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12. 前世持ちアリシアと闇堕ちレイフの場合(2)

「車を説明しろって言ってるんだけど?」


 来客用のサロンから聞こえてきたレイフの声に、アリシアは思わず足を止めた。


「『ええと』乗る、走る、道」

「全然だめなんだけど。君、ちゃんと勉強してるの?」

「『してるよ!』」

「日本語禁止。王国公用語で言い直して」

「した、する……」


 お茶をしながら、レイフがマヒロに王国公用語を喋らせているらしい。発話が課題のマヒロには、なるべくたくさん喋らせるほうがいいのは、雇った王国公用語の教師からも言われていることだ。


 翻訳スキルですべて日本語に聞こえているマヒロは、なかなか王国公用語が覚えられないようで、かなり苦戦している。

 言葉を覚えると同時に、翻訳スキルを切る練習もしているが、そちらも上手くいっていない。

 アリシア自身はスキルを意識的に使わないことができるが、その切り替えは感覚で行っていることなので、教えるのが難しい。


 最近のレイフは、日本のものを王国公用語で説明させるのに、力を入れている。

 ずいぶん楽しそうに話している様子に、アリシアの胸の奥がちりっと痛む。

 マヒロがやってきてから感じるようになったその痛みを、アリシアはそっと胸に手をあててやり過ごした。


 前世の知識で、車をアリシアは知っている。だけど、知っているだけだ。乗った記憶はないから、体験を共有することはできない。

 だからマヒロのように、父の運転で旅行に行って楽しかったとか、母の運転で酔って大変だったとか、そういう話をして、レイフを楽しませることは、アリシアにはできないことだった。


 なぜアリシアには、自分が殺された記憶しかないのだろう。

 そんなことばかり考えてしまう自分が、嫌だ。


 レイフは変わらずアリシアに優しい。

 甘い言葉も愛しげな仕草も、なにひとつ変わってはいないのに。

 レイフの唯一でないことが、こんなにも苦しい。


 楽しそうな二人を見ていることができなくて、アリシアは踵を返した。



 ◇◇◇



「アリシア、ただいま」

「……お帰りなさい」


 挨拶とともに、アリシアの頬にレイフの口づけがふってくる。

 このところ、アリシアは庭の奥にある東屋で読書をして過ごすことが多い。ここなら、レイフとマヒロが話している声は聞こえてこない。読書をしていれば、いろいろなことを忘れていられる。


 レイフは最近忙しくしていて、どこかへ出かけたり、自分の魔道具の工房にこもっていることが多かった。今日も懇意にしている鍛冶屋に出かけていたはずだ。


「顔色が悪いよ」


 アリシアの体調は、このところ、あまりよくない。ときどき吐き気が襲ってきて、すごく気持ちが悪くなる。ストレスのせいだろうと、アリシアは思っている。

 心配そうに覗き込んでくる青緑色の瞳を見上げて、アリシアはにこりと微笑んだ。


「大丈夫よ」

「本当に?」

「ええ、平気」


 レイフはなにか言いたそうにしていたが、結局なにも言わず、アリシアの隣に座った。


「義兄さんから手紙が来た。春の祝祭の夜会のときは、タウンハウスを使うようにって」


 春の訪れを祝って、王都で大規模な祭りが開かれる。王家主催の夜会もあって、各貴族家当主は、よほどの事情がないかぎり参加する決まりだ。

 この夜会はデビュタントもかねており、アリシアも学園を卒業したあと、一度だけ参加したことがある。


 もちろん、子爵家当主であるはずのレイフは参加するはずなのだが、アリシアにはなにも言ってこない。出席するつもりなら、そろそろ意匠を合わせたドレスを準備しなければ、間に合わない。

 婚姻して初めての王家主催の夜会なので、アリシアのお披露目もかねて出席するのがセオリーだ。

 もともとの領地が王都に近いせいもあって、グランテル家はタウンハウスを設けていない。それを知っている兄が気をきかせてくれたのだろう。


「レイフは春の祝祭はどうするの?」

「もちろん、おれは行きたくないけど、アリシアが行くなら参加するよ」

「じゃあ、ドレスを仕立てないといけないわね」

「それなんだけど。おれがドレスを贈ってもいい?」


 アリシアは目を瞬いた。装飾品はいくつか贈られているが、婚約期間が短かったため、ドレスは贈られたことはない。

 婚約者にドレスを贈るのは、男性の義務のようなものだけど、婚姻後はその限りではない。もちろん贈ってはいけない決まりがあるわけではない。


「それは、もちろん、構わないけれど」

「よかった。アリシアにとびっきり似合うのを仕立てるから、楽しみにしてて」

「……ちゃんと夜会用よね?」


 以前レイフは、アリシアの首を他者の目にさらしたくないなどと言っていたので、念のためアリシアは確認しておく。


「セララにも相談してるから安心して」


 グランテル子爵家の侍女長であるセララは、元宮廷で侍女を勤めていた。それなら、夜会に相応しいものが仕上がってくるだろう。


「お兄様に会うのは久しぶりね。楽しみだわ」

「じゃあ、了承の手紙を送っておくよ。アリシアも手紙を書く? 一緒に送るけど」

「そうね。お願いしようかしら」


 書き上がった手紙は家令に渡すように言われて、アリシアはうなずく。

 夜会への参加が決まったので、やらなければいけないことが出てきた。しばらくマヒロに構っている暇はないかもしれない。

 ほっと息をついて、冷めてしまったお茶に手をのばす。その手をレイフがそっと止めた。


「レイフ?」

「もう冷めてるでしょ、それ。淹れ直してもらおうか」

「べつに構わないわよ?」

「女性が体を冷やすものじゃないよ。ーーラウラ」


 静かに控えていた侍女のラウラがさっとカップをさげると、すぐに熱い茶にかえてテーブルに並べた。


 アリシアは首をかしげた。

 レイフの過保護はいまに始まった話ではないが、どうも今までと過保護の方向性が微妙に違う気がする。


「そういえば、お茶の種類を変えたの?」

「うん。このお茶は嫌い?」

「いえ、べつに。飲みやすくて、むしろ好きだわ」

「よかった」


 嬉しそうに笑うレイフの顔をまともに見れなくて、アリシアはお茶を飲むふりをして視線を伏せた。


「クロサキも役に立つな」


 聞かせるでもない、小さな呟き。レイフの口から出てきたマヒロの名に、アリシアの体が固まった。

 ドレスを贈ってくれると聞いて、上向いていた気持ちが一気に冷えた。

 

「アリシア、やっぱり体調悪い?」


 アリシアは無言のまま、首を横にふった。

 マヒロが来てから、アリシアはレイフと閨をともにしていない。レイフはアリシアを抱きしめて眠るだけで、手を出してこなくなった。頬や髪にはふれるけれど、唇への口づけもなくなった。

 それがなにを意味するのか、アリシアとしても考えざるをえない。


「なんともないわよ?」


 アリシアは、淑女らしく穏やかに笑ってみせる。別れが必然ならば、最後まで笑っていたい。笑って過ごすための猫なら、何匹だってかぶってみせよう。


 かきむしりたいほどに苦しい胸を押し殺したまま、アリシアは束の間のお茶会をレイフと過ごした。



 ◇◇◇



「レイフ卿の執心がよくわかるドレスね」


 王家主催の夜会でかけられた呆れを含んだ声に、アリシアは振り返った。


「フィオナ様」


 西の辺境伯ギルフォード閣下の奥方だ。レイフが飛竜討伐に呼ばれたときに、お世話になったのだ。アリシアが辺境で仕出かしたことは、おおやけにしないでくれている。


 アリシアは、レイフが贈ってくれたドレスに身を包んでいた。淡い緑から裾にいくにつれ濃い青緑にかわっていくグラデーション。そこに銀糸で精緻な刺繍がほどこされている。レイフの瞳と髪の色で彩られたドレス。

 夜会前の一ヶ月でできあがるとは思えないので、ずいぶん前から用意していたものなのだろう。

 となりでアリシアのエスコートをするレイフは黒の燕尾服だが、ところどころにアリシアの瞳の色である紫が差し色として使われている。カフスボタンも紫水晶だ。

 外からみれば仲睦まじい夫婦の装いといえる。


「ケネス・ギルフォード辺境伯閣下、ならびに、フィオナ夫人にご挨拶申し上げます」


 優雅に膝折礼を披露するアリシアに、フィオナは満足そうに目を細めた。その横でレイフは軽く頭をさげただけだ。


「丁寧なご挨拶をありがとう、グランテル子爵夫人。あなたの夫はいつも会釈ですませるからな」


 西の辺境伯であるケネス・ギルフォードがからかうようにレイフを見て、快活に笑う。


「まあ。それは申し訳ございません」

「アリシアが謝る必要はないよ」

「夫の不始末は、妻にとばっちりがいくんだよ、レイフ」


 ケネスの苦言を肩をすくめただけで、レイフは聞き流すようだ。


「だいたい、おまえ、陛下に挨拶にうかがったのか? 王家主催の夜会にきておいて、挨拶なしは許されないぞ」


 忠告半分、心配半分の言葉に、レイフはそっぽを向いた。以前、辺境伯家にお邪魔したときから思っていたが、ケネスの前では、レイフは少しこどもっぽくなるようだ。

 それがレイフのケネスへの信頼の裏返しのようで、アリシアとしては微笑ましい。


「それはいいことを言ってくださいますね、ギルフォード辺境伯閣下」


 横からかけられた馴染みのある声に、アリシアの顔がほころんだ。


「お兄様、お義姉様」


 アリシアの兄であるセオドアが、妻であるクラリスを連れていた。


「ご歓談中、失礼いたします、閣下。初めてお目にかかります。セオドア・トライトと、妻のクラリスです」

「ああ、噂には聞いているよ、トライト伯爵。領地経営では辣腕をふるっているとか」

「閣下にそうおっしゃっていただき、光栄です。アリシアがずいぶんお世話になったようで、お礼を申し上げたいと思っておりました」

「いや、お世話になったのは、こちらのほうだな。嫌がったレイフを辺境までひっぱってきてくれたとか」


 なごやかに会話をしながらもレイフを当て擦る貴族らしい言葉の応酬を、レイフは左から右に聞き流している。アリシアがいなければ、すぐさまこの場を離れそうな雰囲気だ。

 ひとしきり会話を終わらせたセオドアが、くるりとレイフに向きなおる。


「ということで、一緒に陛下にご挨拶にあがろうか、レイフ、アリシア」

「おれは遠慮しておきます」


 即答で返したレイフに、セオドアは貴族らしいひんやりとした笑みを浮かべた。


「アリシアのためだよ、レイフ」


 わかってるよね?、と言わんばかりのセオドアの笑みに強い圧を感じる。


「……承知いたしました」


 すっと無表情に戻ると、レイフは慇懃に頭をさげる。

 ひとつうなずくと、セオドアはケネスに暇を告げ、妻をエスコートして歩き出す。言葉どおり、このまま王族への挨拶への列に並ぶようだ。


「大丈夫なの?」


 同じくアリシアをエスコートして歩き出したレイフの耳元で、こっそりとアリシアはささやく。

 レイフは、現在の王であるセドリック陛下の庶子だ。


「おれはべつに」


 それでも不安そうなアリシアを見て、レイフは嬉しそうに笑った。社交場では浮かべたことのない、レイフの素直な笑顔に、まわりがざわめく。


「アリシアに心配してもらえるなら、面倒な夜会にきた意味があるな」

「わたしだって、心配くらいするわよ」

「うん、うれしい。でも、おれは、ほんとうに、なんとも思ってないよ。面倒だなってだけ」


 なにもわだかまりはなさそうなレイフの様子に、アリシアは安堵の息をつく。レイフが実の親に会うことで傷つくことがないなら、それでいい。


 挨拶の列は進み、セオドアの挨拶がすむと、セオドアがレイフとアリシアを紹介する。

 レイフは胸に右手をあて頭をさげる。アリシアは膝折礼で頭を低くした。すぐに頭をあげるように言われ、直立に戻る。


「久しいな、グランテル子爵。戦勝会での陞爵以来か?」

「陛下におかれましては、ご健勝でなによりです。その節は、お力添えをいただきありがとうございました。おかげさまで、最愛の女性を妻にむかえることができました」


 レイフの簡素な挨拶に内心あきれながら、アリシアは王国における最高権力者である王をまっすぐに見上げた。

 青緑の瞳に、輝く金の髪。顔立ちは整っているが、こうしてみても、あまりレイフとは似ていないように思える。


「高貴なる光、至高の太陽、セドリック陛下にご挨拶を申し上げます。グランテル子爵の妻、アリシアでございます」


「……話は聞いている。ランドルフ叔父上とも親しいようだな」

「得がたき縁を賜りまして。一介の研究員であるこの身には過ぎたるお言葉でございます」


 元王族と親しいだなんて、誤解を生む表現はやめていただきたいとばかりに、淑女の仮面をつけたまま、アリシアはセドリックの言葉をやんわりと訂正する。


「ふん? 似合いの夫婦というわけか?」

「まあ。陛下に寿いでいただけるとは。ありがたいことですわね、あなた?」


 アリシアの淑女っぷりを面白そうに眺めていたレイフは、初めてされた『あなた』呼びに、とろけるような笑みを浮かべた。ふたたび周囲がざわりとざわめく。陛下も驚いたように目を見開いた。


「うん、いいね。ここまで来た甲斐があった」

「レイフ?」


 低くなったアリシアの声に、さっとレイフは慇懃無礼の仮面をかぶりなおす。


「ええ、ほんとうにありがとうございます、陛下」


 その言い草に呆れたように唇を歪めてから、陛下は「よい、下がれ」と手を振って退去をうながした。もう一度、礼をしてから、レイフとアリシアは御前を離れた。

 離れるさいに、アリシアはちらりと陛下の横に座る王妃殿下の顔をうかがう。能面のような笑みを浮かべたまま、鋭い視線をレイフに向け、結局、一言も発しなかった。


 あれが、レイフの敵。いまも直接的な敵かどうかはわからないけれど、レイフの死を願っているのは間違いない。このまま、レイフの近くにいられるとしたら、アリシアの敵ともなるものだ。

 最後にかすかに視線が絡んだ気がしたが、アリシアは背を向けて、その視線を断ち切った。


 つつがなくかどうかはともかく、王族への挨拶を終え、ふっと気が抜けた。久しぶりの社交界に気疲れを感じて、風にあたりたくなり、レイフを誘って、バルコニーへと会場を抜ける。

 途中で手に取った発泡酒はレイフに取り上げられ、「アリシアはこっち」と果実水を渡された。「こどもじゃない」とむくれてみせたが、「知ってるよ」と笑顔でかわされたので諦めた。そこまで酒が飲みたかったわけでもない。

 

 バルコニーに出ると思いのほか、風が強く、アリシアは乱れそうになる髪をおさえた。


「お疲れさま」


 レイフが穏やかに微笑んで、アリシアの肩に自分の上着をかける。ほのかに残った彼の体温が暖かい。

 飛ばされないように、ぎゅっと彼の上着を握りしめる。


「挨拶も終わったし、もう帰ろうか」

「まだ、グランド侯爵家の皆様に挨拶していないわよ」

「必要ないよ」


 ひんやりとしたものに変わったレイフの笑みに、アリシアは息を落とした。

 レイフの親子関係が冷え切っているのは、わかっている。血族とはいえ、もう別の家だ。挨拶を省略しても構わないといえば構わない。

 学園の先輩であるミルドレットも、この夜会で第二王子の正式な婚約者として紹介されており、王家に取り入りたい人々に囲まれていて、ゆっくり話ができそうもなかった。


「レイフがそれでいいなら、帰りましょうか」

「うん、車を回してもらおうか」


 会場に戻ると、レイフは近くにいた侍従に、グランテル子爵家の車を車寄せに回してもらうように言付けた。

 アリシアの足に合わせて、ゆっくりと会場を抜ける。

 車寄せで少し待ったが、見慣れた子爵家の侍従が、騎獣車で迎えにきてくれた。

 車に乗ると、アリシアはふっと体の力を抜いて、座席にもたれかかる。慣れない夜会に疲れたのか、ひどく体が重たい。彼の腕をつかんでいた手がほどかれて、指を絡めるように繋ぎなおされる。そのまま、手を引かれて、レイフにもたれかかった。


「疲れた?」


 髪への口づけとともに降ってきた言葉に、アリシアは、かすかにうなずく。なんだか、すごく眠たい。


「そうね。疲れたわ」

「眠ってしまってもいいよ」

「……ほんとう?」


 眠すぎるあまり、少し幼い甘えるような声になってしまった。レイフが一瞬目を見開いてから、やわらかく微笑む。


「うん。膝枕でもしようか」

「それはいらない」


 急にはっきりと言葉を返したアリシアに、レイフはくすくすと肩を揺らして笑う。


「じゃあ、このままで」

「そうね。このままで」


 この温かい手を離さないといけない日がくるのなら。

 せめて車がタウンハウスに着くまでの間くらいは。

 こうして二人きりで寄り添っていたかった。


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