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第29話 さざんかの誤解

いつものようにポン子に朝食をやりました。陶磁器の器にしてくれたウンチやオシッコを片付け、キャリーケースにポン子を入れて家を出発しました。車で一時間ほど南へ向かうと、目的地の旅館へ到着いたしました。駐車場から見上げると、いかにも老舗旅館を思わせる立派な建物です。玄関の右側にはレストランが併設されており、一般客も利用できるようになっております。左側が二階建ての宿泊施設です。年を重ねた松や楓、それに槙の木などがふんだんに周囲を囲んでおります。




女将さんがすぐに出てこられて、広い駐車場内の小屋に案内してくださいました。小屋は片隅に設置されていて、頑丈な板が張り合わされていました。優しい口調の女将さんだったので、ポン子が成長するにつれてもっと大きくて立派な小屋に作り替えてくださる気がしました。この辺りの野生動物がどんなものを主食にしているのかなど、詳しい女将の説明を聞くだけで頼もしく感じました。温かいお茶をすすりながら、身体がぽかぽかと温まっていく気がしました。




再度小屋へ出向き、キャリーケースからポン子を出して小屋に入れる際、少し獣臭がしました。これまで何度も飼ったことがあると話された女将の言葉を思い出しました。




「ポンちゃん、良かったねぇ。おりこうさんにしておきなさいよ」


「ポンちゃん元気でね」




小屋の扉は角棒を通すかんぬきで開け閉めするようになっていて、いかにも頑丈な作りです。名残惜しくて辛かったのですが、これも仕方のないことと割り切って旅館を後にしました。




朝からバタバタしていて啓子も私も朝食を抜いていたせいで、二人とも空腹でした。旅館から数キロ離れた道沿いの喫茶店に入り、ランチを注文しました。啓子はスマホでこれまで撮りためたポン子の写真をいくつか選んでは私に見せ、お互いに懐かしんでおりました。もういないと思うと、一層寂しさが募ってまいりました。




店のママがランチを運んできたとき、ふと写真が目に入ったのか、




「まぁかわいい。ワンちゃんですか?」




「いえタヌキです。最初は猫の乳飲み子と間違えて保護を頼まれました。ところがすぐにタヌキの赤ちゃんだと分かった次第です」




ママさんは、自宅へ来た頃のポン子の写真に見入っていました。




「へーっ、この子がタヌキの赤ちゃんねぇ。どちらかと言えば犬の赤ちゃんにも見えますね」




「そうですね。でも猫の乳飲み子を助けて下さいと言われたものですから、てっきり猫の赤ちゃんだと思い込んでおりました」




「それがこんなに立派なタヌキちゃんになって。どうぞごゆっくり召し上がってください」




「はい、ありがとうございます」




70年代のアメリカのフォークソングが店内に流れる中、ランチのオムライスをゆっくりいただきました。まったりとした時間を楽しんでおります。頃合いを見計らって、ママさんがコーヒーを運んで来てくれました。ミルクを注ぐと、琥珀色の中にゆっくりと白い渦が巻いていきました。




「タヌキさん、今もお家で飼っていらっしゃるのですか?」




「いえ、つい先ほど、ここからそう遠くない“さざんかの里”の女将さんへお渡しして帰っているところです」




「えっ、食用にされるのですか?」




「いえいえ、広大な庭の隅の小屋で女将さんに育ててもらいます」




「あのう、“さざんかの里”のレストランはジビエを出すところで有名ですが。タヌキ肉のミートソースパスタや、激辛の麻婆豆腐はお店の人気商品で、時々テレビでも紹介されていますよ」




「えっ、まさか……」




思わずコーヒーカップを持つ手に力が入りました。




「ポンちゃんを食用にするために渡したわけではありません」




「そうですか。よく甘木の猟師さんが狸や鹿や猪を旅館に持ってきては、庭の隅にある小屋に一時保管していますけど」




心の中が沸騰して、自爆しそうになりました。啓子も顔が青ざめています。ふと、先ほど小屋にポン子を入れた時の獣臭を思い出しました。何度も飼ったことがあると言っていたのは、一時的に飼っていて、いずれ食用に供するためだったのでは? 同時に、「今なら取り戻せる!」と確信しました。啓子も悲壮な目で「急げ」と訴えてきます。




コーヒーを流し込み、ママさんにお礼を言って元来た道を引き返しました。




戻ると、来た時にはなかったジビエ料理の看板が庭先に置いてありました。看板には「独特のくさみがなく、旨味が濃く、肉汁が豊かなジビエ料理専門のレストラン」と書かれております。




「あのう」




「先ほどはどうも。何か?」




「ここはジビエ料理を出すところだったのですね。ポンちゃんも、ゆくゆくは……」




「いえいえ、可愛いので私が育てようと思っておりますが」




「では、なぜ来た時にはなかったジビエの看板が、そこにあるのですか? 人を欺いてはいけませんね。ポン子を将来ジビエの材料にはしたくないので、連れて帰ります」




女将さんはぐうの音も出ませんでした。かんぬきを開けてポン子を小屋から出すと、私に飛びついてきました。小屋の中に閉じ込められていたのが、よほど怖かったのでしょう。




帰りの車の中で、私も啓子も取り戻した安堵感こそありましたが、それ以上に腹立たしさと後悔でいっぱいでした。相手のことをよく調べもしないで、信じ切ってポン子を渡してしまったことを。


-続-

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