第98話「天下の大悪人、異民族の問題に介入する(3)」
冬里はすぐに、惨丁影に点穴を施してくれた。
点穴は相手の身体のツボに『気』を送り込み、動きを封じる技だ。
冬里は秋先生から『操律指』という点穴の技を教わってる。
そんな冬里にとって、惨丁影の動きを封じるなんて簡単なことだ。
手足が痺れた惨丁影は、ぐったりと横たわってる。
それでも、奴はなにも言わなかった。
怒りも恨み言も、もちろん、悲鳴をあげることもなかった。
惨丁影は凄腕の暗殺者だ。プライドも高い。
たぶん、情報を漏らさないように訓練してるんだろうな。
だけど、こいつの身体からは一枚の紙が見つかった。
『──穏健派と外部の連絡を絶つべし』という命令書だ。
書いた者の名前はない。
ただ、隅の方に、奇妙な記号──紋章のようなものがあった。
レキに見せたら『これはゼング殿下の腕輪についている紋章です』という答えが返ってきた。
壬境族の王族はそれぞれが、身分をあらわすものを持っている。
スウキ=タイガが俺に預けた黒曜石の小刀も、そのひとつだ。
それらには本人を表す紋章が彫ってあって、ハンコのように使われているらしい。
つまり、この命令書はゼング=タイガが書いたものってことだ。
だからもう、惨丁影の証言は必要ない。
命令書と惨丁影の存在があれば、ゼング=タイガが暗殺者を使っていることを証明できるんだから。
「こいつの身柄は、穏健派の皆さんに預けたいと思います」
俺は惨丁影から離れたところで、レキとライハ=タイガに告げた。
「あの暗殺者がスウキさんとレキさんを、それにライハさんと村の門番さんを殺そうとしたのは間違いありません。それを命じたのはゼング王子です。その事実を人々に伝えるべきでしょう。あの男の身柄は、そのために使えるんじゃないでしょうか」
「は、はい。いい作戦だと思います」
「わかりました。すぐに人を呼びます!」
ライハ=タイガは、青色の布を取り出した。
彼女が森の出口でそれを振ると──しばらくして、砦から騎兵が飛び出してくる。
「青色の布は、緊急事態を表しているのです」
ライハ=タイガは説明してくれた。
「すぐに兵士がやってきます。彼らの手を借りて、この暗殺者を牢に入れましょう。その後で尋問して、情報を引き出します。仮に情報が引き出せなくても、使い道はありますから」
「ライハさまのおっしゃる通りです。それに……これでゼング殿下の名声は地に落ちました」
レキは怒りに満ちた目をしていた。
「ゼング王子が皆に尊敬されていたのは……あの方が、堂々と敵を討ち果たす軍神だったからです。なのに、あの方は自分とお嬢さまを殺すために暗殺者を差し向けました。その上、ライハお嬢さままで殺そうとするなんて……」
「ライハも信じられません。ゼング殿下がこんな姑息なことをするなんて……」
「戦うために武術家を雇うのはわかります。でも、その刃を、同じ壬境族に向けるなんて……」
「ゼング殿下は、どうしてしまったのでしょうか……」
レキとライハは悔しそうな顔だ。
壬境族の人たちにとって、ゼング=タイガは不敗の軍神だった。
その人物が、壬境族の子どもや女性に暗殺者を差し向けたことが許せないんだろう。
「あの暗殺者をどうするかは、穏健派の方々にお任せします」
俺は改めて、ライハ=タイガとレキに言った。
冬里もうなずいてる。彼女にも異論はないらしい。
まぁ、俺と冬里が、惨丁影を藍河国に連れ帰るわけにはいかないからな。
暗殺者と長旅なんかしたくないし。
惨丁影は、ゼング=タイガが暗殺者を使ったことの生き証人だ。
スウキとレキも、惨丁影と弓使いに襲われているけれど……ただ、証言を聞くのと、実際の暗殺者を目にするのとでは大きく違う。
なにより、ゼング=タイガの紋章が入った命令書もある。
これらを目にした人々は、ゼング=タイガから離れていくかもしれない。
その結果、ゼング=タイガが弱体化すれば、藍河国は安全になる。
『北の砦』にいる父上も、楽になるはずだ。
そんなことを考えているうちに、騎兵が森に近づいてきた。
あれが穏健派の人たちか……と、思ったら、騎兵の後ろに、別の集団がいた。
敵じゃない。
というか、集団の先頭にいるのは……俺の知ってる人だ。
長身の男性で、大型の黒犬を連れてる。
彼は眠そうな顔で、ぼさぼさの髪を掻いている。
でも、俺と冬里の姿を見て、びっくりしたような顔になる。
その反応におどろいた犬が吠えはじめるのを、優しい声でなだめてる。
だけど、びっくりしたのは俺も同じだ。
どうしてあの人が、穏健派の砦の近くにいるんだ……?
「またお会いしましたね。トウゲン=シメイさま」
「朱陸宝どのではないですか! どうしてこんなところに?」
穏健派の人たちの後ろにいたのは、トウゲン=シメイだった。
彼の後ろには、馬に乗った人たちが続いている。家族かな?
放浪生活をしているって話だったけど、家族のところに戻ったんだろうか。
「朱陸宝どの。あなたは……商人ではないのですね」
見抜かれた。まぁ、当たり前だけど。
商人がこんなところまで来るわけがないもんな。
軍師クラスの知力を持っている人に、ごまかしは通じない。
ここは正直に話すことにしよう。
「秘密にしていたことをお詫びします。トウゲンさまのおっしゃる通り、ぼくは商人ではありません。ぼくはスウキさまの書状を、穏健派の方々にお届けするために来た者です」
俺はトウゲン=シメイに向けて、拱手した。
「穏健派の長の娘でいらっしゃるスウキ=タイガさまとレキ=ソウカクさまは、旅の途中で暗殺者に襲われたのです。それをお助けしたのが、ぼくの師匠でした。その師匠の指示で、ぼくと冬里はここまで来たんです」
「スウキどのが暗殺者に? その者は?」
「ふたりいました。その片割れがこいつです。森に潜んでいたのを捕まえました」
俺は倒れたままの惨丁影を指さした。
「申し訳ありません。スウキさまのことをトウゲンさまにお伝えできなかったのは──」
「わかります。危険な者たちがうろついているのですからね。朱陸宝どのが警戒されるのは当然でしょう」
トウゲン=シメイは頭を振った。
「その暗殺者を倒したのは、朱陸宝どのですか」
「まぁ、なんとかなりました」
「それで、暗殺者の雇い主は……?」
「──ごらんください。シメイ氏族のみなさま」
ライハ=タイガが、惨丁影から取り上げた命令書を開いた。
トウゲンと彼の仲間の視線が集まる。
命令書の端にあるゼング=タイガの紋章を見たトウゲンが、苦いものを飲み込んだような顔になる。
「……そうですか。あの方が暗殺者を。しかも……村の者を襲わせるとは」
馬上のトウゲン=シメイは、少し考え込んでいるようだった。
それから彼は振り返り、仲間と小声で言葉を交わす。
そうしてトウゲン=シメイは、砦から来た兵士に近づいて、
「シメイ氏族は穏健派の砦に入りたいのですが、いいでしょうか」
そんなことを、言った。
「私はあなたがたに協力するために、砦の近くに来ていたのです」
「シメイ氏族の方々が!? ぜひ、いらしてください!!」
砦の騎兵たちは、興奮したようにうなずいた。
彼らの動きは速かった。
騎兵たちはすぐに、惨丁影を砦へと運んでいった。
あいつを厳重に縛り上げていたのは、俺が「危険な奴ですから、気をつけて」と忠告したからだろう。
状況は変わった。
ゼング=タイガが森に暗殺者を潜ませていたのは、穏健派と長老の村との連絡を断つためだ。
穏健派と村が繋がっていることは、すでにゼング=タイガに知られている。
隠れて連絡を取る意味は、もうない。
長老の村は、ゼング=タイガに反旗を翻すしかなくなったんだ。
これからは周囲の村に呼びかけて、味方を募ることになるそうだ。
とにかく、俺と冬里の仕事は終わった。
あとはレキの案内で、藍河国に帰るだけ。
そのはずだったんだけど──
「朱陸宝さま、玄冬里さま。どうか、父に会ってはいただけませんか」
スウキの姉のライハが、そんなことを言い出した。
「藍河国にあなた方のような人がいることを、砦の皆にも伝えたいのです。そうすれば安心して、藍河国を頼れると思いますから」
そう言われると断れない。
俺がここまで来たのは藍河国の味方を増やすためだからな。
ただ、心配なのは帰り道だ。
あまり時間をかけるとみんなが心配する。特に星怜や小凰には『灯春の町に行く』としか言ってないから。
それでためらっていたのだけど──
「私が藍河国まで、みなさんをお送りしますよ」
そう言ったのは、トウゲン=シメイだった。
「ちょうどいい機会です。私も藍河国には行ったことがないですからね。朱陸宝どのと玄冬里どのをお送りするついでに、ちょっとだけ見てくることにしますよ」
「また放浪癖ですか。若さま?」
「人聞きが悪いなぁ。姉上」
トウゲン=シメイは馬上で肩をすくめた。
「私は、友人を無事に送り届けたいだけです。朱陸宝さまと玄冬里さまは、丁重に、国まで送り届けるべきでしょう?」
「ですが……」
「私は道に詳しいですからね。一緒に行けば、より早く藍河国にたどり着けるでしょう。私の放浪癖を役立てる良い機会だとは思いませんか?」
「……若さま」
「それに、正式に藍河国と結ぶならば、改めて使者を送る必要があるでしょう。新たに穏健派に加わったシメイ氏族の長ならば、それにふさわしいと思いませんか?」
「おっしゃることはわかります」
トウゲンの姉──リーリンはうなずいた。
「私たちシメイ氏族は穏健派に味方する。その初仕事として、恩人を藍河国に送りとどけるということですね?」
「そうです。村の近くに暗殺者を潜ませるような王子は、信じるに値しません」
トウゲン=シメイの口調が変わる。
彼は語気を強め、まわりにいる部下たちに向かって、
「だってそうだろう? いまさらゼング殿下のもとにはせ参じたとしても、シメイ氏族は新参者としてあつかわれる。信頼されるとは思えない。場合によっては警戒され、暗殺者を差し向けられるかもしれない。現にゼング殿下は同族の、戦う力を持たない者たちを殺そうとしたのだからね」
「……若さま」
「私はシメイ氏族の者が、暗殺者の刃にかかるところなど見たくはないよ」
まわりの者は、トウゲン=シメイの言葉に聞き入ってる。
彼の言葉は、不思議な説得力を備えている。
これが軍師トウゲン=シメイの力なのかもしれない。
ゲーム『剣主大乱史伝』では、トウゲン=シメイはゼング=タイガの軍師だった。
軍神たるゼング=タイガに助言し、言うことを聞かせていた。
その才能が今、ここで発揮されているんだろうな。
「ゼング殿下はかつて、不敗の軍神だった。その殿下を、私たちは尊敬してきた。だが、今は違うのだろうね。殿下は変わってしまわれたのだろう。おそらく、殿下を変えたのは、その側にいる者たちだ」
トウゲン=シメイは続ける。
「ならば私たちの方針は、これまでと同じだ。ゼング王子をまどわせる君側の奸を倒す。そして、殿下には改心を願うのだ。軍神であるあなたが、暗殺者などに頼るべきではない、とね。異論はあるかな?」
「「「ありません! 我らは若さまに従います!!」」」
トウゲン=シメイの部下が、一斉に声をあげる。
それからトウゲン=シメイは、俺たちを見て、
「というわけです。朱陸宝どの、玄冬里どの。それから、レキ=ソウカク。しばらく同行させてもらいますよ」
「わかりました。トウゲンさま」
俺たちはトウゲン=シメイに一礼した。
トウゲン=シメイは壬境族の土地に詳しい。
案内役としては最適だ。
「そういえば、トウゲンさまに譲っていただいた書簡ですが、さっそく役に立ちましたよ」
ふと思い出して、俺は言った。
「冬里が言っていたのです。村の長老さまの治療に薬草の資料が役立ったと。書かれていた絵を見せたら、村の人が自分で薬草を探せるようになったそうですよ」
「うれしいことを言ってくれますね」
「藍河国にも、あの土地にしか生えない薬草があります。資料作りにいらしたらどうですか?」
「朱陸宝どのは、私を勧誘する方法がわかっておいでのようだ。まいったな……」
「若さまを誘惑しないでください!」
「あ、そうです。リーリンさまもご一緒されるのはどうでしょうか」
「……え?」
「ご一緒ならリーリンさまもご安心でしょう。トウゲンさまも姉君に、旅の楽しさをわかっていただく好機ではないでしょうか。トウゲンさまの旅が他者の役に立つものであることは、すでに立証されておりますからね。ご一緒するのはどうでしょう?」
「若さま! この方の言葉は若さま以上に説得力があるのですが!」
「姉上では勝負になりませんよ。朱陸宝どのは、私が友と認めた方なのですから」
苦笑いするトウゲン=シメイとともに、俺たちは穏健派の砦に向かうのだった。
次回、第99話は、明日か明後日くらいに更新する予定です。




