第33話 可哀想
変わり者で有名な令月も、流石にその状況が異常であることぐらいわかる。
莢迷は前左丞相の孫で、高級官僚を次々と輩出している紅家の娘だ。
名家である紅家の人間が、こんな非常識なことをするはずがない。
「令月様には、あの子も本当に感謝していると……うっ……ああ、申し訳ありません……————我が子を失うということが、こんなにも悲しいことだとは……ううぅ」
「莢迷、無理をするな」
「あなた……」
ところが兄達の中で一番優しいが、礼儀作法にはうるさいはずの芳白も、莢迷のこの場にそぐわない衣を気にしていないようだった。
注意するでもなく、ただただ娘を亡くして悲しんでいる妻に寄り添うように肩を抱いている。
二人でボロボロと大粒の涙を流して泣いているのだ。
(悲しんでいて、着替える暇もなかった————ということだろうか……?)
娘を亡くしてここまで悲しんでいる兄夫婦に対して、この場で衣の色について何か言うのは気が引けて、令月は何も言わなかった。
それは他の兄や姉達も同じようで、煙管を吸うために庭に出て、芳白と莢迷のいないところでやっとそのことを口にした。
「あれには俺も驚いた。でも、誰も何も言わないから……」
四番目の兄・歳遠は、縁側で煙管をくわえながら言った。
歳遠がこの屋敷に着いたのは令月が来る少し前のことで、一人だけあんな色の衣を着ていた莢迷にはかなり驚いた。
なぜ着替えていないのか聞こうとも思ったが、娘を亡くしてずっと泣いている莢迷があまりに可哀想で、結局聞けずにいる。
「俺も驚いたよ。俺は割と早い時間にこの屋敷に来たんだが……白の兄上はちゃんと喪主の黒い衣に着替えていたのに、莢迷さんだけは着替えていないんだ」
五番目の兄・瑞辰は兄弟の中で一番住んでいる屋敷が近い。
だからこそ、知らせを聞いていち早く駆けつけたのだが、信子の遺体の前で泣き崩れていた莢迷があまりにも可哀想に思えて、そのままにしておいた。
「姉上か、上の兄上の誰かが言ってくれるだろうと思ってたんだが……結局、みんな言えなかったんだ。着替えるようには————紅家の者たちも同じ理由だろうな。それに……」
瑞辰はちらりと夫婦のいる方を見た後、困った様子で令月に言った。
「俺の妻の話では、信子の結婚の話が出てから、最近どうも様子がおかしかったらしい。あまり白の兄上の面目もあるから、あまり口に出して言いたくはなかったんだが、何か、妖にでも取り憑かれているんじゃないかって話だ」
「妖!?」
つい自分の好きな分野の話が出て、令月は興奮して大きな声をあげてしまう。
「まったくお前は……!! この手の話になると声が大きくなるのをなんとかしろ」
「すみません。つい……」
瑞辰は眉間にシワを寄せながら、話を続ける。
「明らかに様子がおかしいそうだ。夜中に一人でぶつぶつと誰も周りにいないのに、まるで見えない誰かと会話しているかのような姿を、うちの使用人が目撃している」
「ああ、その話なら、俺も聞いたことがある。うちの使用人、前はこの家の使用人だったからな。今でもここで働いている使用人と繋がりがあって、どうも様子がおかしいって————」
瑞辰と歳遠は二人同時に令月の方を向いた。
この二人、同じ側室妃を母に持つ双子の兄弟だ。
母親が違うせいか令月とは全く似ていないが、父親である先王に兄弟の中で一番よく似ている。
そのせいで、同時に見つめられるとまるで先王が蘇って、しかも二人いるかのような錯覚に陥ることがある。
「令月、お前こういう奇怪な話には詳しいだろう?」
「どうにかできないのか?」
*
「————ね? どう?」
「ど、どうと言われましても……!!」
(幽霊と結婚だなんて、冗談じゃない!!)
ただでさえ、幽霊の姿は恐ろしい。
肌は青白く口から黒い血が垂れているし、目元が窪んで黒く影を落とし、体にはおどろおどろしい黒い靄のようなものを纏っている。
信子は慧臣の顔をまぁまぁ気に入っているようだが、慧臣は全くもってこの状態の信子を気に入るはずもなかった。
ちなみに棺の中に横たわっている肉体の方も見ていない。
王族の遺体を直接見るなど、あくまで叔父の従者でしかない慧臣には恐れ多いことである。
顔も知らない人物と結婚なんてしたくないし、例え生きている信子に求婚されたとしても、身分が違いすぎる。
「ふふふ、冗談よ? 本気にした?」
「へっ!?」
本気でどう断ったらいいか考えていた慧臣は、揶揄われていただけだと知って安心する。
王族で、しかも幽霊であるのだから、下手をすれば呪われたりするんじゃないかと気が気ではなかった。
「結婚は冗談よ。死んでまで親の決めた相手と結婚なんてしたくないわ。私はいい子だから、きっとお葬式が終われば天国へ行けると思うの。そこで見つけるわ————でもその前に、私を殺した犯人を見つけたい。協力して欲しいの」
「協力? そんなの……どうやってですか?」
「言ったでしょう、私はこの離れの限られた範囲までしか動けない。だから、梔子を連れて行って欲しいの」
「梔子様を……?」
梔子は話すことはできないが、見える力を持っている。
「これを見て。あれは、私が死ぬ前に、梔子が描いた絵よ」
寝台の下には、いくつか絵が落ちていた。
信子が描いたものと、梔子が描いたものがあり、信子が指差したのは明らかに画力の低い絵。
子供の落書きにしか見えないが、それはこの屋敷に住む人たちを描いているものだという。
「ここに、人じゃないのがいるの。小さくて、赤い色をした人に似た何か、別のものだって梔子は言っていたわ。この絵を梔子が描いて見せてくれたあと、私の体調は悪化したの」
信子は、それがこの屋敷に住む誰かをそそのかして、自分を殺したのではないかと思っている。
「私が天国へ行けなかったとしたら、きっと、父上と母上より先に死んでしまった親不孝だと思うの。でも、誰かにそうされたかもしれないなら、それは私の罪ではないと思うのよ……ゲホゲホッ」
信子の口からさらに黒い血がダラダラと垂れる。
慧臣はその様子を見て、以前令月が言っていたことを思い出した。
(確か、幽霊には死因と関係のある痕が残っているんだっけ……これだけ口から血を吐いているということは————本当に、毒でも盛られたのかもしれない)
「……わかりました。協力します。ですので……その————」
「なに?」
「元の体に戻していただけますか? さすがにこのままではちょっと」
幽体離脱は、肉体の方に何かあると元に戻れない可能性があることを、慧臣は妓楼での一件で学んでいる。




