第17話 婚約者であり主犯の皇太子
そう怒鳴られても……。
なぜヴィンセントが怒るのか分からない。死に戻りする前は涙にくれる私を見て、疫病神と散々罵ったではないか。
地下牢で「幻狼騎士団を助けて欲しい」と懇願した時ですら、ヴィンセントは、その約束を守ってはくれなかった。そもそも騎士団を潰すために、帝国軍の手引きをしたのは、彼なのだから。
それに地方の領主に同行した帝国軍は、彼の部下たちだ。
彼は私を屈服させるために、様々な嫌がらせを行ってきた。聖女として人気を得た私に嫉妬していたのだと思っていたのだが、実際はどうなのだろう。なぜ私を貶めようとしているのか──その理由を聞いて改善したら、未来も大きく変わるのかもしれない。
楽観的な考えかもしれないが、試してみる価値はある。
「殿下のお手を煩わせる訳にはまいりません。ただの婚約者という肩書だけで、そのような厚顔な行いなど恐れ多い──」
「黙れ、黙れ! お前はそうやって、いつも私を頼ろうとしないではないか!」
「今も昔も嫌がらせをする張本人に、助けを呼ぶ訳ないでしょう」そう言いそうになって、私は慌てて口を噤んだ。
婚約者となってからヴィンセントは、何かとちょっかいを出してきた。物を盗んだり、お茶会に現れたと思ったら挨拶もなしに、わざとドレスに紅茶をかけたり、誘拐めいたこともあった。そのたびに使用人のロロと、皇帝陛下である伯父が助けてくれたものだ。懐かしい。
「……なぜ殿下は、私のことを目の敵にされるのですか?」
「わ、私は未来の夫だぞ! ……少しぐらい頼ってもいいではないか」
「はい?」
急にしょぼくれるヴィンセントに、私は小首をかしげた。前回では「自分のなすべきこと全ては正義」と信じて疑かなかった自己中心男が、珍しい一面を覗かせているではないか。「これも演技なのだろうか?」と私は考え込む。
「だ、だいたい後方支援ならば、我が軍に同行したっていいではないか! それなのに毎回毎回、幻狼騎士団に同行するのは、どういう了見だ!?」
「管轄が異なるのですから、そのような対応になるのは当然ではないでしょうか。もし遠征などで治癒魔法が必要なら、正式に教会へ申請すればよいのでは?」
何事にも順序というものがある。それを皇太子だからといって、ルールを破ってはいけない。状況によってはルールに囚われては、いけないのかもしれないが、今回はそう言った話ではない。
ヴィンセントの私情なのだから、公私混同はよくない。
当たり前の常識に対して、彼はそれを捻じ曲げて「自分が正しい」と言い出す。常識やしきたり、ルールなど紙切れ同然だと。
「私が望んでいるというのに、二言目にはモラル、常識、当たり前。そんなものに縛られていては、この国はダメになる!」
「人が法を守ることによって、秩序が保たれるのです。確かに悪しき法もあるかもしれませんが、それを単に破るのと、改変させるのとでは全く違います。模範となるべき皇太子殿下が民衆に信用を得なければ、いずれ貴方に付き従う者は誰もいなくなるでしょう」
「……ぐっ! お前もそうなるというのか!」
「はい?」
「お前も、私の前からいなくなるというのか!? 愛想を尽かせて、見限ると!」
ヴィンセントはさらに声を荒げ、眉を吊り上げて私を睨む。その姿に驚きつつも、私は首肯する。
「そうなる事もあるでしょう。殿下次第です」
彼が自分自身の行いに気づかなければ、処刑台へ直行だと言いたい。自由奔放かつ我儘ぶりは、ルイス皇帝の崩御から年を重ねるごとに、酷くなっていった。
それを止めるため苦言を続けたが、一度でも受け入れられたことはない。
(婚約者が聖女の私でなければ……。控えめで優しい令嬢だったならば──彼は変わる……だろうか)
私から婚約破棄をする。それが彼へのささやかな復讐だ。
けれど処刑台行きまで、放置はしない。彼は皇帝の器ではないが、昔は──優しかったのだ。皇太子という重い責務から離れれば、何か変わるかもしれない。
そう決意をして彼と対面していたのだが、ヴィンセントは何故か急に泣き出していた。
「夫となる者に、最後まで付き従うぐらい述べぬか! ふぐっ……ううっ」
「え、あの、殿下。何も泣かなくとも……」
「うるひゃい! お前が酷いことばかり言うからだ! もっと淑やかで献身的になれないのか!」
(ごめんなさい、無理です。もう、それは私ではないもの)
半泣き状態のヴィンセントを見ていられなくて、私はポケットからハンカチを取り出し──背伸びしながら、泣いている彼の涙をそっと拭った。彼は良くも悪くも自分の感情に素直すぎる。そして自分にとって、都合のいい言葉しか聞こうとしない。大きな子どもだ。
「殿下、いいですか。本当に皇帝になる気があるのでしたら、もっと視野を広くして周りの声をよく聞くことです」
「…………!」
「それでは殿下。私は陛下と約束がありますので、これで失礼します」
急に大人しくなったヴィンセントの変化に、違和感を覚えつつも、今のうちと軽く頭を下げた。それから歩き出す。やっと解放されたと安堵する暇もなく、固まっていたヴィンセントは私を追いかけ再び前に躍り出た。
「アイシャ!」
「殿下、廊下は走らな──」
「お前がどうしてもというのなら、先ほどのハンカチはもらってやらないこともない!」
(ええ……)
すごい解釈だったが、私はツッコミを入れる気力もなかったのでハンカチを渡した。着替えるときにもらったハンカチなので、私物ともいえないが。
ヴィンセントは、勝ち誇った顔で去っていった。前回もそうだったが、彼の思考回路はさっぱり理解できない。新手の嫌がらせなのだろうか。あのハンカチを触媒に、呪いでもするつもりだろうか。
うん、呪詛返しの護符は、後で用意しておいた方がいいかもしれない。
レオンハルトが私を番したいと望んだように、ヴィンセントの考えも特殊なのかもしれない。悪い意味で。
私は複雑怪奇な男心を毛ほども理解できず、廊下を進んだのだった。




