第57話 とある異国人の事情
「最悪だわ、どうしてくれるのよ」
「俺に文句を言う前に、説明すべきことがあるでしょう!? これは一体、どういうことなんですか!?」
温泉から岩場に上がった二人。
藍蘭は体型も顔つきも変わっていないのに、すっかり別人になっていた。
「どうもこうも、見ての通りよ」
髪も肌も、そして、瞳の色も、この温泉の中に落ちる前と全く色が違う。
煌神国出身者の平均より少し白いくらいで、なんの違和感もなかった肌も、黒かった髪も、真っ白になってしまった。
まるで、令月を少女にしたかのような、そんな姿だった。
どうして今まで気がつかなかったのか、慧臣は自分でも信じられない。
「やっぱり、異国人なんですね。それも、令月様と同じ……」
「まったく……温泉なんかに落ちたせいで、全部落ちてしまったじゃない。顔は塗るだけでいいけれど、髪は染めるのに時間がかかるのよ?」
普通の川の水であれば、こんなに簡単には落ちない。
温泉に含まれている成分が、藍蘭の髪と肌、そして、瞳の色まで変えていた染料を溶かしてしまった。
人形職人たちが使用している星屎を使った塗料も同じで、色を調合するのに温泉の水が必須であった。
そのため横柄から技術を学んだ職人たちの多くが、実はこの周辺の村で暮らしている。
「あんたって本当に厄介な子ね。あの子も、他の誰も気づいていなかったことに、気づくなんて……」
藍蘭はずっと、自分が令月と同じ異国の血を引いていることを隠していのだ。
(やっぱり、令月様は知らないんだ)
「どうして、隠しているんですか? 令月様に知られたら、何かまずいことでも……?」
「まずいに決まっているわ。呪いを解くために、今の王と子作りなんてしたくないし」
「……いや、それはついこの間判明した話じゃないですか」
「はぁ、本当に、察しがいいのいい子供ね、慧臣。簡単に騙されはしないし……厄介だわ」
藍蘭は深いため息をつくと、金色の瞳でじっと慧臣を見つめる。
「仕方がないわね。この姿を見られてしまったのだから、全部教えてあげる。でも、この話は、絶対に、あの子には……殿下には内緒よ? もし、話したら私はあんたを殺さないといけない」
「こ、殺す……!?」
「あんたは賢くて、優秀だもの。そんな危ないことはしないと、信じて話すわね……」
殺すと言われて、慧臣は怖くなってしまった。
聞かない方がいいのではないかとも思ったが、藍蘭は続ける。
「約束したのよ。私が、絶対、守るって」
*
私の生まれた国は、煌神国よりはるかに遠くの異国。
波斯国やエゲレスなんかよりもずうっと遠くにある。
この国の人間とは、ほんの少し違う生命体なの。
基本的にはこの国の人間と変わらないけれど、肌の色も髪の色も真っ白で、実はほんの少し耳の形も少しだけ尖っているくらいかしらね。
あとは、この国よりも、ほんの少しだけ文明が進んでいると言うべきかしら。
あの子の————殿下の母親は、私たちの国の皇帝の一番下の姫だった。
本国で腹違いの姉たちに無実の罪を着せられた彼女は、罰として二年間この煌神国に降りて、実情を報告することになっていたの。
当時の煌神国王だった先王は、科学に興味がある人だったから、どこまで知識を得ているか調べる必要があるったし、何よりこの国の文明は私たちの国よりも遅れているという不便さがあった。
彼女は慣れない地で、髪も肌も染めて、身を隠していたのだけど……
数ヶ月に数日は、元の姿に戻っていたわ。
髪だけは一度色を抜いてから染め直さないと、不自然な斑ができてしまって、不自然な仕上がりになってしまうから。
その数日、元の姿に戻っていた時に、先王と出会ってしまったの。
先王は、彼女の美しさに見惚れて、彼女自身の意思も関係なく、自分の女にしてしまったの。
彼女は、先王が好色で多くの側室やお手つきにした女がたくさんいることを知っていたから、ものすごく嫌だったそうよ。
でも、先王は噂と違って、毎日毎日、彼女のところに通い詰めて、他の側室になんて目もくれずに、彼女に尽くしたの。
最初は嫌だった彼女も、だんだんとその熱意に絆されて、いつの間にか恋に落ちていたわ。
でも、彼女は後宮やあの西の宮殿————月宮殿にいた時も、定期的に本国には連絡をしなければならなかった。
先王の側室となって、さらに、子供まで身ごもってしまったから、彼女は身動きが自由に取れなくなって、仕方がなく一部の侍女に手紙を託したそうよ。
この国には、私たちの国と裏で通じている人たちがいるから、そこを通して、定期的に報告は届いていた。
でも、彼女の父親は、彼女が自分の知らない間に、自分の大事な娘が身ごもっていたなんて全く知らなかったの。
彼女は本国に知られては厄介だと、このことを隠していたけれど、彼女の美しい容姿は、この国中で噂になっていて、近々子供も生まれるという話は、父親の耳に入ってしまった。
彼女の父親は激怒して、あの夜、この国に自ら足を運んだの。
あとは知っての通り、彼女は子供を産み落としてすぐに死んでしまったわ。
子供を残して、父親は彼女の遺体だけを回収して本国に帰ってしまった。
あなたがさっき見た、あの空を飛ぶ船に乗ってね。
彼女は、その船の中で生き返ったわ。
私たちの国では、死んでしまっても数時間以内であれば、生き返らせることができる特別な技術があるの。
それは成功率がかなり低いもので、犠牲もつきものではあったけれど、成功したわ。
彼女は無事に生き返ったけれど、父親が生きている間は、絶対に息子にも夫にも会うことは許されなかった。
私は、彼女に頼まれてこの国に来たの。
自分の息子をそばで守って欲しいと……
*
「————そして、必ずこの国の王にするようにね」
「王に……?」
「ええ、父親がかけた呪いのせいで、王族に世継ぎが今後生まれないことはわかっていた。国を滅ぼすために、怒った父親がやったことなの。でも、殿下は例外よ。あの子には私たちと同じ国の血が流れているから、呪いは効かないの。彼女は、自分の愛した男の国が自分の父親のせいで滅んでしまうなんて耐えられなかった」
藍蘭は令月を守り、王にさせるか、その息子を王にする為に侍女として、そばにいるのだと笑った。
もし、藍蘭が異国人であること————それも、母親と同じ国の出身であることを知ってしまったら、自分を連れて行けというに決まっている。
藍蘭としては、そろそろ結婚して子供の一人や二人作って欲しいと思っているが、令月は結婚よりも怪奇話や月に行く方法にしか興味がない。
月こそが母親の生まれ故郷だと信じ、自分の目で見たいと思っている。
「それだけは、天地がひっくり返ってもできないことなの。だから、そんな無理な話をさせないためにも、私は本国と関わりのあるような怪奇話や施設には絶対に立ち入らないように避ける役割も担っていたわ」
ところが、藍蘭がいない間に令月が慧臣を拾ってからというもの、藍蘭が意図的に避けていた本国と関わりのあるものへ、令月が近づいてきていた。
「殿下にはこのまま、何も知らずにこの地でおとなしくしてもらっていなければ困るのよ。もし、殿下がこちら側の存在に気がついて、これ以上、近づいてくるようなことがあれば、殿下の命の保証ができないわ。あなたも主人を失いたくはないでしょう?」
だから、黙って見逃せ。
要するに、そういうことだ。