第48話 教皇聖下の死因
返ってきたのは冷え切った眼差しだった。
「口調を変えたところで、一銅貨の得にもならないだろう。そんな無駄な努力をする気はない。……この交渉が口調や心象によって交渉が変わるものなら別だが」
(な、生意気……!)
「第一、教皇聖下とは何度か面識があり、ここは非公式での謁見だ。公の場ならまだしも、交渉相手が貴女でないのだから口出しされる謂れはないが」
「……そ、それは」
「アイシャ、気を使わせてしまってすまないね。それにルーク殿も」
「聖下……」
「問題ない」
聖下の仲裁で空気が和らいだ。
しかしルークは涼しげな顔で、私に辛辣な言葉を返す。
「貴女のような身分が高いだけの無知な方に、商談内容をどこまで理解できるかは不明だがな」
(喧嘩売っているわよね、これ。怒らせて相手のペースを乱せ。……こんな挑発に乗る人なんかいな──)
率直な意見だったが、レオンハルトとナナシの殺意が一瞬にして噴き上がった。二人とも戦闘態勢に入っているので、私は慌てて抑える。嬉しいけれど、交渉そのものが消え去るのはまずい。
「ナナシ、レオン──ッ! 控えてください」
「はいはい」
「承知しました」
(あ、危なかった……!)
「二重の意味で危なかった」と、私はため息を漏らす。一つは交渉が消えたら困るという事。そしてもう一つは、うっかりレオンハルトの名を呼ぼうとしたことだ。レオンハルトの正体が魔人族だというのは、極力隠しておきたい。
愚かで世間知らずな少女。そう思わせておいた方がいい。私は聖下の隣へと席を移動して座った。ティーカップなどはレオンハルトに下げてもらい、新しいお茶を三人分用意してもらうように頼んだ。
ルークは聖下の前ではなく、私の向かい合わせに座った。護衛の二人はソファの後ろに立っている。ナナシもそれに倣って、私の後ろに控えている。
「では、これが中立国リーベに亡命した際の保証と待遇を記した契約書だ。内容の確認を」
緊迫感が漂う中、商談は進んだ。聖下が内容を確認し、私も軽く目を通す。
(魔導具を使った転移魔法での亡命。それに伴い聖下に求められた要求は、治癒魔法の貢献及び研究成果を国に貢献すること。新たな名前や身分など肩書の準備も出来ていると……。確かに、生き延びる事を優先するのであれば悪くない条件だけれど……)
私は思考を巡らせ、預言書にあった最悪のシナリオを思い返す。
亡命をすれば教皇権限は失い、内側から崩すことは不可能となる。外から切り崩すにしても、あまり時間はかけていられない。六年後には魔物の大群が押し寄せるのだ。国内のゴタゴタは早々に片付けなければならない。
「聖下。亡命を受けるかどうか決断する前に、一つ伺っても良いでしょうか?」
「なんだい?」
私はルークが居る前で、国内の問題を話するか悩んだのだが、聖下は「構わないよ」と促す。私はやや抵抗を覚えつつも、口を開いた。
「……この商談を受けるとして教会に残る問題は、どのように考えていますか?」
「もちろん教会をこのまま野放しにはしないよ。僕の後任となる者の選別、そして不義を働いた者たちを教皇特権の聖印を使って、裁きを下し階級及び権限を廃す。《戒めの制裁》は僕が教皇を降りた後でも継続する。たとえ殺されたとしてもね」
《戒めの制裁》。
前回、それが発動した記憶はない。皇帝権限を駆使した魔法ならばその効果は絶大なはずだ。しかしケニス枢機卿たちも含めて、私を貶めた上層部の面々にそのような効果があった記憶などない。
なにより聖下の切り札に対して狡猾な枢機卿らが、何の対策もしていない訳はないはずだ。むしろ聖下の切り札が分かっていれば──対策が打てる。
「聖下、《戒めの制約》の魔法は、他にどなたがご存じなのですか?」
「そうだね。大司教、枢機卿はみな知っているんじゃないかな」
「なるほど。……お答えいただき、ありがとうございます」
手札を最初から見せているのなら、分が悪いだろう。
その魔法の解析が出来てしまえば、対策が出来る。年単位の準備だったかもしれないが、それでも勝算があったからこそ枢機卿らは実行に移したのだ。
(これでずっと気がかりだった聖下の死因が分かったわ。強運の持ち主だった聖下がなぜ死を迎えたのか──でも、これを口にすれば商談は中断される可能性がある)
「どうぞ。桃のフレーバーティーです」
「!」
「冷めないうちにどうぞ」
私はレオンハルトが淹れてくれた紅茶に口を付ける。砂糖を入れていなかったが、甘露のようなまろやかな甘さが舌に広がっていく。
これは彼なりのエールなのだと私は受け取った。カップをテーブルに置くと、隣に座る聖下に視線を向けた。彼は穏やかな笑みを浮かべて私を見つめ返す。
「アイシャ、本当のことを言っても構わないよ。むしろ僕はそれを望んでいる」
本当にこの方は狡い。こうなる事が分かっていて、私を待っていたのだから。下唇をきゅっと噛みしめ──私は辿り着いた答えを告げる。
「聖下は今回ルーク殿と交渉を用意しておきながら、亡命する気など全くないのでしょう」
「…………」
「この場を設けたのは、私とルーク殿を会わせたかったからではないですか?」
今まで黙っていたルークは表情一つ変えずに、視線を聖下へと向けた。いや少しばかり眉が吊り上がっているだろうか。
「どういうことか、説明してもらっても? ベネディックトゥス教皇」
楽しんでいただけたのなら幸いです。
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