第36話 赤と黒
「後ろに隠れているのは、梔子か? なんだ? いつの間に仲良くなったんだ?」
赤鬼の存在になんて全く気づいているはずがない令月は、慧臣の後ろに隠れている梔子の姿を見て、首をかしげる。
姉の信子は病気がちであったが、とにかくよく喋る子だった。
その反面、妹の梔子は口がきけない。
話している言葉は分かるようだが、芳白の話によれば文字を覚えてからは筆談をできるようになったものの、それでもやはり大人しいと聞いている。
はっきりと物事に対して自分なりの強い意思を持っている信子とは正反対で、ものの好き嫌いもあまりないらしい。
そんな梔子がまさか自分の従者である慧臣をよっぽど気に入ったのか、ぴったりくっついて離れない様子が、なんとも微笑ましくも見える。
(それにしても、まだ、着替えていないのか……)
莢迷の方に移す。
もうすぐ僧侶たちが来て、経をあげる時間になるというのにまだ真紅の衣を着ている莢迷は、令月を見てまた泣き出してしまった。
「ああ、すみません。令月様……私ったら————ううっ……令月様を見るとどうしても信子のことを思い出してしまって……」
袖で顔を隠し、鼻をすする莢迷。
確かに、信子は令月に一番懐いていたし、思い出してしまう理由も納得いくが————
(演技……? いや、そんなわけないか……)
一瞬、そんな風に思えてしまった。
兄たちに莢迷の様子がおかしいと聞いたせいか、やはり何か、どこか妙な気はする。
莢迷は甲斐甲斐しく信子の看病をしてきた良き母親で、芳白は新婚の頃からずっと良き妻だと惚気ていたくらいだ。
やはりその莢迷が、娘の葬儀という場でいつまでもこんな非常識な格好をしているのは何かがおかしい。
「謝らずともいいですよ。それより、この者は私の従者ですが……どうしましたか?」
「え……? 令月様の……?」
莢迷は視線だけ慧臣にジロリと向けると、また直ぐに泣き顔に戻りながら言った。
「そうでしたか。梔子の面倒をみていてくれたようで、いったいどちらのご子息かと思いましたわ。さすが令月様、良い従者をお連れですね。————梔子」
不意に名前を呼ばれ、梔子はびくりと肩を大きく揺らす。
明らかに怯えている様子の梔子をかばうように、慧臣は決して動かなかった。
「あまり令月様の従者に迷惑をかけないようにしなさいね。もう直ぐ住職様たちがお越しになるわ。葬儀が始まる前に、ちゃんと席に着いているのよ? いいわね?」
梔子にそう念を押して、令月に会釈すると、莢迷は使用人を一人連れて自室がある方へ向かって行く。
その使用人は黒い衣を抱えていたため、令月はやっと着替える気になったのだと思った。
「慧臣、一体どういう状況だ? 梔子も、なぜ、母上に顔を見せないんだ?」
梔子の様子も、慧臣の様子もどこかおかしい。
今のやりとりで令月も何かがおかしいことには流石に気がついた。
「令月様……あの————」
しかも、慧臣から一番聞かないであろう言葉が飛び出す。
「鬼の退治の仕方って、知っていますか?」
(————鬼!?)
*
「奥様。そろそろこちらに、お召し替えいただかないと……」
「うるさいわね、何が問題だというの?」
「何がって、色ですよ! なくなったのは信子様なのですから、奥様は黒の衣を着なければ————」
「だから、着てるじゃない」
信子が死んでから、もうこの会話は三度目だ。
莢迷が嫁入りした時、紅家からこの屋敷に一緒についてきた使用人の妙菊は、困り果てていた。
最初は娘を失って、身なりを気にする余裕すらなくなっている状態なのだろうと思っていたが、何度着替えるように言っても、決して葬儀用の黒い衣には着替えようよしない。
それどころか————
「私はずっと黒を着ているのに、あなたはどうしてそんなことばかり言うの?」
真紅の衣を着ていると言うのに、それが黒であると言い張って聞かないのだ。
夫である芳白から言ってもらえばなんとかなるかとも思ったが、芳白も莢迷が着ている衣の色が問題だと言っても、首を傾げているだけ。
夫婦二人とも、おかしいことに気がついていないのだと知って、今、なんとか説得して着替えてもらおうとしている。
葬儀には多くの人々が参列する。
国王陛下だっているというのに、このままでは王族の嫁として恥をかくのが明らかだ。
誇り高き紅家出身の莢迷がそんな様では、紅家にも迷惑がかかる。
「ですから、奥様が着てらっしゃるのは、黒ではなく赤です。濃い赤色なんです。黒ではなくて……————奥様、もしかして、どこか体調がすぐれないのではないですか?」
「何を言っているの? そんなわけないでしょう。あなたの方こそ、おかしいんじゃない? これのどこが赤なのよ? 主人にも確認したけれど、これは黒だって……————」
「もう、何度言ったらわかるんですか!!」
妙菊はつい声を荒げてしまった。
「この色が黒だと言っているのは、奥様と旦那様のお二人だけなんです!! 他の使用人も皆、赤だと言っていますし、参列された他の方々からも、どうして着替えないんだと言われているんですよ!?」
なんど同じ話をしても、莢迷は自分の間違いを認めない。
使用人たちは参列者に何度も、何度どもその理由を聞かれ、「奥様の目がおかしい」という言葉を飲み込んでいた。
早く着替えさせなければ、本当に自分の主人たちが笑い者になってしまうと心配していたのだ。
「……私が黒だと言えば、黒なのよ」
ところが、莢迷はやはりそう言い続ける。
「妙菊、あなた、何か勘違いしていない?」
「何をですか……?」
「今日の主役は私なの。私なのよ」
「え……?」
莢迷は妙菊の背中を蹴り、その衝撃で妙菊は倒れ、莢迷の自室の床に手をつく。
「お、奥様……? いったい、何を……?」
莢迷はピシャリと扉を閉めると、馬乗りになって、床に落ちた黒い衣を妙菊の顔に押し付け口と鼻を塞ぐ。
さらに手を伸ばして、花瓶に生けてあった花を抜き取り、中に入っていた水をその上からかける。
「んんんっ!!」
妙菊は抵抗したが、衣に水が染み込んで、まとわりついて離れない。
「こら、暴れないの」
莢迷は女性にしては背が高く、力も強い。
腕を押さえつけられ、顔を覆う濡れた布のせいで息ができない。
朦朧とする意識の中、妙菊は誰かと会話している莢迷の声を聞いた。
「大丈夫。使用人が死ぬことなんて、よくあることよ。私は…………うん、そうね。みんな、悲劇の方が好きよね、人間って……ええ、知ってるわ。だから…………うん、そうよ。ありがとう、あなたのおかげで、私は————……」