第10話 たった数パーセントの変化
魔物討伐から十日後。
表向き私は静養となっているが、実際は教会本部の地下牢に放り込まれた。この展開は前回と変わらないようだ。固いベッドに狭い岩壁。小窓は鉄格子で塞がれている。
私の荷物は全て没収され、衣服も下着にワンピースと、白い外套だけ。一応聖女で公爵令嬢だけれど、扱いはこんな感じだ。小娘なんてどうにでもなると思っているのだろう。
前回の私はローワンたちの無事を祈るばかりで「彼らが助かるなら投獄されても構わない」と、教会上層部に泣きついたのだ。他人に選択権を委ねてしまった──なんと愚かで、楽な選択だっただろうか。
見張りの兵士の姿が居なくなるのを待って、私は安堵の息を漏らした。壁に寄りかかりながら、小窓へと視線を向けた。
(怒涛だったけれど、なんとか最悪の事態だけは避けられた。あれから十日、ローワンたちの石化も解けて、目的の場所に辿り着いたはず……)
今になって恐怖が襲ってきた。幼い両手で震える自分の体を抱きしめる。
(騎士団、魔人族ともに半数以上は助けられたけど、全員は難しかった。……けれど、これで未来は大きく変わる……はず)
そう確信を持った刹那。
聞き覚えのある声が耳に入る。
──現在が確定し、未来が更新されました──
平坦で美しい声音。
私は息をするのも忘れてソレを見つめた。眼前に浮かぶ黒い背表紙、分厚い本のページがめくれる。今まで何もない空間に突如現れた預言書に、目を見開いた。
勝利の余韻も、過去へ戻った実感を味わう前に、絶望の欠片が現実を突きつける。
勝手に最後のページまで捲れると、そこにはこう書かれていた。
『帝国暦二〇七七年八月三一日。処刑されたのはアイシャ。二十一歳。キャベンディッシュ公爵の長女にして、聖女の失った彼女は《大魔女》として生涯を終える』
「…………」
未だ私の未来は変わらない。そう嘲り笑うように本は床に落ちた。
私は本を手に取ると、「更新されたページ」をめくった。紙をめくる音が牢獄に響く。
該当のページには「幻狼騎士団と魔人族のレオンハルトたちの死」ではなく、「無事に隣国へと向かった」という内容に変更されていた。
急に視界が歪んだ。こぼれ落ちる涙が頬を伝う。
「そう簡単に最終的な未来は変わらない。……それでも、ローワンたちは生き残った。この事実だけは、喜んでいいわよね」
予言の回避。
今は喜びを噛みしめつつ、気持ちを引き締める。
戦いは始まったばかりなのだ。
私は虚数空間ポケット、つまりは別次元のなんでも収納ボックスを開き、紙の札を二枚ほど取り出した。紙で折られた鳥、これは魔人族のレオンハルトが作ったもので私にいくつかくれたのだ。
外気に触れた札は一瞬にして愛らしい小鳥の姿へと変わる。十センチほどの黄緑色の精霊の類であるこれらは、使い魔のようなものだ。簡略式のため連絡の用途でしか使えないが、届けたい相手にしか感知できない代物だ。
レオンハルトとしては、私からの連絡を期待して渡したのだろう。けれど今は別の手段で使わせてもらうことにした。
教会上層部のミスは、聖女で、公爵令嬢であり、皇族の私を牢獄に入れたことだ。この状況を今回は大いに使わせて貰おう。
「君はこれをルイス=シグルズ・ガルシア皇帝に。こっちの君は、私の使用人であるロロに渡してちょうだい」
それぞれ真珠を一つずつ趾で掴むと、空へと舞い上がった。
蛍火のように夜空に吸い込まれていった光を、ぼんやりと眺める。
(次は皇帝との謁見。それから、婚約破棄に向けての計画と……教皇聖下の救出。やることは、まだまだたくさんあるけどれ、婚約破棄が出来れば悪役令嬢となる未来を回避できる……はず……)
あれこれと考え事をしていたせいか、うつらうつらと体が眠気に誘われ──私は重い瞼を閉じた。




