第63話 覆らないバットエンド
「お嬢様、何かあったのですか?」
「あ、えっと……」
大股で歩み寄るレオンハルトに、私は分厚い本を抱きしめることしか出来ない。
「大丈夫」と言えばよかっただろうか。
レオンハルトは自分が雨に濡れたことなど気に留めずに、私の元まで歩み寄る。そっと屈むと大きくて優しい手が私の涙を拭ってくれた。
「もしかして雷が怖かったのですか?」
「ちがっ……」
否定しようとしたが、そう勘違いさせた方がいいのかもしれない。レオンハルトに気取られぬように、私は唇を開きかけた。
「それとも──我に気づいたのか?」
「!?」
「啓典を読んだのだろう? 魔人族と人の歴史を。ならこの男が人に、キャベンディッシュ家に強い憎しみを持っていることも、書かれていたはずだ」
レオンハルトは微笑んだままなのに、彼とは別人に思えてしまう。宝石のような紫色の瞳が、魔神王とそっくりなことに背筋が凍り付いた。
「まさか……魔神王」
「ああ、そうだ。……この肉体は、実にいい。内に秘めたる憎悪がしっくりくる」
「レオンハル──」
どっ!
素手で私は胸を貫かれた。
鮮血が彼の頬を濡らす。
まるで最初からそうするつもりだったかのように、彼の行動に微塵の躊躇いもなかった。
「さて、これで復讐は満たされたか?」と、魔神王はレオンハルトに問いかけるように呟いた。
「かはっ……」
「私は──いったい……?」
アメジスト色の瞳が黒へと戻る。正気に戻ったレオンハルトと私は視線がぶつかった。
力が入らず視界が傾いた。
「お嬢様!? っ……あ、ああああ」
レオンハルトは自分が何をしたのかに気づいたようだ。その手はわなわなと震え、私を抱きしめる。
掠れた声。泣いているのだろうか。
私は「ひゅっ」と言葉なのか呼吸なのかわからない声をあげる。私を抱きとめる彼の手は暖かくて、心地よかった。レオンハルトの瞳がアメジスト色に変わっていく。
「貴女を愛しています。誰よりも、何よりも」
(レオンハルト?)
レオンハルトは躊躇いなく、右手で自分の心臓を貫いた。
温かな血が私の体に降りかかる。雨のように血が世界を染める。
「大丈夫です。……私も……すぐに後を追います」
「どう……して……」
「貴女のいない世界に意味なんて……ないです……から」
(なんで……? それとも……復讐を終えたら生きている意味は……ないってこと?)
意識が途切れながら私はアメジスト色の双眸と目が合った。それはレオンハルトとは異なる存在──魔神王だと気づく。
『なるほど、この選択だとこうなるのか。……くくくっ、つくづくよくわからん生き物だ』
***
「──ッツ!!」
私は勢いよく飛び起きた。
いつもの予知夢という名の悪夢。
目を覚ますとまたまた夜中──いや空が明るみを帯びている。時計を見ると午前四時だった。何度見てもこの後味の悪い夢は慣れない。何より起きると汗だくで気持ちが悪い。
いや感覚としては死に戻りした時に近い。
現実から強制的に時間が巻き戻ったような、そんな既視感を覚えた。
(でも死に戻りは聖下が一度だけ使った魔法なはず……。他に誰が? ううん、今までも現実味を帯びた予知夢は見てきた。……それに近しいものなのかもしれない)
ふと私の寝ていた傍に、黒い背表紙の分厚い預言書があった。いつもは机の上に置いてあるのだが、いつの間にベッドに持ち込んだのだろうか。
私は徐にページをめくった。
最後はいつも決まって処刑台行きだったのだが、今回は私の死期は生誕祭一週間前に変更されていた。最後のページに書かれていた内容は──『レオンハルトによってアイシャは死を迎える』というものだった。
(……ッツ!)
先ほど見た夢を思い返し、私は戦慄する。
前回の未来で死んだ人を救った結果、新たな歯車が動き出し──結果的に私は私の寿命を縮める結果となった。心音は煩く騒ぎ立てるが、それでも私の頭は不思議と冷静だった。いや単に思考が麻痺してしまっているだけなのかもしれない。
(まずは個室にお風呂はあるから、用意しようかしら)
シャワーで簡単に済ませるのもありだが、せっかくなのでゆっくりお湯につかりたい。「贅沢よね」と私は呟きながら、ベッドから下りた。
今回の夢はいろいろと衝撃過ぎて、私はうまく飲み込むことが出来なかった。生誕祭一週間前に死ぬ可能性が出てきたのだ。
未だに頭はぐるぐるして思考がまとまらないし、胸の痛みが広がっていく。
(落ち着け……。生誕祭までまだ一か月以上もある。今から対策を練れば死ぬ未来を変えることが出来るかもしれない。今まで通り、みんなに相談を──)
そこでレオンハルトの姿を思い出して、私は唇を噛みしめた。
(レオンハルト……。そっか。悪夢だったけれど、彼がキャベンディッシュ家を憎んでいる事実は、変わらない)
夢の中で愛を囁いたのは、私がそう望んだ都合のいい言葉だったのかもしれない。もしくは、死ぬ間際で少しは慰めに近い言葉をかけてくれたのだろうか。
レオンハルトの中に魔神王が依代となって定着しつつある。これも現実なのだろうか。
不安と胸が引き裂かれる思いに、私は耐えるしかなかった。
楽しんでいただけたのなら幸いです。
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