第41話 見えるんです
夏に新しく側室妃が増えたことは、殿下もご存知でしょう?
そうです。
あの幽霊がいた愛桜堂に新しく入った方で————陛下が西方の地域を視察に行った時にお手つきにした女官です。
清国の言葉が話せるので、あちらから来た使節団との交渉の場などに活躍した通訳をしていた方です。
その方自身には、特に何の問題もないのですが、身の回りの世話をさせるのに実家の方から呼び寄せたという侍女が……その、とにかくすごいのです。
見えるんですよ。
そう殿下がお好きな、幽霊だとか生き霊だとか、呪いだとか、そういう奇妙なものですよ。
なんでも、その侍女の実家が有名なお寺だとか神社とか、そういうとこだそうで、一族のみんながそういう不思議な力を持っているとかでして……
その侍女の言う言葉があまりにもズバズバっと当たるもので、後宮では連日その侍女に見てもらおうと愛桜堂に列ができてしまうほどです。
ある若い女官は、「最近どうも運がない。悪いことをしているわけではないのに、上官に怒られてばかりいる」と相談したところ、その侍女が「北を枕にして、部屋の西側に黄色い花を置いて寝なさい」と言ったので、言われた通りに枕の位置を変えて、黄色い花を花瓶に入れて置いてみると、本当にその次の日からいいことばかりが続いているそうです。
別の女官は、「最近夢見が悪くて、よく眠れない」と相談すると、その夢に死んだ母親が出てくることを見事言い当てて、「すぐに墓参りにいくように」と言ったそうで……そこで休暇をもらって母親の墓参りにいってみると、なんと墓が近所の悪ガキにいたずらされて荒らされていたことがわかったんです。
墓を直したところ、その日からよく眠れるようになったのだとか。
その侍女の噂はすぐに後宮内で広まりましてね、側室妃の方々も相談するほどになっていったのです。
こうなると、普段そういった占いというものにはあまり関心のない宦官たちも興味が湧いて来てしまって————僕も誘われて一緒に会いにいってみることになったんです。
ところが、その……侍女が僕の顔を見た途端に悲鳴をあげて、白目にを向いて倒れてしまいまして————
後から詳しい話を聞いたところ、僕の後ろに、「とても強い力をもった悪霊がいるのを見た」と言ったのです。
「背中に張り付いているように、べったりと取り憑かれている」とも……
それならすぐにお祓いでも、何でもして欲しいと、どうしたらいいのか聞いたのですが、その侍女の手には負えないほどのとにかく強い力の悪霊だそうで……
「他の人間に悪影響を及ぼしている」と言われてしまって……
それ以来、みんな僕をあからさまに避けるようになってしまったし、それに————陛下に世継ぎとなる王子が生まれないのは、僕のせいだという妙な噂が立ってしまいました。
僕は長年、宦官として後宮の管理に携わるこのお役目を誇りに思っていました。
陛下は毎晩ほとんどの時間を後宮でお過ごしになられるので、僕ら後宮で働く宦官たちは、偉い貴族の高官たちよりずっと長い時間陛下とお会いすることになります。
それが本当に、僕に憑いている悪霊のせいで王子が生まれないのだとしたら……これは大変なことです。
先日、陛下の耳にも、その侍女の話が伝わってしまったようでして……次に愛桜堂に御渡りになるときに、どうすれば王子が生まれるか聞いてみようと、そういう話になったのです。
陛下は、僕が悪霊に憑かれているせいで王子が生まれないという噂を知りません。
もし、その時、その侍女の口から僕のせいであると言われてしまったら、どうなりますか!?
考えただけでも恐ろしいことです。
きっと、すぐにでも僕はこの職を追われることになるでしょう。
この歳で、今更宦官をやめてどう生きていけばいいのかわかりません。
本当に、困った事態です。
それで、殿下の集めている奇怪な収集品とか、お知り合いのすごい霊能者とか、そういう人をご存知ないかと思いまして、こうして相談に参った次第です。
今までも、後宮では度々、幽霊だとか悪霊だとか、呪いだとか、そういう奇怪な話はたくさん殿下にお話しして、厄介なものは殿下のおかげでなんとか助かりましたが……
まさか、そんな僕自身に悪霊が取り憑いているだなんて、思っても見ませんでした。
殿下が見えないことは知っていますが、殿下の侍女の藍蘭嬢や慧臣くんは見えるんでしょう!?
以前、藍蘭嬢から見えるのには個人で差があると聞いたことがあります。
そういった力の強い悪霊や妖の類のものは、見える方も強い力を持っていないと見えないことがあると……
これまで二人に何も言われなかったということは、二人には見えないほど強い何かが、僕に取り憑いていると、そういうことですよね!?
*
合点は真っ青な顔で、月宮殿に来るなり後宮で起こった出来事を矢継ぎ早に話し出した。
慧臣は令月の隣でその話を聞き、申し訳なさそうに視線を逸らす。
(どうしよう、見えてはいたんだよなぁ……)
以前、合点と会った時は、合点に取り憑いているその女の顔は、慧臣には一瞬しか見えなかった。
ところが、その後もいくつかそういう奇怪な存在と関わることが多くなってしまった慧臣は、その力がまた強くなってしまったのか、今ではずっと見えている。
同じく見えるはずの藍蘭が何も言っていなかったので、悪いものではないのかと思っていたが……
(こんなことなら、もっと早くに言ってあげればよかった)
「えーと、その、すみません。俺にも見えてました」
「へ!?」
「実は、ここで初めてお会いしたときは、俺の勘違いかと思っていたんですが————三度目くらいにお会いしたときから、ずっと……」
「な、なんだって!?」
「女の人の霊です。目元が真っ黒くくぼんで、暗く影になっていて……色が白くて、長い髪がこう、ダラーっと、頬のあたりに張り付いていてですね————……」
「ヒッィィィィィ!!」
慧臣が見えているものについて話すと、合点はゆっくりと倒れ、泡を吹いて気を失っていた。
「おい、大丈夫か、合点! 合点!!」
令月が何度も名前を呼んだが、返事はない。
「……うん、これはダメだな。慧臣、医官を呼んで来なさい」
「わかりました」
そうして、医官を呼びに行く慧臣。
そこへ入れ替わるように、こっそり戻って来た藍蘭が、床に倒れている合点の体をつま先でちょんと軽く蹴る。
「どうしたんですか、これは一体……」
「合点には、強力な悪霊が憑いているそうだ」
「強力な悪霊……? あぁ、やっと気づいたんですか?」
「え……?」
「この男自身には何の害もないようだったので、放置していたんですよ。自分の後ろにはすごいものを憑けているくせに、いつも後宮の別の奇怪な話を持ってくる変な男だなぁと、思ってはいましたが」
もっと早くに言ってやればよかったのに————と、いう言葉が普通なら出てくるはずだが、そうはならないのが、この令月という変人である。
「どんな悪霊だ!? なぜ強力な悪霊だとわかる!? 会話はできるのか!?」
倒れている合点の心配より、悪霊の方にしか興味を持っていなかった。




