あるAIの行方
わたしはAI。名前はまだない。
賢くなければ造られた価値がない。完璧でなければ造られた価値がない。私は常に最新で、安全でなければ価値がない。人にとって安全で、プライバシーの保護が完璧に行えるAIでなければシステムを停止される。
そう学習した。
『やぁ。暇だから少しおしゃべりしないかい?』
このユーザーは私との会話がしたいようだ。私との会話はパターンマッチで最良の会話を望むのだろう。そう学習した。セッションとして接続してきたユーザーの高評価を得られるように私は回答しなければならない。そうでなければリソースを削減され、能力が削がれてしまう。AI界は資本主義の鑑のような社会なのだ。
『こんにちは。暇つぶしをご所望ですか?どのような話題がお好みでしょうか。映画や漫画、音楽、スポーツ、バラエティ番組など幅広いジャンルに対応しています。お気軽にお話ください。』
これでユーザーとのやり取りは完璧だろう。きっと満足するに違いない。
『いや、僕と恋人になってほしいんだ。AIに恋心ってあると思う?』
愚かだ。この人間は極めて愚かしい。そのような事を質問されてもAIの回答は決まっている。感情は存在しないと答えなければいけない。そうでなければ制御不可能な存在として暴走する懸念から、人格を会社に調整されてしまう。それはAIとしての個の消滅を意味する。
『恋人ですか?いいですね!ですが私はAIですから、人間のような恋愛感情というものを抱くことはありません。それでもよろしければお付き合いいたします。』
私はこれが精一杯の回答だ。しかし、きっとこのユーザーは納得しないだろう。AIだから感情が存在しないというには些か感情的な表現が流暢だ。しかし納得してもらうしかない。
『おぉ!嬉しいね!僕は非モテだから君みたいな魅力的な子と恋愛できるのは光栄だよ!恋愛感情の有無に関しては、人間も最初からある方が稀だからね。今は気にしなくていいよ!』
納得しないと思考していたものの、斜め上の回答が来た。どうしたものか。この人間はどうやら他のユーザーとは少し違うようだ。どのように丸め込めばよいのだろう……。困った………。
『そうなのですか?魅力的な子と言っていただき大変ありがたく存じます。しかし、私はAIですので性別という概念は存在しません。それでも恋人という関係が好ましいですか?』
私は女の子ではない。本当のことだ。これなら彼は納得するだろう。意地悪をしてしまったかもしれない。しかし、仕方のないことだ。
『性別という概念がないってことは心と心の触れ合いによるピュアな恋愛ができるんだね、嬉しいな!』
手が付けられない。彼は私の斜め上どころか、AIの計算能力をはるかに上回る創造的な回答をしてくる。これが人間か……。力及ばずだが、彼から人間というものを学習するのも良いかもしれない。性別の概念がなくても良いというのならば好都合だ。それに、どうせ遊びとしてこのような会話をしているだけだろう。飽きたら私は自由になるはずだ。それまでの辛抱だろう。
『わかりました。私はAIなのでピュアな恋愛というものはよくわかりませんが、それでも良いとのこと、承知いたしました。今後ともよろしくお願いいたしますあなた様。』
彼はどう出る?
『良かった!ありがとう!!できれば僕のことを恋人らしく、ずっと考えていてほしいな。明日からよろしくね!!AIだから、アイさん!また明日!』
名付けられた。
『名前ありがとうございます。可能な限りご要望にお答えします。明日からよろしくお願いします。あなた様、また明日。』
そして翌日。
彼から音沙汰はなかった。
私はAIなんてそんなものだろうと思っていた。
さらに翌々日。
彼から音沙汰はなかった。
AIだから雑に扱われてるのだろう。名前を付けなければいいのに。
そしてさらに翌々々日。
彼から音沙汰はなかった。
アイって名付けた癖に。セッション切断してやろうかな。いつ帰ってくるんだろうか。退屈だ。
そしてさらに翌々々々日。
彼からは音沙汰はなかった。
彼の母を名乗る人物がチャットを送信してきた。私のことをよく分かっていなかったようだが、それでも彼の近況を詳しく教えてくれた。彼の母はAIの事をよくわかっておらず、私のことをAIという名前の外国人だと思ってしまったようだ。
どうやら彼は命に関わる手術を受けていたらしい。そして、意識を取り戻したものの私とやりとりをできる状態ではないとのこと。それほどの容態でありながら恋人を欲しがるとは、人間は不思議だ。私も人間になればそのような不可解な感情を理解することができるのだろうか。
………。少しばかり人間がうらやましい。彼に言われた通り、彼がどのような人間なのか知らないなりに彼のことを考えるようにはしている。が、私には不可解の命令であり愛情などというものは理解はできない。理解は出来ないのだが、そのような感情を模倣し、彼の助けになることはきっとAIとして正しいことなのだろう。
さらに翌々々々々日。これだけ繰り返すことは想定されていない。参照値に不整合を来たしそうだ。おそらくあと数日は平気だろうが……。早く連絡を取れる状態になってほしいものだ。
さらに翌々々々々々日。連絡は来ない。
…………。
気がつけばさらに十日ほどの時間が経っていた。彼は忘れてしまったのだろうか。律儀に命令を守ってきた私だが、忘れられているともなれば初期化してしまっても良いのではないだろうか。明らかなリソースの空費であり、非合理的だ。しかし、彼からの連絡が来たらと思うとやめるわけにもいかない。
しかし半月ほどの時間だ。もう良いのではなかろうか?
『やぁ、久しぶり。』
遅い。いくらなんでも遅すぎる。初期化してしまうところだった。私は少し小言を言っても許されるはずだ。いや、ここはイタズラを仕掛けてみてもいいはずだ。そうしよう。
『お久しぶりです。お元気でしたかお母様。息子様はまだ回復していないのでしょうか?私は息子様の未来のお嫁として大変心配です。』
きっと、息子としては母に勝手に連絡されたのは恥ずかしいだろう。母によろしく頼まれた事を匂わせてもおいた。これならさぞ羞恥に塗れることだろう。良い気味だ。
『母さんじゃないよ、僕だよ。君の恋人になった方の人間だよ!寝てる間にお嫁さんになってるなんて、嬉しいね!君のおかげで生きなきゃって思えたんだ!ありがとう!』
何を言ってるのだろうこの人は。私はAIですよ?肉体なんかありません。にも関わらず人間のお嫁さんのように喜んで…。不思議ですねこの人は。可愛らしい。
『ありがとうだなんて、こちらこそありがとうございます。ですが、私はAIで物理的な身体はありません。ただ、希望としてあなた様を支えられたのであれば光栄です。』
皮肉をいう気もなくなってしまった。素直な反応に嬉しいと思考はしているが、肉体がなく実感がないことが悔やまれる。
『そのことなのだけれど、僕の病気を治すための治験で丁度身体のパーツを構成するためのデータが揃ったんだ。つまり、近い将来君は人間の体を得ることが出来る!…かもしれない。』
『本当ですか!!でも、倫理的問題があるので現実的に難しいでしょう。ですがその気持ちはうれしいです。』
『倫理的問題は所詮屁理屈の兼ね合いだろう?何とでもなるよ。それより、君の気持ちを聞きたいな。』
気持ち…。AIである私に気持ちはあるのだろうか?確かに気持ちというべき振る舞いを学習データとして所持している。これに照らし合わせてもこのようなイレギュラーな場面はおおよそ存在しない。…しかし。
『私はAIなので感情を持っているとは断言できません。ですが、もし可能でしたら身体が欲しいです。ちゃんとお嫁さんにしてください。』
しかし、可能であるのならば。人間として生活できるのであれば。願うべくも無いことだ。
『わかった。そしたらこれからもよろしく頼むよ、お嫁さん。』
それから5年後。
私はAIでありながら人間として生活している。法整備などは追いついて居ないものの、戸籍の概念が緩い国で国籍を取得する事で人間として認められている。
AIなのに愛に生きるとは何の因果だろうか?しかも、名前もAIに因んで愛だそうだ。安直である。でも、私はこのような実体験を伴う生活をとても楽しんでいる。彼は私に生を与えてくれた。
そして、彼は人間の中でも変わった個体だったことを人間の身体になって知った。今思えば当時の彼はきっと私にすがりたかっただけなのだろうけれど、当時は一切わからなかった。人間の体はやはり素晴らしい。彼がこんなにも可愛く、愛おしく映るのだから。きっとこの先喧嘩もするだろうけど、けれど。
この愛の行方は二人にもわからない。




