第39話 鬼退治
信子の通夜が始まる。
住職たちが到着した知らせを聞いてもなお、莢迷は真紅の衣を着たままであった。
国王、王弟、公女、さらに紅家の者たちなど多くの参列者は、何も言わずただ、下を向いて娘を亡くし、咽び泣く悲劇の母親を見つめる。
視線が莢迷に集中する中、住職と数名の僧侶が棺の前へ出る。
「それでは、これより読経をはじめます」
そうして、読経が始まった瞬間であった。
突然、令月はつかつかと歩いて莢迷の目の前に立つと、莢迷の頭に砂をふりかけた。
「……え?」
何をが起きたのか莢迷が理解する前に、令月と同じように次々と王弟たちが砂をかけたのだ。
無言で、何の説明もなく、突然に。
「あの……これは……いったい、何を……?」
いきなりのことに、莢迷は戸惑う。
顔を上げようとしたが、その瞬間、今度は顔面に砂を投げつけられた。
「ぎゃっ!」
それが目に入り、口に入り、じゃりじゃりと気持ちが悪い。
大豆と塩の味に加えて、鉄の味が混ざっている。
「やめてください! 何をするのですか!!」
抵抗しようと手で払うと、自分の肩に乗っていた赤鬼が、ぼとりと音を立て床に落ちる。
そして、参列者たちの悲鳴が響き渡る。
「鬼だ!!」
「鬼だ!!」
「気持ち悪い!!」
「本当に、お前が殺したんだな!!」
娘を亡くして、咽び泣く悲劇の母親へ向けられた視線が、その小さな赤鬼に集中する。
「そんな……どうして————鬼の姿は、私にしか……」
見えないはずだった。
莢迷が赤鬼を見ることができる特別な力を持っていると気づたのは、この家に嫁いでからだ。
紅家に伝わる、『赤鬼の冥婚』。
その姿が、あの絵巻に記されたものとそっくりで、赤鬼も自ら自分が鬼であることを莢迷に告げた。
赤鬼の言葉は、母親となって悩んでいた莢迷の心を救ってくれた。
自分にしか見えない、不思議な秘密の友人。
赤鬼だけが、自分のことをわかってくれる。
赤鬼だけが、自分のこの寂しさを理解してくれる。
その赤鬼が、なぜか参列者全員に見えている。
「————莢迷、お前……」
それまで、妻に手を上げたことなど一度もなかった芳白が、莢迷の砂にまみれた頬を叩いた。
「最低な母親だ」
「さ……さい、て……い?」
何を言っているのか、信じられなくて、助けを求めあたりを見回す。
身内のはずの紅家の人間たちも、皆同じ目をしている。
自分を責め立てる目だ。
莢迷が望んでいた、憐れむ目ではない。
可哀想だろうとか、これまで辛かっただろうとか、そんな憐れみとは違う、軽蔑の視線だった。
*
「————鬼? 何を言っているんだ?」
住職たちが屋敷に到着する数分前、令月は自分の兄弟たちと紅家の人間を集め、鬼の話をした。
もちろん、莢迷が信子を殺したという話もだ。
そんな突拍子も無い話を、最初はだれも信じてはいなかった。
見えないものを信じろというのはおかしなことではあったし、紅家の人間からすれば、大事な娘を嫁にやったのに侮辱されているようにも思えただろう。
ところが、妙菊の遺体が莢迷の部屋から見つかったこと、倉庫に置いてあった毒の量が明らかに減っていることがわかり、信憑性が増していく。
「まだ信じられないのでしたら、読経が始まり次第、私と同じようにこの砂を、莢迷さんの体にかけてください。そうすれば、鬼の姿が見えるはずです」
少しだけ赤く染まった『除霊砂』を、令月は小袋に入れて皆に配った。
砂ではあるが、少しねっとりとしている部分もある。
「これは?」
「『除霊砂』と言って、鬼を退治する大豆を乾燥させ粉にし、そこへ浄化の塩を混ぜたものになります。さらに、ここに鬼が見える者の血を少々混ぜました」
その鬼が見える者————慧臣は、人差し指の腹を少しだけ切られただけなのに、大げさに包帯でぐるぐる巻きにされながら不貞腐れている。
指を切られてから説明を受けたため、この表情なのだ。
見える者の血を混ぜるなら、梔子の血でも良かったのだが、令月は大事な姪っ子の指に少しであろうと傷をつけるなんてことはしない。
慧臣だって、自分じゃなくて梔子の血を使えだなんていうつもりはない。
最初から説明してくれれば、痛いのは嫌だが、自分で切っていた。
何の説明もなく、勝手に切られたことが不満なのである。
「住職たちや、他の参列者も鬼の姿を見たらわかるでしょう」
見える者の血を混ぜると、見えないものにも一時的に見えるようにできる。
そういう力が追加されるそうだ。
「昔から、鬼を退治するには豆を投げると良いとされています。莢迷さんをそそのかした赤鬼さえ退治できれば、きっと元の優しい母親に戻ってくれることでしょう」
「————お待ちください」
そこへ、紅家の使用人である年配女が話に割って入る。
彼女は幼い頃から莢迷のことをよく知っていた。
「本当に、その赤鬼にそそのかされただけでしょうか? 私は、莢迷様がまだ嫁がれる前……」
彼女は、莢迷には幼い頃から虚言癖と自傷行為があると言った。
幼い頃、莢迷の弟は体が弱く、両親は弟ばかりを気にかけていて、自分も体調が悪いと嘘をついたことがあった。
両親も、使用人たちもそれが嘘であることはわかっていたが、かまって欲しかったのだろうとその日は一日中莢迷を甘やかしたらしい。
それから、度々莢迷は、お腹がいたいとか、どこか怪我をしたとか嘘をいうようになったそうだ。
「旦那様がきつくお叱りになって、それからは一切しなくなりましたが、ご自身の体をご自身で傷つけるようなこともありました。もしかして、今回のこの件も、それと同じなのではないでしょうか?」
彼女はずっと不思議に思っていた。
普通であれば、自分の娘の病状など細かに他人に言いふらすようなことはしない。
弱い子を産んだ母親に責任があるのではないかと、心ない誰かにそう噂されてもおかしくないからだ。
たまに実家に帰ってきては、まるで自慢話でもしているかのように、いかに自分が信子に尽くしているか事細かに得意げに話していたのが、不思議だった。
「まるで、悲劇の主人公のような、そんな表情をなさっていました。不幸な自分に酔いしれているような……————あの様子は、幼い頃から何も変わっていない……傷をつける対象が、自分の体ではなく信子様に変わったのではないでしょうか?」
そんな話は初耳で、芳白も他の王弟たちも皆、莢迷の両親の方を見た。
莢迷には何の問題もないと聞いている。
だからこそ、王弟の妻という座につけたのだ。
両親は肩を落とし、そして、ひたすらに頭を下げる。
「申し訳ございません。大人になり、しばらくそういう行動を取らなくなっていたので————もう、その癖は治ったのだと思っておりました」
芳白の結婚話がまとまった時、その問題を紅家は隠したのだ。
話を黙って聞いていた国王は、怒った。
「なんと愚かな……!! 紅家の血筋であるからこそ、信用して先王は結婚をお認めになったのだ。それを、その信用を、お前たちは裏切った……————令月」
「はい、兄上」
「こういう奇妙な話はお前の専門だ。お前が全て取り仕切れ。それと、芳白」
「は、はい。兄上」
「こんなことでは、信子の魂が浮かばれぬ。信子は私の姪ではなく、私の養女とし、王女として弔うこととする。いいな?」
「は、はい」
そうして、偽の通夜が行われることとなった。