第15話 レオンハルトの視点5
「そういえば……。アイシャは皇族だとすると、彼女のフルネームはアイシャ=シグルズ・ガルシアなのか?」
「ン? いや。アイツの母親は公爵家のキャベンディッシュ家に嫁いだからな。フルネームはアイシャ=キャベンディッシュだぞ」
彼女の名は、アイシャ=キャベンディッシュだという。
女騎士と叔父を陥れた一族の末裔。思えば気づく機会はあったはずだ。キャベンディッシュ家の者なら、叔父の呪いが掛かっている。気づけなかったのは、彼女にはその呪いが見られなかったからだ。
(まさか養子?)
「本当にアイシャの傍に居たいなら、少しは人間社会について勉強する必要があるぞ。オレも貴族の一人だから形式やマナーなど、めんどなしがらみが色々あるからな」
「…………お前が貴族?」
「そうだ」
「…………」
「本当に貴族だからな! ……この国は階級社会でもある。アイシャは聖女だが、それ以前に公爵令嬢であり、ルイス皇帝の姪に当たる。傍に居る為には、それなりの身分と教養がないとアイシャに迷惑が掛かる」
「……ああ。そうだな」
途中から男の声など聞こえていなかった。
数百年に渡って蓄積されてきた憎悪が蘇る。
時が怒りや悲しみを洗い流してくれるというのは、嘘のようだ。あの日、血塗れで女騎士を抱きかかえていた叔父の姿が目に焼き付いたままだし、私の殺意は掻き消えてはいなかった。
深淵の闇に囚われ、憤怒の劫火と共に、世界の破滅を望んだ魔王の後姿。二人の無念は、未だ私の中に燻っている。
なんという巡りあわせか。
キャベンディッシュ家の人間が憎い。叔父と女騎士の味わった苦しみを、何十倍にして返す。今度は絶対に逃さない。
復讐の炎が轟々と魂を燃やす反面、アイシャを想う気持ちが鬩ぎあいぶつかり合う。命と心と夢を与えてくれた──愛しい人。彼女を思うと空っぽだった胸が満たされていく。
相反する二つの感情はドロドロに溶けて、歪んだ愛憎へと変質を遂げた。誰よりも愛おしく、憎い。キャベンディッシュを名乗る以上、滅ぼさなければ気が済まない。彼女の隣に居たいと望むと同時に、この手で殺したい。
(私の番はアイシャしか考えられない。彼女を愛している。……けれどキャベンディッシュ家は憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い。憎い)
歯止めが利かないほど、私は復讐を望んでいた。それほどまでにキャベンディッシュ家は、度し難い存在だった。
(……ああ、この衝動を止められない。ならば彼女の心を手に入れたその時、この手で殺せば──憎しみは止まるだろうか)
愛を囁きながらゆっくりと、心臓に刃を突き立てる。それ以外に、この激情を鎮める方法を私は知らない。キャベンディッシュ家の者たちを絶望に陥れ、彼らの築き上げた全てを灰塵に帰す。地位も名誉も、存在全てを灰に帰した後──全てが終わったら私もアイシャの元に逝こう。
方向性が決まると「ふう」と吐息が漏れた。少しばかり冷静さが戻ってくる。
(……このことは同胞には、言わないでおこう。真相を知るのは、一族の中ではもう私だけ。仇敵がキャベンディッシュ家だとも知らないのは好都合だ)
あの時代を生き残った最後の一人なのだから、最後まで一人で抱えていく。若い同胞は漸く開けた未来があるのだから。
「まあ、せっかく中立国リーベに向かうんだ。人の姿に擬態できる魔導具なんかも確かあったはずだ。そこである程度準備して向かった方が、アイシャも喜ぶんじゃないか?」
癪だがこの男の言い分はもっともだ。彼女が養父と呼んでいただけのことはあると──認めてやらなくもない。どちらにしても急ぎ帝国に戻る必要が出来た。
「アイシャに迷惑が掛かるのは、私としても本望ではない。中立国リーベに向かうのならば、ワイバーンを使おう」
「ワイバーンを?」
魔物とは異なる生物は大きく分けて三つ。主に食用となる獣と、神々の加護を持つ獣である聖獣、そして聖獣堕ちした凶獣だ。
ワイバーンはドラゴンの亜種であり聖獣に分類される。前肢はないが、二本肢で翼があり、ドラーク竜王国の古竜の眷族だ。大陸全土の鉱山や高山に住み着いており、契約次第では主として認められることもあるらしい。
「魔物ではない聖獣だが……あんな凶暴なものを、どうやって乗りこなすんだ?」
「簡単だ。反抗的な態度が取れなくなるまで痛めつけて、脅せば言うことを聞くだろう」
「……お前、爽やかそうな顔をして容赦ないな」
そうだろうか。これでも割と手ぬるいと思ったが、あまり手段を選ばずに出ると、アイシャに引かれるので、抑えたという方が正しい。
殺したい憎い一族の末裔に惚れるとは、本当にどうかしている。
***
その後、私たちは近くの鉱山に住むワイバーンを手懐け、中立国リーベまで一月以上かかる道中を、二日でに辿り着くという偉業をなした。
それと同時期に、ワイバーンの群れが中立国リーベの上空を横断するというニュースが、大陸全土を震撼させた。というのも普段ワイバーンは、住処となる鉱山や山脈から出ないからだ。
いつの間にか話が飛躍して「ワイバーンの住処に新たな魔物が出る」という噂が、帝国にも届いた。しかし教会によって護送されていたアイシャには、知るよしもなかった。




