第95話「雷光と玄秋翼、藍河国の軍勢と出会う」
──その一方、雷光と玄秋翼たちは──
「あれは藍河国の兵団でしょうか?」
「間違いないよ、翼妹。しかもあの旗印は……狼炎殿下と燎原君だ」
「こ、高名な、藍河国の王弟殿下が!? どうしてここに!?」
雷光と玄秋翼の言葉に、スウキ=タイガが目を見開く。
灯春の町を出発したあと、雷光たちは大急ぎで北臨に向かっていた。
灯春で馬が手に入ったのは幸運だった。
天芳と冬里が北に向かったあと、手元には玄秋翼の馬しか残っていなかったからだ。だから灯春で馬を入手して、雷光とスウキ=タイガが使うことにしたのだ。
いつもは『五神歩法』で縦横無尽に駆け回っている雷光にとって、馬で移動するのはじれったかったのだろう。
反射的に馬を降りて走り出そうとする彼女を、玄秋翼は何度もたしなめることになった。雷光の傷は癒えはじめているけれど、まだ完全ではないからだ。
もちろん、焦っているのは玄秋翼も同じだ。
壬境族の穏健派は藍河国にとって、手を結ぶ価値がある。
味方にできれば壬境族の情報も手に入るし、ゼング=タイガを抑えることもできる。逆に、彼らが滅ぼされてしまったら、藍河国は貴重な味方を失うことになる。
だから、急がなければならない。
北臨から灯春までは数日の距離だが、それでも焦ってしまう。
一日でも速く、一秒でも速く北臨に着かなければと考えていたのだが──
──まさか、灯春を出た2日後に、藍河国の部隊と出会うとは思いもしなかったのだった。
「王弟殿下はいらっしゃるか!? こちらは殿下の部下の雷光と、玄秋翼である!!」
藍河国の兵団に向かって、雷光は内力をこめた声を発した。
びりり、と空気が震え、藍河国の兵団が彼女を見る。
「国の大事につき失礼する。殿下にお目通りを願いたい!!」
「おお! 雷光どの。戻られたか!!」
男性の一人が飛び出してくる。
燎原君の腹心の部下の炭芝だ。
「黄天芳どのたちがあなたを探しに行ったと聞いております。合流されたのですか? ですが、黄天芳どのと玄冬里どの姿が見えないようですが……」
「ふたりは、私の代わりに北に向かったよ」
「北に、ですか?」
「ふがいない話だ。師匠である私が、天芳と冬里に面倒をかけてしまった」
雷光は震える声で答えた。
「だが、そのかいはあったようだ。幸運にも、ここで殿下と出会うことができたのだからね。王弟殿下に会わせたい方がいるのだ。取り次ぎを願いたい。天芳や冬里の思いを無駄にしないためにも、一刻も早く!!」
「壬境族王の姪の、スウキ=タイガと申します。藍河国の王太子殿下と王弟殿下にお目にかかることができて、光栄に存じます」
燎原君との面会は、すぐに実現した。
雷光と玄秋翼は、燎原君の部下だ。
そのふたりが壬境族の王の親族を保護したのだから、燎原君が興味を持つのも当然だった。
燎原君と太子狼炎が街道を進んでいたのは、奏真国の使節を送るためと、北の砦に向かうためだ。
本来は、北に向かうのは太子狼炎だけのはずだった。
燎原君が同行することになったのは、太子狼炎の言葉がきっかけだった。
太子狼炎は北の砦で『狼騎隊』の墓参りをすると言った。
自分の過ちによって部下を失ったことを認め、墓前で、それを繰り返さないことを誓うと、燎原君に話したのだ。
その言葉は燎原君を感動させた。
だから彼は太子狼炎を、途中まで見送ることにした。
奏真国の使節を、海に案内するのも兼ねて。
その奏真国の使節は、すでに海へと向かっている。護衛の兵士たちも一緒だ。
彼らと別れた燎原君と太子狼炎は、街道の近くに兵をとどめて、雷光たちの話を聞くことにしたのだった。
「おどろきましたな。壬境族の穏健派が、我が国との支援を求めているとは……」
雷光の報告を聞いた燎原君は、考え込むようなしぐさをした。
彼にとっては、にわかには信じられない話だった。
だが、燎原君の目の前には、スウキ=タイガが壬境族の王族であることを示す、黒曜石の短刀がある。
スウキ=タイガが差し出したものだ。
「疑われるなら、それで私を刺してください」との言葉とともに。
黒曜石の短刀と彼女の言葉は、燎原君の疑念を払うのに十分だった。
「太子殿下。この件について、ご意見をうかがってもよろしいかな」
燎原君は、隣にいる太子狼炎に声をかけた。
雷光や玄秋翼の話を聞いている間、狼炎はずっと、無言だった。
困惑するのも、無理もない。
太子狼炎は北の地で、ゼング=タイガの部隊と戦っている。
『狼騎隊』の者たちを殺したのも、ゼング=タイガだ。
壬境族の一部が友好関係を求めてきたとしても、信じるのは難しいだろう。
「太子殿下の気持ちは、お察しします」
燎原君はおだやかな口調で、そう言った。
「ですが、壬境族の穏健派の提案には、一考の余地があると思うのですよ。壬境族の中に味方ができれば、藍河国にとっての力となりえます。もちろん、すぐに決めるのは難しいと思いますが──」
「それは違うぞ。叔父上」
狼炎は、かすれる声で答えた。
「申し上げたはずだ。私は、同じ過ちはおかさぬと」
狼炎は膝の上で、拳を握りしめていた。
彼はじっと、視線を落としている。
苦い記憶をたどり、かみしめているかのように。
「以前、北の地で壬境族と戦ったとき、私は自分の感情を優先して動いてしまった。それによって、忠実な部下を失うことになったのだ。二度と同じ過ちはせぬ」
「……狼炎殿下」
「そして今、優先すべきは、私の感情ではない。国境地帯を安定させることだ。そして壬境族の王子である、ゼング=タイガの動きを封じることにある」
やがて、顔をあげた狼炎は、はっきりと宣言した。
「それに協力してくれる者たちなら……手を結ぶことに迷いはない。よき報せを届けてくれたことに感謝する。雷光、玄秋翼。そして壬境族のスウキ=タイガよ」
「ははっ!」
「ありがとうございます。殿下」
「あ、藍河国の王太子殿下に感謝します!!」
雷光、玄秋翼が拱手し、スウキ=タイガが深々と頭を下げる。
「叔父上。この狼炎は、このまま北に向かい、黄英深のいる砦に入るつもりでいる」
狼炎は燎原君に向かって、たずねた。
「目的はゼング=タイガを引きつけることだ。やつらが我が兵を警戒して国境に兵を集めたなら、敵の兵力は分散することになる。壬境族の穏健派は楽になると思うのだが、どうだろうか。この狼炎の判断は、間違っていないか?」
「正しいご判断だと考えます」
燎原君は立ち上がり、拱手する。
太子狼炎に対して、臣下の礼を取る。
「そうなれば黄天芳たちも、安全に帰って来ることができるでしょう」
「黄天芳か。あの者は……本当に無茶をする。今回のこともそうだ。海亮が聞いたら腰を抜かすかもしれぬぞ」
狼炎は困ったような笑みを浮かべた。
「思えば……はじめて出会ったときからそうだったな。黄天芳はこの狼炎に向かって、天下のことをたずねてきたのだ。ろくに内力もないくせに大言を吐くものだと思っていたのだが……」
「自分が口にした言葉の通り、彼は天下のために動いているようです」
「……不思議な存在だな。あの者は」
太子狼炎は苦笑いする。
それから、ふと、気づいたように、
「そういえばこの兵団には、黄天芳の義妹が同行しているのだったな」
「はい。夕璃と共に、奏真国の使節の応対をしておりました。今は兵団の後方におります。それと、黄天芳の兄弟子も残っております」
「翠化央が? 彼は奏真国の使節とともに海に行ったのではないのか?」
「兵団に残ることを決めたようです。弟子として、今は師匠を優先したい、と」
「ならば、雷光と玄秋翼よ。ふたりに黄天芳の話をしてやるといい」
狼炎は雷光たちに向かって、告げた。
「貴公らだけが戻って来たのでは、ふたりも気になって仕方がないであろう。事情を伝えることを許す。ただし、内密にな」
「承知しました」
「太子殿下のお心遣いに感謝いたします」
雷光と玄秋翼は一礼する。
狼炎はうなずいて、
「できれば灯春の町に、黄天芳と玄冬里を出迎える者を派遣したいのだが……どうだろうか。叔父上」
「それは、私に考えがございます」
燎原君は拱手しながら、太子狼炎に答える。
「灯春に迎えを出す件につきましては、私がすべて手配いたしましょう。殿下は急ぎ、北の砦に向かわれるのがよろしいかと」
「……承知した。叔父上の言う通りにしよう」
太子狼炎には、燎原君の考えが、なんとなく理解できた。
燎原君は、灯春の町の防備を固めるつもりなのだ。
北の砦に藍河国の兵が集うのを見たゼング=タイガが、別の道から南下してくる可能性もある。灯春に兵を入れておけば、それを防げる。また、戻ってきた黄天芳から話を聞き、それをもとに兵を動かすこともできる。
壬境族の穏健派が信頼できる相手なら、灯春の町は彼らとの窓口になる。
万が一、穏健派が信頼できない相手なら、灯春の守りを固める必要がある。
もちろん燎原君も、スウキ=タイガが嘘をついているとは思っていない。
だが、彼には民を守る義務がある。
そのため、あらゆる手を打っておく必要があるのだった。
「殿下は堂々と、人目を引くようにして北に向かわれるのがよろしいでしょう」
燎原君は不敵な笑みを浮かべた。
「うわさとは、予想外の広がりをみせるものです。殿下が北に向かわれたことを知れば、壬境族の王は警戒いたします。彼らは急ぎ、兵を国境に集めるでしょう」
「それが叔父上の策か」
「……やはり叔父上からは、これからも多くを学ばねばならぬな」
燎原君の言葉を聞いて、太子狼炎はうなずく。
それから彼は、部下に向けて、
「早馬を用意せよ! 北臨の父上に連絡することがある! それと……叔父上は──」
「私は北臨に向かいます。壬境族の穏健派と友好関係を結ぶためには、陛下のご裁可が必要ですから」
「お願いする。叔父上」
「夕璃は残していきましょう。あの子には、北の地からの客人をもてなしてもらわなければいけませんからね。ああ……スウキ=タイガどの。緊張することはない。我が娘は優しい子だ。きっとあなたといい友だちになれるだろう」
こうして、スウキ=タイガは太子狼炎と燎原君に歓迎され──
燎原君と太子狼炎は、行動を開始したのだった。
年内の更新は、ここまでになります。
次の土日は年末ということで、更新はお休みする予定です。
今年も「天下の大悪人」をお読みいただきまして、ありがとうございました。
来年は書籍版が発売予定になっています。
詳しい情報なども公開していく予定ですので、ぜひ、ご期待ください。
今年もありがとうございました。
どうぞ、良いお年をお過ごしください。




