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レンズ越しの嘘  作者: ledled


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第四話 ラスト・エディット

体育館を出た俺の背後では、未だに怒号と悲鳴が渦巻いていた。

それはまるで、蓋をしていた地獄の釜が開いたかのような騒ぎだった。だが、俺の心は妙に静まり返っていた。台風の目の中にいるような、奇妙な静寂。

廊下を歩く俺の靴音だけが、コツコツとリズミカルに響く。

ポケットの中にはスマートフォンが入っているが、先ほどから通知音が鳴り止まない。クラスのグループLINE、SNSの通知、そして個人宛のメッセージ。

そのすべてを見る気にはなれなかった。今はただ、この終わりの時間を一人で噛み締めたかった。


校舎の外に出ると、遠くからサイレンの音が近づいてくるのが聞こえた。

誰かが通報したのだろう。不法侵入と器物損壊。動画の中のキョウヤは、自らの口で罪を自白しているようなものだ。証拠能力としては十分すぎる。

赤いパトランプの光が、校門のアーチを不気味に照らし出し、色とりどりの風船がその光を受けて赤黒く変色して見えた。

楽しい祭りの終わりにしては、あまりにも物々しく、そして劇的な幕切れだ。


「……篠宮!」


背後から、息を切らせた声が聞こえた。

振り返ると、そこには小野寺先生と、数名の教師が立っていた。彼らの表情は一様に険しく、困惑と怒りが入り混じっている。

だが、そのさらに後ろから、ふらふらとした足取りで歩いてくる人影があった。

白石莉奈だ。

さっきまでの輝くような美貌は見る影もない。髪は振り乱れ、泣き濡れた顔でメイクはドロドロに崩れ、まるで幽霊のように蒼白だ。

彼女を取り囲むようにしていた友人たちの姿は、もうどこにもない。


「篠宮、お前……なんてことをしてくれたんだ。あれは、全校生徒の前で流すようなものじゃないだろう!」


小野寺先生が俺の襟首を掴みかからんばかりの勢いで詰め寄る。

俺は冷静に、先生の目を見つめ返した。


「事実をありのままに編集しただけです。テーマは『青春の思い出』でしたよね? 彼女とあの男が作った思い出もまた、紛れもない青春の一ページですから」

「ふざけるな! 学校の名誉も、彼女のプライバシーも、すべて台無しだぞ!」

「名誉を傷つけたのは、校内で不純異性交遊を行い、校舎を破壊し、生徒を侮辱した彼ら自身です。僕はただ、記録係としてそれを『可視化』したに過ぎません」


俺の淡々とした口調に、先生は言葉を詰まらせた。

教育者としての建前と、一人の大人として見た惨状の間で揺れ動いているのだろう。

その隙に、莉奈が俺の目の前までやってきた。

彼女は震える手で、俺の袖を掴もうとした。俺は半歩下がってそれを避ける。空を掴んだ彼女の手が、力なく垂れ下がった。


「みな……と、くん……」


掠れた声。いつもの鈴を転がすような声とは似ても似つかない、壊れたラジオのような声だ。


「どうして……? なんで、あんなこと……」

「なんで、か」


俺は溜息交じりに呟いた。

まだ分からないのか。いや、分かっていて認めたくないだけか。

俺は冷ややかな視線で彼女を見下ろした。かつて愛おしいと感じていたその顔が、今はただの汚れた肉の塊にしか見えない。


「莉奈、お前が言ったんだろ。『傑作だよね』って。だから俺は、お前の期待に応えて最高傑作を作ったんだよ。感動したか?」

「ち、違うの! あれは……その、キョウヤくんに無理やり言わされて……!」


莉奈は必死に首を振り、縋るような目で俺を見る。

嘘だ。動画の中の彼女は、誰に強制されるでもなく、自らの意思であの言葉を口にし、俺を嘲笑っていた。

窮地に陥った瞬間、保身のために平気で嘘をつき、共犯者を売る。それが白石莉奈という女の本性だ。


「無理やり? 動画の音声、もう一度再生してやろうか? お前、ノリノリだったじゃないか。『地味な湊より、キョウヤの方がお似合い』って」

「っ……! そ、それは……!」

「それに、キョウヤはもう警察に連行されるみたいだぞ。あいつも今頃、お前と同じように責任転嫁してるんじゃないか? 『女に誘われただけだ』ってな」


俺が視線を校門の方へ向けると、ちょうど警察官に両脇を抱えられたキョウヤが、パトカーに押し込まれるところだった。

彼はわめき散らし、抵抗していたが、その姿は滑稽なほど無様だった。

サングラスも帽子も剥ぎ取られ、隠していた素顔は恐怖で歪んでいる。

「俺は悪くねえ! あの女が手引きしたんだ!」という叫び声が、微かに風に乗って聞こえてきた。


「あ……あぁ……」


莉奈はその光景を見て、ガクリと膝から崩れ落ちた。

唯一の味方であり、共犯者であった男の無様な末路。それが自分の未来と重なって見えたのだろう。


「湊くん……ごめんなさい、謝るから……! 私、バカだった。湊くんが一番大切だって、今気づいたの。だから、お願い、見捨てないで……!」


地面に座り込んだまま、莉奈は俺の足に縋り付いてきた。涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を、俺のズボンに押し付けてくる。

「一番大切」。どの口が言うのだろう。

アクセサリーにもならない地味な男。便利な下僕。それがお前の本音だったはずだ。

今、彼女が俺に縋っているのは、愛情からではない。

「学校一の美少女」という座から転落し、孤立無援になった恐怖から逃れるために、かつての「安全地帯」に戻りたいだけだ。

どこまでも利己的で、浅ましい。


「触るな」


俺は短く告げ、足を引いた。

莉奈の体がバランスを崩し、地面に這いつくばる形になる。


「え……?」

「汚いんだよ、お前。あんな男と校内のトイレでヤッた身体で、俺に触れるな」


その言葉は、物理的な攻撃よりも鋭く、彼女の心を抉ったようだった。

莉奈は息を呑み、目を見開いたまま凍りついた。


「莉奈、お前は俺を『地味で退屈』だと言ったな。その通りだよ。俺は地味で、真面目だけが取り柄の男だ。だからこそ、不潔な裏切りは絶対に許せないし、一度壊れた信頼は二度と戻らない」

「そ、そんな……私たち、ずっと一緒だって……」

「一緒? 笑わせるな。お前が一緒にいたのは、お前を引き立ててくれる『便利な背景』だろ。俺はお前の踏み台じゃない。一人の人間だ」


俺はしゃがみ込み、莉奈と視線を合わせた。

彼女の瞳に映る俺は、もう「優しい彼氏」ではなかった。

そこに映っていたのは、ゴミを見るような目で彼女を見下ろす、冷徹な他人だった。


「お前は言ったよな。『地味な君より、派手な彼がお似合い』って。……おめでとう、莉奈。願いが叶ってよかったな。お前はもう『清楚な美少女』じゃない。犯罪者の男と校内で情事に耽る、ふしだらで派手な『噂の女』だ。まさにお似合いのカップルだよ」

「ひっ……!」


莉奈は悲鳴のような短い声を上げ、後ずさった。

俺の言葉が、彼女のアイデンティティを完全に破壊した瞬間だった。

彼女が一番大切にしていた「周囲からの評価」「美しい自分」という虚像。それを俺は、事実という名のハンマーで粉々に砕いたのだ。


「もう二度と、俺に関わらないでくれ。顔を見るだけで吐き気がする」


俺は立ち上がり、彼女に背を向けた。

「待って、湊くん! 行かないで! 一人にしないでぇッ!」

背後から絶叫が聞こえたが、俺は足を止めなかった。

教師たちが慌てて莉奈を抱え起こし、なだめている気配がする。だが、誰も俺を引き止めようとはしなかった。

俺がしたことは、確かに行き過ぎた報復かもしれない。学校の行事を私物化し、混乱を招いた責任は問われるだろう。

だが、後悔は微塵もなかった。

胸の内にあった重苦しい鉛のような塊が消え失せ、代わりに驚くほどの軽さが身体を満たしていた。


翌日からの学校は、まさに蜂の巣をつついたような騒ぎだった。

文化祭での出来事は、瞬く間にSNSを通じて拡散されていた。誰かが動画を撮影してアップしたのだろう。「文化祭で公開処刑」「浮気現場が生中継」といった扇情的なタイトルで、まとめサイトや動画サイトに転載され、炎上状態となっていた。

もちろん、学校側は火消しに躍起になり、生徒への箝口令やSNSの監視を強化したが、一度ネットの海に放たれた情報は消えることはない。


キョウヤは不法侵入と器物損壊で逮捕された後、通っていた大学からも退学処分を受けたらしい。ネット特定班によって実名や住所まで晒され、バンド活動どころか、社会的な更生すら困難な状況に追い込まれたと聞いた。

「スリルがたまらない」と言っていた彼だが、その代償はあまりにも大きすぎたようだ。


そして、莉奈。

彼女は文化祭の翌日から学校を欠席していた。

だが、一週間が経った頃、親に連れられて一度だけ登校してきた。

退学手続きのためではなく、事態の収拾と謝罪のためだったらしいが、教室に入ってきた彼女を待っていたのは、冷酷な現実だった。

かつて彼女を崇拝していた男子たちは、汚らわしいものを見るような目で彼女を避け、親衛隊気取りだった連中は「騙された」「裏切られた」と掌を返して彼女を罵った。

女子グループの反応はさらに苛烈だった。「私たちの顔に泥を塗った」「最低の女」と陰口を叩かれ、机には心無い落書きがされ、教科書が隠されるなどの陰湿な嫌がらせが始まった。

「学校一の美少女」という最強の盾を失った彼女は、あまりにも無力だった。


俺はというと、数日間の停学処分と、反省文の提出を言い渡された。

動画の内容が過激すぎたこと、学校行事を混乱させたことが理由だ。だが、不思議と教師たちの態度は厳しくなかった。むしろ、小野寺先生などは「やりすぎだとは思うが、気持ちは分からんでもない」と、同情的な視線を向けてくれた。

生徒たちの反応も意外なものだった。

俺は「怖い奴」として腫れ物扱いされるかと思っていたが、実際には「よくやった」「スカッとした」と、密かに称賛する声の方が多かったのだ。

特に、以前から莉奈の傲慢な態度や、キョウヤの不遜な振る舞いに反感を持っていた層からは、英雄視さえされていた。

もちろん、俺はそんな称賛を求めていたわけではない。

ただ、静かな日常が戻ってくれば、それでよかった。


停学期間が明け、久々に登校した放課後。

俺は放送室にいた。

手元にあるのは、あの動画の元データが入ったUSBメモリだ。

俺はPCを起動し、データをゴミ箱に入れ、「完全に削除」を選択した。

確認のポップアップが出る。

『本当に削除しますか? この操作は取り消せません』

俺は迷わず「はい」をクリックした。


画面上のプログレスバーが一瞬で消え、データはこの世から消滅した。

これで、本当に終わりだ。

俺の復讐も、莉奈との思い出も、すべてがゼロになった。


「……さて、帰るか」


俺は鞄を持って立ち上がり、放送室の窓を開けた。

秋の涼しい風が吹き込んでくる。

窓の下、中庭のベンチには、一人でぽつんと座っている女子生徒の姿があった。

莉奈だ。

彼女はまだ学校を辞めてはいなかった。親の説得か、あるいは行き場がないのか、針の筵のような学校に通い続けている。

かつてのように取り巻きに囲まれることはなく、誰からも話しかけられず、ただ俯いてスマートフォンを弄っている。

その背中は以前よりも小さく、どこか老け込んで見えた。


俺が窓から見ていることに気づいたのか、莉奈がふと顔を上げた。

目が合う。

彼女の表情が強張る。何かを言いたげに口を開きかけ、そしてまた力なく閉じた。

俺は何も言わず、無表情のまま窓を閉め、カーテンを引いた。

もう、彼女に対して怒りも憎しみもない。あるのは、赤の他人に対する無関心だけだ。

彼女がこれからどう生きようと、どれだけ苦しもうと、俺の知ったことではない。

それが、俺にとっての最大の復讐であり、決別だった。


廊下に出ると、夕日が長く伸びていた。

どこかの部活の掛け声が聞こえる。吹奏楽部の楽器の音色が響く。

変わらない放課後の風景。

だが、その風景は以前よりも鮮やかに、そして澄んで見えた。

「地味な湊」はもういない。

これからは、誰かのための背景ではなく、自分自身の人生の主人公として生きていく。

カメラのレンズ越しではない、この肉眼で、新しい世界を見つけるために。


俺は大きく息を吸い込み、軽やかな足取りで昇降口へと向かった。

クレープ屋でも寄って帰ろうか。

そういえば、駅前に新しい店ができたと誰かが言っていた。

一人で食べる甘いクレープも、案外悪くないかもしれない。

俺の顔には、自然と穏やかな笑みが浮かんでいた。

それは、誰に見せるためでもない、俺自身の心からの笑顔だった。

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