誕生
「──ユンドル様、勇者様! こっちへ運んで! 急いで!」
白衣の裾をひるがえしながら、エレナが広間の脇の扉を勢いよく開けた。ユンドルとオレは、ぐったりと荒い息をつくルーアを担架に載せ、エレナにうながされるまま、神殿の奥へと運んでいった。
行き先は、居住者用の空き部屋だった。
「男の人は、ここまででお願いします」
エレナがきっぱりと言った。オレもユンドルも従うしかなかった。
仕方なくオレは、部屋の近くの廊下を行ったり来たりした。
ユンドルは、近くにどさっと座り込んだまま。
しばらくして、エレナが部屋から出てきて、どこかへ行った。それから、清潔な毛布を持ってきて、続けて火鉢とやかんを運び込んだ。
「……自分で何とかするって言ってます。猫の出産に近いから大丈夫だとは思うんですが……今は入らないでください。母猫は、気が立ってる時期なので」
それだけ告げると、またどこかに行ってしまった。
2人して黙りこんだ。だけど、この沈黙は耐えられなかった。
オレは、ぽつりと口を開いた。
「……なあ。これ、どうなるの?」
ユンドルは目を伏せたまま、淡々と答えた。
「……すべてはデルドール神のご意思です」
「そりゃあ、まあ宗教的にはそうかもしれないけどさ」
神官の身勝手な態度に、ちょっと腹が立ってきた。
「せめて、送り返してやるとか、代わりの使い魔を読んだりとかできないの?」
「……召喚は1年に1回。1組だけです。昼と夜が同じ長さになる春分の日のみ」
そうつぶやいてヤンドルは、がっくりと肩を落とした。
「……私もね、大変なんですよ……辺境の神殿に飛ばされて……ここなら大した事件も起きないはずだったのに、5年前から竜王の火山が暴れ出して。ずっと続けてるんですけど……4回も失敗して、本庁からは催促の手紙ばかり来て」
「……は? 何それ。どういうこと?」
「……首都に残した女房と子どもにも長いこと会えず」
ユンドルが吐いた深いため息の中に、いろいろな想いが詰まっていたが、そこじゃない。
「今までも……召喚に失敗していたのか!」
「あ、はい…………使い魔との契約に失敗した者が1人……旅立ったけど行方不明になった者が2人……あと」
「おいおいおい。話が違うぞ!」
思わず声がデカくなった。
「えっ!?」
「他にも勇者がいたのかよ!」
「アワワ……い、1年に1回は呼び出せますから……でもね、今回は契約が成立してますから、ほとんど成功です! あとは出発するだけ!」
ますます中間管理職の言い訳みたいになっていた。
「こんな状態で出発できる訳ねーだろ! 無茶言うな!」
オレはユンドルにつかみかかった――
そのとき、地の底からゴゴォォンという轟音とともに、揺れが突き上げてきた。石の壁がきしみ、天井からはパラパラとほこりの粒が舞い落ちる。
2人して、思わず互いの身体をかばい合った。
「……地震?」
「……いえ、竜王が暴れているのです……ここんとこ毎日のように、こんな地震が起きてまして、方々で被害が出ています」
竜王ってのは、たぶんアレだ。今、機嫌が悪いらしい。
そんなヤツを相手に、使い魔なしでどうにかなるわけがない。
地響きが収まり、また静けさが戻ってきたが、今度は沈黙を破る気にならなかった。
――オレ、何やってんだろ。
ブラックバイトから逃げ出したつもりが、超然ブラックな闇バイトに強制的に拉致られて、やばい国に連れ来られた気分だった。
(召喚? 神のご意思? ふざけんな。こんな求人、見たことねーよ!)
そのとき──静けさの向こうに、小さな鳴き声が聞こえた気がした。
オレは、ユンドルと顔を見合わせた。
「……ミィ」
今度は、はっきりと聞こえた。
「エレナを呼んできます!」
ユンドルが駆け出して行った。
「……ミィ」「……ミィ」
──小さな声は、少しずつ増えていった。
エレナが走ってきた。シャツにスカート、エプロン姿――どうやら、普段着に着替えたらしい。そのまま、そっと部屋の中へと入っていった。
部屋の外で、戻ってきたユンドルといっしょにオレは無言のまま待った。長いようで短い時間。
やがて、静かに扉が開いて、エレナの顔がのぞいた。
「生まれました……」
その言葉に、オレたちはほっと息を吐いた。
「ただ……ちょっとだけ。……見ますか?」
エレナにうながされて、部屋に入った。ベッドがひとつ置かれただけの、簡素な石造りの部屋だ。隅には火鉢とやかんが置かれていて、思いのほか暖かみがある。
ルーアはベッドの上に横になり、足を伸ばして身体を横に向け、3匹の子猫にお乳をあげていた。どれも、まぎれもなく「子猫」だった。茶トラが1匹、黒が2匹。人間っぽさは微塵もない――毛むくじゃらで、手足が短く、か弱くて愛らしい小さな命だ。3匹は、それぞれ好きな位置に陣取り、2列に並んだ乳房に前脚をふみふみと押しながら、一心不乱にお乳を飲んでいた。
子猫たちを見守っていたルーアが、こちらに目線を上げた。
「……どう?」
そう言われても──ただ待ってただけの立場としては返す言葉もない。
「……アタシってばすごくない?」
「うん、すごい……」
「なんか本能つーの? 母性つーの? そういうのがあふれてきてさ、なんかちゃんと生まれちゃったよ」
その声には、たしかに疲れがにじんでいた。それでも、どこか満ち足りた響きと、母親らしい落ち着きが感じられた。黒く艶やかな尻尾が、ゆったりと満足げに揺れている。
「……本当に……おめでとう」
それしか返すことができなかった。
ルーアの足元に、二つのかたまりがあった。
ルーアは、そちらには目もくれず、お乳を飲む子猫たちを見守り、時々その身体をなめていた。
生き物として当たり前のことだ……そう自分に言い聞かせていた。
オレは、そっと振り返ると、エレナからエプロンを借りた。そして、その2つのかたまりをルーアから見えないように包んで、胸に抱えた。
「ゆっくり休むといいよ……予定なんか無いし……」
それだけ言うと、オレは部屋を抜け出した。
エプロンの中のかたまりを見ないようにしていたが──目が離せなかった。
2匹の三毛の子猫だった。
(……勇者って何だよ。小さな命ひとつ、救えもしないで……)
エレナが近づいてきて、そっと手を伸ばしてきたけど、オレは2匹を渡すことができなかった。ルーアを召喚しなければ、この子たちもきっと──。
そのとき──1匹の小さな身体が──ほんの少しだけ痙攣した。
(……まだ、生きてる……)
オレは、エレナとユンドルを見た。
2人と目が合った。
「この子を助けよう!!」
すごく、すごく小さな命の温もりが、指先から伝わってきた。