6. 『暁月の塔』ランドルフの場合
「魔法で火を生み出すってどういうことか、考えたことがあります?」
案内人であるプレストンに連れられ、塔を訪れたお嬢さんが宣った。ここは『暁月の塔』。魔法を研究することに命をかけた変人どもの集まりだ。
(いやいや、ここは、そんなことを考えているやつらばっかりだけどな?)
ランドルフは、内心ため息をつく。おかげでなにかとトラブルも多い。ランドルフがここの主座を勤めているのも、なにかあったとき、物理でやつらを黙らせることができるからだ。そしてその後始末を昔の権威でもって丸くおさめることを期待されている。
確かこのお嬢さんは、『付与』魔法を習いたいと言ったのだったか。
適性がなければ扱えない魔法を習うとは、どういうことなのか。
『付与魔法を学びにきました。よろしくお願いいたします』
そう述べて丁寧に膝折礼を披露した少女を、研究員のひとりが「これだから素人は」と鼻で笑ったとたんに、返ってきたのが、最初の問いかけだ。
「はあ?」
「だから、魔法で火を出すには、なにがいるのかって聞いているんですけど?」
まだ小さい体を精一杯そらして、ぷんと言い放つ。紫の瞳が挑戦的にきらめく。
ランドルフには、少女がなにを言っているのかわからない。塔の主座とはいえ、魔法にはそれほど詳しくないのだ。
「魔力と適性だ」
答える研究員に、少女は指を一本立てた。
「そう、まずは魔力ですよね。原材料がないと話にならない。でも、そのあとは? 水と火ではなにが違うの? 元はすべて同じ魔力なのに」
「だから、適性が必要なのだ!」
「適性ってなんです?」
鋭く切り返された少女の問いに、答えるものはない。
「使えないわ」
侮蔑もあらわに切って捨てた少女に、研究員たちが一斉に色めき立つ。
「ここなら、『暁月の塔』なら、使えない魔法を使える方法があると思ったのに」
幼い少女が悔しさを隠そうともしない様子に、とまどったように視線を交わしあう。その様子をプレストンが楽しそうにながめている。
「お嬢ちゃん」
「はい」
「『暁月の塔』主座、ランドルフだ」
「王国の高貴なる強き光、ランドルフ殿下にご挨拶申し上げます」
綺麗な膝折礼を返す少女に、手を振って頭を上げさせる。
「礼はいい。おれはもう継承権を放棄している。ふつうに喋ってくれ」
「かしこまりました」
「それで? お嬢ちゃんは、適性のない魔法を使えると?」
「はい、使えます」
「どうして、そう考えた?」
「火の適性のないわたしが、『火』魔法を使えるからです」
その返答に、研究員全員がざわりとした。ランドルフは目を細めて、少女を見る。少女はランドルフから視線をそらさなかった。
「わたしの姉は火の適性を持っています。姉が火を操っているのを何度も見ました。そうやって、『火』魔法の扱い方を覚えたんです。でも、わたしには火の適性がないから」
少女の手のひらに小さな火がともって、すぐ消えた。一気にあふれでた汗が、少女の顔からぽたりと垂れる。
「この程度の火しか生み出せません」
(いやいやいや、おかしいって!)
研究員たちの心の叫びが聞こえた気がした。いままでの魔法の常識をくつがえす少女を見つめる。顔色が悪い。
「いまの火だけで、わたしの魔力の九割を持っていかれました。適性のない魔法は使えないんじゃない。実現にいたるだけの変換ができないから、発動しないだけです」
ランドルフは、自分の顎をなでる。
「つまり、変換効率ということか?」
「まあ、さすがランドルフ様でいらっしゃいますね」
ぱちんと両手を合わせて、嬉しそうに少女は微笑む。
「わたしは、なにか魔力を魔法に変換する回路があるのだと思いました。それは生まれ持ったもので、適性といわれればそうなのでしょう。でも、わたしが火を使えたように、回路がないからといって、魔法が使えないわけではない。きっとなにか方法があるはずです。回路を新しく作るか、回路がなくても変換効率をあげるか、そんな方法がきっと」
少女は、紫の瞳で真っ直ぐにランドルフを見つめる。
「だから、わたしはここに来たんです。わたしに『付与』魔法を見せてください」
「コーディ卿」
ランドルフに名前を呼ばれて、若手の研究員がびくんと身を固めた。この塔で『付与』魔法が使えるのは、コーディだけだ。
「『付与』魔法を見せてやれ。ーーープレストン卿はおれの部屋まで来い」
◇◇◇
「あんな化け物、どこで見つけてきた」
「八歳のかわいらしいお嬢さんを化け物だなんて。嫌われてしまいますよ、団長」
「どこが八歳だ。それに、おれはもう団長じゃねえ」
「これは失礼いたしました、元騎士団団長」
プレストンとは王立騎士団のときからの付き合いだ。脳筋の多い騎士団にあって、書類仕事もできた珍しいタイプで、騎士団を退団し、『暁月の塔』の主座を押し付けられたときに、一緒に塔までついてきた。
「彼女は、トライト小伯爵の妹ですよ」
「あの、鬼才のか」
一線から引いたとはいえ、貴族のあれこれは立場上、耳に入ってくる。
トライト小伯爵といえば、領地経営に突出した才を発揮しているとして有名だ。彼が領地経営に助言をし、トライト伯爵領は瞬く間に発展した。
その小伯爵の妹となれば、一筋縄ではいかないのも当たり前かもしれない。
ガシガシと頭をかくと、ランドルフは愚痴った。
「トライト伯爵にまともなこどもはいねぇのかよ」
「もうひとりの妹さんはふつうだとうかがいましたがね」
プレストンが一度言葉を区切ってからつづけた。
「小伯爵が言うには、アリシア嬢は、おそらく界渡りだろうと」
「界渡りだとう!?」
この世界には、ときどき違う世界の記憶を持った人間があらわれる。彼らは界渡りと呼ばれ、その記憶は有用なものが多く、彼らが現れた国はその時代、大きく発展をとげるとされている。
だからこそ、界渡りを識る一部の権力者は界渡りを見つけると庇護下に置き、囲い込もうとしてきた。その一方、利用できない界渡りは他国に渡さないよう始末されてきた闇の歴史もある。
「トライト小伯爵からの伝言です。妹をよろしく、と」
ランドルフに頼むということは、この国の王家に妹を渡す気はないということだろう。
ランドルフは、先王の弟にあたるが、すでに王位継承権を放棄し、今の王家とは一線を画している。さらに元騎士団団長の経歴をもつ、現『暁月の塔』の主座であり、その権威と権力は、今の王家に物申すだけのものを有している。
とくに『暁月の塔』は、王国以外の国からも援助を受けた独立機関であり、塔に属する研究員は王国民であっても王家の命令に絶対服従ではない。
「あー、今の王家は信用ならねぇってことだな。まあ、気持ちはわからんでもない」
(我が甥ながら、いろいろやらかしているからな)
紫の瞳を持つ少女を、『暁月の塔』所属の研究員とする契約書と、証明書代わりになる腕輪をポイっとプレストンに投げた。
「おまえが連れてきたんだ。責任もって面倒みろよ」
ランドルフが自室を出ると、コーディが死んだように机につっぷしていた。その横で、お嬢ちゃんが、術式が付与された何枚もの紙を眺めて、にこにこと笑っている。
(あー、これは、だいぶ魔力を削られたな)
プレストンに話しかけられ、小動物のようにコクコクと頷く様子は、塔の変人どもを相手に啖呵を切った同一人物とは思えない。
塔に属する契約書をじっくり読んでから、少女は手早くサインをした。プレストンが腕輪を渡すと、一瞬驚いた顔をしてから、嬉しそうにはにかんだ。そして、プレストンに連れられて、意気揚々と帰っていく。
その後、研究員たちが、お嬢ちゃんがいうところの『回路』の研究に一心に取り組み、魔力を魔法に変換する人体機能の一部が解明されたのだった。
また、適性のない魔法を繰り出す研究も、『暁月の塔』の研究員たちの間でいっときはやったものの。
「やめとけ。あれはお嬢の莫大な魔力だからこそできることだ。下手すると今ある回路ごとやられるぞ」
結局わかったのは、適性のない魔法を使うには、魔力でゴリ押しするしかないということで。
剣技もさることながら、その豊富な魔力で知られた元王立騎士団団長ランドルフの言葉に、適性のない魔法を繰り出そうムーブは収束を迎えたのだった。
◇◇◇
アリシアが婚約を結んだ相手をプレストンから聞いて、ランドルフは、「マジか」と呟いた。
辺境における魔獣討伐の立役者、レイフ・グラント。会ったことはないが、いろいろ話には聞いている。
「最悪だな」
「気に入りませんか?」
「あのセオドア・トライトがお嬢の相手に選んだのが、あのレイフ・グラントだぞ。裏がないわけ、あるか」
鬼才セオドア・トライトと、魔獣討伐の英雄レイフ・グラントに、もれなく西の辺境伯つきだ。アリシアに下手に手を出そうものなら、それらがすべて敵にまわる。
しかもレイフ・グラントは多くの魔道具を考案し、その権利を一手に握っている。軍におろされている魔道具もいくつかあったはずだ。
王家がアリシアの界渡りに気付いても、そうそう手をだせる存在ではなくなった。
「セオドアは国が乱れると、自領に影響がおよぶから、大人しくしているだけだ。お嬢を狙って王家がうるさくなるなら、王の首をすげかえればいいと思ってるだろうぜ」
その新しい首も、あらかじめ当たりをつけているに違いない。だからこその、この配置。確かセオドアの妻は王家の血が濃い公爵家の出だったはずだ。
(仕方がねえ。兄上に釘を刺しておくか)
八歳からの九年間で、アリシアはすっかりみんなの娘、もしくは妹と化している。ランドルフにとっても、もはや孫のような存在だ。
この九年で伯爵位を継いだセオドア、子爵に叙されたレイフ、さらにその向こうにちらつく西の辺境伯、そして『暁月の塔』。
過剰戦力すぎて、もう誰もアリシアに手を出せるとは思えない。
「お嬢を守るためとはいえ、えげつねぇなあ」
セオドア・トライトが敷いてみせた見事な布陣に、ランドルフは大きなため息をついた。
こうして、アリシアが婚約したときもなにかと心労が大きかったというのに、今度は夫について、魔獣が跋扈する辺境に行くと聞いて、塔の研究員たちが大騒ぎをしていた。
アリシアについて辺境にいくと言い出すものが多数。『付与』魔法の師であるコーディは、守護だの、反射だのの魔術式を組み込んだ紙を笑みを浮かべながら、怒涛の勢いで作っている。
ランドルフはガシガシと頭をかくと、研究員たちを怒鳴りつけた。
「戦い慣れしていないお前たちが行っても足手まといだ。大人しくしてろ」
あちこちから、「そんな」とか「横暴だ」とか声があがる。塔の魔法士はあくまで研究者であって、戦闘で魔法をぶっ放す魔法騎士ではないのだ。
ランドルフは研究員たちを睨みつけた。
「足手まといだって言ってるだろうが。お嬢がお前たちをかばって、けがしたらどうする?」
シンとなった室内に、ランドルフの声が響く。
「あいつには、規格度外視の唯一無二の魔法があるんだ。死にゃあしねぇよ」
ポンと研究員たちが、あちこちで手をたたく音が響いた。アリシアの魔法の本当の恐ろしさは、適正のない魔法すら発現させる膨大な魔力量ではないことを、『暁月の塔』の研究員たちは知っている。
「気になるなら、辺境に行く前にお嬢を呼んで、いろいろ魔法をぶちこんどけ」
さっそく『伝令』魔法が得意なものがグランテル子爵邸に向けて、伝言を飛ばす。
(だいたい、あのお嬢が、夫の後ろに隠れて大人しくしてるわけがねぇだろうが)
万が一に備えて、ランドルフたちはできる限りの土産を渡しておくだけた。
貴族の妻になっても、ちっとも大人しくしていないアリシアは、伝言を聞いてすぐにやってくるだろう。夫になった青年を連れて。
アリシアがいったいどういう男を夫に選んだのか。
アリシアを心底大事にしていると聞くレイフ・グラント、今はグランテル子爵に会うのが、ランドルフは楽しみだった。
【本編に書けなかった、こぼれ話】
レイフの意向で、婚姻式はごく身内のみで、グランテル子爵領で行われました。屋敷ではなく、領地のそういう施設です。アリシア以外は、家に入れない所存。使用人は眼中外。
披露宴もそこで簡単に済ませました。身内にはレイフから事前に「純白に着飾ったアリシアを身内以外に見せたくない」との旨が通達されています。
セオドア兄は、面白そうに二人を眺めています。アリシアがよければ、兄に文句はありません。
前世持ちアリシアは、「披露宴? 参加する人数×労力×無駄金、よね」です。少人数大歓迎。
なので、ランドルフはレイフに会っていません。
ミルドレット嬢はアリシアから無理やり招待状をもぎ取っての参加です。女性なのでレイフから許可が出ました。