第34話 赤鬼の冥婚
「ああ、それは『体に戻れって』念じればいいそうよ。梔子が言ってた」
「そ、そうなんですか?」
(ずいぶん簡単なものなんだな……)
「でも、もう少し待って。なんのために、私がこんなところにあなたの魂を引きずり込んだと思ってるの?」
「え……?」
確かに、話をするだけなら慧臣の魂を引き剥がす必要はない。
信子が動けるのは、この離れの周辺。
壁や天井をすり抜けることができるのなら、寝台の下からも自由に出たり入ったりできるはずだ。
「この寝台の下の隙間は、寝台を解体しないと普通の人間は入れないの。関わりのありそうな絵は全てこの中にあるわ。もし犯人に見られたら、消されてしまうかもしれないでしょう?」
つまり、証拠になり得る絵を取り出すには、寝台を壊さないといけない。
ここに隙間があることを知っているのは、信子と梔子だけだ。
もし犯人がこの隙間の存在に気づいたら、何をされるかわからない。
「私ね、この半年くらいは毎日自分の目で見たものは日記がわりに描いて、壁の隙間からこの下へ落としていたの。いつか私が死んだ時に、発見されたら面白いんじゃないかって……ほら、私、目で見た景色をそのまま絵にできちゃう天才だから」
「は、はぁ……」
(こういう、自信家なところは令月様に似ているな……王族の血筋だろうか)
「それでね、梔子が描いた絵を見て思ったの。この小さくて、赤い色をした人に似た何か……昔見た『赤鬼の冥婚』ってお話に出てくる赤鬼に似ているって————」
『赤鬼の冥婚』は、母方の祖父の家にあった絵巻だ。
代々紅家に受け継がれている話らしく、まだ出歩いても多少なら問題がなかった頃に見た、童話のようなものだった。
「内容は、こんな感じよ————」
信子は自分で描き起こした『赤鬼の冥婚』の絵を見せながら、その内容を慧臣に語る。
*
『赤鬼の冥婚』
その昔、あるところに鬼と呼ばれるものがいました。
彼らは人間に似た体を持っているけれど、とても小さく、人の肩に乗れるほどの大きさしかありません。
また鬼には、五つの種族がいて、それぞれ赤、青、黄、緑、黒の肌をしています。
彼らの互いの仲は非常に悪いのですが、お互いに人間が嫌いだという共通点がありました。
人間は鬼よりも後に生まれたもので、人間の子供は鬼にとっては大事な食料源でありました。
ある日のことです。
青鬼は増え続ける人間たちに怒りをあらわにしました。
「このままでは、人間たちのせいで我らの住処が荒らされてしまう。奪われてしまう」
青鬼が住んでいた土地が、次々と自分たちの姿が見えない愚かな人間たちによって荒らされいたのです。
黄鬼も、ひどく後悔しています。
「増える前に、人間なんて追い出せば良かったのだ。悔しい。悔しい。こんなことになるなんて思ってもいなかった」
緑鬼は、なんの危機感もなくただあくびをしているだけです。
本来なら、緑鬼が人間たちが鬼の土地に入らないように追い払う立場にあったのですが、緑鬼は何もせず寝てばかりいました。
「そもそも、緑鬼に任せたのがいけなかったのだ。私は言ったではないか。緑鬼なんぞに任せて、大丈夫なのかと……こいつは信用ならない」
最初から緑鬼に任せることを不安に思っていた黒鬼は、緑鬼に人間を任せようと最初に言ったのは青鬼か、黄鬼かと、その裏には何か魂胆があったのではないかと疑いの目を向けます。
その様子を、見ていた貪欲な赤鬼は思うのです。
人間たちが住処を奪っているのは、そのほとんどが赤鬼の土地以外のことでした。
その人間たちを自分の配下に置けば、青鬼の土地も、黄鬼の土地も、緑鬼の土地も黒鬼の土地も、すべて自分のものにできるのではないかと。
そこで、赤鬼は人間の娘と結婚することにしたのです。
赤鬼は人間の中でも自分のように貪欲なものを選び、その娘を騙して結婚しました。
その人間は、欲しいものはなんでも手に入れてやるという本当に貪欲な人間でした。
娘を赤鬼と結婚させるのと引き換えに、赤鬼の人ならざる力を利用することにしたのです。
赤鬼とその人間は、互いの利益のために協力し、全ての土地を手に入れました。
やがて、赤鬼以外の四色の鬼たちは土地を奪われ、冥界へ追いやられてしまいました。
そして、赤鬼は、人間の妻たちが死後に冥界へいって他の鬼たちのものになることを恐れました。
自分のものだった人間の魂が、他の鬼たちのものになるのが許せなかったのです。
奪われるのが許せなかったのです。
そこで、鬼は人間と交わって生まれた赤鬼の一族の人間の魂すべてと、生きた人間を冥界で結婚させることにしました。
鬼たちは生きた大人の人間が嫌いです。
鬼にとって、生きた大人の人間の魂はひどい悪臭を放っているのです。
なので、冥界で夫婦にさせて、他の鬼たちから奪われないようにしたのです。
何もかも、すべてを手に入れたい赤鬼は、今も人間をそそのかして色々なものを得ようとしています。
赤鬼の姿は、特別な力を持つ者しか見ることができません。
もしも、あなたの家族が、友が、妻が、夫が、突然性格が変わったように、とても自分勝手で、残忍な行動をとるようになったら、赤鬼がそばにいるかもしれません。
*
「————と、まぁ、ざっくり言うとこんな感じね」
信子は非常に明るい口調でそう言ったが、慧臣は気持ち悪くて仕方がなかった。
確かに信子が記憶を頼りに描き起こした絵と、梔子が描いたものは似ている気もするが、何より信子の描いた絵が気持ち悪い。
月宮殿にあった倭国の昔の絵巻の絵に似ているような気がするが、どれも恐ろしい形相をしているし、鬼の他に描かれている人間の死体が本当にそこに死体があるかのように上手にかけている。
恐ろしい才能である。
十三歳の結婚前の病弱な少女が描いたとは思えないほどに、まったくもって可愛らしさというものがない。
(もっとこう、女の子って可愛らしいものが好きなのだと思っていた……)
魂だけの状態なのに、吐きそうになる。
「つ、つまり、この赤鬼がこの屋敷にいる誰かをそそのかして、何かの目的で信子様の命を奪ったと言うことですね?」
「その通り! あなた、話の理解が速くて助かるわ!! 私は離れから動けないから、赤鬼が見える梔子と一緒に、犯人を探して欲しいのよ。私が天国へいくよりも前にね!!」
こうして、慧臣はこのおしゃべりな信子の依頼で、赤鬼を探すことになった。