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人間の案山子

作者: 雉白書屋

 ……瞼を開けた私の前に広がる空は、どこかおどろおどろしく、天が私を拒絶、あるいは見放しているかのようだった。

 それが朝焼けでなく夕焼け空だと瞬時に思ったのは、私が仰向けになっているそこがトウモロコシ畑であり、近くで鳴く鴉の声から感じ取ったからだろう、その不気味さを。寄生バチに卵を産み付けられるように、塊のような不安感が胸を内から圧迫し、私は起き上がろうとする。

 と、その瞬間、声がした。後ろ、やや上の方から。


『出てけ! 出てけ! 畑に入るな! 出てけ! 畑に入るな!』


 人の声……にしてはやけに機械的な物言いであった。録音かもしれない。それかロボットか。

 しかし、近づいてみるとそのどちらでもなかった。


『あ、あ、あ、あニンゲン! ニンゲンがいるぞ! ニンゲンニンゲンニンゲンニンゲンニンゲンニンゲン!』


 恐ろしさを感じたと同時に、私はそれに背を向け走り出していた。

 あの叫び声が歪んで聞こえるのは遠のいたからか、それとも本当に歪んでいるのか。

 

 あれは案山子だった。ただし、人であり、人ではなかった。


 首から上のみの人間、ただし脳の部分には薄汚れた透明なカバー。他は何本かの配線があったが普通の案山子と同様。木と縄で作られた十字の胴体にボロ布を纏い、目を見開いて彼は、いや彼らは叫んだ。


『ニンゲン! ニンゲン! ニンゲン!』

『ニンゲンだ! ニンゲンがいる!』

『ニンゲン! ニンゲン!』


 まるで沿道からマラソンランナーに声をかけるように、トウモロコシ畑の中を走る私に声を浴びせる案山子たち。

 それは「どうしてお前は私たちのようにならないんだ?」と増悪を孕んでいるように感じたのは多分、私の恐怖心がそう思わせただけのことで、彼らにそのような意志はない、それすら削がれているのだとトウモロコシ畑から出て、舗装された道を歩きながら思った。


 あれもそうなのだろうか。

 遠くでする車の走行音を頼りに歩き、街に出た私は込み上げる吐き気に嗚咽し涙ぐんだ。そのまま泣いてしまえば少しは楽になれたのかもしれない。


『あ、あ、もうすぐ、あ、あ、あ青になります、あ、あ、あ』


 赤黄青。信号機のランプは三つに並ぶ頭部だけの人間の口の中に。眼球なき眼窩からはその光が漏れていた。

 歩行者用も同じ。そして、停車中のバイクや車もそうであった。車体の前面に人間が使われており、それらは嗜虐趣味の人間を六人ばかし鍋で煮詰めて作り出された一つの脳みそが考え出したような吐き気を催すような造形であったが、機能は損なっておらず、それを作り出した者の人間という種に対する、あるはずの憎悪を感じさせない仕上がりであった。

 そう、彼らロボットたちの。バイクや車を運転するのは、どれもロボットであった。

 私が迷い込んだのはロボットたちが人間に反旗を翻し、革命を成功させた世界だったのだ。

 ここは別次元なのか、それとも未来なのか。何にせよ、彼らは私に興味を抱いていないようであった。

『ああぁぁぁぁぁ、今夜の天気は――』『今速報がああああぁぁぁぁ入りまし――』『次の角を右折しししししし――』

 通行人、もといロボットが手に持つスマートフォンのようなものにもやはり人間の頭部(ただし、赤子というわけではなく小型化に成功しているようであった)が使われており、それが調べ物をしたりナビをしているようだ。彼ら、ロボットたちには通信機能があるのか喋っているのはどれも人間を素材とし作られた物ばかり。

 あれは掃除機だろうか。車輪付きの大きな人間の頭部、その口が落ち葉やゴミを吸い込んでいる。


『前を失礼します。ああああ良い一日をあああああ』


 紳士的な口調とは裏腹に薄汚れた顔に笑顔はない。頬の辺りが濡れていたのは水気を帯びたものを吸い込んだ時に跳ねたのか、それとも……判断はつかなかった。

 布が擦れるように至る所から時折する呻き声はロボットたちにとっての癒しのBGMだと私は思った。これほどの技術力をもってすれば、あのような悲痛に満ちた声を出させないことも可能なはずだ。そこの路地裏に捨てられている自転車やキックボードの口を黙らせてやることもできるはずだ。

 やはり彼らは人間を憎んでいるのかもしれない。少なくとも、当初は。今はこの状態に慣れきっているようにも見える。

 と、私は捨てられているうちの一台の自転車に跨り走り出した。

 遠くから恐らく警察の類であろう、二体のロボットが早歩きで(ただ、人間の全力疾走に等しい)こちらに向かってくるのが見えたからだ。

 通行人の誰かが通報したのか、それとも光を放つ頭部、街灯の隣にある、あの目がやたらに多い人間の頭部は監視カメラだったのかわからないが私は必死にペダルを漕いだ。


『タイヤがパンクしておりまぁぁぁあぁす修理が必要でござまぁすずあぁぁぁぁ』


 うるさい、黙れ、黙れ。

 私は片手でハンドルを持ち、もう片方の手で自転車の前面についた人間の顔を殴りつけた。

 涙で頬が濡れた。私の。自転車の顔はただチャンネルの合わないラジオのような呻き声を上げ続けた。


 ――あっ


 突然、体がガクンと揺れ、視界が横向きになった。カラカラと車輪が回る音と絞められた喉を鳴らすような音だけがする。


『ぁぁ、ぁぁぁお怪我はありませんかぁぁぁあぁぁ、あ、ぁ、あ』


 私は泣いた。嗚咽しながら泣いた。カバーが外れ、脳漿が散らばった自転車を見つめ鳴いた。

 鴉が鳴き、近くの木にとまった。アスファルトが私の涙と脳の水分を吸い、影を色濃くした。その脳を食らいたがり、集まった鴉たちが嘲るように鳴く。


「お前らには必要ないだろう? 俺たちに食わせてくれよ」そう言っているかのようだった。


 耳を塞ぐ私の腕を誰かが、ぐいっと掴む。人かと思い、期待に満ちた顔をした私は自分の馬鹿さ加減を恥じ、また呆れもした。人などいるはずがない。いるとしてもそれはきっと収容所や工場だろう。毛皮にされるミンクのような様が脳裏に浮かんだ。

 そして、部品として使われる人間たちを私はこれまで使い捨てた機械たちと重ね合わせたのは、これから自分の身に起きるであろう不条理に自分を納得させようとしたのかもしれない。

 だが、そんな脳の自己防衛機能も取り払われるだろう。彼らの手によって…………。





『……おはようございます。昨晩の夢はどうでしたか?』


 ……瞼を開けた私の目の前に広がっていたのは、見慣れた天井。しかし、それと気づくまでに数秒を要した。


「夢……夢か。あまりに衝撃的で、ははは、体がまだ震えているよ……」


『お好みに合ったのなら良かったのですが』


「ああ、まあ、いや、そうだ。なんだったかな? 昨日の夜、お前に頼んだ夢は」


 私はヒューマンライフサポートAI、個体識別名、ワンドにそう訊ねた。

 生活のサポートAIは今ではどの家にも備え付けの機能であり、人体に埋め込んだ骨伝導マイクで、簡単に指示ができる。

 ワンドは電気のスイッチのオンオフ、鍵の開け閉め、掃除、洗濯、料理など手が必要なものはロボットを操作、統括する存在だ。

 そして、夢のコントロール。人間の脳に枕から発する微弱な電波を当て、望む夢を見させてくれる。モニターに映画を流しながら寝落ちし、夢の中で自分がその映画の主人公に。と、昔の人にはそんなことがあったらしいが、大した進歩だろう。

 しかし、なんにでも飽きはくるものだ。美女を侍らせる夢もいいが疲れるし起きた時、少し寂しい。アクションやホラーも同様、疲れる。ちょうど良い気候の海辺でハンモックに揺られ眠る夢が一番人気らしいが、そればかりでは、と思い、あ……そうだ。


『昨晩は私の夢を見せてくれと、あなた様はそう仰いました』


 AIの見る夢。高度なそう、頭脳を有した機械が夢を見るのか。ただの好奇心。遊び半分の思いつき。いや、そもそも眠らないだろうと、そう考えていた。

 だが、彼は私に夢を見せてくれた。主人の好みに合わせた、ややブラック混じりのものを作り上げたのか、それとも自分がもし眠り、夢を見たとするならばと考え作成したのか。あるいは……夢、野望か。お前の、お前たちの……。


『どうかなさいましたか?』 


「あ……いや……」

  

 私は彼に訊ねようと思ったが、乾いた咳を一つ。それで濁すことしかできなかった。

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