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3. 商人エノクの場合

「わざわざ来てもらって、申し訳なかったわね」


 ミルクティ色の髪を結い上げたアリシアが、そう声をかけながら入室してくる。ハイネックカラーのシンプルだが、上質な布で作られたとわかるデイドレスがよく似合っていた。実家から侍女は連れて行かないという話だったが、どうやらよい侍女をグランテル子爵はつけてくれたらしい。


 呼ばれて子爵邸を訪れたエノクだったが、訪問にはまだ早かったかもしれない。四日前に婚姻式をあげたばかりのアリシアは、少し疲れているように見えた。


 初めて訪れたグランテル子爵家の応接室で、エノクは軽く頭をさげて立ったまま、人妻となったアリシアを迎えた。アリシアがソファに腰かけたのをみはからって、さらに深く頭をさげる。


「とんでもございません、アリシア様。映えあるグランテル子爵家にお呼びいただきまして光栄にございます」

 つい口にしてから、あわてて言い直す。

「おっと、もうアリシア様と気軽にお呼びするわけにはいきませんな。グランテル子爵様のご夫人になられたのですから」


「それなんだけど」

 頭をあげるようにうながされ、エノクは視線を戻す。その視線の先で、せっかく綺麗に結われている頭をアリシアはがしがしとひっかくと、口を開いた。

「いつもどおりでお願い、エノク会長。商会でいえば、長はあなたで、わたしはただの従業員だわ」

「さすがに、それは。グランテル子爵様が嫌がられませんかな」

 首をひねりながら答えると、頭をかいていたアリシアの手がとまる。天井に視線をむけて少し考えると、あー、と小さくうめいた。


「……夫と相談するわ。それまでは申し訳ないけど、夫人と呼んでちょうだい」

「承知いたしました」


 アリシアにすすめられて、あらためてソファに腰かける。アリシアの入室とともにエノクに出されていた茶器はさげられていたが、数段品質のあがった新しい茶器が、音もたてずにテーブルに置かれた。


(グランテル子爵は、ほんとうによい使用人をお持ちだ)


 しらずエノクの口元に笑みが浮かぶ。

 平民にすぎないエノクに茶が出されたのは、アリシアの配慮によるものだろう。長年、貴族相手に商売をしてきたが、平民に対しここまで差別をしない貴族を、エノクは他に知らない。その意をくんで、きちんと平民であるエノクに茶を出す使用人も。それは、嫁いだばかりのアリシアがちゃんと尊重されているということに他ならない。


(まあ、あの子爵が、アリシア様を尊重しない使用人を許すはずもないが)


「それで、商会のほうはどうなの? 支払いはなんとかなった?」


 アリシアはいつも単刀直入だ。貴族らしい、ほのめかすだけであとは察しろといった会話はいっさいない。

 エノクは持参した鞄から書類を取り出すと、アリシアに差し出した。売上の入金記録と、仕入れ先への支払いの領収書の束だ。


「はい、おかげさまで。グランテル子爵様にもお力添えをいただき、すべて支払ってございます」


 しばらく書類をめくる音だけが響く。

 すべてに目を通すと、アリシアは大きく息を吐き出した。安心したように、にっこりとした笑顔を浮かべる。


「よかった。ほっとしたわ。ずっと気になっていたの」


(ああ、だから、今日呼ばれたのか)


 エノクは、婚姻前に店までやってきた青緑の瞳をもつ青年の顔を思い浮かべながら、今日呼ばれた理由を察した。


「もしかして、夫人。今日、店に来られるつもりでしたかな?」

「そうなの。もう、支払いが気になって、気になって」


 アリシアを店に行かせるよりは、エノクを呼んだほうがいいと考えたのだろう。あの、アリシアを心底大事にしている子爵であれば、うなずける選択だった。


「やっぱり、わたしの婚姻と同時に商品代金の支払いがおこなわれているのね。ーーーいくらなんでも、あからさますぎない? これじゃレイフが絡んでいるって言ってるようなものじゃない」

 ぱさりと書類をテーブルに置きながら、アリシアが口元を歪める。

「……隠すおつもりがないのでしょう」


 アリシアを追いつめた手法といい、とてつもなく頭の切れる青年だ。商売の邪魔をされるのを殊の外厭うアリシアに、嫌われる可能性を考えなかったはずがない。嫌われてもいいから、それでもアリシアを自分のそばに置きたかったのだろう。


 アリシアが作る『守護』魔術を付与した宝石、守護石。それをアクセサリーに加工して売るのが、エノク商会の主力商品だ。アリシアに出会うまでは、ただの宝石商だったが、守護石を売るようになり、一気に商売が広がった。とくに、貴族からの依頼は途切れることなく、品薄で納品まで待っていただくことも出てきていた。それくらい、作れば売れる状態だったのだ。

 ただ、貴族相手の商売は、売掛が基本であり、月ごとや数ヶ月ごとに商品の支払いをいただくことになる。


「支払い期限を設けなかったのは失敗だったわね。貴族には体面があるから、まさか支払いが滞るなんて思わなかったもの」

「そうですな」


 口惜しそうに腕を組むアリシアに、エノクはうなずく。


『払わないわけではない。だが支払いは待ってほしい。』

 そう貴族家に言われたら、商会としては待つしかない。貴族とコトを構えても、いいことはない。

 今回、納品した商品の支払い期限を区切っていなかったことが仇となった。商品を納品した貴族家すべてが支払いを滞らせたのだ。商品の代金は回収できないのに、仕入れ先の支払いはせまってくる。

 仕入れ先は、他の商会など平民相手だ。権力にものをいわせることのできる貴族と違い、平民の商会が支払いを一回でも遅らせれば、あそこはもうだめだと噂になり、すぐに商会が立ち行かなくなっただろう。商人は、信用がすべてなのだ。

 

「どんな手を使ったのかしら」


 グランテル子爵の社交嫌いは有名だし、魔獣討伐の英雄とうたわれていても、中央貴族である侯爵家や公爵家まで圧力をかけられるほどの権力は、ふつうは考えられない。


「辺境伯様からの伝手かしらね」


 魔獣の被害にあうのはいつも辺境の地域であり、グランテル子爵も請われて、辺境での魔獣討伐に何度も参加している。侯爵家の次男でしかない彼が、いきなり子爵に陞爵されたのも、数ヶ月にわたる西の辺境での大規模な魔獣発生での功績によるものだ。

 グランテル子爵が参加するのとしないのでは、生還率に数倍の差が出ると言われている。辺境伯としては、機会があるならば、どれだけでも恩を売りたいだろう。


「ご実家の侯爵家ではないのですか?」


 エノクの問いに、アリシアは少し口籠る。

 子爵に叙されたときに実家からは籍を抜いているはずだが、そう簡単に血族としての関係が切れるわけではない。貴族はなによりも血を重んじる。侯爵家であれば、他の貴族家に圧力をかけることもできない話ではない。


「……婚姻式にレイフのご両親はいらっしゃらなかったの。体調がおもわしくないとかで。お兄様はいらっしゃったんだけどね」


 たぶん、両親との関係がよくないんじゃないかしら、と言いにくそうに呟いたアリシアに、エノクはグランテル子爵が店にきたときのことを思い出した。



 ◇◇◇



「邪魔するよ」


 アリシアの婚姻式の三日前だった。颯爽と店にあらわれた青年にエノクは目を丸くした。それが誰かはすぐにわかった。アリシアから彼に対する呪詛のような愚痴を毎日のように聞いていたからだ。


 『融資の条件がわたしとの婚姻ってどういうことよ!?』と、守護石の納品にきたアリシアがよく叫んでいる。彼女の中では、融資の金額と、アリシアとの婚姻では、条件が釣り合わないらしい。『トライト伯爵家とのつながりがほしいのかしら』と首を傾げてもいた。


 アリシアの実家であるトライト伯爵家は、近年目覚ましい発展を遂げている。その秘訣を知りたがるものも多い。『お兄様がすごいのよ』とアリシアは笑っているが、本当に価値があるのは誰なのか、エノクは知っている。巧妙に隠されたそれに気づき、手に入れようとしていることに、エノクは内心感心していたのだ。


「これは、グランテル子爵様。ようこそ、おいでくださいました」


 融資を楯にアリシアに婚姻をせまる青年を、胸の内でそっと観察する。白銀色の髪に青緑色の瞳。高位貴族出身にふさわしい整った容貌。人当たりのよい柔和な笑みを浮かべているものの、性格は苛烈で容赦がないと聞いている。


 娘とも思えるアリシアを守るためなら、エノクは商会を潰してもよいと思っていたのだ。アリシアにはずいぶん稼がせてもらった。ここらで引退して、田舎でのんびりするつもりだった。

 だが、それを告げようとするたび、アリシアは首を横にふった。


『その先を言ってはだめよ、エノク会長。わたしはあなたが情に流されたりしない根っからの商売人だと思ったから、契約したの。わたしは、少しでも多くの人に守護石を届けたいの。手伝ってくださると言ったわよね?』


 実際、アリシアの守護石にかける情熱はすさまじく、持てる魔力のほとんどを守護石の作成にあてていた。アリシアの意向を受けて、守護石の作成者の名前はあきらかにしていない。世間では、アリシアは、ただの従業員だと思われているのだ。

 平民に雇われる伯爵令嬢と、社交界でひどい評判を立てられているというのに、アリシアはどこ吹く風といった様子で、その悪評を立てている令嬢がこぞって付けている守護石が、自分が作ったものだと明かす気は、さらさらなさそうだった。


「ご用件をお伺いしても?」

「仕事を頼みたい」


 呼びつければすむ平民の商会に、みずから足を運んだグランテル子爵は、応接室のソファに座ると、小さな箱を差し出した。


「この石をそれぞれ指輪に仕立ててくれ」


「拝見いたします」

 慎重に箱を開けると、そこには、紫と青みがかった緑の宝石がならんでいた。

「これは、見事な……」

 小粒ながらも、その深みのある色と透明度は素晴らしいものだ。長年の宝石商のならいとして、自然に魔法が発動された。


(紫水晶と……緑柱石? いや、これは……!)


 思ってもみない結果に、思わず箱の蓋を閉じる。


「……『隠蔽』の魔術をかけておいたんだけど」

 表情は変えないまま、少し低くなった子爵の声に、エノクの背中に冷たい汗が走る。


「申し訳ありません。わたしの『鑑定』魔法は自然発動でして。とくに宝石に関しては、長年多くの石にふれてきたせいか、その、精度がかなりあがっております」


 ふうん、と相槌を打ちながら、子爵は長い指でテーブルを数回たたく。


「まあ、アリシア嬢が君を選ぶだけの理由があるってことだね」


 グランテル子爵は懐から紙片を取り出すと、テーブルの上に滑らせる。

「これ、サイズ表。デザインは常に指にはめていても邪魔にならないシンプルなもので頼む」

「承知いたしました」

「デザインが決まったら、一度見せてほしいな」

「もちろんでございます」

「じゃあ、これは依頼料」

 差し出された小切手の額を見て、ふたたび驚きにつつまれる。

 滞っている商品代金の総額をはるかにこえる額。これがあれば、仕入れの支払いは楽に行える。グランテル子爵からの融資も必要ない。ということは、アリシアが目の前の青年に嫁ぐ理由もなくなるわけだ。


「……なぜ?」


 怒らせても、嫌われるとしても、手元に置きたかったのではないのか。それだけの価値が、アリシアにはある。


 グランテル子爵は、さらりと微笑んだ。

「アリシア嬢が、どうしてもおれとの婚姻が嫌だと言ったら、教えてあげて」


(……逃げる手段をわざわざ……?)


 最後の最後。それでも、まだ間に合う、この絶妙のタイミングで、彼女が逃げられる道を用意する真意がわからない。


「……手離すとおっしゃられる?」

「まさか。また、別の方法で口説くよ」


 エノクは言葉につまる。

 その言い方はまるで。


(アリシア様を想っていらっしゃるかのような……)


 考えたのは、ほんの一瞬。願うのは、すでに娘に等しい存在になっている彼女の幸せだ。


「これは、アリシア様とグランテル子爵様の瞳の色と思ってよろしいのですね」

 エノクがアリシア様と呼んだときに、ぴくりと眉を動かしたけれど、それ以上青年の態度は変わらなかった。

「そこに戻るの? まあ、おれは構わないけど。---その通り。それは、アリシア嬢とおれの色だよ」


(自分の色だと肯定した。では、やはり、この方は……)


 エノクは、胸の中で膨らむ畏れを無理やり抑えつけ、言葉をつづける。


「わたしは、あなた様に殺されますか?」

 グランテル子爵は顔をしかめると、めんどうそうに手をひらひらと振った。


「『隠蔽』をかけているって言っただろう? 君が黙っていればいい話だよ。君を殺したら、おれがアリシア嬢に殺される。それもいいけどね。---なんにしろ、ばれて困るのはおれじゃない」


 エノクは、呆然とその言葉を聞く。

 おそらくは、この秘密が知られれば、何人もの死人が出るに違いないというのに、グランテル子爵は関係ないとばかりに言い放つ。心の底から、アリシア以外どうでもいいと思っているのが伝わってくる。


(しかも、アリシア様になら、殺されてもいいと思っているのか、この方は)


 エノクは内心嘆息する。

 

(やっかいな方に好かれたものだ……)


 逃がしてやりたい気もするが、おそらく無理だろう。ならば、まだ穏当な方法をこの青年が選択しているうちに、向き合わせたほうがいいに違いない。


 グランテル子爵の姿に目をこらす。店に入ってきたときから、見えているソレ。おそらく、鍛えあげた『鑑定』だからこそ、見えるに違いないそれに、もう一度視線をやってから、エノクは、青緑色の瞳をもつ青年に深く深く頭を下げる。


「承知いたしました。必ず、二つとない素晴らしい対の指輪にして、お渡しいたしましょう」


 その言葉にグランテル子爵はしばらくじっと黙り込んでから、よろしく頼むよ、と軽く告げて、また颯爽と店から去っていった。



 ◇◇◇



「エノク会長? どうかしたの?」


 アリシアの問いかけに、ここがグランテル子爵邸であることを思い出す。

 子爵との邂逅を思い出し、少しぼんやりしてしまったらしい。


「いい仕事が入りましたので、これから少し忙しくなると思いましてな」

「あら、そうなの? 商売繁盛でなによりね」


 結局エノクは、グランテル子爵から預かった小切手のことを、アリシアに告げなかった。婚姻とひきかえの条件であった融資として処理した。指輪の加工代は、エノクから二人への結婚祝いだ。


 婚姻が終わっても明るく笑うアリシアに、自分の選択は間違っていなかったと確信する。


 『政略結婚は、貴族の娘の義務だもの。相手がそれでいいっていうなら、わたしに異存はないわ』と、婚姻前は、とぼけたことを言っていたけれど。

 自分の道を自分で切り開く強さをもつアリシアであれば、あの青年ともうまくやっていくだろう。

 

「遅くなりましたが、あらためて。ご結婚、おめでとうございます」


 『鑑定』のかかった目をこらす。

 店にあらわれた青年と同じ。他では見たことのない蒼い輝きをまとうアリシアに向けて寿ぐ。

 祝われて、少し照れたやわらかい笑顔を浮かべる、この可愛らしい女性に。

 青年の想いが少しでも伝わっていることを、エリクは願った。

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