第38話 午前三時のお茶会
着替えを終えると、すっかり眠気が覚めてしまったのでフロア共有スペースへと向かった。サロンのようなもので、見晴らしの良いガラス張りの景色を眺めながら、お茶を楽しむ場所だ。本来はほかの客も出入りするのだが、最上階のフロアは貸し切っているので、他人と会うことはない。会うとすれば護衛の──。
「ン? 姫さん眠れないのか?」
「まあ、そんなところです」
ソファの一つにナナシが腰かけていた。無精髭がないせいか、かなり若く見える。三十代でも通用するだろう。私と視線が合うと、彼はバツが悪そうに頬を掻いた。
「あー、まったりしているように見えるが、警護はしっかりしているから安心してくれ」
「ふふ、その辺は信頼しているわ」
「ならよかった。護衛の仕事がクビになったかと思って肝が冷えたぞ」
「しないわよ! 優秀な人材をわざわざ切り捨てるメリットなんてないもの」
「それは有難い」とナナシは心の底から嬉しそうに笑った。お世辞ではなのだけれど、ものすごく喜んでくれた。なぜ?
私が小首を傾げつつも、お茶を入れようとカップなどを準備する。
「……ナナシも何か飲む?」
雇用主にお茶を淹れさせるわけにはいかない云々で、数分ほどの問答が繰り広げられた。結果、私が折れることで決着がつく。こういう所は律儀というか、真面目だと思った。
というかお茶を淹れるだけでこの騒ぎって……。疲れる。みんな私を大事にしてくれるのは嬉しいけれど……。
(贅沢な悩みよね……)
「ああ、そうそう。中立国リーベでの情報が欲しいといっていたから、軽く調べておいたぞ」
「え、本当!?」
ナナシはまるで手品のように、何もないところから巻物を二つ見せた。私は巻物を受け取り、報告書を読み解く。とても読みやすくまとまっている。
大陸全土の冒険者ギルドの情報統制、魔物討伐は全て商人の依頼という新たな流通系統。それを提案したのは、リーベ国宰相の息子ルーク=グレイ・イグレシアスと書かれていた。
その名に私はゾッと寒気が走った。
トラウマとも呼べる過去に、呼吸が浅くなってしまう。
(大丈夫……。怖くなんてない。今のうちにルークのことを調べて接点を作る事で……処刑台行きを変えられるかもしれないもの……)
ぐっと、唇を噛みしめて耐える。
恐怖も、溢れ出る感情も全て──乗り越えようと足掻く。
「はい、姫さん」
その声に私は弾かれるように顔を上げた。
ナナシの両手にはカップが二つ。チョコレートの香りがフロアに漂った。
「……ありがとう」
いつの間にか固く拳を作っていた。彼の言葉で私は力を抜いて、カップを両手で受け取った。ナナシはアイシャの隣ではなく、少し離れたソファに腰を下ろす。本来従者であれば、立ったままで飲み物を一緒に飲むのも許されないのだが、そこはナナシが折れてくれた。
口を付けるとカカオの香りと甘さが、冷たくなった体を温める。
「甘くて美味しい」
「それは良かった」
「あ、そういえばナナシの故郷だと潜入が得意な忍って、武器は機関銃だったりするの?」
「ぶッツ。姫さん、そりゃ何の冗談だ? 忍は斥候や潜入が得意だが、だからこそ目立つような武器は使わないぞ。だいたい機関銃を使うなんて、ロザ・クラーロ共和国ぐらいじゃないのか」
ナナシの言葉に私は「そっか」と頷く。
確かによく考えれば暗殺者という割に戦い方が大胆だったし、魔法をほとんど使っていなかった。となると枢機卿たちはロザ・クラーロ共和国からも、何らかの密約を交わしているという可能性がある。エルドラド帝国内だけで終わらない予感がしてきた。
世界そのものと戦っているような錯覚を覚えてしまう。
「にしても、なんで忍なんだ? 武士の方が恰好いいだろう?」
ナナシなりの気遣いなのだろう。わざとふざけたことを言って場を和ませてくれる。私はそんな彼に感謝し笑顔で返す。
「ふふっ。うん、ナナシとその太刀はすごく似合っていて、恰好いいわ」
「おお! さすが姫さん。この良さがわかるとは見どころがあるじゃないか」
「ありがとう。極東は珍しいものがあるから、すごく好き。特に将棋はとても面白いわ」
「よくご存じで」
「ええ、母様に昔教えてもらったの!」
私は墓穴を掘ったことに気づく。その空気を敏感に察したのか、ナナシは微苦笑する。
「えっと……」
楽しんでいただけたのなら幸いです。
下記にある【☆☆☆☆☆】の評価・ブクマもありがとうございます。
感想・レビューも励みになります。ありがとうございます(ノ*>∀<)ノ♡




