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13. 前世持ちアリシアと闇堕ちレイフの場合(3)

 マヒロが、トライト伯爵家のタウンハウスに現れたのは、夜会の次の日の昼過ぎだった。


「アリシアさん! あー、よかった。緊張した! 違う家だったら、どうしようかって思ったよー」


 グランテル子爵家からの客人が訪れたと言われ、玄関に向かったアリシアはそこで見つけた人影に固まった。


「クロサキさん……。どうして、ここに?」

「えーと、レイフさんに呼ばれたんだけど。わたしの今後のことで話があるからって」


 レイフからマヒロの身の振り方について、兄であるセオドアに相談していることは聞いていたが、その相談の日が今日とは知らなかった。


 レイフは非常に頭が切れる人間なのに、他人に興味があまりないせいか、言葉の選び方が独特で、なにを喋って、なにを黙秘するかの基準も一般常識とは大きく食い違っている。

 結婚して以来、アリシアが気づいたときには、ひとつひとつ指摘をするようにしているが、まだそれも半年では、矯正できたとは言い難い。

 アリシアを困らせる気も、怒らせる気もなく、単純に『なにかを決めるときに、誰かに相談するという発想がない』ということなのは、アリシアが最近気づいたことだ。それが、レイフの今までの孤独をあらわしているようで、気づいたときは少し切なかった。

 そのことを侍女であるラウラに伝えると、『ずれていることに気づいているのに、直さないのはただの傲慢です。奥様が気になさることではありません。』と即答され、返す言葉がなかったのは少し苦い記憶だ。


 そんなことを思い出し、黙り込んだアリシアに、マヒロは首をかしげた。ハーフアップにした黒髪がつるんと揺れる。


「アリシアさん? どうかした?」


「ずいぶん言葉が上手になったのね」


 マヒロはこの一ヶ月でずいぶん王国公用語が上達したようだ。まるで母国語のように言葉を操っている。


「あー、そうねー。いろいろあったからねー」


 遠い目をするマヒロに、アリシアは内心首をかしげた。なにがあったのだろうか。

 遅れてやってきたレイフが、声をかける。


「やっと来たか。遅いよ、クロサキ」

「え、指定時間の通りですよね?」

「少しは気を回せって言ってるんだよ。時間前に待機するくらいの頭はないの? 好意にのっかるだけの能しかない人間には言っても無駄かな」

「いやいやいや。気遣いっていう言葉すら知らない、レイフさんには言われたくありません」


 アリシアは、驚きに目を見開いた。レイフがこんなふうに誰かと話すのを見るのは、初めてだ。

 レイフとマヒロの仲のよい友人のような応酬に、アリシアの胸の奥がずきりと痛む。癖になってしまったように、アリシアはそっと自分の胸を押さえた。

 それに気づいたレイフが声をあげる前に、後ろから声がかかる。

 

「レイフ、アリシア。そちらがクロサキ嬢かい?」

「お兄様」


 アリシアが振り返ると、アリシアの兄、このトライト伯爵邸の主人であるセオドアがやって来ていた。

 マヒロはレイフとの気安い態度をさっとひっこめると、ぴしっと身を正した。両手を体の前で重ねて、頭をさげる。以前の世界でいうところのおじぎだ。


「義兄さん、マヒロ・クロサキです」


 レイフの紹介に、セオドアは軽く微笑む。


「頭をあげてくれていいよ、クロサキ嬢」


 おずおずと顔をあげたマヒロは、セオドアの笑顔を見て、ほっと息をついた。


「セオドア・トライトだ。君のことはレイフから聞いている。なかなか興味深い身の上のようだね」


 含みのある言葉に、マヒロの口元がひくりと引き攣った。それでも、なんとか笑顔を浮かべて見せる。


「こんにちは。はじめまして。黒崎まひろです。お邪魔します。あの、お土産がまだ車の中にあるんです」

「それはこちらで運んでおこう。どうもありがとう」


 侍従に合図を送り車に向かわせると、セオドアはエスコートの手を差し出した。マヒロは困ったようにその手を見つめる。


「あの。すみません。せっかくですが、そういうのに慣れていなくて。ありがたいんですけど、エスコートはご遠慮させていただいていいですか?」

「構わないよ。客間に案内しよう。レイフとアリシアも同席しなさい」


 鷹揚にうなずくと、セオドアは先に立って歩き出した。



 ◇◇◇



 セオドアが案内した客間には、セオドアの妻であるクラリスが、すでに待っていた。茶席を整えていたようだ。

 入ってきたアリシアたちを見て、彼女はにこりと笑いかける。元公爵家令嬢であるのに身分をひけらかすことのない、義理の妹であるアリシアにもやさしい兄嫁だ。


 すでに腰かけていたクラリスの隣に、セオドアが腰かける。もう一方のソファには、レイフとアリシアが並んで座った。マヒロはどこに座るか迷うように視線をさまよわせる。

 レイフがアリシアとは反対の自分の隣を指差した。マヒロの表情がくもる。


「えーと、わたし、立っててもいいですか?」

「クロサキ」


 レイフが笑顔で名を呼ぶと、しぶしぶマヒロはソファに腰をおろした。

 その様子をセオドアがじっと見つめている。クラリスは淑女らしい笑みを深めた。

 口を切ったのは、この場でいちばん位の高いセオドアだ。


「クロサキ嬢を当家で預かってほしいとのことだったが」


 今日を迎えるまでに、レイフとセオドアは書簡で何度かやりとりを行っている。セオドアにしか読めないよう制約をかけた上で、マヒロが異世界からの来訪者であることも、すでに手紙で伝えていた。

 異世界の知識を持つアリシアのそばに、異世界人であるマヒロを置いておきたくないというのが、レイフとセオドアの共通認識だ。マヒロの存在がおおやけになった場合に、その影響がアリシアまで波及するのは避けたい。


「『暁月の塔』に預けることも考えたんですけど、本人がどうしても嫌だというので」


 レイフの返しに口には出さないが、あたりまえだという顔で、マヒロはじとっとした視線をレイフに向ける。『暁月の塔』などに預けられては、研究や実験に付き合わされ、死ぬまで拘束される未来しか想像できない。


「客扱いはできない。それで構わないか?」

「もちろん。義兄さんの思うように使ってくれたらいいですよ」


 レイフの言葉に不穏なものを感じ取り、マヒロの顔がひきつった。


「あ、あの!」


 思わずといった様子で、マヒロが声をあげる。

 本来、身分が下のものが、貴族の当主同士の会話に口をはさむことは許されない。へたをすれば不敬を問われて断罪されるが、マヒロにこのルールを守れというのも酷だろう。なにせ身分制度のないところから、やってきたのだ。

 周囲から向けられた冷たい視線に、マヒロがとまどった顔をする。

 

 アリシアは内心、小さく息をついた。このままでは、マヒロは兄たちの圧に押されて言いたいこともいえないまま、処遇が決まってしまうだろう。


「クロサキさん、なにかしら?」


 アリシアからの救いの手に、マヒロはほっとした表情を浮かべる。


「自分のことですもの。なにか言いたいことがあるのでしょう?」


 そもそもアリシアが、マヒロを家に置くことにしたのは、王国公用語を喋れるようになり、きちんと自分の意見を伝えられるようにするためだ。その意見を通せるかどうかは相手や状況によるけれど、なにも言えないまま、他人の好きに扱われるのは見たくないと思ってのことだ。


「あの、わたし、できたら、別の国にも行きたいなあと思ってて。そのために必要な知識や技術があるなら、それを学びたいんです」


 アリシアは目を瞬く。

 レイフが鋭く隣のマヒロを見た。


「そうなの?」

「うん。帰れないなら、せっかくだからあちこち行ってみようかなあって。まあ、まずは、きちんと働いて、お金を稼がないとだけどね」

「えらいのね?」

「いやあ、お世話になりっぱなしは、やっぱりだめだと思うから」


 セオドアが口を開く。


「それなら、国をまたいで取引をしている商会がいいかもしれないな。君はどんな言葉でもわかるということだから、使いどころがあるだろう。わたしの紹介なら、それほど悪いようにはされないと思うよ」


 ぱっとマヒロの表情が明るくなる。


「ただし、わたしの信用を使う以上は、それなりに礼儀を身につけてもらうことになる。そちらはクラリスに任せてもいいかい?」

「ええ、任せてちょうだい。しばらく、わたくしの手元において教育するわ」


 それでいいかしら、と穏やかにたずねるクラリスに、マヒロは「よろしくお願いします」と頭を下げた。


「それで、クロサキ嬢を預かる対価だが」


 セオドアは、深い藍色の瞳でマヒロを見つめる。心の底までのぞかれる気がして、マヒロは身をすくめた。


「君には、半年の間、一週間に一度、わたしに報告書をあげてもらう。内容は、君といた世界とこの世界で何が違うかだ。半年が過ぎた後は、一ヶ月に一度とし、これを三年間つづける。わたしが報告書の内容をさらに詳しく知りたいと言ったときには、すべてのことに優先してそれを叶えるべく努めてもらおう」


 セオドアが言っているのは、彼が望むだけ異世界の知識を差し出せということだ。一週間に一度の報告書は面倒だろうが、それが仕事だとしたら、無茶な条件ではない。

 縁もゆかりもない人間への申し出としては、破格な気がする。


「……それだけですか?」


「それでも、結構たいへんだと思うよ。これを対価にして君が得るのは、仕事に耐えうるだけの礼儀作法と最初に就職するさいの紹介状とわずかな支度金だけだ。そうだな。君をトライト伯爵領の人間だと証明する書類も用意しよう」


「断ったら、どうなりますか?」


「レイフが君の処遇を決めるだろうな」


 セオドアは淡々と告げる。マヒロは顔を引き攣らせ、がっくりとうなだれると、「その条件でお願いします」と告げた。


「レイフ、アリシア、なにか意見はあるかい?」


 アリシアは首を横に振った。


「クロサキさんが納得したのなら、それでいいわ」


 難しい顔で考えこんでいたレイフも、ゆっくりとうなずいた。


「……アリシアの望むとおりで」

「わたしじゃなくて、クロサキさんの望みよ?」

「うん、そうだね」


 レイフが手を伸ばして、アリシアの頭にふれると、ミルクティ色の髪をクシャクシャとかき回した。


「ちょっと! レイフ、なんなの!?」

「うん。アリシアがかわいかったから」


 そのやりとりを見守っていたセオドアが苦笑をもらした。


「それでは、以後しばらくは、クロサキ嬢は当家の使用人として扱わせてもらう。雇用契約内容については、後で家人とつめてくれ」

「わかりました」


「『承知いたしました』よ、マヒロ」


 早速、クラリスからダメ出しが出る。


「主人と同じ席に座っているのも許されないわ」


 あわててマヒロは立ち上がって直立不動になった。

 ふふ、とクラリスが微笑む。


「どこに出ても恥ずかしくない礼儀作法を教えてあげるわ。がんばりましょうね、マヒロ」


 アリシアはそっと目をそらした。義姉はやさしいのだが、甘くはない。やると言ったら、徹底的にやるだろう。


「それではマヒロはもう下がりなさい。明日からはクラリス付きとして働くように」


 セオドアは控えていた侍女に指示する。彼女の滞在部屋へと案内する侍女のあとについて、マヒロはいくぶん肩を落としながら出ていく。

 その後ろ姿をレイフがじっと見つめていることに、アリシアは気づかないふりをした。


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