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8. 子爵夫人アリシアの場合(2)

 ギルフォード辺境伯領に来てから、三日。

 アリシアは領都にある、ギルフォード辺境伯邸でお茶をいただいていた。

 飛竜の討伐は順調だと聞くが、詳しい状況はアリシアの耳には入らない。情報統制されているのか、そもそも領主邸に届けられている情報がその程度なのか、それもわからない。

 レイフとは辺境領側の転移陣で別れて以来だ。転移陣から直接、飛竜の出た地域へ向かうとのことだった。

 三日で討伐を終わらせて帰ってくると言っていたのに、まだ音沙汰はない。


(わたしも、討伐現場に行けばよかったかしら?)


 そんなことを思いながら、茶器を傾ける。


「レイフ卿が心配かしら?」


 どうやら浮かない顔をしていたようだ。

 この茶席に誘ってくれたフィオナ・ギルフォード辺境伯夫人が、やわらかな笑みを浮かべる。金髪に青い瞳の美しい人だ。青玉石の守護石のついた髪飾りをつけてくれている。アリシアが手土産がわりに贈ったものだ。王都で話題になっているのは知っているが、辺境ではなかなか手に入らないと喜んでくださった。

 

「心配はしていないんです。でも、なんだか、落ち着かなくて」


 図鑑で多くの魔獣について知っているけれど、本当の強さは戦ってみないとわからない。飛竜はやっかいな魔獣だと聞いたけれど、そこまで強いとは言っていなかった。

 実家のトライト伯爵領では、狼に似た魔獣が出た。父と兄で対処していたが、小遣い稼ぎにアリシアも討伐に加わったものだ。

 倒し方がえげつないと、伯爵領の自警団に引かれていたのを思い出す。


「信頼していらっしゃるのね」

「信頼、しているのでしょうか」


 よくわからなくて、首をかしげる。

 知り合ったのは二年前だが、知人の域を出なかった。婚約したのは四ヶ月近く前。婚姻してからは、まだ、たったの三週間だ。お互いを知るには、時間が短すぎる。


「あら、違うの?」

「よく、わかりません」

「それじゃあ、レイフ卿がいなくて、寂しいのかしら?」


 少しからかうようなフィオナの言葉に、さらに首をかしげる。


(……寂しい?)


 それも、よくわからない。ただ、ふとした瞬間に、隣にあるはずの温もりがないことに戸惑うことがあるのは確かだ。いつも近くにあるものがないという違和感。それが寂しいということなのか、アリシアにはわからない。


 それをどう表現したらいいのかわからず、茶を飲むふりをして、アリシアはフィオナから視線をそらす。

 その視線の先で辺境伯家の家令があわてた様子で、茶席を設けていたベランダに早足でやってくるのが見えた。フィオナの耳元で、何かを囁く。フィオナが眉をしかめた。


「フィオナ様、なにかありましたか?」


(討伐隊になにかあったのかしら?)


 一瞬頭をよぎった悪い想像を振り払って、フィオナにたずねる。


「はぐれ飛竜がこちらに向かっているようです」


 アリシアは一瞬、虚をつかれて黙りこむ。


「……まあ、それは、たいへんですね?」

「アリシア様を、お部屋に」

 命じられた家令が、アリシアに与えられた客間へと誘導しようとする。

「お手伝いは必要ございませんか?」

 主だった戦力は飛竜の対処のため、領都を離れているはずだ。

「ご心配なく。ギルフォードの名にかけて、アリシア様には指一本触れさせませんわ」


 そこまで言われて、客人であるアリシアが出しゃばるわけにもいかない。家令に先導されて、客間に戻った。

 家令が一礼して去るなり、持ってきた荷物から何枚もの紙を取り出す。


(『守護』と『反射』と『結界』。それと『回復』と『ダメージ軽減』)


 『暁月の塔』の『付与』魔法の師であるコーディが持たせてくれたさまざまな魔術が組み込まれた紙だ。その中から、五枚を選び出し、侍女であるラウラに差し出す。


「ラウラ、これを身につけておいてちょうだい」

「いえ、これは奥様が持っていてください」

「まだまだあるから大丈夫。あなたが安全じゃないと、わたしも自由に動けないわ」

「ーー奥様、お願いですから、大人しくしていてください」

「さすがに人の家でわがままは言わないわ。わたしになにかあったら、責任問題でしょう?」

「人の家じゃなくても、奥様になにかあったら責任問題ですし、旦那様がぶち切れるでしょうから、安全第一で行動してください、絶対に」


 いろいろ含むところの多いラウラの苦言に肩をすくめてみせる。


(フィオナ様は、ああ言ったけれど)


 きっとアリシアは隠れてはいられない。だって、背中がゾクゾクするのだ。残念なことに、こういうときのアリシアの勘はまず外れない。


(たぶん、標的は、わたし)


 魔獣は魔力の高いものを襲う。魔力を喰らうことで、自分の魔力が高まるからだと言われている。

 アリシアを辺境に連れてくるにあたって、レイフがいちばん心配していたのは、そのことだった。

 アリシアの魔力はダントツに高い。それが魔獣にとっては、おいしい餌にみえるらしい。伯爵領では、それを利用して、よく魔獣を誘き寄せたものだ。

 もちろん、都や町をおおう『結界』から離れるときは、いたずらに魔獣を引き寄せないよう『隠蔽』を使って魔力を隠している。レイフも別れるときに、念入りに『隠蔽』を重ねがけしていった。


「『隠蔽』が効かないような相手を領都に入れるわけにはいかないのよね」


 考えるのは、最適な方法での最大の効果。それが策として効果的なら、囮にだってなる。死ななければいいのだ。人的被害は最小限であるに越したことはない。命は取り返しがつかないのだから。


(標的がわたしなら、このまま領都にいるわけにはいかないわ)


「奥様!」


 ラウラのとがめる声に、にこりと微笑んでみせた。


 荷物から服を取り出すと、デイドレスから素早く着替える。伯爵領でよく着ていた冒険者仕様の服だ。


「奥様、なにをしていらっしゃるんですか?」

 トントンとブーツをはいて立ち上がったアリシアに、ラウラが顔色を一気に悪くした。

「着替えよ。ドレスではさすがに動きにくいもの。ちょっと出てくるわね。ラウラはここから動かないでちょうだい」

「ど、どこに行くって言うんですか!?」

「飛竜を狩りに?」

「やめてください! 旦那様に叱られます!」

「死なないから大丈夫」

「いや、大丈夫じゃないですって!」

 後ろ手に持っていた紙を、ぴっとラウラの額にあてる。『睡眠』魔術をほどこした紙だ。ふらっとしたラウラの体を支えて、ソファに寝かせる。


(三週間じゃあ、やっぱり相互理解は難しいわね)


 実家の伯爵領の侍女たちは、アリシアが魔獣討伐に出るというと、苦笑しながらも、こころよく送り出してくれたものだったが、それを三週間の付き合いでしかないラウラに求めるのは酷だろう。辺境についてきてくれただけでも、ありがたいのだ。

 ちょうどドアがノックされ、入室の許可を出す。失礼します、と声をかけて入ってきた見知った騎士を振り返る。アリシアの護衛を命じられたのだろう。


「いいところに来てくださったわ、ロイド卿。討伐部隊の責任者の方を紹介してくださらない?」



 ◇◇◇



 アリシアは、部隊の最後尾で騎獣を駆りながら、領都を駆け抜けた。すぐに西の門から領都を出る。


 討伐隊のザガリー隊長にたまたま領都に滞在していた冒険者として紹介してもらい、アリシアは隊に参加することを許された。そう紹介するよう、ロイドに強要したのだ。脅したともいう。

 冒険者というのは嘘ではない。きちんと魔法士としてギルドに登録されているし、身分を証明するタグだって持っている。登録名は、ただのアリシアだ。伯爵令嬢でも、子爵夫人でもない。


「レイフ様に殺される、レイフ様に殺される、レイフ様に殺される」


 隣で騎獣を駆るロイドは、ずっとうわ言のように呟いている。付いてこなくていいと言ったのに、それこそ、アリシアをひとりにはできないとひっついてきた。

 レイフにはあとでなにか言われるかもしれないが、とりあえずアリシアが生きてさえいれば文句はないはずだ。死なない自信はある。

 レイフがいるのは、領都からさらに西と聞いている。伝令がすでに飛んでいるはずだが、あちらでの討伐が終わらないかぎり、飛竜一匹に本隊が戻ってくることはないだろう。


 騎獣で駆けること、一刻。尻が痛くなってきた頃に、ようやく相手の姿が見えた。討伐隊に緊張が走る。

 空に浮かぶ赤黒い鱗に全身覆われた姿。ずんぐりとしたフォルムに長くたなびく尾。


「夫人! すぐにここから離れてください!」

「ロイド卿、ここまで来て、それは無理なんじゃないかしら?」

「いいから! あれは飛竜なんかじゃありません!」


(あら、やっぱり?)


 アリシアとレイフの『隠蔽』が効かない相手が、ただの飛竜のわけがない。だから、アリシアはわざわざ領都を出たのだ。


「あれは火竜です!」


 話には聞いている。出会えば死を覚悟するしかない、生ける災厄。最強と恐れられる魔獣のひとつ。数ヶ月に渡る辺境での魔獣大発生を生み出した元凶。火竜の出現に怯えた魔獣たちが、辺境に押し寄せたのだ。

 そして、餌となる魔獣を追って辺境に現れた火竜を、レイフが撃退したと聞いた。彼が英雄と呼ばれるにいたった所以だ。レイフに傷つけられた火竜は樹海の奥に逃げ込んだため、仕留めきれなかったらしい。


「同じ個体かしら?」

「おそらく。片眼が潰れています」


 アリシアの疑問に、ロイドが答える。

 傷つけられた竜は回復に専念するため、数年は現れないだろうと言われていたのだが、なぜ、こんなところに現れたのか。


(ケガをしているから、無理をしてでもここまで来た、とか?)

 よほどアリシアは餌として魅力的だったらしい。有り難くはない話だ。


「夫人、お願いですから、逃げてください!」


 ロイドの懇願には応えず、必死に逃げようとする騎獣から降りると、手綱を離した。集中力が必要な今、怯える騎獣をなだめることに労力を割きたくはない。一目散に騎獣は逃げていった。


「夫人、どうして!?」

「あれの目的は、わたしだもの。逃げても意味はないわ」

 ロイドの悲鳴のような声に、アリシアは冷静に返す。自分が標的だと言い切るアリシアに、ロイドは息を飲む。


「ケネス閣下とレイフ卿に伝令を飛ばせ! 我らはここで防衛に専念する!」


 討伐隊のザガリー隊長が指示を飛ばす。先の討伐でレイフでさえ仕留めきれなかった相手を、残留部隊だけで倒せるわけもない。防衛に専念するのは、正しい判断だ。ぜひ、そうしてほしい。アリシアがあれを倒すまで。


「ロイド卿、あれを地面に落としたら、討伐隊は対処できる?」

「難しいでしょう。火竜の鱗は防御力が非常に高いのです。剣も魔法も通りません」

「ああ、そういうことなのね」


(鱗は防御率が高い、と。わたしの魔法でも通らない可能性が高いわね)


 となれば、まずは鱗のない部分を狙うべきだ。レイフが目を潰したのも、同じ理由だろう。


「じゃあ、これはどうかしら? 眼球なんて、ほとんど水よね」


 アリシアは『水』魔法を操った。『付与』と違い、適性のある『水』魔法なら、息をするように使える。


 飛竜の残った片目が内側から弾けるように、激しく破裂した。竜の咆哮が響く。

 マイクロウェーブ、いわゆる電子レンジの応用だ。水分子を振動させて、みずから熱を生み出す。急激に体積を増やした水蒸気は、限界をこえて、眼球を破壊する。

 伯爵領の狼型魔獣なら、全身の血管に同じことが可能だったのだが、さすが竜といったところか。鱗に隙間のある目にしか効果が及ばない。


「ーーあれは夫人が?」

「『水』魔法は得意なの」

 驚くロイドに、事実だけを伝える。

 あれを『水』魔法と理解するものは、ここにはいないだろうが。


「次は地面に落としましょうか」


 地面から高く吹き出した水が、火竜に襲いかかり水圧を使って地面に叩き落とす。翼を貫き地面に縫いつけたいところだが、やはり鱗を貫通するのは難しいようだ。


(そうなると、方法はひとつだけ)


 それを行使しようと、視線を強くしたとたん、水の戒めを振り払って、火竜がアリシアめがけて、突進してきた。

 目を潰したのがアリシアだと察知したのか、餌にして魔力を補うつもりか。


「夫人ーー!」

 ロイドが手を伸ばすが、風圧に押されて届かない。


 ガキン!

 

 アリシアの目の前に迫った竜の牙がなにかに遮られたように、急に止まる。見えない何かに噛み付くように、ガキン、ガキンと音が鳴るが、口を閉じることはかなわない。


 アリシアは、思わず笑みをもらした。

 どうやって口を開けさせようかと思っていたが、自分から開けてくれるとは、運がいい。


「『メテオライト』」


 竜の口の中、なにもない空間から、竜の体に向けて閃光が放たれる。レーザー銃のように光を収束させて相手を貫く『光』魔法だ。プレストンが預けてくれた。


「『ゲヘナフレイア』」


 間髪入れずに次の魔法を、竜の口から体内に叩き込む。高火力、広範囲の爆炎が、竜の体を内側から焼いていく。ランドルフの得意魔法だ。


 そのあとも、たて続けに強力な魔法を叩き込む。回復する暇は与えない。強靭な鱗と驚異的な回復力。それが火竜を最強たらしめているのであれば、回復できないほどに徹底的にたたく。

 ダメ押しとばかりに、得意の『水』魔法で、竜の中身を削りとると、『空間』に収納していく。肉片と化した竜は、アリシアが呼びださない限り、出てくることはできない。


「『腐食』、『促進』『効果倍増』『回復阻害』」


 最後に残った竜の中身に『闇』魔法をかけ、魔術を重ねがけしてから、ふうと息をついた。さすがにここまですれば、残るのは鱗だけだろう。試しに鱗の一部を収納しようとすれば、きちんと『空間』に取り込まれた。


(よかったわ。()()()()()()()()()


「『漆黒の劫火(ダーク・インフェルノ)』」


 魔法を唱える声が響く。

 火竜の体が一気に黒い炎に包まれる。

 腐食の炎で塵ひとつ残さず喰らい尽くす『闇』魔法の大技だ。

 炎といっても熱くはないが、その凄まじい威力にアリシアは後退る。

 

「アリシアッ!」

 横から伸びてきた腕が、アリシアを強く抱きしめた。一瞬身を硬くしたが、見知った声と温もりに、体の力が抜けた。


「お疲れさま、レイフ。討伐は終わったの?」

「全部たたき落としたから、あとは任せてきた。飛竜が出たって聞いて、あわてて来たんだけど」

 レイフは、アリシアの顔をのぞきこむ。

「けがは? 痛いところはないの?」

「右手くらいかしら」

 風圧で飛んできた石が当たったのだろう。魔法を展開するために差し出していた右の手のひらがずきずきする。

「見せて」

 レイフに見えるよう差し出した右手を、そっととられる。ぽうと右手が温かくなり、見る間に傷が消えていった。


(『治癒』魔法……)


「ありがとう」

 

 『治癒』魔法は『回復』と違い、傷を負った人間の魔力を使わず、魔法を行使するものの魔力で体を癒す魔法だ。本人の魔力を使えば、魔力が持たずに死んでしまうような重症者に使われる。


(こんな傷くらいで使うようなものじゃないのに)


「ほかには?」

「ないわ。大丈夫」

「なら、いいけど」


 すでに鱗だけになりつつある火竜に、ようやくレイフは視線を向ける。


「これ、誰がやったの?」

 にこりと笑って答えないアリシアに、レイフは目を細める。横に控えている騎士に鋭い目を向けた。


「ロイド、報告」

「ハッ、夫人が魔法にて倒しました!」

「どうやって?」

「……申し訳ありません。それは、わたしにもよく」

「アリシア?」

「ロイド卿、わたしの騎獣を探してきてくれないかしら?」

「ーー承知いたしました」


 頭を下げて離れていくロイドを見送ってから、アリシアは離れた場所から呆然とこちらを眺めて立ち尽くす討伐隊に声をかける。


「ザガリー隊長、わたしは先に戻らせていただきます。後始末はお願いしても?」

「それは、もちろん……」

 がっしりとアリシアを抱きしめて離さないレイフとアリシアの間を視線が激しく動く。

「あの、アリシア嬢は冒険者なのですよね」

「ええ。わたしは冒険者です」


 そうしておかないと、いろいろ困る人たちが出てくるのだ。ここにいたのは、冒険者のアリシア。子爵夫人なんて、ここにはいなかった。だが、ザガリー隊長は、別の解釈をしたかも知れない。そう、たとえば愛人とか。


(子爵夫人が火竜を討伐するよりも、平民の冒険者の愛人のほうが、まだ常識の範疇よね)


 レイフもザガリー隊長の誤解を察したのだろう。不機嫌に眉が寄っている。だが、アリシアの意をくんで、口は出さなかった。


「レイフ、領都まで戻りたいんだけど、一緒に騎獣に乗せてくれる?」


 アリシアの不在がおおやけになって、騒ぎになる前に戻りたい。『アリシアは竜に怯えて寝間に閉じこもっている』ことにしておくよう、ラウラには手紙を残してある。


「もちろん送るよ」

 ひょいとアリシアの体を持ちあげて、騎獣の背に乗せると、レイフも騎獣上に身を躍らせる。アリシアを後ろから支える形だ。


「目を離すとなにをやらかすかわからないからね、おれの奥さんは」

 誰にも聞こえないように耳元で囁かれた声に、アリシアは身をすくめた。


 レイフが騎獣の首を領都へとめぐらせる。並足で駆けさせていると、討伐隊はすぐに見えなくなった。


「……レイフ、怒っているの?」

 黙り込んだままのレイフに、アリシアは視線を向けた。レイフはくしゃくしゃと髪をかきあげると、ぷいと横を向く。

「領都に置いておけば安全だなんて、甘いことを考えた自分に腹が立つだけ。アリシアは気にしなくていいよ」

「それは、レイフのせいじゃないでしょう?」

「おれのせいだよ。最初からわがまま言わず、おれだけでくればよかった」

「辺境に一緒に行くって言ったのも、領都で待っているって決めたのも、わたしだわ」

「知ってる。それでも、君が危ないときに、そばにいなかったなんて、自分が許せない」

「……勝算はあったわよ?」

「たからって、怖くなかったわけじゃないだろう?」


(そうね。怖かったわ。自分の命も、それ以外の命も、わたしにかかっていたんだもの)


 逃げることは、できなかった。勝算はあったけれど、絶対じゃなかった。圧倒的強者に狙われて、なにも思わないほど鈍くはない。ひるむ心を、震えそうになる体を、必死に奮い立たせていたのだ。

 誰にも気づかせない自信はあったのに。


「レイフは、わたしを、怒らないのね」

 ぽつりと言葉がこぼれ落ちた。

「どうして、おれが、君を怒るの」

「わたしが、わざと自分の身を危険にさらしたから」

「本音をいえば、誰が死んでも、なにを犠牲にしても、君には安全でいてほしいけど。でも、アリシアがそれを望まないなら」


 君の好きにしていい、と言い切るレイフに、アリシアは目をみはった。


「おれが不安にならないために、アリシアに安全でいろなんて言わない。君が幸せになれない選択をする必要もない。君がこの世からいなくなったのなら、この首をかき切ればいいだけだから」


 アリシアの髪に、レイフのくちづけが落ちた。


「それでもーー君が無事でよかった」


 吐息のように落とされた言葉に、胸の奥をぎゅっと掴まれたような感じがした。抱きしめてくる両腕が熱くてたまらない。

 アリシアはいそいで違う話題を探した。


「あ、あのね。わたしの魔法なんだけど」

「うん?」

「わたしの魔法適性は『水』ともうひとつ、『空間』なの」

「空間?」

 レイフが問い返す。

「ええと、マジックバッグってあるでしょう? 異空間にいろいろしまえるやつ」

「ああ、あれ」

「そう、あれ。あれを任意の場所に、任意の大きさで出せるの」

 後ろで首をかしげる気配がした。

「ごめん。よくわからない。それで、どうやって火竜を倒せるって?」

「この『空間』には法則があって、生きているものは絶対に入れられないし、生きていないものなら、なんだってしまって取り出せるのよね」


 仕組みはよくわからない。『暁月の塔』の皆で調べてもわからなかった。わかったのは、その法則だけ。『空間』が、なにを生きていると判定するかの実験は、かなりスプラッタだったので、あまり思い出したくはない。


「だから、竜の前に『空間』を展開すれば、竜は絶対にその先に進めないし、『空間』にしまっておいた魔法は、取り出し放題なの」

 少しだけ考えるような間があり、言葉が返ってくる。

「『空間』は、生き物には絶対に越せない防御の壁になるし、その防御壁から直接、魔法を放てるってことか」

「やっぱりレイフって頭がいいわ」


 前世の知識があっても、すぐには理解できるような話ではない。

 火竜を倒すのに、外側からが無理なら、内側から削ればいい。普通の魔法なら、竜が口を開けているところを狙う必要があり、精度とタイミングが要求されるが、『空間』魔法を咥えていてくれるなら、百発百中。外れることなく、打ち放題だ。なんなら、竜の体の内側に『空間』を出現させてもよかった。


「ほめてくれて、ありがとう」

「塔のみんなが出かける前に、魔法をいっぱい仕込んでくれたのよね」

「ああ、あの時か」


 レイフと一緒に辺境に行くことを塔に知らせたら、すぐに呼び出されて、『空間』にいろいろ放り込まれた。今のところ、容量不足で困ったことはないが、どれだけ詰め込むんだと呆れたものだ。

 それでも、そのおかげで今回、火竜を倒せたのだから、感謝しなければいけない。辺境から帰るときは、お土産を買っていこう。


「だいたい、わかったよ。彼らの魔法に助けられたな。なにか土産を買っていくか」


 後ろから聞こえた呟きに、思わずアリシアは笑ってしまう。

「笑うところじゃないと思うけど」

「気が合うなと思って。わたしも同じことを考えたの」

 体の力を抜いてレイフの胸にもたれる。その温もりに、ほっと息がもれた。

「駆けつけてきてくれて、ありがとう。とても嬉しかったわ」

 笑顔で振り返って見上げる。

 レイフもやっと気が緩んだのか、いつもの顔で微笑んだ。


「お疲れさま。よくがんばったね、アリシア」


 労いの言葉に、アリシアは満面の笑みを浮かべた。そう、アリシアはとてもがんばったのだ。

 頬にあてられたレイフの手が温かい。その温かさが気持ちよくて、頬を擦りよせた。

 やさしく上を向かされ、視界に青緑の瞳が広がる。目を閉じると、額にやわらかいものがふれた。



 ◇◇◇



「はい、お土産です」と、かわいらしく笑うアリシアに、火竜のお肉や鱗を渡されて、『暁月の塔』の面々が愕然として頭を抱えたのは、後日の話。


以下、設定です。

ほんとうに興味のある方だけ、お読みください。

こんなことを知らなくても、物語はちゃんと楽しめます。












おけ?


魔法で、『付与』『鑑別』『隠蔽』『水』『火』などと呼んでいるのは、煩雑さをなくし、会話を成立させるためです。

猫を見るたびに、チャトラ、黒、縞、シャムなどと言っていられませんので、「猫」がいると言いますよね。

魔法も同じで、個別性が高すぎるために説明しきれず、同意可をするために、作用機序など知ったこっちゃない、結局同じような効果を持っているなら、まとめて「そう」呼んじゃえ、をしています。

エノクの『鑑別』と他の人の『鑑別』は、魔法としては、まったく別のものです。


ただし、アリシアの『火』魔法は姉の『火』魔法だし、『付与』魔法はコーディの『付与』魔法です。莫大な魔力と、前世を含めた膨大な知識で、どうやって魔法が出現しているかを解析し、模倣しているからです。

だから、ランドルフは、異世界の知識を根本的に持たない研究員たちを「回路が潰れる」と脅してやめさせています。


さて、そういう『効果は同じだが違う』魔法とは別に、個別性が強すぎて同じモノがない、という魔法があります。その個人が作り出し、その個人にしか扱えない、固有魔法。

それが、『メテオライト』『ゲヘナフレイア』『漆黒の劫火(ダーク・インフェルノ)』です。


名前がないと、魔法自体が存在できないため、いちいちイメージして、「こんな感じ?」を毎回することになります。アリシアが火竜に使っていたのは、こちらです。名前がないから、形が決まっておらず、自由度は高いが、効果は一定しない。

しかし、戦いの中では、自由度は不安定さであり、好ましくありません。魔法の効果を固定するために、名付けを行います。


カタカナと漢字の違いは、もちろんレイフの前世の知識によるものですが、レイフがわざと日本語にしているのは、名付けにおける情報量の圧縮率の違いです。『メ』と『漆』に込められるイメージと情報量の差をご覧ください。日本語って、素晴らしいですよね。

私はこういう言葉遊びが大好きなので、自分が日本人でよかったと、つくづく思います。


さて、このような魔法理論体系において、アリシアの『空間』魔法が、唯一無二規格外、どれだけ異様であるか、おわかりいただけるかと思います。

アリシアの『空間』魔法は、そういうもの、です。アリシアが作り出した魔法ではなく、初めからそこにあったものなのです。



長く長くなりましたが、この世界の魔法講義でした。




で、誰がついてきてくれているんでしょうか、これ。作者得以外の何物でもないですよね。嫌ならやめます。消します。教えてください。

よろしくお願いします。

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