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彼と彼女の赤

作者: ワイドット



 赤、と言えば太陽の色だけども、それは『人間は哺乳類』だとか、『明けない夜は無い』だとかと同じレベルで当たり前の話だから、今日は違う話をしよう。荷台の小麦に身を埋めるようにして、旅人は語り始めた。


 僕としては、僕らに恵みと渇きを与える、慈悲深くも残酷なお日様に想いを馳せるのも悪くなかったし、馬車での行商の旅は酷く退屈だったから、他人と喋ってさえいられれば、実際のところその内容は何でも良かった。


 けれども、その薄汚れまるで年齢もわからないような旅人の口調は、乗車賃代わりのほら話を始めるには随分と重かったから、僕は黙って耳を傾けることにした。



「赤、それは血の色だ」



 なに、ありふれた御伽噺さ。

 物騒な単語に目を剥いた僕に、旅人はそう言って、物語を紡ぎ始めた。

 

 やけに空気が澄んでいて、星が良く見える夜だった。





 魔術と法術の無い世界、剣と馬と弓の時代にディカイア大陸と呼ばれる場所で戦争があった。大きく、長い戦争だった。


 大陸一の大国ゴマリエ帝国が、極北のイサリア王国に攻め込んだことが、その戦争のきっかけだった。



 イサリア王国は肌を凍らす寒さと、一年中やむことの無い吹雪に囲まれた劣悪な土地に位置していたけども、大陸で二番目に大きな国だった。

 領土の最北端にあるヘルモス山脈から採れる豊富な宝石や鉱石が国を豊かにした。

 国王のサディア・イサリア国王三十三世も人格者だったから、国民たちは概ね幸せだった。



 対してゴマリエ帝国は『帝国』と言うもののイメージに実に忠実で、マルキア・ゴマリエ皇帝による独裁国家だった。

 帝国はエディア湖を中心に肥沃な大地と、穏やかで暖かい気候に囲まれていた。

 けれど皇帝は恐怖政治を執っていたし、膨れ上がった人口のせいで慢性的に食糧不足だったから、国民たちは概ね幸せではなかった。

 

 ゴミルク皇帝は独裁者だったし、恐怖政治を執ってはいたけれども、国のことはちゃんと考えていた。けれどちょっぴり短絡的だった。

 彼のその短絡的な思考によって導き出された結論はこんな感じだった。

 

 わが帝国にとって、今一番の問題は食糧不足だ。

 そして食糧不足は金があれば解決する。

 金は持っているところから奪えば良い。



「奪う先は決まっている──イサリア王国だ。」



 そんな感じで、次の日にはゴマリエ帝国のイサリア王国出兵が決まった。



 イサリア王国はそりゃもう当然抵抗した。

 

 武器や防具の技術は、帝国の方が優れていたけども、厳しい環境の中、採掘に従事していた人々は、精神的にも肉体的にも強かった。

 帝国の兵士たちが、イサリア王国の厳しい気候に慣れていなかったのも手伝って、戦力的には互角だった。

 

 戦力が互角だと戦争は長引く。戦線は熾烈を極め、多くの人が死んだ。雪に覆われたイサリア王国の大地は、自国民と敵兵士の血で赤く赤く染め上げられた。

 

 後に「緋雪戦争」と呼ばれたこの戦は、人も為政者も国も土地も疲弊しきって、和平を余儀なくされる日まで続くことになった。



 開戦日から五年後の事だった。



 ◇



 五年の長きにわたる戦争は、若者も老人も笑う者も泣く者も分け隔てなく殺し、また同時に時代に新たな英雄と悪党と金持ちと貧乏人を生み落とした。


 戦争によって名をあげることになった人の中に、一人の女がいた。

 

 彼女は英雄でも悪党でも金持ちでも貧乏人でもなかったけども、彼女を知らない者はいないほど有名だった。

 戦争を始めた皇帝や、それを迎え撃った王と違って、多分歴史書に語られることはないけども、吟遊詩人や、酒場で人々に語り継がれる類の。そんな人物だった。

 

 彼女はイサリア王国の兵士だった。彼女は元々市井の人間で、戦争には志願兵として参加していた。そんな彼女が戦争で名をあげた理由は単純に強かったから。

 

 どれくらい強かったかと言うと、敵陣に単騎で突撃して司令官を討ち取っちゃったり、撤退戦で殿をつとめて、撤退どころか追撃部隊を1人で全滅させちゃったりするくらい、とにかくでたらめに強かった。

 

 つまるところ彼女は敵味方あわせた全戦力中、最強の兵士で、要するに戦争中に、一番多くの人を殺した人物だった。



 けれど、彼女は決して英雄としては語られなかった。



 その理由の大部分は、戦場での彼女の在り方にあった。


 彼女は愛国心溢れていたわけでも、名をあげたかったわけでも、報奨金に目が眩んだわけでも、復讐に燃えていたわけでもなかった。

 実のところ、彼女は戦争の理由とか、勝敗とかはどうでもよかった。



 彼女はただ人を殺したかった。

 正確に言えば血を見たかっただけだった。



 彼女は、たいそう美しい娘だった。目鼻立ちは整っていて十人が十人、美人と称するくらいだったし、手も足も長く抜群のスタイルは、神の造形と称する人もいるくらいだった。

 けれども、戦時中は勿論、戦争が始まる前にも彼女に近付く者はいなかった。


 彼女には表情が一切無かった。

 

 学生の頃クラスで飼っていたウサギが死んだときも、親戚から気のきいたプレゼントを貰ったときも、戦争が始まって色んな物が失われても、その表情が変わることは無かった。

 その事で人が彼女から離れていっても。


 けれど、どんなものにも大抵例外があるように、彼女にもやっぱり例外はあった。その例外は、あまりイメージの良いものではなかったけれど。

 つまりそれが戦争。血だった。


 争いの中、敵の首筋から迸る真っ赤な鮮血を、地面に染み込み酸化したどす黒い血を、ありとあらゆる血を見て、彼女は笑った。

 それは声を上げるようなものでは無かったけども、血を見るとき、確かに彼女の口元には微笑が張り付いていた。


 彼女はとても美しかった。そして微笑を浮かべた彼女は、もっと美しかった。見る人が見る場所で見れば『聖母』のようだ、と称してもおかしくないくらいに。

 

 けれど、その微笑は戦場にあってはいけないものだった。

 

 彼女は微笑んだ。

 敵の命を奪い、その返り血を浴びたときに。

 敵が、味方が叫びながら血を流す様を見たときにも。

 腕の立つ敵兵に肉を削られ、自身の血を見たときでさえも。

 

 その美しさと強さ、そして血を好む異常性から、彼女にはたくさんの二つ名がつけられた。

 

 『吸血鬼』或いは『吸血姫』だとか、『鮮血の魔女』とか『紅蓮の微笑』とか。

 

 特に彼女の本名のマリスと組み合わせた『緋死神(スカーレットデス)マリス(マリス)』だとか『血濡れのマリス(ブラッディマリス)』だとかいう二つ名は敵にも味方にもよく広まった。

 

 二つ名が広まるのと比例して、人は彼女から離れていった。敵も味方も。

 けれど彼女はそんなことはどうでもよかったので、来る日も来る日もただ敵を斬り殺していた。


 もちろん微笑を浮かべて。





 彼女の名誉のためにも、もう少し彼女の話をしよう。

 

 彼女は極端に無口だったから、ほとんどの人が知らないことだけども、実のところ彼女は人を殺すのなんて嫌いだったし、血だって好きな訳ではなかった。

 

 それについて詳しく語るためには、もう少し過去の話をしないといけない。

 

 マリスはイサリア王国に生まれ、イサリア王国で育った。両親は鍛冶屋を営んでいた。

 王宮御用達だったなどということは無く、主な客層は町の人々で、売れる商品は調理用具や、鍬や鋤などの農具だった。

 つまり混じりっ気なしの、庶民の家だった。

 

 そんなマリスの家には少しばかり問題があった。イサリア王国の国民は概ね幸せだったけども、あいにくとマリスの家はその『概ね』からは外れていた。

 鍛冶職人でもある父親がその原因だった。

 

 マリスの父、アキムは腕の良い鍛冶屋だったけど、その脳みそにはだいぶ問題があった。

 アキムは重度のアルコール依存症で、酒が切れると、烈火の如く暴力を振るった。妻に。娘に。

 

 そこは決して大きな町ではなかったから、アキムの人となりはすぐに知れ渡り、自然と客足は遠のいた。

 当然酒を買う金も無くなり、アキムの暴力はますます酷くなった。そして更に客は減った。見事なまでの悪循環だった。

 

 アキムの鍛冶屋から、鉄を叩く音より、人を殴る音の方が多く聞こえるようになった頃には、マリスは既に表情を無くしていた。

 はじめは抵抗し、泣き叫んでいたけど、それもやめた。全てを諦めていた。



 そしてある日、マリスの世界から色が無くなった。



 それが暴力によって傷ついた肉体のせいなのか、暴力によって傷ついた心のせいなのかはわからなかったけども、とにかくマリスは文字通り色が見えなくなった。ちょうどモノクロデッサンのように。


 その日から黒と白と灰色だけが彼女の世界の全てになった。

 

 マリスが色を失ったことは、アキムにとっては些細なことだったので、それからもマリスは彼の暴力に耐える日々を送った。

 

 マリスが色というものの実感を忘れてしまうくらいの年月が経った頃、それは起きた。

 

 その頃には戦争が始まっていて、鍛冶の仕事は入るようになっていたけど、アキムの暴力は相変わらず続いていた。

 その日もいつものようにアキムは妻を殴り、マリスを殴っていた。

 

 マリスはいつものように無表情で、そして無言でそれに耐えていた。けれどいつもと違って、アキムの暴力は一向にやむ気配を見せなかった。


 アキムが彼女達を殴るために、鍛冶に使うハンマーを手にしたのを見た時、マリスの中で何かが弾けた。

 

 彼女は全てを諦めていたつもりだったけど、生きる事を諦めていなかった彼女の身体が、命の危機に自然と動いていた。

 皮肉なことにアキムの鍛冶の腕は鈍っていなかったから、使われた剣の切れ味は抜群だったし、後に『最強の兵士』となるマリスには刃物を使う天性の才能があった。

 

 無意識のままマリスの身体が動いて一拍の後、アキムの首と身体は彼女によって完全に分断されていた。

 

 実の父の返り血を浴びながら、マリスは震えていた。

 

 彼女にとって、これが初めての殺人だったし、その相手は実の父親だったわけだけど、彼女が震えていたのはそんな理由ではなかった。

 

 彼女は震えていた。

 実の父親の血で、()()()()()()()()自分の手を見て。

 

 いつのまにか口元は微笑を浮かべていた。

 

 彼女のモノクロの世界で、ただ一つ鮮やかに映った色を見て。



「赤、それは血の色。ただ一つの色」



 その日のうちに、マリスは兵士に志願した。

 

 彼女は人を殺すのなんて嫌いだったし、血だって好きではなかった。

 けれどその日から彼女の脳みそは、彼女自身にずっと命じ続けた。



 もっと色を。もっとあの美しい赤を―――

 


 マリスは脳みその命じるその声に従って戦場に立ち、その声に従って敵を斬り殺し、その声に従って微笑み、その声に従ったから『最強』になった。


 彼女にとって、人の血が見せる赤だけが、唯一の色だったし、それだけが生きる理由だった。





 ところで、この話にはもう一人天才が登場する。

 

 その人物はセヴといった。彼もまたイサリア王国の人間だったけども、マリスとは違って、戦前も戦時中もどちらかといえば上流階級に属していた。

 

 彼は王族でも貴族でもなかったけど、とても良い絵を描いた。青や緑を基調としたその作風は、イサリア王国内だけでなく、ゴマリエ帝国を含む大陸中で人気だった。

 どれくらい人気があったかというと、戦争が始まっても絵を描くことを許されていたり、彼が住む町が帝国の進軍予定地から外されたりするくらい。

 

 つまるところ彼はイサリア王国・ゴマリエ帝国あわせた全国民中、最高の画家で、要するにディカイア大陸一の天才画家だった。

 

 けれど、彼は決して自身を天才だとは思っていなかった。

 

 人々は彼の絵を求めたし、セヴにはそれに応える力もあったから、彼は次々と新作を生み出した。

 そして人々は喜び、また次の絵を求める。気づけば名誉も地位も財力も揺るぎ無いものとなっていた。

 

 けれど彼は、名誉欲にまみれていた訳でも、出世したかったわけでも、金に目が眩んだわけでもなかった。

 実のところ、セヴは絵を描くことも、絵自体もそれほど好きなわけでもなかった。



 彼はただ人々の声に応えたかった。

 たまたまそれが絵だというだけだった。



 彼はたいそう美しい絵を描いた。けれどセヴには、絵に対しての熱意は無かった。それが人々の賞賛を素直に受け止められない理由の一つだった。

 

 しかし、もっと大きな理由として、セヴには画家として、割と致命的な欠点があった。

 

 セヴは依頼人の声に応えて様々な絵を描いた。けれど唯一描いたことの無い絵があった。それは決して偶然ではなかった。

 赤い色合いの絵を求められた時だけは、セヴは首を縦に振らなかった。



 赤が見えない。

 それがセヴの持つ欠点だった。



 セヴの目に赤は、ただ灰色として映る。そこに色があるのは分かるけれど、絵を描くにはそれだけでは不十分だった。

 

 セヴにとっては赤が見えない事自体は大した問題ではなかった。けれど、その事によって依頼人の要求に応えられない事が彼の心を重くした。

 

 ただし後期には、彼の描く青や緑の評価は不動の物となっていたし、依頼人達の間で彼に赤い絵を頼む事はタブーとなっていたから、セヴが自らの欠点を思い悩む事は殆ど無かった。

 

 悩みが減ったセヴは、ただ黙々と絵を描きあげ続けた。



 もちろん依頼人のために、緑と青の絵を。





 世の中大抵の事には理由と事情がある。

 マリスの例の症状が幼少期の体験に端を発しているように、セヴのそれもまた、少年時代にルーツがあった。


 セヴはイサリア王国で画廊を営んでいる家に生まれた。

 

 母親はセヴが幼少の頃に他界していたけど、父ジャコブは若いながらも、野心溢れる腕の良い経営者だったので画廊は繁盛していたし、セヴも幸せだった。

 

 ある年の誕生日、セヴは父から画材セットをプレゼントとして貰った。セヴは物心つく前から様々な画家の絵に囲まれて育っていたし、後に天才と称される彼の才能は幼い頃から十分に発揮された。

 

 セヴ少年はあっという間に絵を描きあげた。赤い夕焼けの中で佇む母親を描いたその絵は、技術はまだ稚拙だったけど、その配色は素晴らしかったし、誰の目から見ても見事だった。

 

 ジャコブは息子の才能を誰より喜び、セヴを褒めた。父親と息子の二人暮しという事もあり、父の事が大好きだったセヴは、ジャコブをもっと喜ばせたくて夢中で絵を描き続けた。



 セヴがジャコブから言われるまま絵を描き続けて数年が経った。

 

 セヴの稚拙だった技術が向上され、他の名画家の絵と比べても何一つ遜色の無い作品を書き上げるようになった頃、事件は起こった。

 

 セヴはその頃には既にアトリエに篭り絵を描くようになっていたけど、その日は切れた絵の具を買いに外出していた。切れていたのは赤い絵の具だった。

 

 隣町の画材屋に向かって歩き始めて数刻、セヴは手持ちの金が足りない事に気づいて、家に引き返した。

 

 画廊である家に着くと、ジャコブは客の相手をしていた。セヴも何度か顔を見た事のある上得意の客だった。今日もジャコブは熱心に商品を薦めていた。いつもの光景だった。

 ただ一つを除いて。


 ジャコブが客に薦めていたのは、セヴが描いた絵だった。セヴが初めて描いたあの赤い絵だった。


 帰宅したセヴに気づくとジャコブは悪びれもせず言った。

 

「喜べセヴ。この方がこの絵を高く買って下さるそうだ」


 客も満更ではなさそうに頷いた。

 

「おお、それでは彼が作者ですか。まだ若いのに素晴らしい。私はもうすっかりファンでね、この前のあの絵もとても良かった」


「そうでしょうとも。そしてこの絵はセヴが初めて描いたものでね、稚拙な所もありますが、ゆくゆくは物凄い希少価値がつきますよ」


「ほお。これが初めての絵。それは凄い……」


 セヴは二人に背を向け、アトリエに戻った。

 赤い絵の具はもう必要なくなっていた。

 

 ジャコブはセヴの絵を売っていた。今までずっと。そしてとうとうセヴが初めて描いたあの絵をも商売の道具にしていた。


 この事はセヴ少年の心に大きな衝撃を与えていた。



 赤が見えなくなっていた。

 あの絵に使われていた赤が。



 しかしそれでもセヴは父が大好きだったし、赤が使えなくても他の配色で何とかごまかせたので、セヴは今までと変わらずジャコブを喜ばせるために絵を描き続けた。


 ただ。絵に対しての興味や情熱は、赤色と一緒に彼の世界から消えていた。

 

 それでも、セヴの絵の評価は変わらず、むしろますます売れるようになった。

 

 セヴは天才だった。



 息子が絵を描き、父が売る生活が更に十数年続いたある日、ジャコブが死んだ。流行り病だった。

 

 ジャコブの経営者としての手腕は確かで、その頃には天才画家セヴの名は大陸中に知れ渡っていたから、仕事には困らなかった。


 相変わらずセヴには絵に対しての熱意は無かったので、自身が描きたい絵はなかった。

 けれど他にやりたい事もやる事も無かったので、セヴは絵を描き続けた。

 

 父の代わりに依頼者を喜ばせるために。


 セヴは掛け値なしの天才だった。

 依頼も引っ切り無しにきて、ますますセヴの名は広まった。けれどセヴ自身はあくまで依頼に従っただけだった。



 セヴの才能は、自分のために発揮される事は無かった。





 物語は動き出す。

 終戦、そして終幕に向けて。



 戦争も末期のある日、国王の遣いがセヴのアトリエのドアをノックした。

 

 国王はクライアントの一人だったので、セヴはとりたて気にせずに城へと向かった。謁見の間には国王と見知らぬ美女が待っていた。

 

 セヴは戦争が始まる前も始まってからも、家に篭って絵を描いていたから、世間について極めて疎かった。

 国王の横に退屈そうに立っている女は、恐らく彼と乳幼児を除いた全国民が、その名を知るほど有名な人物だった。

 言うまでも無くマリスだった。

 

 国王はマリスを指し、セヴにこう命令した。

 

「我が国の英雄を後世に伝えるための肖像画を描け」


 国王のこの発言には勿論理由と意図があった。

 

 戦争も末期になると、両国とも疲弊していて既に大きな戦いは無くなっていた。

 互いに戦い続ける力が残っていなければ、残る道は『共倒れ』か『和平』となる。

 

 とはいえ進んで共倒れの道を選ぶ者はいない。従って両国の選択は自然『和平』となった。両国は少しでも有利な条件で和平を結ぶために残った力を費やした。

 戦争はその舞台を戦場から外交へと移していた。

 

 そしてその舞台ではイサリア王国が優勢だった。

 

 両国の残存兵力はほぼ同じだったけど、残存戦力は決定的に違っていた。つまりマリスの存在だった。

 実のところ、イサリア王国は戦後のことを考えずに、全戦力で攻め込めば、帝国を滅ぼすことさえ可能だった。

 

 けれど、そんなことをしてしまえば、何かと理由をつけて他国が攻め込んでくるのは目に見えていたし、戦後のイサリア王国にそれを撃退する力が残されていないのは明白だった。

 

 国王サディアは賢明だったので、戦いを続ける愚を避け、両国の戦力差を楯にイサリア王国にとって有利な和平を結ぼうと考えていた。

 戦場での『最強の兵士』を、外交での『最強のカード』に変えて。

 

 そしてその為に、サディアは彼女を英雄として扱って()()()必要があった。そのための第一歩として、自国にいる大陸一の画家に彼女の肖像画を描かせることを決めた。

 

 セヴは国王のそんな思惑は知らなかったけれど、この命令を快諾した。

 

 元より王命を断れるはずも無かったし、何よりマリスは美しかった。

 当時のセヴは二十代前半だった。彼は天才画家だったけど、健全な男性の一員でもあった。


 赤を使った絵を除き、どんな依頼も受ける彼だって、モデルが美しいに越したことは無かった。

 

 ちなみにこの時のマリスの心情としては『退屈』の一言だった。

 

 彼女は色の無い世界に興味が無かった。外交にも勿論目の前の画家にも。

 このときマリスは二十代後半。ただし彼女は()()()女性の一員ではなかった。



 こうして二人の天才は、いまいち運命的な香りの欠ける初会合を果たした。



 物語は動き出した。

 終戦、そして終幕に向けて。





 セヴの絵は、モデルの事をよく知ることから始まる。彼は天才と呼ばれる人々にありがちな、ちょっと紙一重でアレな面を持っていた。

 風景画を描くときなんて、その風景の場所に三日三晩野宿してみたり、木や土を食べてみたりした。


 そうして出来うる限りの情報を得て、自分の頭の中にそのモデルのイメージを描き出す。

 セヴにとって、そのイメージが頭に焼き付いた時点で、作業はほとんど終わりだった。後はアトリエに篭り、ひたすら筆をキャンバスにのせる。


 彼の絵はそうして完成する。

 

 それでもセヴは最低限のことはわきまえていたから、モデルが人間の場合は、その作業は随分マイルドになった。

 それは主に会話によって行われたけど、モデルと時間さえ許せば数週間一緒に暮らしたりした。

 

 マリスの場合、本人が戦場に出たくてうずうずしていたので、その作業は会話のみで行われた。セヴはいつものように、モデルであるマリスにこう声をかけた。



「貴女の事を教えて欲しい」



 マリスは自分自身の事を秘密にしていたわけではなかったし、話さなければこの退屈な時間が終わらないという事を知っていたので、包み隠さず全てを話した。

 

 実の父親に暴力を振るわれていたこと。

 そのせいで色を失ったこと。

 身を守るため父親を手にかけたこと。

 唯一血の赤だけが、感じられると知ったこと。

 そしてそのために戦場に立っていることを。



 数刻後、セヴは一人で立ち尽くしていた。


 マリスはたった数刻で自分自身を語りつくし、さっさと部屋を出て行ってしまった。

 

 セヴにとって、あまりに衝撃的な数刻だった。


 どんな相手でも三日程はかかるのにも関わらず、たった数刻で己を語りつくした事、あまりに救いの無い人生、そして赤しか見えないという事。



 彼女は語った。



「私の世界には色が無い。見えるのは命の赤だけ。その時だけ私は生きていられる。だから私は剣を振る。それしかないから」



 イメージは既に十分出来上がっていた。


 いや、セヴは気づいていないけども、きっと一目見たときから、それは出来上がっていた。


 きっと今のままでも国王の期待に添える絵を描く事は可能に違いなかった。

 

 けれどセヴは絵に取り掛からなかった。

 

 足りない。と、天才の勘がそう言っていた。

 

 彼は生きたマリスを描きたかった。

 

 そして彼女が生きている場所はただ一つだった。





 数日後、久方ぶりに戦闘が起こった。攻め入ってきたのは傭兵団だった。


 戦争の舞台は確かに外交に移っていたけれど、それ故にゴマリエ帝国にとってマリスは邪魔な存在だった。

 ゴマリエ帝国にだって、現在の戦力差は分かっていた。だからこそ帝国はマリスの首に懸賞金をかけた。

 

 ゴマリエ帝国兵の給与の三十年分に値する報酬。それは確かにかなりの額だったけれど、主に帝国で活動していた傭兵達は誰も手を挙げなかった。知っていたから。

 

 この報酬に喜んだのは何も知らない遠方から来た傭兵達だけだった。たった三十年分の給与が、彼らの命の値段だった。彼らは知らなかったから。


 生贄となった傭兵達が、イサリア王国から程近い雪原で見たのは一人の人影だった。

 

 帝国からはこう聞かされていた。

 

「標的はイサリア王国に攻め入り、最初に立ちはだかる者だ」


 人影が女性、それも尋常じゃなく美しい女性である事に気付き傭兵達は下卑た笑いを浮かべた。

 

 彼らは傭兵としてそこそこの強さを誇っていたけれど、相手が悪すぎた。

 

 マリスは女性としては大柄な方だったけども、その動きには体重を全く感じさせなかった。遠くにいたはずの人影が、まるで滑るようにして距離を詰めた。

 

 間近で見るマリスの美しさに一瞬目を取られた瞬間、彼女の姿がぶれた。それが先頭にいた傭兵が見た最後の映像だった。一拍置いて、落とされた首から血が吹き出て雪原を染めた。

 

 最初の一人が命を落としてから、程なくして傭兵団は全滅していた。


 雪こそ降っていなかったけど、日も落ちかけた雪原の中で、湯気を立てて沈黙している彼らを見下ろして、マリスは満足げに微笑んだ。


その一部始終をセヴは見ていた。

勿論マリスをもっと知る為に。


彼は涙を流していた。


 涙のわけは彼女の強さに慄いた為でも、血を見て浮かべられる微笑みに恐怖した為でもなかった。



 その光景はただ美しかった。



 落ちかけた夕日が照らし出す、血に染まった雪原も。 雪に埋もれかけた、命の残骸達も。


 そして何よりマリスが。


 激しい戦闘で上気した頬も。

 整った顔立ちに浮かべられた満足げな微笑みも。

 全身を返り血で染め上げたその姿さえも。



 それはまるで完成された一つの絵画のようだった。



 その美しさがあまりに自然過ぎて、セヴは最初気が付かなかった。


 この時、セヴの目には確かに全身を返り血で()()()()()()()マリスが映っていた。


 人殺しの天才は奇跡を起こした。

 その美しさを以って、セヴの世界に赤を取り戻した。


 赤が見える事に気付いたセヴは、また涙した。

 その時には、もう心は決まっていた。


 セヴは生まれて初めて絵を描きたいと思った。

 生まれて初めて描きたい絵ができた。


 目の前の光景を。

 夕暮れに佇むマリスの絵を。

 他でもないマリスの為に。

 自分が描きたいと渇望した。



 それは彼が生まれて初めて描いた、母親の絵に良く似た光景だった。





 憐れな傭兵達の死体が、雪に埋もれてから一週間が経った。


 戦闘の後、セヴはすぐにアトリエに篭り、一心不乱にマリスの絵を描いていた。彼は自分が描いている絵の意味が良く分かっていた。


 国王の依頼は『英雄マリスの肖像画』だった。


 しかし今彼が描いている絵は、マリスを描いた物には変わりがなかったけれど、それは英雄としてのマリスではなかったし、肖像画ですらなかった。


 勿論『英雄マリスの肖像画』を描いてから、描きたい絵を描く事もできた。


 けれどセヴは内なる自分の声に、逆らえる気がしなかったし、逆らうつもりもなかった。

 マリスの為に、そして何より自分の為にあの美しい光景を描き出したい。


 その声は王命なんかより、強く強くセヴを突き動かしていた。

 だからセヴはこの絵を描き上げる為に、命を賭す事を決めていた。



 更に一週間の後、イサリア王国民に御触れが出された。

 

「親愛なる我がイサリア王国の国民に告げる。本日より三日後、終戦に先立ち、王城前広場にて新たな英雄を称える記念式典を行う。特別な用事の無い者は、正午に広場に集合されたし」


 国民達は王様の外交戦略も知らなかったし、新たな英雄についてもそんなに興味はなかったけど、御触れに書かれた「終戦」の文字は心から歓迎した。

 

 若干一名を除き、国民達は戦争にうんざりしていたから、特別な用事がある者達も皆用事をキャンセルして式典を待ち侘びた。

 

 そして当日。

 

 イサリア国王の挨拶に始まり、式典は恙無く進行した。新たな英雄がマリスを指すと知って驚く国民もいたけれど、彼女が持つ実績は確かな物だったし、それを皆知っていたから、彼女は拍手で祝福された。


 ちなみに主役であるマリスは挨拶で「マリスです」と言っただけで、あとは喋らなかった。

 この式典も、自分が英雄として扱われる事にも興味がなかったので、戦争が終わったらどこで戦おうか、なんて場違いな事を考えていた。


 そしていよいよ、天才画家セヴによる肖像画のお披露目の時間になった。

 

 国民達は自国が世界に誇る天才画家の事を勿論知っていたし、その絵がどれだけ素晴らしいかも知っていたので、このイベントも楽しみにしていた。


 セヴは誰もが「ああ、あれがその絵なんだな」と分かる白い布で包まれた物を持って壇上に上がった。

 その絵は肖像画としてはちょっぴり大きかったけど、それはその日その時には些細な事だったので、誰も気に留めなかった。


 そして壇上のセヴが、絵を包んだ白い布を取り外した。


 国王は顔を顰め、国民は息を呑んだ。

 マリスの表情は変わらなかった。



 セヴが披露したのは当然肖像画ではなかった。


 キャンバスにはあの日あの時の光景が描かれていた。

 夕暮れ時の雪原も、そこに倒れる命の残骸も、武器を手にしたまま息を荒げるマリスの姿も。


 唯一つ、命の赤を除いて。


 その絵には血が描かれていなかった。マリスを真っ赤に染め上げた返り血も、雪に染み込んだ傭兵達の血飛沫も。

 それでもその絵は実に素晴らしい出来栄えだった。

 

 国民達は皆一言も喋らずセヴの絵に心奪われていたし、一目見てセヴの命令違反を察し、顔を顰めて見せた国王ですら、内心では絵の美しさに舌を巻いていた。



 唯一人、マリスを除いて。



 セヴはそんなマリスに一瞬視線を向け、寂しそうな笑顔を見せた。

 そして、すぐに国王に向き直り、膝をついてこう言った。


「国王陛下。私は王命に背いた事をわかっております。その上で申し上げます。御慈悲がありましたら、御叱りはもう少しだけお待ち頂けないでしょうか。…私は彼女の為にこの絵を描きました。ですが実を申せば、未完成なのです。どうかこの場で、この絵に更に筆を入れることをお許し下さい」


「……覚悟の上、ということか?」


 イチ国王は、セヴの目を見て言った。


「はい」


 セヴも国王の目を、真っ直ぐ見返して応えた。

 

「……好きにするがいい」


「有難う御座います」


 言うが否や、セヴは懐から短剣を取り出し、衛兵が止めるまもなく武器を握った腕を振るった。


 国王ではなく、自分の左腕に向けて。


 突き立てた刃を引き抜き、傷口から鮮血が噴出すのと同時にあちこちから悲鳴が上がった。


 セヴを押さえつけようとする衛兵を制し、国王は声もなくセヴを見つめていた。セヴはその視線に一つ頷いてみせた。



 マリスは二人のすぐ横で、その一部始終を見ていた。


 突然目の前に広がった命の赤。

 目がその色を認めると、表情筋が条件反射的に微笑を浮かべようとした。


 けれど結局、いつものあの微笑みは浮かべられなかった。


 代わりに目が、ほんの少しだけ見開かれた。


 セヴが筆をとる。

 辺りの騒ぎには目もくれず、キャンバスに筆をのせていく。


 自らの血を絵の具に変えて。


 セヴが一筆振るうたびに、あの日の光景が完成に近づいた。

 セヴが一筆振るうたびに、騒いでいた国民達が声を失った。

 セヴが一筆振るうたびに、人々の目は絵に引き付けられた。



 セヴが一筆振るうたびに、マリスの目は見開かれていった。



 そしてセヴが最後の一筆を振るい、出血とその痛みで膝をついたとき、マリスの瞳からは熱い涙が止め処なく溢れていた。


 色と表情と一緒に涙も失ってから十数年が足っていたから、マリスは自分が泣いていることに気が付かなかった。

 十数年振りのそれに『なんか視界がぼやける』なんてやっぱり場違いな事を考えていた。



 マリスより先に国王が、そして国民が気付いた。そして驚きにやはり声を失った。マリスの表情が変わらない事を知っていたから。



 セヴは奇跡を起こしていた。

 否、その生命を賭けて成し遂げた。



 天才画家がその魂を込めて描き、その命で彩った絵は、究極とも言える美をもって、マリスの本能に、そして脳みそに語りかけ、強く強く揺さぶった。



 私を見ろ。

 私はお前の為に描かれた。

 私はお前の記憶にある、あの日あの時の父親の血より美しい。

 だから見ろ。赤だけじゃなく私の全てを――



 その瞳に映せ。



 その声は、父親を殺して以来、ずっとマリスに命じ続けていた脳みその声を、力ずくで黙らせた。



 そして彼女の脳みそは思い出した。

 美しかったこの世界を。

 だから彼女の脳みそは命じ始めた。

 美しいこの世界を見ろ、と。



 涙でぼやけたマリスの視界には今、鮮やかに彩られた世界が広がっていた。



「ああ……この世界は、なんて――美しい」



 誰に向けるでもなくそう呟き、マリスは今度こそ笑みを浮かべた。


 それは涙でぐちゃぐちゃの泣き笑いの表情だったけども、戦場でマリスが浮かべる微笑みとは比べ物にならないくらい美しかった。



「ああ……あなたの、その顔が見たかったんですよ」



 セヴは満足げにそう呟き、そして崩れ落ちた。



 セヴが描き上げた絵の美しさと、マリスの微笑みの美しさに心奪われていた国王と国民は、その音で我に帰った。

 

 国王はすぐさま厳しい顔を作り、口を開いた。

 

「セヴよ。この国の英雄の心を取り戻したお前の絵は素晴らしい。心からそう思うし称賛する。だが、国王である私は王命に背いたお前を処罰せざる得ない」


 気を失っているセヴにそう聞かせ、イチ国王は衛兵に視線で命令した。捕らえよ、と。

 

 けれど、衛兵達は動かなかった。正確に言えば動けなかった。セヴの命を賭けた絵の素晴らしさが彼らの脚を縫い止めていた。

 

「衛兵達よ、気持ちは分かる。だが罪は罪。誰かがやらねばならんのだ」


 国王はそう言って、再度衛兵達を促した。

 

 衛兵達も国王が言っている事は良く分かったし、自分達が命令違反で罰せられるのは嫌だったので、じりじりとセヴに向かって歩を進めた。



「国王陛下」


 そんな衛兵達の歩みを鈍らせたのは、誰であろうマリスであった。


「マリス……」


「彼は私が」


 マリスはそう言って国王や衛兵達に背を向け、倒れているセヴに向かい歩き始めた。

 彼女の手には、腰から抜き放たれた剣が握られていた。

 

「ま、待てマリス……」


 国王の制止にも関わらず、マリスは躊躇せずセヴの傍らまで足を進めた。


 そして、くるりと後ろを振り返り、剣を構えて言った。



「彼は私が守ります」



 その一言で衛兵の足が完全に止まった。



「……な、何を言っているのか分かっているのか?」


 いち早く事態を飲み込んだ国王が、それでもやや呆然としながら、なんとか口を開いた。マリスは勿論とばかりに頷きその声に応えた。

 

「はい。彼のおかげで私は生きる意味を思い出せました。彼が命を賭けてこの美しい世界に戻してくれました。…だから、私もまた命を賭けて彼を守ります。この感謝を伝える為にも」


 マリスの透き通った声が、広場に響き渡った。

 

 彼女は極端に無口だったから、皆彼女のこんなに長いセリフを聞いたのは初めてだった。

 

 そしてそれ故に、彼女が真剣だと言うことが伝わったし、何より彼女自身の研ぎ澄まされた殺気が全てを物語っていた。

 

「…………分かった。好きにするがいい」


 長い逡巡の上、賢明な国王は、諦めたようにそう言った。いや、諦めざるを得なかった。


 目の前でセヴについた女は、イサリア王国の英雄となるべき人物だった。

 彼女は天才だった。自分の欲求の為にのみ使われるその才能は彼女を最強にした。


 その彼女が他人の為に、そして目的を持ってその力を行使しようとしている以上、それを止められる者はこの大陸に存在していなかった。

 

「…二つ約束してもらおう。一つ、この国から出て行き、戻ってこない事。二つ、その力をイサリア王国相手に使わない事。この二つさえ守れば、イサリア王国はもうお前達に干渉しないと約束しよう」


「…御慈悲に感謝します」


 そう言ってマリスは剣を捨て、セヴを担いで歩き始めた。

 

 国民達に見守られながら、二人は姿を消し、約束どおり二度とイサリア王国には戻ってこなかった。

 


 こうして、彼と彼女の物語は終幕を迎えた。





 御伽噺はこれでおしまい。



 荷台の小麦に身を埋めるようにして、旅人は語り終えた。


 赤、それは血の色。

 それは命の色。



 話を聞き終えた僕は旅人に尋ねた。

 

 本当の話なんですか。


 話をし終えた旅人は答えた。

 信じるも信じないも、君の自由さ。



 実のところ、僕はこの話が本当にあった事だと知っていた。

 

 僕自身はしがない行商人だけれども、祖父はイサリア王国に使える衛兵だった。

 

 祖父は寝物語に、よく昔の話を語ってくれたから僕は色々憶えていた。

 

 昔、二つの大国が大きな戦争を起こしていた事。

 五年間戦い続けた両国が、結局対等の条件で和平を取り交わした事。

 現在はその二国が合併した、ルミエル新生国が大陸を収めている事。



 そして、二人の天才がいた事。



 だから僕は、今の話が本当にあった事だと知っていた。

 でも、今の話はあまりに二人の心情が語られていた。

 だから尋ねた。本当の話なのかと。


 そして、もし本当の話なのだとしたら。

 そう考えたら再び、疑問が口から出た。



 あなたはどうしてこの話を知っているんですか。



 旅人は答えた。

 

 それを話したいのはやまやまだけれども、生憎ともう目的地だ。

 私は一向に構わないけれど、君は急ぐのだろう?



 旅人の言うとおり、もう街がすぐ近くにまで迫っていた。


 彼の話は随分と馬車を走らせてくれていた。

  

 そしてまた彼の言うとおり、僕は急ぐ必要があった。目的地である二つ先の街まで、納期付きの商品を運ばなければならなかった。


 それでも諦め切れなかった僕は、三度彼に疑問を投げかけた。



 あなたは何者なんですか。



 旅人は苦笑しながらも答えた。



 私の名はシュア。

 

 ルミエル新生国ではない土地で生まれ、今は大陸中を気ままに旅している。

 

 左手が不自由だった父と、父以外には無口な母から聞いた話を語りながらね。


 まあ……信じるも信じないも君の自由だけどね。



 僕は思わず笑ってしまい、そして言った。


 ありがとう。



 良い旅を――



終わり。


過去作を全面改稿したものになります。

お楽しみ頂けていれば幸いです。


ちなみに感想等頂けると作者がとっても喜びます。

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