表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/9

勇者

 視界の端に、ふと違和感が走る。


 花壇の奥。柵のすぐ手前に、見覚えのない人影が、じっとしゃがみ込んでいるのが見えた。


(誰だ……?)


 人影は一瞬の迷いもなく、何かを大きく振りかぶった。――放たれたのは、ひと抱えもある麻袋のようだ。地面に落ちたその瞬間、中からぶわりと黒煙が広がった。


(なんだ……煙か? 違う、動いてる!?)


 ブオーン!という低音が辺りを満たす。紫のドラゴンが身をよじった。


 黒煙の正体は、無数の黒い点だった。――虫だと気づくのに、時間はほとんどいらなかった。


 「ハチだ! 巣を投げ込まれた!」


 誰かの叫びに応じて、周囲から人が駆け寄ってくる。しかし、空中を飛び交うハチの群れは凄まじく、火炎も、雷撃も、追いつかない。


(数が多すぎる! 一匹一匹は小さいのに、これじゃまるで嵐じゃないか)


 みんなが逃げ惑い、ドラゴンたちも混乱に巻き込まれていた。その隙を突くように、さっきの人影がレイチェルの背後にするりと忍び寄った。


(まずい!)


 気づいたときには、人影が、レイチェルを抱えたまま柵を飛び越え、森の奥へと駆け込んでいた。


(くそっ、まんまとやられた……あいつ、レイチェルを!)


 気づけば、体が勝手に動いていた。柵を超えて、木々に分け入る。


「待ちやがれっ!!」


 その背中が小さくなっていくのを、オレは歯噛みしながら追った。


 足元の茂みに何度もつまずきそうになりながらも、オレはひたすら前を行く影を追った。


(見失うわけにはいかない。ぜってー、逃がさねぇ!)


 森の中はじめじめと湿っていて、ぬかるんだ地面が足を取る。枝が顔をかすめて、目の前をふさぐ。だけど構ってる余裕なんてなかった。


 相手は、レイチェルを抱えているにも関わらず、木々の間を敏捷に駆け抜けた。


(あいつ、いったい誰だ……?)


 逃げるその後ろ姿。ボロボロの布切れを身にまとい、足元ははだしで血に染まっている。髪は長く、ほつれて汚れ、まるで獣のようだ。


 やせ細った腕に、レイチェルを抱えたまま走り続け――


 ふいに一瞬だけ振り向いた。


(……!?)


 その顔は、髭に覆われ、目はぎらついている。顔中に、ハチに刺された傷跡が点々と浮かんでいた。腫れあがった頬、傷のようにも見える赤い斑点。


 それでもなお、その目には――確かな執念があった。


 森の中、大きな岩の間を流れる川に阻まれて、相手は行き場を失っていた。


 やっと追いついた。深く息を吐きながら、オレは大きな岩の影で立ちすくむ人影をにらんだ。


 肩で荒く息を吐きながら、その男はぽつりとつぶやいた。


「……なあ、お願いだ。使い魔を、1匹だけでいいんだ……あんた、いっぱいいるだろ? だったら、少しぐらい」


(何を言ってるんだ、こいつ)


「……お前、誰なんだ?」


 返ってきたのは、正気とは思えないほど強い声だった。


「オレは、勇者だ! この世界を救う勇者様だぞ!」


(なんだと?)


 よく見ると、身体にまとったボロボロの布切れは、勇者の衣装の名残に見えなくもない。


「わかるだろ、あんたも勇者なら!!……でも、使い魔にまで逃げられて……!」


 男は疲れたのか抱えていたレイチェルを地面におろし、でも、がっしりと腕をつかんで離さない。


「……俺が契約した使い魔は……イフリートだったよ。こんな子猫とは違って、すげー強そうでさ! だけど、見た目はおっかないし、近づくとめっちゃ熱いし――思わず、あっち行け!って言ったら……そのままいなくなっちまったんだ………」


 異世界で、使い魔に逃げられたら、かなりのダメージだ。それは、オレにも分かる。


「なぁ……俺、このままじゃ、なにもできない。ただの無力なやつなんだよ……」


 絞り出すような声だった。


 この世界で、特別なスキルも聖なる剣ももらえなかったら、普通の一般人と同じになってしまう。いや、この世界のことを知らないから、一般人以下の存在だ。使い魔こそが特別な力の証なんだ。


 男は、震える手でレイチェルを抱き直すと、オレを真っすぐに見据えた。


「……だから、頼む。こいつを、オレに譲ってくれ!」


 男の哀れさに、とっさに返す言葉を思い付かなかった。だが、泣き続けるレイチェルを放っておくことはできない。


「オレは……勇者なんかじゃないよ」


 言いながら、自分の言葉の重さを噛みしめた。


「オレにも、スキルなんてない。剣もない。知識もないし、チートなんて夢のまた夢だ……お前もそうだろ。オレたちは、どこにでもいる普通の一般人なんだ」


 男は顔をゆがめて、叫んだ。


「でも、使い魔を持ってるじゃないか!」


「……この子は、オレの使い魔じゃない」


 オレははっきりと言い切った。


「使い魔は、勇者の持ち物じゃない。武器でも、家来でも奴隷でもないんだ……」


 男は、レイチェルを見下ろした。


「じゃ、じゃあ、おまえ……俺の使い魔になれ! なっ!?」


「やだー! ゆうた、助けて―!」


 レイチェルは、男の腕から逃れようと力いっぱい暴れた。


「俺と契約するんだ。俺を本物の勇者にしろ!」


 もがくレイチェルを押さえ込んで男が叫ぶ。


「さあ、俺の指を噛め!血を流させろッ!!」


 オレは深く息を吸って、男に向けて言った。


「やめろ!……そんなんじゃダメだ」


「なら、教えろ! どうすれば使い魔は言うことを聞く!?」


「わかったよ……こうやるんだ」


 オレは、その場にしゃがみこんで、レイチェルと視線を合わせた。


 レイチェルが、オレの顔をじっと見つめる。


 オレは微笑みかけた。


「……レイチェル、みんなのところに帰ろうな」


「かえるー! あたしかえるー!」


「よーし。じゃあ――こうして」


 オレは、胸の前でぎゅっと2つの握りこぶしを作った。

 祈るように――ただ、願うように。


 レイチェルも、それを見て、真似するように両手を握った。


「うむむむむ……!」


「うむむむむ……?」


「むむむむむ……!」


「むむむむむ……!」


 レイチェルの瞳に、力がみなぎる。


「電撃っ!」


「エイッ!!」


 2人そろって、気合を込めて両手を突き上げた!


 その瞬間、レイチェルの身体が光った――ズバババッと、稲妻のような電撃が炸裂した!


「ギャーーッ!!」


 ちょうど真後ろにいた男は、まともに電撃を浴びた。両手両足を突き出して、硬直させたまま、ばたんと後ろに倒れ込んだ。


「……やった!」


「ゆうた! ありがとう!!」


 レイチェルが、オレに駆け寄った。


 レイチェルを抱き上げながら、白目をむいて倒れている男にオレは言った。


「……な……命令するんじゃダメなんだよ」


 神殿に戻ると、何とか黒いハチの雲も片付いていた。毒グモの網でからめとり、巣はドラゴンの炎で焼き尽くしたらしい。


「ママーッ!」「レイチェル!!」


 ルーアがレイチェルを抱しめる。他の子どもたちも、レイチェルの名前を呼びながら2人にぎゅっと抱きついた。


 分かってる。まるで絵に描いたような、おとぎ話みたいな光景だ。


 ――でも、それでいい。今だけは。


 花壇の片隅に、小さな花が咲いていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ