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1. 元伯爵令嬢アリシアの場合

「それじゃあ、やろうか」

(言い方!)


 部屋に入るなり、ムードもへったくれもなく発せられた言葉に、アリシアは夜着の前をぎゅっと握りしめた。


 目の前にいるのは、今日結婚したばかりの相手、レイフ・グランテル子爵。ここは夫婦の寝室で、つまり、これから初夜というやつだ。


 湯を使ってきたのか、白銀色の髪はまだ濡れたままで、青緑色の瞳はなにがおかしいのか、にんまりと弧を描いている。

 整った容姿ではあるものの、いつも柔和な態度を崩さないため、冷たい感じはしない。


 だが、アリシアにとっては、油断のならない相手だ。二年ほど前に初めて会ったときから、のらりくらりとした言質をとらせない態度で、なにを考えているかよくわからない。婚約者となったあとの顔合わせでも、会うたびになんとも言えない気分になったものだ。

 つまり、うさんくさい。

 その顔であれば、かなりモテるだろうに、評判のよろしくないアリシアに結婚を申し込んだことも含めて、いろいろなことが。


 今回の婚姻は、ある事情により、三ヶ月という貴族としてはありえないほど短い準備期間でのスピード婚。誰とも結婚する気はなかったアリシアではあるが、縁あって嫁いだ以上は、夫とはできれば良好な関係を築きたい。たとえ、その相手が得体の知れない相手であったとしても。

 内心のため息を押し殺し、アリシアは夫となった男に首をかしげてみせた。


「あの、やるって、なにを?」

「え? だから、初夜」

(だから、言い方!!)


 男からさらっと返ってきた答えに、アリシアは思わず顔をしかめる。夫婦になったとはいえ、令嬢に告げる言葉ではないだろう。


「……結婚したわけですから、その、ご一緒するのはかまいませんけど」

「けど?」

 笑顔は崩さないまま追求してくる男に、つい視線が冷たくなる。


(だめ、だめ。わたしは伯爵令嬢)

 怒鳴りつけたい気持ちをむりやり押し込め、令嬢よろしく片手を頬にあてながら困ったように弱々しく笑ってみせる。


「よろしければ、少しお話しませんこと?」


 侍女が用意してくれたと思われる飲み物とグラス、軽食を手のひらで示す。

 それこそ初夜なのだ。会話もなにもなく、いきなりベッドインは、さすがにない。

 レイフはちらりとそちらを眺めてから、面白くなさそうな顔で応える。

「話すならベッドの中でよくない?」

(誰がピロートークをしたいと言ったのよ!?)


 さえざえと氷点下までさがったアリシアの表情をみて、レイフは大きなため息をついて両手をあげた。

「わかった。君の望むとおりに」

(ため息つきたいのは、こっちだわ)

 内心のいらだちをさらに押し殺し、座っていたベッドから立ち上がり、ソファとテーブルに向かうレイフの後を追う。


「それじゃあ、どうぞ。お姫様」

「わたしは、姫ではありませんけど?」

「じゃあ、奥さん」

 婚姻誓約書にサインした以上、間違いではないので、反論はせずに大人しく示されたソファに座る。

 レイフはすとんとアリシアのすぐ横に腰を下ろす。肩や肘がふれるほどの距離で、アリシアは少し身を固くした。


(ち、近いわ……!)


 身じろいだアリシアに気付いたのか、レイフがこてりと首をかしげる。

「どうかした?」

「ええと……近くありませんか?」

 未婚の伯爵令嬢であったので、家族でない異性にそこまで近くに座られた経験はない。


「これから一緒に寝るのに?」

(だから、どうして、そういう言い方をするの!?)


「男を知らないわけでは、ないんでしょ?」

 続けられた言葉に思考が止まり、そして、一瞬で頭が冷えた。


(……そんなにふしだらだと思われているってこと?)


 令嬢らしく振る舞わないアリシアが、社交界でいろいろ言われているのは知っている。それでも、この言われ方はない。

 冷やりとした怒りのにじむ言葉が口をついた。


「……それは、わたしに対する侮辱ですか?」

「ごめん。言い方、間違えた」


(間違えていない言い方なんて、ここまで、ひとつもなかったわよ!?)


 怒りを隠さないアリシアに目を細めてから、レイフは言葉をつぐ。


「初夜で、男女が部屋にこもって、ナニするか、知らないわけではないんでしょ?」

 言葉を失うとともに、顔に朱がのぼる。知っているかと聞かれれば、知っているけれど。でも、それは、この世界での知識ではない。

 赤く染まったアリシアに、レイフは困ったように笑う。

「あー……想像した?」

「だから、どうして、そう、あからさまなの!?」

「君に欲情してるから」

「よッ!?」

 パワーワードを繰り返しかけて、とっさに頬をおさえて俯いた。絶対、絶対、顔が真っ赤になっている。


 頬を押さえている手に、そっとレイフの手がふれる。包みこむように握られて、そのまま、こめかみにキスが落ちた。

「アリシア、かわいい」

 耳元でささやかれて。柔らかく抱きしめられて。

(いや、待って、待って! なにこれ、なんなの!)


 婚約の申し込みから、婚約者としての顔合わせ。はたまた、婚姻の打ち合わせまで。


(そんな様子なんて、ひとつもなかったわよね!?)


 レイフが自分との結婚を望んだのは、高位貴族である伯爵家との繋がりがほしかったからのはずだ。

 アリシアには、令嬢としての価値はあまりなく。懇意にしている商会に融資をし、金儲けに精を出していると思われているため、社交界では眉をひそめられてばかりだ。

 その証拠に、十七歳であったにもかかわらず、レイフと三ヶ月前に婚約を結ぶまで、婚約者もいなかった。

 まあ、貴族家の嫁になれば商売などもってのほかと言われるに違いないので、アリシア自身が結婚を避けていたのもある。

 

(つまり、これは妻になったからこその褒め言葉というやつ、よね……?)


「いやあ、長かった。よく我慢した、おれ」


 頭の上から降ってくるレイフの声。


「他の求婚者に牽制かけて、蹴散らして。君の商会を追い詰めて、不渡りの一歩手前にして。融資をエサに、おれからの求婚を断れなくして。いやあ、ほんと、大変だった」


 嬉しそうに告げられた言葉に、羞恥を忘れて、頭が真っ白になる。


 今回、婚姻までたった三ヶ月だった理由。

 アリシアが勤めている商会が、急になぜか資金繰りが厳しくなり。融資を申し出たのが目の前の男で。その融資の条件が、男との最短での婚姻だったわけで。

 長年アリシアのわがままに付き合ってくれている商会を潰すこともできず。兄はそんな身売りのようなことはしなくていいと言ってくれたけれど、自分のわがままで、伯爵家に迷惑はかけたくはなくて。どうせいつかは嫁に行くのだからと、腹をくくって嫁いできたのが、今日というわけで。


 いままでの怒涛のような三ヶ月。なんども胃がきりきりと痛んだし、なんなら、あまりのやるせなさに、ひとりで泣いた夜もあった。

 それが全部。それも全部。


「あなたのせいだっていうの!?」


 胸元をつかみあげて、下からレイフを睨みつける。こっちはこれだけ怒り心頭だというのに。なぜかレイフは綺麗な顔で嬉しそうに笑った。


「うん。怒っているアリシアもかわいい。ようやく素の君をみれて、すごく嬉しい」


「わたしのこと、よく知っているみたいな言い方はやめてもらっていいかしら?」


 冷ややかに告げるアリシアに胸ぐらをつかまれたまま、レイフは弱々しく笑う。浮かべるその笑顔が、あまりに切なそうで。

 アリシアの胸がぎゅっとつまる。


「知らないけど、知ってるよ」

 そしてつづく言葉。

「『スマホ、インターネット、SNS、飛行機、電車、車。会社に政府に、民主主義。』……他にも聞きたい?」


(日本語!!)


 呆然と男の顔を見つめる。それは、この世界で聞くはずのない言葉。わたし以外、誰も知らないはずの懐かしい世界。


「……あなたも、記憶が、あるの……?」


「あるよ」


 レイフが、ぎゅっとアリシアを抱きしめる。そして、アリシアの肩に顔を埋めた。まるで縋りつくような腕の強さが、アリシアの言葉を奪う。


「君の言葉を聞いて、おれがどんなに嬉しかったか。この記憶は本当にあったことで、おれの妄想じゃないって。……おれは狂ってなんかいないって、信じられたから」


「言葉?」

「自分がなにつぶやいたか、やっぱり覚えてないの?」

「わたし、なにかつぶやいた?」


 レイフが顔をあげて、じっとアリシアを見つめる。


「『写メりたい』」


(よりによって、それなの!?)


 それはバレる。一発で、日本人確定だ。

 実家の伯爵家では、アリシアが変なことを呟いていても、みんなスルーしてくれるから、油断していた。どうせ、誰にもわからないって思ってたし。


「それで、思わず振り向いたら、綺麗でかわいい女の子がいるんだもの。ぜったい、手に入れるって誓ったね。どんな汚い手を使ってでも」


(だから、言い方! そして、そんな誓い、いらない!)

 心のなかで盛大に叫んでから、はたと気づく。


「どうして、いままで話してくれなかったの?」


「だって、夫婦でもなければ二人きりになれないし?」

 

 確かに、寝室でもなければ、一人にならないのが貴族というものだ。しかも、男女となれば、夫婦でもなければ二人きりになるのは、絶対にむりだろう。

 違う世界の記憶があるなんて、家族といえども話すことではない。アリシアだって、伯爵家の誰にも告げていない。


 がっくりとうなだれたアリシアの肩口で、顔を伏せたままのレイフがささやく。


「……本当は怖かったんだ。アリシアにそんなの知らない、ただの聞き間違いだって言われたらって」


 確かに人の目のあるところで日本の記憶があるかと聞かれても、「なんのお話でしょう?」と、にっこり令嬢スマイルで、はぐらかした自信がある。

 いまだにレイフの胸ぐらをつかんでいた手を離すと、アリシアは彼の震える背に手を回し、その背をあやすようにそっとなでた。

 誰にもわかってもらえない辛さは、アリシアにも覚えのある感情だ。

 

(わたしは知識があるなら利用してやれってほうだったけれど)


 知識チートではないけれど、おかげで商売はうまくいっていたのだ。この男が邪魔してくるまでは。


「……商売の邪魔をすることはなかったんじゃないかしら?」


 低くなったアリシアの声に、レイフは顔をあげると、皮肉げに口元を歪めた。


「だって仕方ないだろう? 普通に結婚を申し込んだら断られて、いくらでも待つから婚約だけでもと願ったら、待たせるのは申し訳ないとかって断られて。じゃあ、断れないようにしようって思うじゃないか」


 身に覚えがありすぎて、アリシアは斜めの方向に視線をそらした。

「それは、ごめんなさい?」

 謝るアリシアを腕の中にきつく閉じ込めると、レイフは耳元でささやく。


「婚姻誓約書に署名させて、初夜をすませたら、もうアリシアはおれから逃げられない。……逃がすつもりもないけどね」


 その言葉にこめられた強い意志に、今度はアリシアの背が震える。


「待って、待って」


(前世の記憶があるから、レイフはわたしを選んだってことなの、よね?)


「待たない。待てない。好きだよ、アリシア。……おれを救ってくれて、ありがとう」


 さらに耳にふきこまれる吐息のような声に、アリシアの頭が焼ける。身体が熱い。顔だけでなく、全身真っ赤になっているだろう。


 そのあまりの執着が怖くなるのと同時に、身体の中で、じんと痺れる感じが確かにあって。

 こんなに誰かに強く求められたことは、前世を含めても、きっと一度もないに違いない。


「ねえ、キスしていい?」

 ますます甘くなるレイフの声が、身体の奥まで響く。


「それ、ちゃんと拒否権あるわよね?」

「ここまできて、あると思うの?」

「あるに決まっているでしょう?」


 声も表情も冷たくして主張したアリシアに、あまりに嬉しそうな顔で笑うから。仕方なく、アリシアは目をつぶって顔を上にあげた。

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