第6話 ハグをしてみた
翌朝、早くに目を覚ましてしまったためセレナに紅茶を淹れてもらい、図書館で借りた小説をじっくりと読む。前の世界だったらきっと真っ先にスマホを開いていただろう。この世界に来てからスマホなどの電子機器に触れることがなくなり生活習慣をだいぶ整えられたような気がする。スマホ依存症なのではと危惧していたが人間の順応性は高いようで慣れてくるとさほど気にすることがなくなった。最近では専ら小説を読むのが習慣となっている。
「咲夜様、何を読んでいらっしゃるんですか?」
スコーンを持ってきたセレナが興味津々に聞いてくる。
「推理小説だよ。」
「凄いですね!私も以前、推理小説を読んだことがあるんですが難しくて途中で諦めてしまいました。頑張ったんですけど…。」
「私も同じようなものだよ。これも難しいけど、どちらかというと人間的感情が強調されているから読みやすいかな。それに恋愛要素もあるし(ちょっと香るくらいの探偵と助手(男同士)だけど。)」
シャーロックホームズの小説を読んだことがあるけれどカタカナの人物名や場面転換、推理全てが難しくて頑張って最後まで読み切っても内容を殆ど覚えていなかった。自分には頭を使うような小説は向いていないのだろう。でもミステリーは好きなのでドラマもよくそういうものを見ていた。
少し薄暗かった部屋に窓から陽が差し込み、陰影のコントラストが明確になった頃、間隔のだいぶ空いたノックがドアから聞こえる。
「どうぞ。」
「…あ、朝早くにすみません。この間、見せていたデザインを改良したものができたので持ってきました。」
フラフラして、もたれ掛かりながらシルヴィアさんがデザイン案を持って訪ねてきた。
「あの…フラフラですけど大丈夫ですか?顔色も悪いですし…。」
「あはははは、こんなの日常茶飯事ですから大丈夫ですよ!」
目の焦点があっていない上に妙にハイテンションなところは大丈夫とは言い難い。
「絶対大丈夫じゃないですよ!少し休まないと。あ、セレナ、彼女にも紅茶を淹れてあげて。」
「はい。わかりました。」
「すみません、お気遣いいただいて…。」
「紅茶を飲めば落ち着きますよ。多分その様子じゃあ食事もまともにとっていませんよね?スコーンもありますからどうぞ。」
「ありがとうございます…。集中するとつい食べるのを忘れてしまって。」
「わかります。私の場合、実家暮らしだったのでご飯を作ってくれる親がいたからそういうことはなかったですけど、絵を描いていると周りが見えなくなって時間を忘れてしまうんですよね。」
「創作者の性ですかね、いつの間にか2日経っているなんて時もザラです。」
そこまで熱中できるのはきっと彼女の才能なんだろう。私はそんな集中力を持ち合わせていない。ゾーンに入れる才能を持っている彼女が心底羨ましい。
「どうぞ、紅茶です。ミルクと砂糖もございますので、お好みでどうぞ。」
「ありがとうございます。」
彼女は砂糖をスプーンで掬い、紅茶に入れる、それを計10回ほど繰り返す。
「あの…砂糖結構入れますね…。」
「甘いのが好きなんです。」
天才的な才能の持ち主は得てして他の人とは違う変なところがあるものだ。もはやほぼ砂糖なのではないかという紅茶を飲み、スコーンをバクバクと食べる。
「あ、デザイン見せてもらっても良いですか?」
「そうでした、すみません。こちらになります。」
自分が渡したデザインが想像していたよりもよくなって帰ってきて悔しいような気持ちに苛まれる。でもそんな気持ちを遥かに上まるほどの理想のデザインに心が躍る。
「…素敵です!まさに’’理想’’っていう感じです!」
「それはよかった!パンツタイプのドレスを依頼されたのは初めてだったのでご期待に添えるか不安でしたが気に入っていただけて何よりです。」
「でも、あと2日ですよね?パーティーまでにこれ完成します?」
「パンツタイプっていうのは確定してましたし、ベースはもう完成してます。あとは表面の装飾ですかね。」
「早いですね。さすがプロ。」
「いえいえ、寝なければ誰にでもできますよ。あはははは。」
本当に心配になるくらい壊れかけているような気がする。
「…シルヴィアさん、ちょっと立ってもらえますか?」
「?はい。」
椅子から立ち上がり、そっと彼女を抱きしめる。
「え、あ、あの咲夜様?どうなされたんですか??」
「ハグにはリラックスやストレス軽減効果があり、ストレスの3分の1が解消されるとも言われているそうです。だから、シルヴィアさんの疲れが少しでも解れればと思いまして。すみません、嫌でしたか?」
「いえ、驚いただけで嫌というわけでは…。……あったかい、ですね。なんだか…、眠く、なってきました……。……す、みま、せん…。」
彼女は私の腕の中でスースーと寝息を立てて眠り始めた。起こさないようにゆっくりと抱き上げ、私のベットに運んだ。
「申し訳ないな…。私のドレスがなければこんなに疲れなかっただろうに…。」
「咲夜様が罪悪感を抱く必要性はありませんよ。…それが彼女の仕事なのですから。」
少し拗ねたような態度をしている、彼女がむすっとした顔をするのは珍しい。
「…なんか、セレナ怒っている?なんかあった?」
「え、いえ、怒ってはいません。ただちょっと羨ましいな、と。」
「?羨ましい?何が?」
「シルヴィアさんが咲夜様に…その、ハグされて、…お姫様だっこされていたのが、ちょっと羨ましいな、なんて…。」
少し照れながらそう言う彼女を見て私も照れくさくなる。
「うーん、えっとじゃあ…ハグする?」
「う、ぇっあの、はい!」
意識しながら向き合い、いざハグをしようとするとギクシャクしてしまう。そっと腕を回しぎゅっと抱きしめる。
「…セレナ、これリラックスできてる?」
「…で、できていますよ。あったかいです。」
「…それは、よかった。」
自分とは違って小さく、柔らかい身体でそれに…
「…いい匂い…。」
そう囁くと彼女は耳が弱いようで
「ひゃっ!」
と小さくて可愛らしい悲鳴をあげる。
「…あ、ごめん。気持ち悪かった?」
「あ、いえちょっとくすぐったかっただけです。すみません、変な声をあげて。」
「いや、変ではなかったよ。可愛かったし、あんまり男の人の前では出さない方がいいかもね。」
「え、かわっいえ、可愛くはないです。揶揄わないでください!」
またむすっとした顔に戻って、下を向く。私は揶揄ったつもりも嘘をついたつもりもないんだが。
お互いに気まずくなって無言が続いてしまっていたところにヴァルさんが咳き込んでハッとする。
「お二人ともどうなさったのですか?立ったまま喋らないで。ノックしても返事がなかったので何かあったのかと思いましたよ。」
「いえなんでもありません。少し考え事をしていただけなんです。」
「そうですか…。あの、ところで何故シルヴィアさんが咲夜様のベットで寝ていらっしゃるんです?」
「あぁ、えっとストレス解消にハグをして、そしたら眠っちゃって…。」
「…ハグ?ハグですか?ハグ…。」
何回もそう口にして反芻しているようだった。
「?どうしました?ヴァルさんもしたいんですか?ハグ。」
「はい?いやいや別に…そう言う…訳じゃ…。」
「します?ハグ。」
「な、何をおっしゃいますか?女性が男性に対してそんなふうに簡単に言うものではありませんよ!」
「え、う、うーん。その私あんまりそう言うの意識したことないんですよ…。自分の容姿に全くもって自信がないので私のことを好きになる人はいないと…。最初から誰にも好かれないとわかっていれば期待しないし、好きになることもないって感じになってしまいまして…。」
それに関して落ち込んだことは一度もなかった。恋愛的な意味で人に好きになってもらうことはなくとも自分の内を知ってもらって友人を作ることはできる。私にとってはそれで十分だったし、私の人生のベクトルはメディアデザイナーになりたいという確かな夢のおかげで変わったことはない。だから一度も悲観したことはなかったけれど、その自分の感覚が麻痺していたのだと二人の表情を見て気づいた。
「咲夜様はお綺麗です。それは私が保証します!私は好きです!」
「…そうですよ。咲夜様はご自身の魅力に気づいてないだけです。それに人を好きになる要素は容姿だけじゃありません。」
「それは…わかっているんですが、どうしても自分に価値を見出せないんです。中身だって、人に誇れるところひとつもないですし。…て、なんか暗い空気にしてすみません。シルヴィアさん熟睡してますし、起きるまでヴァルさんもお茶しましょ。」
「…はい。」
セレナもヴァルさんもなんだか怒っているような気がしたけれど私にはどうすれば良いのかわからなかった。
空が淡い朱色に染まった頃、シルヴィアさんが目を覚まし頭を抱えて起き上がる。
「う…。いてて…。」
「どうぞ、お水です。」
「あ、すみません、ありがとうございます。」
よほど喉が渇いていたようで勢いよく水を飲む。
「プハー!いやぁ、ほとんど初めてちゃんと寝れました!」
「…ちゃんと寝てくださいね。身体を壊したら元も子もないですよ。」
「寝れたらいいんですけど、仕事が多すぎて…ていうか早く帰らないと!」
「えっ!大丈夫ですか?まだ寝てても…。」
「いや、あなたのドレスを完成させないと!」
「嬉しいですけど…少しくらい手を抜いてもいいですよ。もうベースはできてるんですよね?私シンプルでも好きですし…。これ以上徹夜してあなたに身体壊してほしくないですし…。」
「…お気遣いありがとうございます。でもあなたが素敵だって、まさに理想だとまで言ってくれたんですから完成させたいんです。作りたいんです。」
「!…ありがとうございます。パーティであなたのドレスを着るのが楽しみです。」
「はい!大いに期待してお待ちください!」
彼女は満面の笑みでスキップしながら帰っていった。