10. 子爵レイフの場合
「来たか」
喜色のにじむ声に、レイフは冷たい視線を返す。
「新婚を呼び出さないでもらえますか、ケネス・ギルフォード辺境伯閣下?」
言葉とともに無造作にふるったレイフの魔法に羽を切り裂かれ、遠く空に浮かんだ一頭の飛竜が落ちていく。
『火』と『風』の複合魔法であり、竜の回復力をもってしても、飛べるまでに回復するには時間がかかる。
「悪かったな。だが、文句なら飛竜に言え」
「こいつらの退治くらい西の武勇を誇るギルフォード辺境伯騎士団であれば、たやすいことでしょう?」
「嫌味はいらん。倒せても時間がかかったら意味ないんだよ。わかってるだろう?」
「それが、おれとなんの関係が?」
「だから、悪かったって言ってるだろう。そんなに怒るな、レイフ」
レイフの文句をあしらうケネスに、レイフは気持ちを切り替えた。辺境で討伐に明け暮れた数ヶ月。それ以前からもレイフ自身の実力もあってのこととはいえ、なにかと目をかけてもらったのは、忘れてはいない。
「それで戦況は」
「よくはないな」
話の合間にも、レイフは目についた飛竜を片手間に魔法で落としていく。群れで動く飛竜にしても、ずいぶん数が多い。
「嫌な予感がする。一年前を思い出すな」
「火竜がまた動いたと?」
「姿を見てはいないが。それもあって、おまえを呼んだんだ」
片手で首を撫でながら、ケネスはレイフの肩をたたく。
「まあ、事態が落ち着くまで、こっちにいろ」
「嫌です。義務を果たしたら、帰ります」
「なんでそんなに帰りたがるんだ?」
ケネスは顔をしかめながらも、不思議そうに首をひねる。レイフが自領に愛着などないのを、よく知っている。
「妻が一緒に来てるんですよ。領都にロイドと置いてきました」
「飛竜が出てるって知ってるのか?」
「飛竜のことは歯牙にもかけていませんでしたね」
もともと実家の伯爵領では、冒険者として魔獣を狩って、『付与』魔法を練習する宝石を買う小遣いを稼ぎだしていたアリシアだ。飛竜くらいでひるんだりはしないだろう。
「一緒に辺境まで来るって、おまえ、愛されてるな」
「転移陣が見たかったそうですよ」
ケネスのからかいに、レイフは淡々と返す。アリシアがレイフを心配してついてきたとは、微塵も思っていない。
むしろ、アリシアが心配していたのは、レイフに魔獣討伐を断られた辺境の人々のことだろう。
(早くアリシアのところへ戻りたい)
レイフが考えるのは、それだけだ。
ようやく、大手を振って溺愛できる立場を手に入れたのだ。少しでも彼女のそばにいたい。
アリシアには三日で戻ると伝えた。その言葉を守るためにも、とっとと飛竜を片付けるまでだ。
「ちょっと一回りして、落としてきます」
「おいおい。待て待て。いま来たばっかりだろう。全部落とされても手がまわらないよ」
「おれが片付けてしまってもいいですか」
「やめろ。大規模魔法を展開するな。辺境の地形が変わる」
「じゃあ、落とすことに専念するんで、あとはよろしくお願いします」
「おまえ、なぜ、そんなに急いでるんだ?」
「だから言ってるでしょう? 早く帰りたいんです」
「ああ、新婚だからか? いまだに信じられないんだが」
「信じてもらう必要はありませんね。妻がどれだけかわいいかは、おれだけが知っていればいいんで」
惚気るでもなく、真面目に言い切るレイフに、ケネスは瞠目する。
「おまえ、ほんとにレイフか?」
「おれの偽物がいるなら、そっちに任せて帰っていいですか」
あくまでも帰るといいはるレイフに、ケネスはからかうのをやめた。
「ずいぶん大事にしてるんだな」
「ようやく手に入れた最愛なので」
ケネスはレイフとの会話自体をあきらめた。この手の会話をつづけても虚しくなるだけだ。とりあえず飛竜討伐に手を貸してもらえるならそれでいいと、ケネスは思うことにした。
◇◇◇
レイフには生まれたときから、別の人間として生きていた記憶があった。
そこは地球とよばれた惑星で、その惑星にある日本とよばれる場所で生まれた。中学までは日本で育ったが、高校からは父の仕事の都合でアメリカで進学。そのまま現地の理工学系の大学を優秀な成績で卒業した。そのあとは、電子工学の専門家として、それなりに名の通ったメーカーの研究所で働いていた。死んだのは、三十代の初め。出張で乗っていた飛行機が落ちたあとの記憶はない。
この世界でも、家電に似た魔道具を作って稼いでいるので、人間、得意なことは死んでも変わらないものだと思う。この王国にも特許制度があってよかったと心底思ったものだ。親からの援助はかけらも期待できないので、助かった。なにせ、義理の親からはいないものとして扱われ、実の親からは死ぬことを期待されている。
自分の出生が、祝福されないものであるのは、生まれてすぐにわかった。自分を産んだ人間が、自分の瞳を見るなり、悲鳴をあげたのだ。そのあとの罵り具合といったら。
罵られる理由は、そのときの台詞で、だいたい察した。
いや、やってはいけない相手とやって、おれを作ったのはおまえだろうと、どれだけ言いたかったことか。赤ん坊だったので、喋れなかったのが、ほんとに残念だ。
親とはほとんど顔を合わせることもなかったので楽だったが、王妃に第二王子が産まれるなり、送られてくる暗殺者たちには、ほんとうに閉口した。
一度死んだ記憶があるせいか、自分の死に忌避感はあまりないが、他人の都合で死んでやる気にはならない。
暗部と呼ばれる者は、魔法で縛ってから適当に追い返した。元々、王家の血に縛られているので、『誓約』魔法の書き換えは簡単だった。おれのことに関しては適当にごまかすようにしてあるので、ただの失敗だと思っているはずだ。殺すしか能のない者は、早々に生きるのをやめてもらった。
何度も失敗しているのに、暗殺者の派遣が止まらないのに業を煮やして、死体を首謀者の枕元に丁寧にばらまいた。
それで暗殺が止まったと思ったら、今度は魔獣討伐へのご指名だ。よほど死んでほしいのだなと呆れてしまった。
そちらはまあ、報酬も出るし、魔道具作りの材料も手に入るしで、あまり気にはならなかったのだが。
全属性の魔法が使えるのも、他人と比べて魔力に恵まれているのも、生きていく上で、とても役に立った。それが転生特典というのなら、ありがたいとは思う。
だけど、日本でラノベもネット小説もそれなりに読んでいたので、異世界転生とやらも知ってはいたが、自分がその立場になってみるとあまりいいものじゃないと思うようになった。
ここではない世界があって、そこから転生したなんて、どうしたら信じられるのか。
以前生きていたと思っている世界が、自分の頭の中にしかないかもしれないと、どうして疑わないのか。
どうして、あんなに自信満々に、自分が正気だと信じていられるのか。
考えてみてほしい。日本で、「おれ、異世界から転生してきたんだぜ。いえい、異世界チート」と言っているやつがいたら、絶対に近づかない。どう考えても、妄想癖のある危ないやつとしか思えない。
自分が実際その立場になってみて、あの誰も正気を疑わない状態は、メタ世界から見ていたからだったんだな、と気づいた。
それ以来、ひとを殺すことさえ平気な自分の正気を、あまり信じてはいなかった。
生きていくのがしんどいあまり、違う世界の自分でも創造したのだろうと、思っていたのだ。
その日までは。
◇◇◇
「あー、もう、写メりたいわ」
新しく作りかけている魔道具の資料を探しにきた王立図書館で聞こえてきた声に、レイフは耳を疑った。
振り向いた先にいたのは、司書が座る席で本を書き写している若い女性。十五、六歳だろうか。落ちてきたミルクティ色の髪をかきあげる。
「誰か作ってくれないかしら」
レイフとその女性しかいないその場に、また声が響く。
この耳で聞いたものが信じられない。
レイフはその女性から目が離せなかった。
視線に気づいたのか、女性が顔を上げる。紫色の瞳がレイフをとらえた。
あまりに真剣に見つめるレイフに、とまどったように綺麗な紫の瞳がゆれる。
「あの、なにかご用でしょうか」
「……いまの言葉、もう一度言ってくれないかな?」
「いまの言葉ですか?」
紫の瞳の女性は不思議そうに首をかしげる。ミルクティ色のやわらかそうな髪がさらりとゆれる。どうやら自分がなにをつぶやいたのか、自覚はないようだ。
名札を見ると、A.トライトと書いてある。まだ学園生くらいの年齢に見えるが、名札をつけているということは正式な職員なのだろう。
「なにを作ってほしいって?」
それまで女性の心情をよく表し、くるくると変わっていた表情がぴたりと固まった。ゆっくりとその顔に、貴族令嬢らしい張りついた笑みが浮かぶ。
「本の複写が簡単にできればいいのにと考えていたんです。そういう道具があればいいなと思って」
(へえ、そうくる)
無意識に流れ出した日本語のようで、あっちの世界を知らなければ、聞き流しただろう言葉。でも、レイフにとっては、聞き流せるものではなかった。
確かに異世界の記憶など公言するものではない。だけど、隠そうとするのなら、暴いてみせるだけだ。
この瞬間、この人生で初めて、誰かに積極的に関わることをレイフは決めた。
彼女が座っているカウンターまで歩みよると、彼女を見下ろす。
「作ろうか?」
「はい?」
「複写の道具」
「……作れるんですか?」
「魔道具士だからね」
「…………お気持ちは嬉しいですが、お支払いができません」
「お金なんていいよ。お近づきのしるしに」
そう言うと、貴族令嬢然とした表情がとたんに崩れて、彼女は、綺麗な紫色の瞳をぱちぱちと瞬いた。それから、すごい勢いで、ぎゅっと眉をしかめると、不審者を見るように、胡散臭そうに、こちらを見た。
(あー、かわいい)
自分の中に自然に浮かんだ思いに、自分で驚く。なにかに感情を動かされることがあるなんて、思いもしなかった。
つい笑みがこぼれる。
「よかったら、昼食でも一緒に行かない? 夕食でもいいけど」
「行きません」
叩き落とす勢いで返ってきた答えに、また笑みが落ちた。
(あー、もう、ほんとに、かわいい)
だめだ。彼女をかわいいと思う気持ちが止まらない。
「それは残念。じゃあ、また、今度」
「今度もありません」
ぴしゃりと容赦のない言葉に、くっくと肩をゆらして笑ってしまう。こんなに愉快な気分になったのは、初めてだ。
「それでも、また、今度。今日はひきさがるから。アリシア・トライト伯爵令嬢?」
気づかれないように、さらっと流した『鑑別』魔法で手に入れた、彼女のフルネームを告げる。
ぴりっとした警戒の波動が、かわいい彼女からもれた。レイフは、ひらりと手を振ってその場を離れる。
ありとあらゆる彼女に関する情報を調べあげることを、もう心に決めていた。
調べれば調べるほど、いろいろとやらかしている彼女に、レイフはさらに深みにはまってしまった。
まだ学園生だが、週末だけ王立図書館で勤めていること。
小さな頃から『暁月の塔』の研究員として認められ、塔に出入りしていること。
伯爵領では冒険者として、魔獣狩りをして稼いでいること。
エノク商会に所属して、守護石を売っていること。
そのどれもが、貴族令嬢としては規格外で、レイフは面白くて仕方がない。
そして、そのすべての場所で、とても大事にされ、愛されていること。
そのことに深く安堵する自分は、すでに手の施しようもない。
彼女が幸せであることが、いちばんの望み。そして、それを最も近くで見たいと願うなんて、思ってもみなかった。
アリシアについて調べる一環で、トライト伯爵領の保養地に行ったときは、唖然とした。それから、腹を抱えて死ぬほど笑った。記憶にある光景によく似た、懐かしい景色が広がっていた。
(この異世界で、温泉街って、ありえないでしょう)
笑って、笑って、泣くほど笑って。その涙が枯れる頃。ようやく、レイフは自分が狂っていなかったことを知った。
この記憶が正しいものだと教えてくれる君を、あの世界を知っているただもう一人の君を、どうして愛さずにいられるだろう。
たった一言で、君はおれを救う。
あの時も。
◇◇◇
ちまたでは、通り魔が出ると騒がれている王都の今日この頃。
もと暗部であった使用人からの報告で、それがとある研究所から逃げ出した実験用の魔獣によるものだと、レイフは知っていた。
魔獣と訓練した動物を繋ぎ合わせて、特定の相手だけを襲うように仕込もうとして、失敗したらしい。
知ったところで、レイフがどうするわけでもない。生体工学はレイフの範疇外だ。アリシアが無事なら、それでいい。
だから、王立図書館の勤めから帰るアリシアに事情をすっかり話し、なかば強引に家まで送っていくことにしていたのだ。
この規格外のお嬢さんは、家からの迎えを待たず、すぐに歩いて帰ろうとするから。
なぜ、そんなことを知っているのかと、アリシアにはしつこく追求されたが、それには「内緒」と言っておいた。
また、胡散臭いものを見る目で見られたが、そんなアリシアもかわいいから問題ない。
案の定、アリシアの魔力にひかれてやってきた魔獣と動物の合成獣が襲ってきたのを、『風』魔法でズタズタに切り裂いておいた。
赤黒いものを撒き散らし、グシャリと石畳に合成獣が落ちる。小型の魔獣の体に、動物の頭。どことなく記憶の中の猫に似ている、アンバランスで、おぞましいその姿。
「哀れだね。こんなふうに生まれたかったわけじゃないだろうに」
レイフの横で、驚いたように立ち止まっていたアリシアが、悲鳴をあげるでもなく、すでに死体となった合成獣を見ていた。
ぽとりと言葉を落とす。
「殺す必要はなかったのに」
「いやいや、君、いま襲われかけたんだけどね?」
「死ななかったらいいんです」
デッド・オア・アライブが判断基準らしいアリシアは、ドレスが汚れることも構わずに、ボロボロになった合成獣を抱き上げる。
「それ、どうする気?」
「どこかに埋めます。『暁月の塔』のみんなに渡せば喜ばれるでしょうけど。死んでまで利用されたくはないでしょうし」
「この場で跡形もなく燃やしてもいいけど」
「なかったことにはしたくないですね。ひとが造りだしたものなのでしょう?」
歪な生き物であったものを抱えたまま、真っ直ぐにレイフを見て、アリシアは微笑む。
「間違っているとしても、存在してはならない理由にはなりませんから」
息を止めて、レイフはアリシアを見つめた。唇の端から、笑いがこぼれ落ちた。
(どうして、君はいつも、そう)
ふとした時に、なんでもないように、おれを救う言葉を口にするのか。
間違いだらけのおれを、君だけは肯定する。
誰もが目を逸らしたおれを、君だけが真っ直ぐに見る。
(……ああ、もうダメだ)
考えないようにしていたのに。想いすぎないように、自制していたのに。あまりに鮮やかすぎて。もう目がそらせない。逃がしてやれない。君が愛しすぎて、気が狂いそう。
「トライト伯爵令嬢、抱きしめてもいい?」
「いえ、だめでしょう。遠慮します」
「どうして?」
「汚れますよ」
「おれは気にしないけど」
「わたしは気になるから、だめです」
自分が汚れるのは一切頓着しないのに、おれが汚れるのは気にするのが、かわいすぎて困る。
君が気になるなら、今日抱きしめるのはあきらめるけど。
君の隣で、君を抱きしめる権利を。
(絶対に手に入れる)
幸せにすると誓うから、どうか、おれのそばにいて。
愛しているよ、アリシア。




