妻ぶる彼女
「ちょっと! 靴下脱ぎっぱなしにしないで!」
「ご、ごめん……」
「ご飯食べる前に手洗った? うがいも!」
「え、いや……」
「ほらー! 子どもじゃないんだから、自分でちゃんとやりなさい!」
彼女は僕にだけ、ガミガミ文句を言う。まるでお母さんみたいに。
いや、お母さんというよりーー妻?
僕と彼女は、どちらも中学生に勉強を教える家庭教師のバイトをしていた。
時給はそこそこ良くて、週に何コマか入れば、大学生にしてはかなりいい小遣いになるはずだった。
、、、はずなのに。
なぜか僕の財布には、ほとんど自由に使えるお金が残っていない。
「ねえ、ちょっと聞きたいんだけど」
「なに?」
「俺のバイト代、どこにいってるの?」
「は?」
彼女は目を丸くして、何を今さら? という顔をする。
「えっと……サチが管理してるんだよね?」
「そうだよ。だってその方が安心でしょ?」
「いやいやいや! 安心とかそういう問題じゃなくて! 俺のお小遣いは? 俺の!」
「お小遣いぃ?」
彼女はわざとらしく首をかしげて、唇に指を当てる。
「だって、遊ぶときはいつも二人でしょ?」
「まあ……そうだけど」
「だったらお小遣いなんていらないじゃない」
「え、いや……え、いるよ! 絶対いる!」
「どうして?」、、、
「ど、どうしてって……俺だってさ、たまには自分の好きなマンガをまとめ買いしたり、男友達とラーメン行ったりしたいわけ!」
「ふーん」
彼女は腕を組んで、じろりと僕を見下ろす。
「じゃあ質問です。マンガをまとめ買いするのと、私とデートするの、どっちが大事?」
「うっ……」
「ねえ? 答えて?」
「そ、それは……もちろん、デート……です」
「よろしい!」
にっこり微笑む彼女の顔は、天使のように可愛いのに、同時に恐ろしくもあった。
「だから安心して。バイト代は私がぜーんぶ計画的に使ってあげるから」
「“使ってあげる”って……俺の稼ぎなんだけど」
「二人の生活費でしょ? だったら私が管理するのが自然」
「せ、生活費……!? 俺らまだ大学生だよ!?」
「いいの。予行演習!」
「ま、また出たそのセリフ……」
彼女はあっけらかんと笑う。
けれど僕の胸の中は複雑だった。
確かに、彼女に任せておけば無駄遣いはしないだろう。
料理も掃除も上手で、金銭感覚までしっかりしている。
でも、このままだと僕は完全に「財布の紐を握られた夫」じゃないか。
僕は胸の内で叫ぶ。
俺だって自由に漫画を買いたい! たまには深夜のラーメン屋で替え玉まで頼みたい!
だけど目の前で楽しそうに「私が管理してあげるから安心してね♪」と笑う彼女を見ると抵抗する気力がごっそり持っていかれる。
ああ、これが“尻に敷かれる”ってやつか。
怖い。
でも、かわいい。
そして、なんだかんだ言いながらも、そんな彼女に財布を預けてしまう自分がいる。
そうして僕のバイト代は、今日もまた彼女の財布の中に吸い込まれていくのだった。
人前ではおとなしく微笑む清楚なお嬢さん。
二人きりになれば、僕を叱り、管理し、時には甘えてくる小悪魔。
そのギャップを誰も知らない。知っているのは僕だけ。
その特別感が、くすぐったくて、誇らしくて、たまらなくうれしい。