7. 子爵夫人アリシアの場合(1)
「なにとぞ、なにとぞ伏してお願いいたします、レイフ様!」
家令に懇願されてアリシアが応接室に行くと、見たことのない男が床に額をすりつけていた。
(ええと、どういう状況?)
レイフはソファに座り、頬杖をついている。その機嫌が悪いのは一目で見てとれた。
内心首をかしげながら、レイフの隣に腰かける。アリシアがあらわれても、土下座はとけない。
「なにがあったの?」
「アリシアは知らなくていいよ」
「レイフ?」
連絡、報告、相談を求めるアリシアが声を低くすると、レイフは一息ついてから、仕方なさそうに口にする。
「魔獣討伐の依頼を断っただけだよ」
(それ、断ったらダメなやつよね)
「どうして断ったの?」
「アリシアと一週間も離れるわけないでしょ?」
「わたしが問題なの?」
こてりと首をかしげるアリシアを、レイフは横からぎゅうぎゅうと抱きしめる。
「ああ、かわいい。アリシアと一週間も離れるなんて無理。辺境なんて行きたくない」
(ああ、そういう理由なのね……)
アリシアの目が遠くなる。
土下座から思わず顔をあげた、使者であろう騎士は、初めて目にするレイフの溺愛ぶりに、ポカンとした間抜け顔をさらしている。
限界まで見開かれた目が、アリシアとぱちりと合った。
「見るな。アリシアが減る。いっそ殺そうかな」
「減らないわよ。そして、殺さないで」
さっくりとレイフを封じてから、見慣れない騎士にむけて表情をやわらげる。
「どちらのご家中の方かしら?」
レイフの言葉にあわてて目をふせていた騎士が、さっと片膝をつく礼にあらたまると、深く頭を下げた。
「はッ、ギルフォード辺境伯閣下より遣わされましたロイド・テンフィールと申します。グランテル子爵夫人にお目にかかり、大変光栄でございます」
「丁寧なご挨拶をありがとうございます、ロイド卿。はじめまして。レイフ・グランテルの妻となりましたアリシアです。よろしくお願いいたします」
憮然としているレイフには構わず、貴族らしい挨拶を済ませる。
(ギルフォードは西の辺境。テンフィールといえば、代々仕える騎士爵家じゃなかったかしら)
爵位が下とはいえ、身分持ちの騎士に土下座をさせるとは、なにを考えているのか。
「どうぞ顔をあげて座ってちょうだい、ロイド卿」
「……しかし」
「となりの役立たずについては気にしなくていいわ」
「アリシア、おれは役立たずじゃないけど?」
「討伐に行かないんだから、辺境伯様にとっては役立たずでしょう?」
レイフの抗議をアリシアは軽くいなす。さらに驚きに身じろぐロイドにあらためて席をすすめ、ソファに座らせると事情をたずねる。
「飛竜の群れがでました。まだ確認されただけで、村や町は襲われてはいませんが、時間の問題だと思われます」
武人らしい簡潔で過不足のない説明にアリシアは感心する。使者役に指名されるくらいだ。本来、頭がよく機転がきくひとなのだろう。
アリシアを抱きしめたまま、拗ねたように顔をそらしているレイフを横目で見る。
「レイフが役に立つんですか?」
「もちろんです、夫人。レイフ様の魔法で飛竜を撃ち落としていただければ。地に伏せさせれば、われらでも対処が容易ですから」
空を飛ぶ魔獣はやっかいなのだとロイドが説明する。空中には攻撃が届きにくい。移動範囲も広く、対処が遅れれば、それだけ被害も拡大するという。
(素早い対処にレイフが必要。そして、レイフにはわたしが必要ということね……)
「じゃあ、話は簡単ですね。わたしも辺境に行きます」
レイフの腕がぴくりと動く。
ロイドは驚きに固まり、ややしてからおずおずと言葉を押し出した。
「飛竜が出ているんですが」
「さっき聞きましたわ。問題ありません」
言い切るアリシアの顔を、レイフが横から覗き込む。
「ロイドは、危ないって言ってるんだけど?」
「辺境伯夫人も討伐に出ていらっしゃるの?」
「いや、違うけど」
「じゃあ、夫人と一緒に待っているわよ。それとも、そんなに離れたくないなら、わたしも討伐の現場に行く?」
しばらく黙ってから、レイフがうめくように言う。
「商会の仕事はどうするの?」
「守護石は、王都のご令嬢方にはおおかた行き渡ったから、そろそろ地方に広げようと思っていたの。いい機会だわ」
辺境伯夫人はどんな宝石がお好きかしらね、と、アリシアはロイドに嬉々とたずねる。会話についていけず、「あの、ええと」とロイドは口ごもった。
「わかった! アリシアと離れるのは、ほんとうに、ほんとうに! 嫌だけど! 一人で行ってくるよ」
仕方なさそうに声をあげたレイフに、アリシアは首に横に振った。
「あら、だめよ、レイフ。わたしもちゃんと連れていって」
「アリシア」
咎めるような視線を真っ直ぐ見返す。
「わたし、転移陣が見たいの」
◇◇◇
遠方への転移が行える転移陣は、現在では再現することのできない技術だ。誰が作ったものかもわからず、いま残っているものを使うことしかできない。
残っているのも、わが国の王都近郊にある五つのみ。他国では見つかったとも聞かない。うち四つは東西南北の各辺境近くに繋がっており、一瞬で移動することができるという。そして残りのひとつは、魔力をこめてもどこにも繋がらず、壊れていると言われている。
西の辺境に飛ぶ転移陣は、王都から半日の距離にある神殿のような建物の中にあった。ギルフォード辺境伯から精鋭の騎士が派遣され、厳重に守っている。
転移陣の使用にも、厳格な基準があり、王家か移動先の辺境伯の許可がなければ、近づくこともできない。
アリシアはしげしげと初めて見る転移陣を見つめていた。
学園の教室程度の大きさの部屋の床一面に、複雑な模様が描かれている。
「読めるけど、意味がわからないわ」
こそっとアリシアは、レイフの耳元にささやく。さすがに他の人に聞かれるのは、まずいとわかっている。
「読めるんだ? さすがアリシアだね」
「え? レイフだって読めるでしょう?」
「いや、おれには読めない」
「そうなの?」
(どんな言語も読めるのは、転生者の能力だと思っていたのだけど、違うのかしら?)
「なにが書いてあるか、教えてくれる?」
レイフの問いに、パチパチと瞬きする。魔道具をいくつも作成しているレイフも興味があるのだろう。
「たぶん、これが行き先の指定だと思うわ。西のなんとかって書いてあるの。こっちがこの陣の名前かしらね? 五番目って読める。……ほかはよくわからないわ」
レイフが首を傾げる。読めるのにわかないというのが理解できないようだ。
「ほら、エロイムエッサイムって読めても、それが悪魔を呼び出す呪文だと知らないと、なんのことだかさっぱりわからないでしょう? そういう感じ」
「ああ、なるほど」
レイフの呟きに、アリシアは笑みがもれた。あちらの世界の話が通じるのは、やはり嬉しい。しかも、彼はかなり頭の回転が速く、アリシアの話をすぐに理解してくれる。気兼ねなく話せて、会話していてこれだけ楽しい相手は、彼が初めてだ。
「複製はできそうかな?」
「……無理だと思うわ。これはただの出入り口で、術の本体は違うところにあると思う」
それはアリシアの直感に近いものだが、おそらく間違ってはいまい。
「……トンネルみたいなものか」
アリシアはうなずく。
ここでアリシアたちが見ている陣は、トンネルの出入り口でしかない。それが実際にトンネルのような形かどうかはわからないが、転移を起こす機構はここではないどこかにあるというわけだ。山がどこにあって、そこにどんなトンネルが掘られているかわからなれば、再現はできない。
(ここでも、あそこでもない知識を持つ人がいたのね)
アリシアとレイフがいる以上、違う世界の存在は疑うべくもない。ならば、ここでも、日本があった世界でもない、違う世界もまた存在しているはずだ。おそらくは、転移は、その知らない世界にあった知識と技術なのだろう。
「準備ができました。転移します」
ロイドの声かけに、意識を今にもどす。知らずアリシアはレイフに身を寄せた。理論のわからない、知らない技術は少し怖い。
レイフは目を見張ってから、やわらかく微笑んで、アリシアをぎゅっと抱き寄せる。その腕の強さに、アリシアの体からほっと力が抜けた。
「目を閉じているといいよ。慣れないと酔うかもしれないから」
「わかったわ」
頭の上からかけられるやさしい声に応えて、アリシアは目をおとなしく閉じた。