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第十八話 ポン子の縁談


今夜は少し複雑な気持ちです。特別なケージを作ってもらい、ポン子がやっと慣れてきたのに、手放す決心をしたのですから。さらに、犬と同じように「お座り」や「お手」を覚えたポン子に愛着があるからです。あまり考えすぎても、ポン子のためにはなりません。


月曜日の朝、携帯が鳴りました。押し殺したような低い声は、老獣医師の息子さんからでした。


「あのう、実は昨晩、父が脳梗塞で倒れて救急車で病院へ運ばれました。現在、集中治療室に入っております。お約束していたタヌキさんをお預かりする件ですが、このような状況なので、大変申し訳ありませんが、お断りさせていただきます」


残念ながら、振り出しに戻りました。ケージの中のポン子を見ると、ぬいぐるみの犬を噛んで振り回しておりました。


数日後、ポン子を保護した田中さんの紹介で、福岡市内でオスのタヌキを飼っているご家庭に連絡を入れてみました。快く里親になっていただけそうだったので、できるだけ日をおかずに日時を決めさせてもらいました。


ポン子は、もうしっかりとカリカリのキャットフードを美味しそうに食べてくれます。もちろん、啓子がバランスを考えて、毎日ロースハムに野菜を混ぜてやっております。よほどロースハムが好きなのでしょう。必ずロースハムから先に、器から口で取り出して食べます。自然界にロースハムなど存在しませんので、やり続けて良いものか、戸惑いはございます。


さて、田中さんからスマホで送られてきた住所をナビに入れて車を進めていると、目の前に角砂糖のような白亜の3階建ての洋館が現れました。人の背より遥かに高い門に設置されたブザーを押すと、


「どうぞお入りください」


という返事とともに、門扉が自動でゆっくりと敷地側へ開きました。長い通路の先にある玄関ドアが開くと、恰幅の良い中年の男性が笑顔で現れました。


「ようこそ、徳田と申します」


大きな顔に丸いべっ甲の眼鏡をした徳田氏が、私たち夫婦を応接間に案内してくれました。部屋の中は全体が白で統一され、あらゆる場所に、花や鳥をあしらったアール・ヌーヴォー調のテーブルや椅子の調度品が配置されておりました。日頃見ることができないような、それはそれは目の保養になるものばかりでした。


身体全体がすっぽり沈みそうな猫足の椅子に座り、すぐにスマホでポン子の写真や動画を徳田氏に見せました。啓子は、博物館でも見学するような目をして、まだゆっくりと周囲を見回しておりました。


「これがポン子です。どうぞ見てやってください」


「ほう、可愛い顔してますなぁ。我が家の龍之介には、まさにお似合いだ」


その言葉から、龍之介がオスのタヌキの名前であることが分かります。徳田氏は、ポン子を迎え入れる気持ちにあふれておりました。


フリルがついた白いエプロン姿のお手伝いさんが、カップにゆっくりとコーヒーを注いでくれます。カップの横には、同じ柄の皿があり、そこにクッキーが三枚乗っておりました。


「何もありませんが、せめてベルギー王室ご用達のクッキーをどうぞ召し上がってください」


『ん? ベルギー王室のクッキー?』

目の前にあるクッキーは、どう見ても味噌せんべいを格子模様にしたようにしか見えませんでした。


上質な甘みを口の中で感じながら、


「美味しいですね。初めて食べます」


「ジュールス・デストルーパー社のクッキーです」


歯を噛みそうな社名をすらすらと言われますので、よほど気に入って購入されたのでしょう。啓子も納得しながら、噛みしめて食べておりました。淹れたてのコーヒーが、あたり一面に芳醇な香りを漂わせております。


「実は、ポンちゃんはやんちゃで、今のところ私にしか懐かないのですが、ここで大丈夫かどうか、まずお聞きしてからと思いまして……」


「えーえー、我が家は大丈夫ですよ。わが社には躾担当の吉田という者がおりますので、どうかご安心ください。とりあえず馴らすためにも、新しいケージの中へしばらくポン子ちゃんに入ってもらいます。そして徐々に龍之介との距離を縮めてまいりましょう。龍之介には大切なお嫁さんですからなぁ。フワッハッハ」


私には、目の前で語る徳田氏が、成金趣味に見えてきました。


手を叩くと、躾役とおぼしき吉田氏が部屋に現れました。スーツの襟には社章がついております。男性にしては物腰が柔らかく、躾役にはぴったりなのかもしれません。


吉田氏の案内で私と家内は建物を出て、木々に囲まれた別棟に案内されました。ここも丸屋根のついた瀟洒な洋館で、まさかその中に龍之介君が居るなんて、考えられませんでした。


建物の中に入ると、20畳ほどはある広間になっておりました。そこに、縦・横・高さ3メートルはある大きなケージが2つ並んでおりました。そのうちの一つのケージに、龍之介君が大きなベッドに横たわっておりました。


「龍之介、おいで」と吉田氏が声を掛けると、


右前足が不自由らしく、ゆっくりとした足取りで近づいてきました。


「足はどうされたのですか」


「はい。この子は車に轢かれていたところを引き取りました。奥様が不自由なこの子を写真に撮ってSNSで募金を募りました。すると、たくさんの寄付が集まり、手術を行って、やっとここまで回復することができました」


「えー、そうなんですか。大変だったでしょうね。良かった」


啓子の表情が和みましたが、これだけお金持ちのご家庭なのに、SNSなどに頼る必要があるのかと、内心思いました。


「あのまま放っておいたら命はなかったでしょう」


「今回、副社長の奥様の依頼で、龍之介の未来のお嫁さんのために、同じ大きさのケージを特注いたしました。仲良くなれば、中の間仕切りを取って、一つの空間にすることもできます」


「副社長も動物がお好きなのですね」


すぐに返事が来なかったので、奥様は動物が嫌いなのかと一瞬思いましたが、


「実は、奥様は猫カフェを経営しておられます。博多区にお店を出しておられ、今日もそちらに行っておられます」


「ご夫婦で動物に愛情を注いでおられるのですね。素敵なご夫婦。嬉しくなります」


私も家内も満足そうな表情をしていたと思いますが、吉田さんの顔はポーカーフェイスのままで、それには何も応えてくれません。ご夫婦の内情など語ってはいけないと思っておられるのでしょう。


「この場所も広々として素晴らしいですね。ここなら安心してポン子を任せられます。あなたのように優しい専任のスタッフの方もいらっしゃるし」


安心したのか、啓子の口元もすでに緩んでおります。再び白亜の館に戻りました。


「それでは一週間後に連れて来ますので、よろしくお願いします」


徳田氏は、ポン子に早く来てほしいという期待の目をしておられました。


「龍之介とポン子ちゃんが一緒になることを思えばウキウキしてきますなぁ。さぞかし可愛い子が生まれましょう。良かったら、お二人で時々見に来てください。フワッハッハ」


家に帰っても、二人の興奮は冷めません。


「龍之介ちゃんとポンちゃんが仲良くなって可愛い子ができたら良いねぇ。あそこだったら何匹でも飼ってもらえるし、食べ物にも不自由することないし」


「その通りやねぇ。理想的な場所だし。それと社長さんが時々見に来ても良いと言ってくれたので、いつでも様子見に行けるね」


今日一日疲れはしましたが、良い方向へ向かっていることを確信しましたので、そろそろ寝るといたしましょう。今宵は爆睡しそうです。

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