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レンズ越しの嘘  作者: ledled


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第二話 沈黙の編集作業

翌朝、教室の扉を開けると、いつものように騒がしい日常が待っていた。

文化祭まであと数日。クラスのボルテージは最高潮に達しており、黒板にはチョークで描かれたメイド喫茶のメニューやシフト表が所狭しと並んでいる。

俺は努めて平静を装い、自分の席へと向かった。昨夜、あの旧校舎で目撃した光景が脳裏に焼き付いて離れない。瞼を閉じれば、暗闇の中で絡み合う二人の影と、俺を嘲笑うあの声が鮮明に蘇る。

だが、今の俺に感情を表に出す資格はない。いや、出してしまえば全てが水の泡になる。

俺は自分自身を「カメラのレンズ」だと言い聞かせた。レンズは感情を持たない。ただ事実を映し出すだけだ。


「あ、湊くん! おはよー!」


背後から弾むような声がかかる。

心臓が一度だけ大きく跳ねたが、俺はゆっくりと振り返り、口角を持ち上げた。鏡の前で何度も練習した、いつも通りの「優しい彼氏」の笑顔だ。


「おはよう、莉奈。今日も早いね」

「うん! 今日は衣装の最終調整があるからね。湊くんこそ、昨日も遅くまで編集してたんでしょ? 目の下にクマできてるよ?」


莉奈が心配そうに眉を下げ、俺の顔を覗き込んでくる。その瞳には一点の曇りもない。まるで昨夜のことなど存在しなかったかのような、完璧な演技。いや、彼女にとっては「演技」ですらないのかもしれない。俺という存在が軽すぎて、罪悪感すら抱く必要がないのだとしたら。

俺の胃の腑に、冷たい鉛が落ちていくような感覚が広がる。


「ああ、ちょっとね。どうしてもこだわりたいシーンがあってさ」

「ふふ、やっぱり湊くんは真面目だね。でも無理しちゃダメだよ? 当日、私の晴れ姿を見逃されちゃ困るもん」

「大丈夫だよ。莉奈の姿は、ちゃんと見てるから」


そう、ちゃんと見ている。誰よりも近くで、誰よりも鮮明に。

俺の言葉に含まれた二重の意味になど気づく様子もなく、莉奈は「楽しみにしてるね」と無邪気に微笑み、友人の待つ輪の中へと戻っていった。

その背中を見送りながら、俺は鞄の中で拳を固く握りしめた。

彼女のあの笑顔も、優しさも、すべてが虚構だった。俺が信じていた「清楚な彼女」は、この世のどこにもいなかったのだ。

ならば、俺がやるべきことは一つしかない。

俺は席に座り、パソコンを開いた。画面上の編集ソフトには、昨夜取り込んだ「あの映像」が、隠しファイルとして保存されている。


放課後になり、俺はすぐに放送室へと向かった。

文化祭実行委員の特権で、俺はこの部屋の鍵を自由に使うことができる。ここが俺の城であり、処刑台の設計図を描く場所だ。

機材のチェックをしていると、放送室のドアがノックされた。


「篠宮、いるか?」


入ってきたのは、生徒会顧問であり、今回の文化祭の責任者でもある小野寺先生だった。

俺は慌てて、編集画面を別のウィンドウに切り替える。


「あ、小野寺先生。お疲れ様です」

「おお、やってるな。例の『思い出ムービー』だが、進捗はどうだ? そろそろ一度、内容を確認しておきたいんだが」


先生の言葉に、俺の背筋に冷や汗が流れる。

当然の流れだ。全校生徒の前で流す映像を、ノーチェックで通すわけがない。通常ならば、ここでプロトタイプを見せ、修正指示を受けることになる。

だが、今の俺が作っているものを見せるわけにはいかない。

俺は大きく深呼吸をし、誠実さを前面に押し出した表情を作った。


「先生、実は相談があるんです」

「相談?」

「はい。今回の動画なんですが、最後に大きなサプライズを用意しているんです。生徒たちの自然な表情や、先生方への感謝のメッセージを、当日のその瞬間まで秘密にしておきたくて……」


俺は言葉を選びながら、熱っぽく語った。

サプライズ。感動。感謝。

教育者が好みそうなキーワードを散りばめる。

俺がこれまで積み重ねてきた実績と信頼が、ここで試される。


「もし事前に内容が漏れてしまうと、感動が半減してしまうと思うんです。僕を信用して、当日のぶっつけ本番で流させてもらえませんか? 責任はすべて僕が持ちます」


小野寺先生は少し考え込むように腕を組んだが、やがて俺の真剣な眼差しに負けたように苦笑した。


「……お前がそこまで言うなら、任せるか。篠宮の作る動画なら、変なことにはならないだろうしな。去年の動画も評判良かったし」

「ありがとうございます! 絶対に、最高の動画にしますから」

「ああ、期待してるぞ。ただし、時間は守れよ」


先生は俺の肩をポンと叩き、部屋を出て行った。

ドアが閉まった瞬間、俺は大きく息を吐き出し、椅子の背もたれに崩れ落ちた。

これで、最大の障壁はクリアした。

「変なことにはならないだろう」。先生のその言葉が、皮肉めいて耳に残る。

すみません、先生。

変なことにはなりませんが、とんでもないことにはなります。

俺は再びモニターに向き直った。これで誰の邪魔も入らない。

俺はキーボードを叩き、別ウィンドウに隠していた監視カメラの映像を呼び出した。


今日、俺は校内の数カ所に、小型のアクションカメラを設置していた。

名目は「定点観測による準備風景のタイムラプス撮影」。

だが、そのレンズが向いている先は、廊下の隅や渡り廊下の死角、そして昨夜の現場となった旧校舎の入り口だ。

さらに、俺の手元にはもう一つの武器がある。

記録撮影用に申請してある、最新型のドローンだ。

静音性に優れたこの機体ならば、上空から死角なしでターゲットを追尾できる。


モニターの一つに、リアルタイムの映像が映し出される。

旧校舎の裏手。人目がつかない草むらの中に、見覚えのある二つの影が現れた。

莉奈と、あの男――キョウヤだ。


「……来たか」


俺はドローンのコントローラーを手に取り、モニターを睨みつけた。

画面の中のキョウヤは、今日も派手な私服で、堂々と校内に入り込んでいた。

他校生の立ち入りは禁止されている期間だが、実行委員の腕章をつけた生徒の手引きがあれば、裏門から入るのは容易い。もちろん、その手引きをしたのは莉奈だろう。


俺はドローンを慎重に操作し、彼らの頭上、木々の枝葉に隠れる位置へと移動させる。

高画質のカメラがズームインし、二人の表情を捉える。

キョウヤはくわえタバコで、校舎の壁にスプレー缶のようなものを向けていた。


「おいおい、マジかよ……」


俺は思わず呟いた。

キョウヤは笑いながら、旧校舎の壁に何か落書きをしているようだ。器物損壊。立派な犯罪だ。

莉奈はその様子を見て、「やばーい、ウケる」と手を叩いて笑っている。

彼女にとって、学校も、ルールも、そして俺も、すべては自分たちが楽しむための玩具でしかないのだろう。


『ねえキョウヤくん、昨日の動画、どうなったと思う?』


ドローンに搭載された集音マイクが、風切り音に混じって二人の会話を拾った。

俺はヘッドホンの音量を上げる。


『あ? ああ、あの彼氏が作ってるやつ?』

『そうそう。今日、すごい顔色悪かったよ。「こだわりたいシーンがある」とか言っててさ、まさか自分の彼女が浮気してるシーンだとは思わないよね』


ケラケラと笑う莉奈の声。

ヘッドホン越しに聞くその声は、直接聞くよりも無機質で、だからこそ純粋な悪意として俺の鼓膜を震わせた。


『バーカ、おめでてー奴だな。で、いつ別れんの?』

『んー、卒業まではキープかな。だって、文化祭終わったら受験モードでしょ? ノート借りたり、送迎させたりするのに便利なんだもん。キョウヤくんは車出してくれないしー』

『俺はそういうキャラじゃねーからなw まあ、上手く利用してやれよ。哀れな下僕くんをさ』


二人は抱き合い、そのまま人気のない旧校舎の中へと消えていった。

俺はドローンをホバリングさせたまま、録画を停止しなかった。

怒りで手が震えることは、もうなかった。

代わりに、奇妙なほど澄み渡った感覚が俺を支配していた。

必要な素材は撮れた。

器物損壊の現場、不法侵入の証拠、そして俺への侮辱と、莉奈の本性を暴く決定的な音声。

これらを編集でどう組み合わせるか。

俺の頭の中で、パズルのピースが組み合わさるように、断罪のシナリオが構築されていく。


夜、誰もいなくなった放送室で、俺はひたすら編集作業に没頭した。

メインのタイムラインには、生徒たちの輝く笑顔、汗を流して準備する真剣な表情、先生たちの温かいメッセージが並ぶ。

BGMは、今年流行りの感動的なバラード曲を選んだ。

徐々に盛り上がり、サビで最高潮に達する構成。

観客の涙腺を刺激し、「ああ、いい文化祭だったな」と思わせる、完璧な「表」の動画。


そして、その裏に、別のタイムラインを作る。

ノイズのエフェクトと共に差し込まれる、モノクロームの映像。

旧校舎の暗がり。

落書きされる壁。

地べたに座り込んで吸い殻を捨てる男。

そして、その男に媚びを売り、カメラに向かって(そう見えるように編集する)あざけるような笑みを浮かべる莉奈。


音声の調整には特に時間をかけた。

莉奈の美しい声が、どれほど残酷な響きを持っているか。

キョウヤの軽薄な笑い声が、どれほど不快か。

それらをBGMのブレイク部分、静寂が訪れる瞬間に、鋭い刃物のように差し込む。


「地味な湊より、派手な彼の方が私に似合う」

「傑作だよね」


これらのフレーズを、リフレインさせる。

観客の感情を「感動」という高い位置まで持ち上げ、そこから一気に「嫌悪」と「軽蔑」の奈落へ突き落とす。

その落差こそが、この復讐劇の肝だ。


時計の針は深夜2時を回っていた。

モニターの光だけが照らす暗い部屋で、俺はキーボードを叩き続ける。

疲労はあるはずなのに、脳は冴え渡っていた。

この作業は、かつてないほどクリエイティブで、そして破壊的だった。

愛していたものを自らの手で解体し、別の何かに作り変える作業。

それは、ある種の儀式にも似ていた。

俺の中で燻っていた「湊」という男の未練を、一つずつ切り刻み、データとして処理していく。


「……できた」


最後のエンディングロールを設定し、俺はレンダリングボタンを押した。

画面上のプログレスバーがゆっくりと伸びていく。

これが100%になった時、俺の手元には爆弾が完成する。

誰も解除することのできない、時限爆弾だ。


ふと、スマートフォンの画面が光った。

莉奈からのメッセージだ。


『湊くん、まだ学校? 無理しないでね。おやすみ、大好きだよ♡』


可愛いスタンプと共に送られてきたその文字を見て、俺は短く息を吐いた。

大好き、か。

その言葉がこれほど空虚で、滑稽に思える日が来るとはな。

俺は返信を打たなかった。

もう、彼女に対して演じる必要はない。

舞台の幕は上がりかけている。あとは、役者が揃うのを待つだけだ。


プログレスバーが右端に達し、『書き出し完了』の文字が表示された。

俺はその動画ファイルをUSBメモリにコピーし、大切にポケットにしまった。

この小さなメモリの中に、莉奈の「未来」が入っている。

学校一の美少女としての栄光も、友人たちからの信頼も、そして俺との思い出も。

全てを灰にする火種が、ここにある。


俺は放送室の電気を消し、静まり返った廊下へと出た。

明日は文化祭の前日リハーサル。そして明後日が本番だ。

窓の外には満月が浮かんでいた。

月明かりに照らされた校舎は、まるで嵐の前の静けさのように、不気味なほど穏やかだった。


「待っててくれよ、莉奈」


俺は誰に聞かせるでもなく、闇に向かって呟いた。

お前が望んだ通り、最高の動画を作ったよ。

お前が一番輝く、いや、燃え上がる瞬間を、特等席で見届けてやるからな。


足音だけが響く廊下を歩きながら、俺は自分の足取りが驚くほど軽いことに気づいた。

迷いは消えた。恐怖もない。

あるのはただ、これから訪れる結末への、冷たく静かな渇望だけだった。

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