目になったら嫌だと思っていたからなおさら、今になって見る自分と変わらない目に安心感を覚える。
……そもそもどうして、自分がまた生を受けたのか。そこにいつも思考が回帰する。
全く同じ生を歩むというなら、話はまだ分かる。けれど、本当に赤の他人となってしまうというのはどういう事なのか。
この少年には迷惑を掛けている。その内に僕という存在を飼っているから、思考が僕に影響されてしまっている。
でもどんなに念じても、僕には肉体の主導権は無い。これもどういうことなのか。
きっと神の手違いなのだろう。僕は本来ここにはいない存在の筈だ。けれど、今ここに居るのなら、自分の望みを叶えるまで。その為にはどんなものでも犠牲にすると、決めたのではなかったか。
だから、この少年にはもう少し協力してもらおう。僕を君のところまで連れて行ってくれるまで。
しゃっきりしてきた顔をタオルで乱暴に拭って、僕の入った彼の身体は洗面所を後にした。
君に会えるまでは、もう少し時間が掛かりそうだ。
―3―
キーンコーンカーンコーン、と定番のチャイムの音が響く。一番待ちに待った音だ。
「では、今日のHRは終わりです。委員長、号令」
「きりーつ、気をつけ。礼」
「ありがとうございました!」
今日一番の大声であいさつをすると、急いで帰る準備をする。何せ金曜日の放課後だ。心が軽い。
「なあ、宏樹ッ!」
いきなりドンッ! と背中を押された。あまりの勢いに、高速で頭を机に思いっきりぶつける。ゴツン! という音と共に、星が散る事の意味を体感する羽目になった。
「痛ってぇなオイ、ってお前かバカ遥人!」
半端じゃなく痛い。半分涙目で振り返った先には、幼稚園からの悪友がにやついていた。半ば予想がついていただけに、余計に腹が立つ。
「まあまあ、落ち着け。今日は、お前にいいものを持ってきたんだ」
「良いものって……何だよ」
にやけ面をそのままに遥人は、また訳の分からない事を言い出した。劇画口調の違和感に突っ込む前に、話に乗ってしまう自分の素直さと現金さが悲しい。
ジャジャーン! と過剰な動きと共に、目の前に突き出されたそれは……。
「チケット……? 映画の前売り券か。今週末の」
「おうともよ」
「『ナチュラルハイパーサイクロン魔法少女みきてぃ』? とかって書いてあるけど」
「ふふん。ちょうど二枚あるだろう? この意味が分からないお前ではないよな。気になるあの子を誘って映画館で二人っきり! という素敵シチュエーションをこの俺がプレゼントしてやろうというのだ! 有難く受け取れ」
相変わらずおかしなテンションでしゃべり続ける悪友。そもそも『ナチュラル(略)てぃ』は洗濯機から飛び出して戦う萌え系のアニメだったはずだ。オタクの友人がほざいているのを聞いた記憶がある。
なぜそのようなシロモノがデートにぴったりだと思ったのか。そもそも誘うような相手が俺にいると思っての所業か。アイツの頭の中はいつも理解の外にある。
「要らない。それじゃ誘える相手も逃げてくっつーの。最悪、白い目で見られて逃げられるに終わるわ。それに、そもそも大前提として俺には誘う相手がいない」
「へーぇ。相変わらず身持ちの固いことで。だったら俺と二人で行くか?」
「やめろ気色悪い。もとから、こっち予定入ってんだよ今週末」
「まぁたそうやって逃げるのかよ。予定ったって嘘に決まっ……じゃねんだな」
「おう。旅行だ」
どういう訳か俺は旅行好きで、中学に入ってからというものずっと旅し続けている。最近になってからは特にその頻度が上がったが、まぁ気にはしない。結構もらっている筈の小遣いも相当カツカツだが代わりに得られるものも多い。小学生の頃から自転車で遠くまで行っては夜遅くに帰ってきて叱られる、というのを繰り返していたし、案外根っからの旅好きなのかもしれない。
「またかぁ? ちょっと旅行行き過ぎなんじゃねえの? おい、今年に入ってから何度目だ?」
「二年生になってからだと……今回で、七度目かな」
「ってことは……? 二週間にいっぺんかよ……。もうそれ、旅行好きってレベル超えて、放浪癖じゃね?」
確かに行き過ぎだな、と思う事もあるが、毎回違う場所を訪れる度に色々な発見があって楽しい。同じところでも、前に行った時とは違うものが見えてくる。けれど、どこからか湧き上がってくる物足りなさが次の旅へと駆り立てる。充実した旅行でも『ここじゃない』という思いが首をもたげてくる、と言えば良いのか。何なのかは分からないけれど。
「ちっ。結局無駄になったじゃねーか、コレ」
「つーかそれ、まさか自分で買ったんじゃないだろうな……?」
「当たり前だろ。兄貴の友達が行こうと思ってたらしいけど、一緒に行くメンバーが来れなくなったからって兄貴に渡してきたのを押し付けられたんだよ。あのヤロウ、金まで取りやがって」
そこまでして俺に押し付けようとする理由は何なのかと思っていたが、帰ってきた答えはある意味予想通り。やっぱり俺に押し付けようという魂胆だったか、このヤロウ。
「でもなあ。もったいねえんだよなあ。何せネットじゃプレミア付きで取引されてるっつーし。値段も十倍近くまではね上がってるらしいしさぁ」
「じゃあ、売ればいいじゃん」
「その手があったか!」
ガバッ! と目を輝かせて顔を上げるも、
「でもなあ。前売り券についてくるフィギュア必ずゲットして来い! って言われてるからなぁ……。兄貴『俺が殺されるから!』とか言ってたけど、その前に確実に俺が消されるよな、兄貴に。なあオイ、やっぱ一緒に来てくれねーか? やっぱ興味ないっていうと嘘になるから!」
「無理。ってか旅行の準備があるから帰る」
馬鹿に付き合ってると時間の無駄だ。何より心が疲れる。何度繰り返しても覚えないな、と自嘲しつつ、まとめ終えた荷物を持って教室の扉へ向かう。
「親友よりも旅優先とはねぇ。これだから浮ついた話の一つもねぇんだよ」
という誠に不本意な妄言を吐いた馬鹿は、とりあえず殴っといた。全力で。
―4―
夏、と言って思い浮かべるものは何だろうか。海、祭り、花火……など、華やかで楽しいものに溢れている。――まあ常識から言えばそうだろうが、そうも言ってられないのが最後の夏というものだ。
受験の夏。
苛烈な戦いの天王山、まず敵を知れとばかりに俺はオープンキャンパスへと繰り出していた。
本来ならば一、二年の内に内に行っておかなければならなかったのだろうが、当時の俺の脳内には向上心と言う文字は無く、ひたすらに『旅』の一文字に支配されていたため、先生のありがたーいお知らせも、華麗に右から左へと聞き流していたのだ。三年生になってからは、さすがにヤバいと思い立って来てみた、と言う訳で現在に至る。理由の説明に、多少の語弊はあるが。
要は旅好きの血が騒いだだけだ。勉強に飽きて逃げ道を探していた、とも言う。受験期間一年間放浪封印は、さすがに辛い。
「しっかし広いなぁ」
と呟く声も、群衆のざわめきの中に混ざって消える。方向感覚はある方だ、とは自負しているが、これほどに人が多いと自分の進んでいる方向に自信が持てなくなってきた。
オープンキャンパス参加者のほとんどは、数人固まって行動している。学校単位で移動している所もあるようだ。俺のようなぼっち行動も見ない訳ではないが、友達と笑い合ってる奴らとかを見ると、やっぱり皆で来れる一、二年の頃に来ておけば良かったと後悔するも、もう遅い。
そんな思考が前方不注意による、衝突事故を引き起こす。
ドン、と人にぶつかった感覚で我に返った。相手の手から離れた冊子がぱさりと落ちる。慌てて顔を上げた先には、戸惑った顔の綺麗な女子生徒が。どう見ても俺が悪いこのシチュエーション。後々の禍根を断つためにも、ここは一言謝って立ち去ろう。
即座に打算した俺は、目を伏せたまま軽く会釈。
「「すみません」」
と思ったら謝罪のタイミングが一致してしまった。なんと。向こうもきまり悪そうに、苦笑している。
「すみませんが、道をお聞きしても良いですか」
丁寧な口調に載せられて飛び出したのは、意外にも道案内のお願いだった。行き先が偶然に俺の目指す。人文学部だったので、自分のパンフレットの校内図を片手に割と淀みなく説明できたと思う。
それでは、と言って別れた後にふと視界の隅に違和感を覚えた。見てみれば風にめくられるパンフレット。……あれ、さっきの人落としてナカッタッケ?
はい、アクシデント発生―。道徳的見地から考えてみれば、届けてあげるのが道理だが、なにぶん俺は面倒事は極力避けるって決めてるからなー、と考えをめぐらせる前に、手が勝手に冊子を拾い上げていた。
自分でも少し疑問に思うが、いま思えば結構な美人さんだったような気もするし、まあ損はないか、と。普段なら絶対に起こらない思考回路のもろ彼女に駆け寄る。
「すみません。さっきこれ、落としませんでしたか?」
声を掛けられた彼女は、少しびっくりしたように振り向いたが、すぐにそれは笑顔に変わった。
「そうですね。わざわざありがとうございます。」
そう言って俺に向けられたそのふんわりとした微笑みは、まるで花がほころぶようで。
――見つけた。俺の一番愛する人。俺がこれまで求めてたものが。
相変わらずの美しさだ。
僕の惚れた微笑みが再びみられるなんて。
やはり僕は君だけを愛している。
え、何だこれは。俺はこの人を知らない。俺は今日この人とこの場所で初めて(・・・)出会った(・・・・)んだ。
「どうしましたか?」
あまりにも凝視し過ぎていたのか、逆に相手から、心配の言葉をかけられてしまった。慌てて応える。
「いや、何でもありません。」
そうですか、と言って、彼女は踵を返した。想定以上のイベントになってしまったな、とため息を吐くのと一緒に一緒にさっきから渦巻いている既視感もまとめて忘れる。そうでないと何かに呑まれる気がした。
何に?と思いながらも、とりあえずは自分の目的地に向かおうとした。が、即座に彼女も行き先が同じことに気付く。これで『やあ、また会いましたね』なんて事態になったら気まずいの次元を超えてくる。ということで、ある程度距離を置いて歩くことにした。ストーカーだとは言わないでほしい。
が。
彼女の様子を見ると、あっちへふらふら、こっちへふらふらを繰り返し。進んでは止まりを繰り返している。今だって……T字路のど真ん中で立ち往生している有様。どっからどう見ても完ぺきに迷っている。まぁ、人ごみの中だし無理もないだろう。
そこで、どうしようという考えが頭をもたげてくる。自分から声をかけるのはもう気まずすぎる。かといって放っておくのは、いつもは微塵も働かない良心がワーワー騒いで主張している。
もうヤケだ。毒を食らわば皿まで。袖ふりあうも多少の……なんだっけ。使用用途どころか原型すら首をかしげるレベルのことわざは考えないにしても、さっきパンフレットを渡した時とは、全く違う心持ではあった。
もう少し話をしてみたい。願わくば、あなたのことを知りたい、
そうして俺は、彼女に駆け寄る。
「何度もすみません。あのー俺も同じ人文学部見に行きたいんですけど、良かったら一緒に行きませんか?」
そうして俺は、その日一日彼女と行動を共にした。
どうしてここに来たのか、とか(優秀な彼女は、自分には発破をかけるために、受験前にもう一度訪れたそうだ)将来の進路とか(教師になるだろうが、大学での研究も楽しみだとか)いろいろな事を話せて、楽しかった。
今まで、なんとなくという気持ちでオープンキャンパスに参加していた俺まで、本気でこの大学を目指そうと、思えるくらいには。
きっとそれは、再び彼女に会えたら、という淡い期待。もとより、もう一度会えるなどとは信じていない。
けれど、別れ際に見た彼女は未来への希望に輝いていて、
『まぶしかった』
その背中を追いたいと願うくらいには。
―5―
隣で、僕に寄りかかるように眠る彼女を見て、素直にかわいいなと思ってしまう。正確に言えば『僕に』ではなく、『彼に』となるのだろうが。信頼を置いているのは彼であって僕ではない。そもそも彼女だって『君』とは違う。けれど、君に限りなく近い存在を、再びに近くに感じることができることすらも、何にもかえがたい幸福だ。
バスに揺られながら、そっと息を吐く。旅行の帰り道というものは、なんとなく寂しさを感じさせる。無為な時間を過ごしながらも、楽しかった非日常から、いつもの日々へ帰らなければならないから。まあ、彼女の決めたことだから文句もないけれど。
この旅行は、前にも君からせがまれたことのある。今度の場合は旅好きの彼を慮ってのことだろう。電車で行くのをやめさせて、バスに替えさせられるくらい彼とのリンクがあって本当に良かったと思っている。
幼いころから内に”僕”という存在を飼っていた彼は、彼の心の中に漏れ出る僕の思考に知らず知らずのうちに僕に影響されていた。そのため口調こそ違えど、根本的に近い考え方を彼は持っている。僕の思いが高ぶって、彼の心の表層に出てきても、彼が自身の考えだと錯覚するくらいには。
だから彼女と話す時も、僕の思うようなことを言ってくれたり、僕ならこうするだろうなという行動をとってくれるのだ。今回の電車で行くのも、漠然とした不安を抱かせることで無事回避できた。
そう考えると、忌々しい前の記憶が浮かんできた。君が行きたいとせがむままに日帰りで出かけ、電車に揺られる帰り道。君は彼女とは違いずっとその日の思い出を輝いた目で語っていたのだった。それにボクは時に相槌をうち、時に笑い、穏やかな時を過ごしていた。すぐそのあとに迫る悲劇に気付けないまま。
変だな、と思ったのはスピード。徐々に上がっていくような気がしたが、気のせいだと思い直す。ここできちんと考えておけば、と何度となく思ったことだが、そうしたところで当時の僕にはなす術もなかった。そしてそのまま車両はカーブへ突っ込んだ。ガタンッ!!という衝撃とともに座席から投げ出される。傾いていく車体。おびえた表情の君。「脱線だ!横転するぞ!」という声が他人事のように聞こえた。せめて君を安心させようときつく抱き寄せた直後に、痛みを感じる暇もないほどの圧力。
――ここで、一度目の僕の記憶は終わっている。そして僕は君と永遠に分かれた。
正直に言って彼女が旅行に行きたい、と言った時には凍りつくような心地がした。あのときの焼き直しのように感じて。彼にバスに変えるよう言ってもらった後は、心底ほっとした。これで悲劇の二の舞は避けられた。
と、ここまで考えて、頭を振った。振ったのは彼だが。どうにも疲れているみたいだ。いつもは彼女と一緒にいる時に、つまらない昔のことなど考えないのに。思考の方向をどうにか転換する。
そう思うと、やっぱり彼はうらやましい。基本的に考え方が同じとは言え、僕は結構考え込んでしまうタイプだが、彼はいつでも即断即決だ。そのきっぱりとした考え方は僕にはない。そういってみれば、君と彼女だって違う。君はハキハキとした活動的な人だったが、彼女は少しおっとりしている。僕が君のその溢れんばかりのカリスマ性を「まぶしい」と形容したが、彼は彼女の将来への希望にまぶしさを感じたようだし。
高速道路を走るバスの進路が少し斜めになった。おそらくは車線変更だろうと思っていたその時
少しざわついていた前の座席から、金切り声に似た悲鳴が響く。
「起きて……。起きてください、運転手さんッ!」
泣きそうに叫ばれたその声に僕は脳みそをぐちゃりとかきまぜられたような気がした。
待て、僕は今回悲劇を回避したはずなんだ。僕と君は永遠に一緒にいなければならない。僕と君は再び切り離されるようなことはあっちゃいけない! 僕と君は……。.
車内に幾重にも悲鳴がこだまし、既視感にも似た衝撃が走る。そして、僕は―――
* * *
暗闇の中で、僕はまどろむ。
またしても君と僕は、終わりを見ることは叶わなかった。おそらくは、またも僕の不注意のせいで。
避けられるはずの、起こらないはずの事態で、僕はまたしても君と離れた。
繰り返せること、それ自体が奇跡だ。なのに、僕は君と永遠にある。当たり前の幸せは、いつまでたっても掴めない。
僕は今まで幾人を犠牲にしてきただろうか。数えることをやめてから、どれほどになるか。
彼だって、僕が居なければ、彼自身の道があったのに。
彼にしかない性格があったのに。
彼だけの考えを思い浮かべられたのに
彼の思うままの行動ができたのに
彼だけの想いがあったのに
僕に毒されなかったのに
彼女を好きにならずとも好かったのに。
後悔はあれど迷いはない。彼女を最初に失ったその時から、僕は何を犠牲にしても君と必ず生きると決めた。僕はその犠牲の上を歩むと決めた。
繰り返せること自体が奇跡だ。いつ繰り返されなくなってもおかしくはない。
ならば僕が奇跡を起こす。君と最後まで歩みきるまで何度でも。
さて、今度はどんな子なのだろう。
ほら、光が見える。
あげる産声は僕の世界に対する宣告。
小さいけれど僕のすべてをかけた宣言。
たとえ世界が何度君を奪おうとも、僕は何度でも君に手を伸ばす。
「こんにちは(ハロー)、世界よ(ワールド)」
次こそ、君を離さない。
締切に追われてやっつけたやつですクオリティが残念ってレベルじゃない……。
文字数も一万切ってます。
『柏葉二十六号』掲載作品