第62話 悪夢の始まり
生誕祭まであと一週間。
窓の外を見るだけでも人の往来が以前よりも多くなった。しかし今日は昼間だというのに、今にも雨が降りそうな曇天の空が広がっていた。
私は室内に備え付けられた、設置型の照明魔導具を付ける。ロロとレオンハルトは聞き込みで、ナナシはフロアの警備。
いつもの配置だ。
私はルークに手紙を送るため自室にこもっていた。いつものように鳥かごに手紙を入れると手紙は消えてしまう。机の引き出しにはルークから届く手紙が束になって入っている。
少しずつ彼は仕事の手紙の中に、自分のことを語ってくれるようになった。それが私には少しだけ嬉しくて、よく何度も読み返すのが日課になっていた。
(それにしてもルークって本当に字がきれいね。私ももう少し奇麗に書けるように練習しないと……)
背伸びをすると、まだ読み終えていなかった啓典を読もうと分厚い本を机の上に出した。しばらくはページをめくっていたのだが、私は思い切り背伸びをした。
(机で読むのもいいけれど、少し疲れてしまったからソファで読もうかしら……)
そろそろと場所を移動すると、私はソファに身をゆだねた。
ペラペラとページをめくる音が部屋に響く。
数百年前に、魔人族の中から魔王が誕生したこと。南の領土を巡っての人と魔人族の戦争とその悲劇を。それを読み解いた時、私は後頭部に衝撃が走った。
南の領土を狙っていた貧乏貴族は、事もあろうに魔人族を魔王に仕立てて戦争を起こしたのだ。教会の騎士団に所属していた女騎士ステラは、魔人族の一人アイザックと恋に落ちたという。二人の関係を知ったキャベンディッシュ男爵は、まず女騎士を殺したのち、その遺体を魔人族の元へ送ったという。
結果。深く激しい憎悪によって魔神王をこの世界に呼び寄せ、依代として顕現させたそうだ。
絶望を大陸中に振りまいた。
その事態を収めたのは、当時の教皇、皇帝、そして聖女だったという。魔人族の大人たちの殆どは戦争によって死んだそうだ。生き残ったのは手負いの大人と、族長の息子であるレオンハルト=サンチェスだけ。
それが歴史に埋もれ、隠蔽された真実。
「そう……。そうだったのね」
私はページをめくる指が止まってしまった。目じりから涙が零れ落ちてくる。呼吸をするのが難しいぐらい肺が、心臓が、苦しい。
(ああ……。私はなんて馬鹿なんだろう。ずっとレオンハルトが私の事を慕って言ったのは、キャベンディッシュ家に復讐するためだったのに……)
今思えば過剰なまでの愛情表現だった。
伴侶にするだの、比翼乃鳥と仰々しいセリフを口にしたのも全て──アイシャ=キャベンディッシュに取り入るため。そう考えれば色々と合点がいく。
なぜ気づかなかったのだろう。
最初から可笑しかったのだ。
そして最近のレオンハルトの様子がおかしいことも、これで説明が出来てしまう。
(現段階でキャベンディッシュ家を潰す計画は変わらない。だからレオンハルトは、私に必要以上に近づくことをやめて距離を取っているのだろう。だって、もう……演技をする必要はないんだもの)
まるでジグソーパズルのように不可解だった欠片が一つ見つかると、次々に疑問が解決していく。悲しいほどに、残酷な事実。
けれど私はどこか納得していた。よく考えれば可笑しいところだらけだったのだから。
零れ落ちる涙は拭っても、溢れ出て止まらない。
気づかなければよかった。
知らなければよかった。
初めて「好きだ」と真正面から言ってくれた人。言葉だけじゃなくて、私の事も考えて守ってくれた──王子様のような、信頼できる大事な味方。
(レオンハルトはキャベンディッシュ家を許さない。そしてもちろん私も──)
私もキャベンディッシュ家の血を引いているのだ。彼の殲滅対象に間違いなく入っているだろう。
(だとしたら、私はレオンハルトに殺される可能性があるという事になるのね……)
涙は止めどなく頬を伝う。
私はレオンハルトに殺されるだけの理由はある。しかし「素直に死を受け入れるか?」と言われたら答えは「いいえ」だ。
処刑台行きを逃れるために頑張ってきたのに、レオンハルトに殺される訳にはいかないのだ。自分勝手だと言われようと、私は生きることを諦める気はない。
カタン、と物音と共にドアの開く音が耳に届く。
振り返ると、レオンハルトが部屋に入ってきたのだ。それもずぶ濡れの格好で。
「お嬢様!? 失礼しました、部屋を間違え──」
レオンハルトの声が途中で止まった。その刹那、雷鳴が窓の外で光る。
そこでようやく私は雨音が耳に届いたのだ。実際はずいぶん前から降っていたのだろう。窓の外はバケツをひっくり返したような豪雨で、この雨音に気づかないほど私は泣いていたのだ。
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本日、コミカライズが完結しました⸜(●˙꒳˙●)⸝




