4. 侯爵令嬢ミルドレットの場合
「不躾なお願いで申し訳ないのですが、広告塔をお願いできないでしょうか」
学園の廊下を歩いているときにかけられた声に、ミルドレットは緑の目を細めた。
「トライト伯爵の次女、アリシアと申します。ネヴェルス侯爵令嬢ミルドレット様にご挨拶申し上げます」
アリシアと名乗った女性は、軸のぶれない膝折礼で頭を低くする。礼儀をまったく知らないわけではないようだと、ミルドレットは考えた。
(だけど、声かけの順番が間違っているわ)
ふつうは挨拶してから、用件だろう。
広げた扇を口元にあてて、さらに考える。
ここは、十四歳と十五歳の貴族の子息や令嬢と、特例で認められた平民が通う王立の学園。貴族は入学前にきちんと躾けられているから、そうそう礼儀を外れることはないはずなのだが。
学園はデビュタント前の子どもが社交を学ぶ場でもある。多少の無礼は、大目に見るべきだろう。
頭を下げつづけるアリシアに、顔をあげるように告げる。すっと優雅にあげられた顔をしげしげと眺めた。
容姿は上の下といったところ。特徴的なのは、その紫の目か。意志の強さをあらわすかのように煌めいている。
「魔術科だったかしら」
学年はひとつ下。伯爵家令嬢であるにもかかわらず、淑女科ではなく、魔術科に属する変わり者。学園に入学する前から、商会の仕事に携わっていると噂され、学園内では皆に距離を置かれている。
「ええ、そうです」
ただの肯定にまた心のうちで驚く。ふつう、ここは「よくご存知ですね」とか「お見知りおきいただき光栄です」と返すところだ。ミルドレットは、アリシアより爵位が上なのだから。
「話にならないわ。礼儀を学びなおしてから、いらっしゃって」
パチリと扇を閉じると、あっちへ行けというようにふる。その様子に臆することなく、アリシアは微笑を浮かべた。
「さすがは、ネヴェルス侯爵令嬢様でいらっしゃいますわ。そのような誇り高い方にこそ、こちらを身にまとっていただきたいのです」
差し出された箱には、シンプルなデザインの髪飾りがおさまっている。ミルドレットの目の色に合わせたのか、小さな緑柱石がついていた。
「広告塔といったわね? このような貧相なものを、わたくしに付けろと?」
侮蔑もあらわに視線を鋭くすると、アリシアはにっこりと微笑んだ。
「普段使いを想定して、装飾を抑えています。これは、いつも身につけていただかなくては、意味のないものですから」
(いつも身につけないと、意味がない? どういうこと?)
ミルドレットが視線だけで「説明しなさい」と示すも、アリシアは微笑んだままだ。あなどっているわけではなさそうなのに、こちらの意を察しながらも、その通りに動かない。
(これは、わかってやっているわね)
最初の声かけから、すべて計算づく。ミルドレットの性格でさえ読んでのことだとしたら。
(面白いわ)
アリシアという人間に興味がわいた。
わざと、にこりと笑みを浮かべる。ミルドレットの弧をえがいた目に、アリシアは肩をすくめた。
「残念ですわ。無礼者と扇を投げつけていただきたかったのに」
そのあまりの言い草に、さすがにミルドレットのこめかみがひくりと震える。
「今からでも、投げてあげましょうか?」
「! ぜひ! ぜひ、お願いいたします!」
自分に向けて扇を投げろと目を輝かせるアリシアに、若干ひきながら、ぽいっと勢いはつけずに、手にした扇をアリシアに向かって投げた。
アリシアの体にあたって落ちるはずの扇が、その手前でパチっと小さな音を立てて床に落ちる。
ミルドレットは、目を見開く。いったい何が起きたのか。
アリシアがミルクティ色の髪をこれみよがしにかきあげると、さらりと耳にかける。青い石の耳飾りが見えた。
「守護石といいます。石に『守護』魔術を組み込みました。不意の事故や攻撃から身を守ってくれます」
(あんな小さな青玉に?)
魔術は魔法と違い、学べば誰でも使える技術だ。もちろん、発動するのに魔力が必要だし、術の組み方にはセンスや才能が問われる。複雑な術ほど、術式が長くなるからだ。
そして、組んだ術式を別のものに組み込むには、『付与』と呼ばれる特殊な魔法が必要になる。発動条件が複雑な『守護』魔術をこんな小さな石に組み込むとは、かなりの『付与』魔法の才能を持っているといっていいだろう。
「それは、画期的ね」
驚きを押し隠し告げたミルドレットに、アリシアがうなずく。
「ずいぶん苦労しました」
「あなたが作ったの?」
「わがエノク商会の新製品です」
営業スマイルの見本のような笑みで、アリシアが答える。
(そういうことを言うから、金儲けしか頭にないと陰口をたたかれるのよ)
噂の真相がわかった気がする。
いままでの会話から、目的のためには手段を選ばない性格であるのはよくわかった。そして、自分自身への評価にはまったく頓着していないことも。
ふいにアリシアが笑みを消して、真顔に戻る。
「できるだけ多くの令嬢方に使っていただきたいのです。最初の攻撃さえ防げれば、逃げることも、戦うこともできますから」
「普通、令嬢は自分では戦わないわよ。ーーーでも、その通りね」
アリシアの言うことは正しい。
だけど、まだ手はださない。
アリシアが示した以外の効果がないとは限らないから。例えば、毒とか、呪いとか。
「なぜ、これをわたくしに?」
「立場の弱い方こそ、身を守る術が必要ですから」
「あなた、ほんとうに失礼ね」
ミルドレットは、心底あきれたと表情を浮かべる。
侯爵家であるネヴェルス家の令嬢をつかまえて、立場が弱いと言い放つのは、この女くらいだろう。この場で、頬を打たれても文句は言えない。
現に、斜め後ろに控えている侍女から、ひしひしとした怒りを感じる。
それに臆することなく、アリシアは今までの凛とした様子が嘘のように、はにかんだ笑みを浮かべた。
「あの、それに、もうすぐお誕生日だとうかがいました。わたし、ご令嬢の方に誕生日の贈り物をするのは初めてなんです。受け取っていただけたら、嬉しいです」
おもねるとか、こびへつらうとか、機嫌をうかがうとか。高位貴族であればあるほど、もらう贈り物には、なにか別の意味がこめられているものだ。
それなのに。
広告塔だと宣言したくせに、ただ誕生日を祝うように照れるから。
「いいわ、もらってあげる。使うかどうかは、わからないけれど」
手を振って、そばに控えていた侍女に受け取らせる。信頼できる鑑定士に鑑定させるまでは、身につけるわけにはいかない。
「ご厚情に感謝いたします」
指の先、髪の先まで、ぴんと張りつめ、最大限の敬意を持ってなされた礼に、知らず息をつめる。これほどの膝折礼ができる令嬢がこの学園に何人いることか。
頭を下げつづけるアリシアには構わず、ミルドレッドは踵を返した。
それ以来、ミルドレッドは、卒業までの間、ときどき昼休みにアリシアを呼び出しては、昼食を一緒にさせた。アリシアはなぜ呼び出されたかわからないという顔をしていたが、彼女がミルドレットの庇護下にいることを示すのに、ちょうどよかったのだ。
これで、アリシアに直接手を出そうという輩は激減したに違いない。まあ、陰口くらいは仕方がない。貴族の約束ごとを守っていないのは、彼女なのだから。
「ミルドレット様。守護石のご注文であれば、エノク商会にお申し付けください」
唇を尖らせて、かわいい後輩が文句を言う。
「嫌よ。あなたが最初に売り込んできたのよ? 最後まで責任持ちなさい」
ミルドレットの言葉にアリシアは肩をすくめてから、「売るのはわたしの仕事じゃないのに」とため息をつく。
「来週のお休みは空いていて? よければ、我が家へいらっしゃい。わたくしがいちから躾なおしてさしあげるわ」
「それはご遠慮申し上げます」
侯爵家に招かれたとなれば、誰もが目の色を変えて喜ぶものなのだが。仕事が忙しいと断るアリシアに、ミルドレットは小さな笑いをこぼした。
暴走した馬車に巻き込まれたミルドレットが無傷でいられたのは、余談に過ぎない。それが、ミルドレットを狙ったものだったのかどうかも、瑣末なことだ。
ただ、ミルドレットの卒業を飾る宝石をエノク商会にあつらえさせることで、守護石とエノク商会の名は一気に社交界に広がった。
守護石を見出し広めた令嬢として、ミルドレットの名もまた、高まったのである。
◇◇◇
アリシアとの印象深い出会いを思い出しながら、目の前で進行する式をミルドレットは眺めていた。
いまは純白のドレスをまとったアリシアが、父であるトライト伯爵にエスコートされ、祭壇の前で待つ男のところへ近づいているところだ。
このあと、誓いの言葉と婚姻の署名をもって式は終了となる。
まさか、アリシアがこんなに早く結婚するとは思わなかった。下手をすれば、一生どこにも嫁がす、商会の仕事に没頭するのではないかと思っていたのに。
いま、まさに、トライト伯爵から渡されたアリシアの手を満面の笑みでうやうやしく受け取った男に目を細める。
グラント侯爵家の次男。数ヶ月におよぶ魔獣討伐の功績により、グランテル子爵に叙されたレイフ・グラント。
王家は爵位とともに、領地も与えようとしたが、すでに王都近郊に土地を持っていることを理由に、それは固辞したと聞いている。そのかわり、かの男が願ったときに、ささやかな願い事を叶えてもらいたいと言ったらしい。いくつかの条件をつけて、王家と宮廷は了承した。
その願い事というのが、今回の支払い差し止めと手出しの禁止だ。差し止め期限は、アリシアとあの男が婚姻するまで。あまりにも前例のない褒賞に、王家を始め、宮廷首脳部は頭を抱えたらしいが、相手は所詮、平民の一商会。潰れようがどうしようが、お偉い貴族たちが気にかけるはずもない。それで褒賞になるならと、強行された。
ミルドレットとしては、いったいなにをしてくれているのかと、歯がみしたい気分だが、王命に逆らえるはずもない。我が侯爵家にも、王家からの指示として、書状が届いている。他言も禁じられていたから、おそらくアリシアはこの経緯を知らないはずだ。
あれで、あの男がアリシアを望んでいることが知れわたった。王命も絡んでいることで、彼女に下手な手出しをするものもいなくなったことだろう。
(囲い込みと牽制と、アリシアの地位向上)
平民に雇われる令嬢と嘲られるアリシアは、社交界であなどられてばかりだ。だが、これで彼女におもねる者もあらわれてくるだろう。とくに、辺境伯に関わるものは、下にも置かない扱いになるに違いない。
たったひとつの手で、いくつもの効果を示してみせた。
レイフ・グラントは社交嫌いで知られているが、貴族らしい根回しができないわけではないことを、あらためて見せつけられた感じだ。
「……気に入らないわ」
ミルドレットは、第二王子妃に内定している。なればこそ、流れてくる情報がある。
王家のレイフ・グラントへの扱いに、違和感を覚える。余人になしえない功績をあげたとはいえ、男爵を飛び越えて、子爵に陞爵するのは、かなり異例だ。支払い差し止めについても、結局は、彼の意を通した。
(エイリアス殿下の反応もおかしかったわ)
アリシアが、グランテル子爵との婚姻が決まったと話題にしたとき、かすかに第二王子エイリアスの顔がこわばったのだ。
エイリアスとグランテル子爵では、年齢もずいぶん違う。学園でも学年は重なっておらず、ほぼ面識はないはずだ。
(なのに、あの反応はなんだったのかしら?)
王家のこととなれば、慎重に扱わなければならない。下手をうてば、ミルドレット自身の身に跳ね返ってくるだろう。ミルドレットは、ネヴェルス侯爵家の利になるよう最大限動かなければならない。
ミルドレットにとって、アリシアは、とても有用な手駒だ。自分を第二王子妃に押し上げた力のひとつ。そのアリシアを、こんな搦め手で掻っ攫おうとしている男に好意をもてるはずもない。
唯一溜飲を下げるとしたら、肝心のアリシアが怒り狂っていることだろうか。あの娘が商売の邪魔をされて、黙っているはずがないのだから。
「いい気味」
アリシアが、子爵家の妻におさまるような器ではないことは、よくわかっている。今回はしてやられたが、彼女が望むのなら、子爵家という脆弱な籠など、壊してしまって構わないのだ。
「とても楽しみね、レイフ卿。お手並み拝見といこうかしら」
王家を使ってまで囲い込んだアリシアを、あの子爵が御せるかどうか。
ミルドレットは、その結果が出るのを静かに待つことにした。
以下、設定です。興味のある方はどうぞ。
◾️王立学園◾️
各科必修と選択科目制。
午前が必修、午後が選択の専門科目が多い。
寮、奨学金制度あり。
◾️魔術科
魔術の基礎、応用を学ぶ。魔道具の開発、メンテナンスをする職業を目指す。王宮の専門部門が最高峰ではあるが、民間への就職も多い。
◾️淑女科
下位貴族から上位貴族までの女性が所属。
一般的なマナーから、お茶会・夜会の開き方、家政、使用人の使い方など学ぶ。
上位貴族の学問を学び、語学、政治、税政、財政など領地経営科の専門をおさめた女性の中から、王家に嫁ぐ者が選定される。
王子妃教育は卒業後、2年間で行われる。そのため、高位貴族女子の婚姻は下位より遅い。
◾️領地経営科
領地経営を学ぶ。嫡男だけでなく、王宮や各領地の文官を目指すものもここに所属。
王宮の文官は優秀な成績をおさめ、推薦をえて任官試験を受ける。
◾️騎士科
指揮官クラスの養成。
一般兵卒は別に学校がある。
◾️王政◾️
軍事力を背景とした国のまとめ役。トラブル時の調停、救済役。重要なことを決めるときは、各領主を集めて御前会議が開かれる。
各領主は独立した領地経営権をもっている。王家には税と有事の兵役いう形で上納する。
◾️グランテル子爵領◾️
王都から一日ほどの距離にある。没落した元男爵からレイフが買い取った。魔道具工房が多くあり、魔道具の町として有名。
読み書き計算などの基礎を学ぶ職人学校あり。