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壬玖  作者: 丹午心月


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一、怒りの矛先

 この星に不時着して一二五一年が経過した。

 月日が流れ、人口が増えると安全な地帯を探して村を開拓し、その中に壬玖じんくと名付けられた村がある。人々が九番目に開拓した村の為、じっ干の九番目の壬と、大字の玖を合わせてその名になった。

 その村は北東に深懐しんかい山、北西に麓海れいかい山があり、その山間やまあいから扇状に村が広がり、村を二分するように横断している湖海こかい川が流れている。その南にも村は広がっていて、住民は川より北を川上かわかみ、南を川下かわしもと呼んでいた。

 村の東には命潭めいたん湖があり、そこから村の北にある海へ水が流れていて、川の名の由来となっていて、架かっている三基の橋は、東から東橋、中橋、西橋と呼称した。

 山間からは二峰の北にある峻剣しゅんけん山の雪解け水が、村の最北部に滝となって流れ込んでいる。それもすぐに命潭湖へ行き着く為、滝壷から流れる短い川に名はなく、滝と呼称した。

 滝は警備隊隊舎の裏手の北北東にある滝壷から東南東に掛けて流れ、隊舎は山と村の間にある砦となっていた。山は入山許可がないと入山不可となっている。


 丸賀二八にはちと名付けられた物質は、この星にはなくてはならない物のようだった。

 それに順応した所為なのか、茶系の髪を持つ子が誕生するようになり、日本人らしからぬ特徴が時折出るようになった。その特徴は、虹彩の色が茶色ではないという事だった。その為、その人々を色目と呼称した。

 色目はその含有率が高く、常人よりも強じんで、動作がこの星の獣と対等にやり合える程に素早く、常人からは恐れられる存在となっていた。逆に含有率の低い者は虚弱体質で、二十年も生きられれば御の字といった所だ。

 そして、その含有量で人生が決まってしまう世の中になってしまい、侮蔑を籠めて色目と呼ぶ者は少なくなかった。


 戸二谷とにたに虹介こうすけもその色目の一人だ。父親の祥介もまた色目で、六歳になったばかりの虹介を片親で育てて来た。兄の大介は色目ではなく、二八が常人よりやや多い程度だ。

 虹介は祥介が留守の時は決まって週にさん日、隣家に住む澤川竜次郎に連れられて滝へ釣りに出掛ける。竜次郎は痩身中背の六十を越えた老人だ。

 滝の付近には土砂崩れの名残から大きな岩が転がっていて、虹介はその一つに座って釣り糸を垂らしていた。竜次郎も近くの岩に座って、釣り糸を垂らしている。

「今日はキュウがうるさいね」

 虹介は上空を飛んでいる鷹を見上げた。

「何か来たのかも知れんな。キュウ以外の鳥も飛び立っているなぁ……」

「いがいとちかい?」

「近いな……」

「そうか……」

 竜次郎が緊張すると、虹介も気を引き締めた。


――ザザザザザザッ

 藪漕ぎの音がする。

「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ」

 人影は何かから逃れるように闇雲に走っていた。


 虹介は垂らした糸を回収し、指笛を吹いてキュウを呼び寄せる。キュウが来る前に岩から下りた。

 キュウは虹介が四歳の頃に偶然捕えた鷹で、その時に負った傷が癒えても帰らず、ただで肉に有り付ける為に居着いてしまってから二年が経とうとしていた。虹介が毎日話し掛けている所為か、言う事を理解している。特に、魚という言葉には過剰反応する。肉より魚が好きらしい。

 虹介の左前腕を掴んだキュウは、「キュール」と鳴いた。

「おかえり。山のふもとがさわがしいから、ちゅういして見て。けものが来てたら、おしえるんだよ?」

「キュールルルル」

「たのんだよ」

 キュウの胴体を右手で掴み、腕を後ろに引き、勢いを付けて投げ飛ばした。キュウは翼を広げると風を利用して上空へ舞い上がって行く。二人はキュウを見ていた。

「何もないといのだがな」

「そうだね」


――ザザザザザザ……

 藪漕ぎの音は続いている。

「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ」

 人影の息が整う事はなかった。懸命に前進する。

――ザザザザ……

 藪漕ぎの音に交ざって異音が微かに聞こえる。足を止めて耳を澄ませた。それがばく声である事に気付くと音のする方へ足を向けた。


 腕を組んで沈思していた竜次郎は、ふと顔を上げた。

「虹の字、わしがいては足手纏いになるかも知れん。勘違いの可能性もあるが、念の為、警備隊を呼んで来るわ」

「うん、わかった。オレはこのままいるよ」

「虹の字なら逃げ切れるとは思うが、無理はするなよ?」

「オレでたたかえそうなら、たたかうよ。父さんにたたかい方はならってるし、キュウもきっとてつだってくれるから」

 竜次郎は虹介の肩に手を置く。

「いいか、獣が下りて来て、見た瞬間に、これは駄目だ、と思ったら必ず逃げるんだぞ。虹の字が色目でも、まだ六歳なんだからな。分かったか?」

「わかった。ダメだとおもったらにげるよ」

――バシャ

 瀑声に交じって、何かが滝壷に落ちた音がした。竜次郎の顔が険しくなる。

「何か落ちたな……」

 滝壷の方に顔を向けた虹介も険しい顔をしている。

「見てくる。でもキュウがちかくでさわいでるから、あのへんにも何かいるよ」

「不味いな。迷った仔を追っている親とも考えられるな。これは猶予がないぞ。とにかく警備隊を呼んで来るわ」

 二人は顔を見合って頷き合うと、それぞれの目的地へ向かった。


 虹介は川に沿って北上した。川は魚が見える程に透き通っている。約百メートルを走った所で、川を流れて来ている物が目に入った。

 物は正確には人間で、仰向けになって流れているようだ。黒い頭部が手前に見える。

(あれはあたまか。となると、あの茶色っぽい色はふくだな。水にぬれて色がこくなってるんだな)

 虹介は冷静な判断が出来ていた。手頃な石を三個拾い、流れて来たそれに当てた。

「いたっ」

 その声を聞いてみはった。

(女かよ。……え、女? ほんとうに?)

 虹介は二個目の石を力を籠めて当てた。

「いっ!!」

 痛みで咄嗟に上体を起こした。足を着けたのか、虹介の方を向いた。

「あんた! 何するのよ!」

「わかい女は入山きんしじゃないか! おまえこそなんだよ!?」

「あ、あたしは……」

 狼狽する女は目を逸らした。上空で鳴いているキュウの声が近付いて来る。

「おまえ、何かけものをつれてきたな!?」

 女は黙ると水中に潜って下流へ泳ぎ出した。虹介は今すぐ潜った女を引き摺り上げて問い質したかったが、キュウの鳴き声からして、そろそろ獣が到着するであろう事は容易に察せた。

(じかんがあまりたってないのに、もうそこまできてる。これはかなり足がはやいな……)

 そう思案している内に水音が聞こえた。

(またたきつぼにおちたか? ほんとうにもうおちたのか? ……これははやすぎる)

 虹介は石を左手に持てるだけ持った。

(これはダメだ。にげきれないヤツだ。たいちょうじゃないとあぶない。たいちょうがくるまで、オレがここで足どめをするしかない)

 風下にいる虹介の鼻を刺激する悪臭が漂って来る。それに顔を歪めた。

(くっ……さぁ! このにおい、さいあく! あの女、マジでゆるさん!)

 臭いがきつくなると、目に入って来た黒い物が急速に近付いて来る。虹介は右腕を後ろに引きながら体を捩じり、すがめて狙いを定めると勢い良く腕をしならせて投げた。鈍い音が瀑声に交じって耳に届く。休みなくもう一個、更にもう一個、投げる度に当たったが、投げられたのは三個だけだった。

 獣臭を放つそれは虹介の前で止まった。体高は優に一メートルはあり、虹介と遜色ない高さだ。体毛は主に黒茶だが顔は白っぽく、耳は丸くて小さく、そこから鼻先に掛けて黒い筋が走っている。

「ゴアァァ!」

 牙を見せ付けて吼え、唾液が飛び散った。

(こいつ、石があったったから足をゆるめたな。それにしても、かおに二本のせん、足が六本、おおあなぐまだ。父さんが言ってたヤツだ。それにしてもでかい。あたまをなぐっても、ほねをくだけるかがもんだいだ……。これはおおしごとだな……)

 虹介は自分でも恐ろしい程に冷静でいられた。右手を服に擦り付け、指笛を吹く。頭上で鳴いていたキュウが静かに旋回する。それはキュウに告げる待機の合図だった。


 大穴熊は唸っているが、意外にもすぐに跳び掛かって来ず、小さな虹介を警戒している。投石が効いたようだ。虹介は徐に後退りをして距離を取る。

(二かしょから血が出てる。それだけ石がめりこんだしょうこだ。つぎは目をねらう……)

 出血は左前足と前胸ぜんきょうで、それを意に介していない大穴熊が虹介の左側へ徐に中肢を動かした。虹介もやはり徐に後退りしながら右腕を後ろにやる。

(右目はねらえないな。よし)

 体を軽く捻じり、今度は眇めないで狙いを定めて腕を撓らせた。当たって鈍い音はしたが、狙いが外れて前胸に当たった。大穴熊が虹介に跳び掛かった所為だ。

(やっ……べえ!)

 体勢が前のめりに崩れた所を狙われてしまった。慌てて右足を踏ん張り、足を伸ばしながら上体を逸らしたが、振り被っていた大穴熊の右腕が振り下ろされる。瞠った虹介は咄嗟に右目を固く閉じた。鋭い爪が額をかする。間一髪で避けたが、大穴熊は右前肢が振り下ろされたと同時に左前肢を振り被り、前進しながら虹介の頭を目掛けて振り下ろした。虹介は左手にあった残りの石を、大穴熊の顔に目掛けて放り投げた。三個しかなかったし、勢いもなかったが、大穴熊はそれに怯んで動きを止めた。お陰で容易く体勢が立て直せ、少し距離も取れた。

(ちょっとこわがってる? ……ような気がする。なんでだろ?)

 生温い物が額から目を伝って頬を流れると、右目を閉じた。

(さっきかすったから血が出たのか。いたくはないんだけど……目がしみる。さて、どうする?)

 何故か唸る事も止めてしまった大穴熊は、荒かった息がいつの間にか整っていた。虹介はそれでも山へ帰すつもりはなかった。口の周りに血がこびり付いている事に気付いたからだ。

(こいつはくってるから、山へかえせない……。しとめないと……)

 良案が思い浮かばずに困っていると、後ろから足音が聞こえて来た。誰か一人来たようだ。

「虹介、俺だけ来たぞ」

「オレって言われてもこまるよ! たきたって言ってくれないと!」

 振り返る事が危険な為、滝田に聞こえるように大声を張り上げた。

「分かってるなら言うな! 隊長は今、川下の見回りに行っていて留守だ! 緊急の鐘を鳴らしているけど、いつ来るか分からん!」

 同様に大声を張り上げだした滝田も色目だが、虹介の格下で頼りにならない。

「わかった! こいつ、人をくってるから山にかえせない! しとめたいから、ぶきは何をもってきたのかおしえて!」

「槍を持って来た!」

「ゆっくりこっちにきて、オレにわたして! それと、女のみつりょうしゃが川をおよいで下っていった! つかまえて! めいたんこににげてると思う!」

「分かった! 虹介と約二十メートルの距離がある! 距離を詰めるぞ!」

「やりは右手にちょうだい!」

「分かった!」

「オレをたてにして、おおあなぐまのしかいに入らないようにして!」

「分かった! 今十五メートルだ!」

 虹介は徐に左へ寄り、大穴熊と滝田の間に入る。滝田は腰を落とし、背を低くしていた。

「十メートル」

 虹介は右手を開いて待った。

「五メートル」

 滝田は大穴熊の姿が近付くに連れて不安になったが、前にいる虹介の事を思うと、そんな事は思っていられなかった。四メートル、三メートル、二メートルと距離を縮め、虹介の右手に太刀打ちの部分が当たった。

「手に触れている所は太刀打ちだ」

「わかった。もういいよ。そのままのたいせいでゆっくり下がって、十メートルはなれたらいっきにはしって」

「分かった。仕留められなくてもいいから、無理はするなよ?」

「うん、ありがとう」

「もう行くからな?」

「うん、気をつけて」

 頷いた虹介は左手で太刀打ちを握り、穂先を大穴熊の顔に向けた。右手を柄に滑らせて一番遠い所を握り、左手の握りを緩めると槍を前へ突き出した。もう一度繰り返し、丁度良い位置で柄を握る。

(やりはにがてなんだけど……、もんくは言えないか)

 滝田とは逆に、大穴熊へ一歩、また一歩と近付き始めた。

(右目があかないのがいたいけど、しかたない)

 虹介は顔の左側を大穴熊の正面になるように傾ける。距離が約五メートルに縮まった時、大穴熊が後肢で立ち上がり、前肢を振り上げ、中肢を広げた。体長は二メートル弱はあるようだ。とにかく大きい。

「ゴァァアアア!」

 虹介は立ち上がり掛けたその瞬間に跳び込んでいた。

 槍の間合いに届くと左足を踏ん張り、振り上げていた穂を下ろす。大穴熊はそれを払おうと広げていた中肢を左右に振った。そのお陰で刃が良い具合に左中肢を切断出来た。血が噴き出ると大穴熊は途端に逃げの態勢に入ったが、虹介の攻撃はまだ続いていて、穂が下から上へ直線を描いた時、右中肢も切断した。すると、逃げ腰になっていた大穴熊が反転して右前肢を振り上げ、虹介に覆い被さろうと体を立てる。虹介はこれ幸いとばかりに左手を支点に、右手で柄を半時計回しながら突き出し、振り上げた前肢を切断した。踏ん張った右足に体を乗せ、そのまま右側へ避けると、それを見た大穴熊は反対に向かって逃げようとした。

 虹介は槍を右手で担ぎ、大穴熊を全速力で追った。ほぼ真後ろに来た時、背に取り付こうと跳び上がるも、勢いが付き過ぎて大穴熊の三メートル前方に、背を向ける形で着地してしまう。

(やっべぇえ! ておいはあぶないって父さんに言われてたのに)

 焦った虹介が振り返ると、大穴熊もまた振り返って虹介に尻を向けていた。笑いたくなる衝動に駆られたがそれは堪え、今度はしかと背に乗り、心臓目掛けて槍を突き立てた。暴れる大穴熊の背で力一杯柄を握り、穂が大穴熊の体を突き抜けるまで刺し込んだ。次第に大穴熊が大人しくなり、遂には力尽きて倒れた。

(それにしても、マジでくさいんだけど…………)

 大穴熊に乗ったまま、肩を弾ませながら口で呼吸をした。

(あー、たおせてよかった)

 物心が付くかどうかという頃から父に鍛錬を強制されていたが、そのお陰で大穴熊を倒せ、少しばかりの満足感を得た。しかし、その場に暫くは留まらざるを得なかった。

(気がぬけたら、ひざに力がはいらなくなったわ)

 指笛を吹いて、キュウを呼んだ。

(あー、つかれた。……くさいし、ほんとうにさいあく。あーあ)

 呼吸を整えているとキュウが下りて来て、虹介の右腕に留まった。

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