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9. 子爵夫人アリシアの場合(3)

残虐な場面を想起させる文章があります。苦手な方はご注意ください。

「はじめまして、ザガリー卿。レイフ・グランテルの妻になりましたアリシアです。お会いできて嬉しいわ」


 討伐成功を祝う祝賀会で、レイフの横に立ち、楚々としたドレス姿で挨拶をしたアリシアに、ザガリーは愕然と口を開けた。


 飛竜の討伐を終え、ケネス・ギルフォード辺境伯が領都に戻ってきたのは昨日。火竜が倒されてから、二日後のことだった。

 レイフはすぐに自領に帰りたがったが、辺境伯の許可がなければ、転移陣は使えない。仕方なく、そのまま辺境伯邸に滞在していたのだ。


 戻ったアリシアが、ラウラに泣きながら怒られたのは言うまでもない。レイフとともに、ケネスの討伐隊に合流する案は、辺境伯夫人の恐ろしい笑顔とともに却下された。


 討伐隊に紹介してくれないなら一人で行くと言ってロイドを脅したのだと、アリシアはきちんとレイフと辺境伯夫人に説明した。その甲斐があり、ロイドは咎めを受けなかったようだが、報告を怠ったとして注意は受けたらしい。ずいぶんげっそりとしていて、アリシアはロイドに素直に頭を下げて謝った。

 ロイドからは、苦笑とともに、「火竜を倒していただきありがとうございました。ご無事でなによりです」との言葉をいただいた。あとでなにかお詫びの品を贈ろうと思っている。


 望まず火竜の討伐隊隊長となってしまったザガリーは、火竜を仕留めた部隊長として時の人となっていた。

 本人は実直な武人らしく、火竜を倒したのは、アリシアという冒険者だと正確に報告したらしいが、それでも臆せず火竜に対処したとして、報奨が出たらしい。


「ア、ア、アリシア嬢……?」

「ええ、アリシア・グランテルです。お見知りおきを」


 にっこりと笑みを浮かべると、ザガリーは口をぐっと結んだ。胸に腕をあてて騎士の礼を返す。


「これはご丁寧にありがとうございます、子爵夫人。あらためて。ザガリー・マグナードです」

「ザガリー卿は、火竜討伐でご活躍されたとか。お怪我はごさいませんか?」

「幸い、かすり傷程度ですみました」

「それは、よろしかったわ。部隊の皆様にも、ぜひ、よろしくお伝えくださいませ」


(これでザガリー隊長の誤解も解けたかしら? レイフの機嫌も直ってくれるといいんだけど)


 冒険者を名乗っていたアリシアをレイフの愛人と勘違いしたザガリーを、レイフはまだ許していない。

 冷ややかな眼差しで、ザガリーを見つめているレイフの腕を引いて、アリシアはその場を立ち去ろうとする。その背にザガリーの声がかかった。


「子爵夫人は、このたび火竜を倒した冒険者をご存知ですか?」

「いいえ、存じあげませんわ。わたしはずっと領都にいましたから」

「そうですか。では、そのように」


 謝意をもってきっちり下げられた頭に、火竜討伐の場に子爵夫人アリシアはいなかったということで了承を得られたのだと理解する。

 ロイドといい、ザガリーといい、ギルフォード辺境伯は、事情を腹に飲み込める良い部下を持っていると思う。


 討伐成功の祝賀会ということで、王都で開かれる昼餐会とはまったく違う雰囲気がただよっていた。

 身分のある騎士だけでなく、平民と思われる兵士たちも混じっている。身分の上下なく、酒を酌み交わしては、討伐が無事に終わったことを肩をたたきあって喜んでいる。

 実家のトライト伯爵領で冒険者をやっていたアリシアには、馴染みのある光景ともいえる。領主の娘とわかっていても、豪快な冒険者たちはアリシアを特別扱いはしなかった。年齢的に酒を勧められたことはないが、討伐依頼の完了後には、あれも食え、これも飲めと構われていたのを思い出す。


 アリシアは、壁際によって、そのどこか懐かしい光景をながめていた。レイフは、一緒に討伐に出ていたらしい知人に呼ばれ、席を外している。

 そばを離れたがらないレイフを送り出したのは、アリシアだ。祝賀会で身に危険があるはずもない。少なくとも火竜を倒せるアリシアに勝てる人間は、この場にはいないだろう。


「こんな無礼講な会で申し訳ない、グランテル夫人」


 かけられた声に視線をめぐらせる。

 ケネス・ギルフォード辺境伯が酒杯を片手に立っていた。

 挨拶は昨日、彼が帰還したときに済んでいる。


「いいえ、お気になさらず。みなさま、楽しまれているようでよかったですわ」


 アリシアの答えに、ケネスがにやりと笑った。平民に忌避感のないアリシアの返答は、気に入っていただけたようだ。


「わたしになにかご用でしょうか」

「貴女と二人きりで話したくてね」

「閣下を楽しませるようなお話は、できないと思いますわ」


 肩をすくめるアリシアに、ケネスが声をあげて笑う。


「いやいや、充分ですよ。冒険に出られていたことは、ロイドからうかがっています」


 冒険者に扮したアリシアが火竜を倒してしまったことは、やはり耳に入っているらしい。ロイドが一緒だったのだから、隠し通せるはずもないのだが。


「レイフ卿ともうまくやられているようで、安心しました。彼が飛竜を撃ち落とすだけ落として、現場から消えたときは、どういうことかと思いましたがね。彼があんなふうに慌てるのを初めて見ましたよ。ずいぶんと大事にされているようだ」


 からかうような声音に、アリシアは令嬢らしく困ったような弱々しい笑みを浮かべる。


「夫がご迷惑をおかけして、申し訳ありません」

「迷惑などなにも。こちらこそ警備が行き届かず申し訳ない。レイフ卿にも心配をおかけした」

「彼は心配などしていないと思いますので、お気遣いなく」


 ケネスがまじまじとアリシアを見つめてくる。


(どうして、本気か、こいつ、みたいに見られているのかしら?)


 内心、首をひねりながら、ゆったりと笑みを浮かべてみせた。


「わたしをきちんと気にかけて、婚姻を結んだ相手への義務を誠実に果たしてくれている夫には感謝していますわ。でも、次はあまりわたしに構わないように、夫に伝えておきますね」

「レイフ卿のあれが義務だと? 本気で言っていますか?」

「ええ、もちろん」


 父も兄も政略結婚だが、婚姻相手をそれはそれは大切にしている。レイフのように、好きとか愛しているとかを、人前でことさら口にすることはないが、見ているほうが恥ずかしくなるくらいには仲がいい。縁あって婚姻を結んだ以上、お互いに気遣かうのは当然のことだ。


「なるほど。ですがね、グランテル夫人。妻を心配するのは、義務ではなく、夫の権利ですよ。それにーー」


 ケネスはアリシアの耳元に顔を寄せてささやく。

「あいつは惚れてもいない相手に、愛をささやくようなやつじゃない」


「アリシア」

 駆け戻ってきたレイフに、ケネスはアリシアから顔を離し、にんまりとした笑みを浮かべた。

「グランテル夫人、どうしてレイフ卿が走ってきたか、わかっていますか?」


(どうして、走ってきたか……?)


 答えどころか、なにを問われたのかすらわからなくて、アリシアは首をかしげた。

 やれやれといった様子でケネスは首を振ると、レイフの背中をたたき、「頑張れよ」と言い捨てて去っていった。



 ◇◇◇



「ケネスとなにを話していたの」


 ベッドの枕元にもたれかかりながら、後ろからアリシアを抱えこんだレイフが言葉をこぼす。


 祝賀会が終わり、客間に戻って湯浴みをすませ、アリシアがベッドでのんびりしていたところに、レイフが部屋までやってきた。

 招き入れると、ベッドまで誘導され、この体勢で落ち着いた。

 レイフの両手はアリシアの腹の上で組まれ、アリシアはすっぽりレイフに包まれてしまっている。


 レイフのすねたような口調に、アリシアは笑みを落とした。


「あなたのことよ、レイフ。飛竜を放ったらかしにしてきたんですって?」

「飛竜は全部たたき落としてきた。義務は果たしたはずだけど」

「また飛べるようになる前に、全部倒さないといけないんだから、大変だったでしょうね」

「君が危なかったかもしれないのに、気にしていられないな」


 レイフの変わらないアリシア第一主義に、アリシアは苦笑をもらす。

 

「次は、わたしも一緒に討伐現場まで行こうかしら?」

「ああ、うん。もう、それでいいんじゃないかな。ほんとに、目を離すとどんな危ないことをするかわかったものじゃない」


 大きなため息が聞こえた。アリシアの頭にレイフの口づけが落ちる。

「今度はひとりにしないから。ーー愛してるよ、アリシア」


 ささやきとともに首筋をたどる唇に、ゾクゾクと背が震える。

「んッ……レイフ、ここ、ひとの家で」

「それが?」

「その、他の人にわかると恥ずかしいんだけど」

「いまさら?」

「それは、そうなんだけど!」

「……アリシアはおれがほしくない?」

「っ!? その聞き方は、ずるいわ!」


 振り向いた先に、レイフのやわらかく細められた赤い瞳。


(……赤い、瞳……?)


 落ちてくる口づけを、両手でレイフの顔をはさんで止める。どう見ても、赤いその瞳をアリシアはのぞきこんだ。

「……アリシア、積極的だね?」

「どうして赤いの?」

「赤? ……ああ」

 レイフが片手で片目を覆う。

「『隠蔽』が切れてたか」

「『隠蔽』? もともと瞳の色は、赤だってこと?」


(いえ、違うわね。それなら色をわざわざ変える必要はない。青緑と赤に色が変わる、の?ーーまさか)


「……変彩金緑石アレキサンドライト……?」


 光によって変わる、稀有なその色。その瞳を持つのは。


(……王家!?)


「どうして、あなたがその瞳を持っているの? ーーあなたの、両親は、誰?」

「アリシアって、本質をつくよね」

「答えて」

「セドリック陛下とエイミー・グラント侯爵夫人」


 アリシアの思考が止まる。


「待って。そんなこと、ありえるの?」

「ありえたんじゃない? だって昔の恋人同士だし」


 それは昔の悲恋の話。学園で恋をした王太子殿下と伯爵令嬢。想いあっていても、お互いの立場のために卒業後は別れるしかなかった。王太子殿下は婚約者であった公爵令嬢と結婚。伯爵令嬢は、いつもそばで見守ってくれていた殿下の忠実な側近、侯爵令息と結婚した。


(そうして、美しい恋の物語は閉じたのだったって、なってたのに!?)


 活字中毒のアリシアは、この有名な物語を本で読んだことがある。もちろん、王家をはばかり、国名や登場人物名は違うものになっていたけれど。


(それにしたって、ダブル不倫って。ありえない。え、大丈夫なの、それ)


「グラント侯爵はこのこと」

「もちろん、知ってる。忠義のひとだからね。陛下に知らせたのも、あの人だろうし」

「……お義兄様と、第一王子殿下は」

「ああ、そっちはちゃんと正しい血筋だから。間違っているのは、おれだけ」


(レイフは、セドリック陛下の庶子、ということになるのね)


「え、待って。あなたがご両親と疎遠なのって、まさか、これ、が理由なの?」

「そう」

「ばっ、かじゃないの!? 自分たちの不始末、こどもに押し付けるんじゃないわよ! レイフのせいじゃ、ぜんぜんないじゃないのよ! それなのに、冷遇とかって、ありえない!」


 激昂して言葉が乱れるアリシアの背を、レイフをぽんぽんとなだめるようにたたく。


「はいはい、アリシア。落ち着いて」

「どうして、レイフは怒らないの!?」

「もう、いまさらどうでもいいかな。生まれた時からいないものとして扱われてたところに、命を狙われるようじゃ、親子の情もなにもあったもんじゃないでしょう」


 アリシアの息が止まる。


「第二王子が生まれたあとは、何度も殺されかけたよ。それはもう、執拗に。スペアがいらなくなったら、王妃を止めるものはいなくなったってことだね。実の親も、義理の親も止めなかった。罪のこどもなんて、誰もいらなかったんだよ」


(闇が深すぎない?)


「まあ、あるときから、ぱたっと暗殺は止んだけどね」

「なに、したの?」


(絶対、なにか、したわよね?)


 レイフは、すでに記憶の彼方にある昔のことを思い出すかのように、しばらく考えてから答えた。


「王妃の枕元に暗殺者の首を置いてきた。王様には胴体、第一王子には両腕、第ニ王子には両足だったかな」

「一晩で?」

「一晩に。三体ほど。その頃はまだ体も小さかったし、死体はばらすと持ちにくくて、運ぶのが大変だったな」


 その凄惨さに言葉を失い、それから、レイフの考えをアリシアは正確に察した。


(あ、これ、絶対、相手にするのが面倒になったんだわ)


 レイフが興味のない相手に容赦がないのは、何度も目の前で見たので知っている。これ以上手を出すなという警告だったのだろう。


「小さいって、レイフはそのとき何歳だったの?」

「五歳かな」


 五歳で何度も命を狙われ、誰にもかばってもらえないレイフの心情をおもうと、アリシアの胸の奥がぎゅっと痛くなる。

 アリシアには寄り添ってくれる兄がいたし、変なことを口走る娘でも、両親はふつうに愛情を注いでくれた。


「いつでもおれが寝首をかけるってわかったんだろうね。そのあとは、暗殺者はこなくなったけど、魔獣討伐に駆り出された。死んでほしかったんだろうな。ヒトではもうおれを殺せないから」


(どうして、そこまで死ぬことを望まれなくちゃいけないのかしら?)


 罪があるとしたら、陛下と侯爵夫人のものであって、レイフのものではないのに。


「ーーおれが怖い?」


 赤い瞳が、黙りこんだアリシアをのぞきこむ。

 アリシアはまっすぐにその瞳を見返した。


「怖くないわ。殺されかけたのに、殺さなかったんでしょう? 優しいのね、レイフ」

「いや、優しくはないと思うけど。起きたら、バラバラ惨殺死体が部屋に転がっているって、かなりトラウマじゃない?」

「狙いどおりトラウマにしてくれて、よかったわね」


 腕をレイフの背中にまわして、ぎゅっと抱きつく。


「レイフ、わたしね、前世の個人的なことって、ほとんど覚えてないの。自分がどういう人だったかとか。どんなことをして、それをどう思っていたとか。あの世界だったら、誰もが知ってて当然のことしかわからない。テレビで見たとか、本で知ったみたいな知識だけなの。でも、ひとつだけ、思い出したことがあって」


「殺されたの。後ろから急に刺されて。知らない人だった」


 アリシアの腕の中で、レイフが身を固くしたのがわかった。

 兄にすら話したことはない前世の記憶。

 一度言葉を切ってから続ける。


「死ぬんだと思ったら、とても怖かったわ」


「バスを待っていただけだったのに。なぜ、わたしが殺されなきゃいけなかったの? どうして、わたしを殺すの? もし機会があったら、殺してやりたかった、そいつを。絶対に許したりなんかしない。誰かを殺すなら、自分も殺される覚悟をするべきよね。ーーだから、王妃たちを殺さなかったあなたは、とても優しいわ」


 紫の瞳で、赤い瞳をのぞきこむ。


「ーーわたしが怖い、レイフ?」


 驚きに目を見開いていたレイフの顔が、くしゃりと歪む。彼の両手がのばされて、息がつまるくらいに強く抱きしめられた。


「怖くない」

「よかったわ」


 アリシアは笑みをこぼして、つづける。


「だから、守護石を普及させたいの。不意打ちさえ防げれば、逃げることも反撃することもできるでしょう?」

「……ああ、それで。だから、守護石なのか」

「今度は不意打ちなんかで殺されたりしないわ。全力であらがってみせる」


 右手でこぶしを握りしめるアリシアに、レイフは笑みをもらした。


「教えてくれてありがとう、アリシア」


 ふふ、と笑ってアリシアは、レイフの双眸をもう一度見つめる。


「いつもの青緑色も綺麗だけど、赤も似合うわね」

「へえ。綺麗だと思ってくれてたんだ」

「あなたは、すごく綺麗よ?」

「この顔が気に入ってくれてるとは思わなかった」

「顔だけじゃなくて、立ち姿とか、所作が、とても美しいと思うわ」

「アリシアにそう思ってもらえるなら、この体に生まれた甲斐があるな。体だけでも、気に入ってもらえてよかった」

「体だけって」


(言い方!)


「それじゃあ、アリシアが気に入ってくれているこの体で、君を悦ばせてもいい?」


(だから、言い方!!)


 アリシアの顔は真っ赤になっているに違いない。声をなくすアリシアに、レイフはにんまりと笑う。


「朝まで寝かせるつもりはないから。よろしく、奥さん」

「ちょっと、待って、レイフ。だから、ここ、ひとの家」

「うん、そうだね?」


(絶対、聞く気、ないでしょう!)


 必死につっぱる両手を抑えこまれて。こめかみにレイフの唇が落ちてきて。そのまま、首筋をたどって耳をはまれた。


「っん! レイフ、やだ、だめ」

「だめじゃないよね、アリシア。おれに君を愛させて?」


 腰がくだけそうな声で耳元でささやかれ、やさしく口付けられて、アリシアは陥落した。


 辺境伯邸を出発する予定が、次の日の午前から午後に変更されたのは、決してアリシアのせいではない。


【本編からこぼれた、裏話】


大人しく我慢していたレイフが盛ったのは、ケネスが煽ったせいです。


レイフはアリシアを殺していませんので、ご安心ください。前世からのストーカーでもありません。

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