第93話「黄天芳と玄冬里、壬境族の土地に向かう(5)」
壬境族の占い師は、占いを行う前に星を見る。
最初に星の位置を確認して、それをもとに、占いに適した日を調べる。
占いが行われる日の朝は、羊を生け贄に捧げる。
その後は香を焚き、天幕の中で祈り続ける。
やがて、占い師は意識を失い、夢を見る。
その夢こそが、未来を指し示すものだとされているのだ。
けれど、長老──エイガン=タイガが見た夢は違った。
儀式の途中で彼女は倒れ、未来を指し示す夢を見たのだった。
その夢の中では獣たちが相争いながら、なにかの生き物を喰らっていた。
その生き物が着ていたのは、藍河国の王の朝服だった。
朝服のことなど長老は知らないのに、はっきりとわかった。
『おお。この私の時代で、藍河国も終わりか!』
朝服を着た生き物が、そう叫んでいたからだ。
獣たちは藍色の河の中で、その生き物を食らっていた。
藍河王のまわりには、四匹の獣たちがいた。
かたちはよくわからなかった。
真っ黒に染まった、影絵のような姿をしていた。
四匹の獣のうち、二匹は鎖に繋がれていた。
鎖の先はゼング=タイガが握っていた。
ゼング=タイガは獣に指示して、藍河国の王らしき生き物を喰わせていたのだ。
別の一匹を繋ぐ鎖は、見知らぬ少年が握っていた。
きらきらと輝く、不思議な姿の少年だった。
最後の一匹は、繋がれてはいなかった。
その獣は獲物に興味がないのか、離れた場所に座っていた。
やがて、藍河王が食い尽くされると、ゼング=タイガが勝利を宣言した。
そうして、夢は終わったのだった。
「わが占いは、このようなかたちで未来を示したのじゃ」
そう言って、長老は説明を終えた。
「これは王の命令で、壬境族の未来を占ったときに見たものじゃ。だから、わしは占いの結果を王に伝えた。この夢を見たものがわし一人だったら、たいしたことにはならなかったのじゃが……」
「王さまは他の占い師にも、未来を占うように命じていたんですね?」
俺は言った。
「他の占い師もすべて、長老さまと同じ未来を見た……ということですか」
「そうじゃ。それで王とゼング王子は、運命を感じたのじゃろう」
長老は、苦々しい口調でうなずいた。
占いの結果を知った壬境族の王とゼング=タイガは、『藍河国は滅ぶ』という運命を信じたんだろうな。
だから軍を率いて、藍河国に攻め込もうとした。
それを燕鬼や『金翅幇』という組織が支援したんだろう。
長老の夢に出てきた獣は、たぶん『四凶』だ。
そのうち二匹を、ゼング=タイガが操っていたのは、壬境族が『二凶』を手に入れるという意味だろうか。
もう一匹を操っていた少年は……ゲーム主人公の介鷹月だ。
彼はゲーム『剣主大乱史伝』の中でも『四凶の技』を使っていたんだろう。
ステータスには表示されていなかったけど。
そして、最後の一匹は、藍河国を滅ぼすのに参加していない。
そういう『四凶』もいるんだろうか……?
本当は、もっと詳しく話を聞いてみたい。
けど……俺はなりゆきで、スウキとレキに手を貸している立場だ。
壬境族の長老に、ゼング=タイガのことや『金翅幇』のことを聞くわけにはいかない。下手に探りを入れすぎると、穏健派の信用を失うかもしれない。
それで穏健派と藍河国の連携がうまくいかなくなったら最悪だ。
占いについて聞けただけで、満足するしかないか。
「ありがとうございました。長老さま」
俺は長老に向かって、拱手した。
「貴重なお話でした。参考にさせていただきます」
「役に立ったなら、なによりじゃ」
「占いの結果を……壬境族の人々は知っているんですか?」
「詳しい内容を知っておるのは、王に近い者だけじゃ。だが、別に秘密でもなんでもない。お主が誰かに話したところで、構わぬよ」
「……お見通しですか」
「スウキとレキを救ってくれた方のお弟子なら、ただ者ではあるまい。だからわしは、占いについて話したのだ」
長老は、かすかに笑ったようだった。
「風は草原をめぐる。同じように、恩義もめぐるものじゃ。スウキを救ってくださった方ならば、わしの恩人でもある。わしはお主を信じるよ」
「ありがとうございます」
「こちらこそ。スウキからの書状を届けてくれたことに感謝しておる」
長老は俺と冬里に向かって、頭を下げた。
「書状は間違いなく、スウキの父に届けるであろう。お主たちは村に泊まっていくがよい。もてなしはできぬが、ゆっくりと身体を休めて欲しい」
「はい。それと……ひとつ、お願いしてもいいですか?」
「構わぬよ」
「ぼくは、穏健派の人たちがいる場所を見てみたいのです」
できれば、スウキのお父さんたちの所在地を確認しておきたい。
燎原君や藍河国の高官たちが、直接、彼らと連絡を取りたいと言い出すかもしれないから。それができるように。
「承知した。ここからは遠くない。明日、レキに案内させよう」
「ありがとうございました」
俺は長老に頭を下げた。
冬里とレキも、同じようにする。
こうして俺は、雷光師匠とスウキに頼まれた役目を、無事に果たしたのだった。
──冬里視点──
「よろしければ、長老さまのお身体を診てさしあげたいのです」
話が終わったあと、冬里はそんなことを申し出た。
長老は、身体は弱いけれど、有能な占い師として尊敬されている。壬境族のなかでも重要人物だ。
そして、長老は藍河国に敵意を抱いていない。
逆に今のゼング=タイガのやり方を不安に思っている。
それに長老は、壬境族の穏健派と、藍河国をつないでくれる人でもある。
彼女はスウキやレキを大切にしていて、異国から来た天芳や冬里にも優しい。
そういう人には長生きして欲しい。
そう考えた冬里は、長老の身体を診察することを言い出したのだった。
「うむ。良い機会かもしれぬな。よろしくお願いする」
長老は冬里の申し出を受け入れた。
天芳とレキが部屋を出たあと、彼女は着物を脱ぎ、冬里に身体を預ける。
「目と脚が悪いのは前からじゃが、最近は腰も良くなくてな。遍歴医の方に診ていただけるのは幸いじゃよ」
「……長老さまは、すごいお方ですね」
「なにがかな?」
「異民族の者にお身体を預けるのは、ご不安なのではないのですか?」
「なにを今さら。お主たちも、我が村に身を預けているではないのかな?」
長老は、からからと笑った。
「そのような方々を疑うようでは、草原の神にバチを当てられるであろうよ」
「……ありがとうございます」
壬境族の中にも、信じられる人はいる。
けれど、その人たちは主流派ではない。権力も持っていない。
長老やスウキの父が壬境族を治めていれば、争いなどはおこらなかっただろう。
救いなのは、長老やレキ、スウキたちが戦いに参加していないことだ。
この村の者たちは、身体があまり強くない。
ゼング=タイガは徴兵した彼らに、荷物運びをやらせているらしい。
前線に出ているのは、ゼング=タイガと、その支持者の兵士たちだそうだ。
「長老さまは、脚から腰のあたりの『気』のめぐりが悪いようなのです。それでお身体が冷えて、痛みが出ているのでしょう」
診察のあとで、冬里は言った。
「気血を活性化させる薬草がありますので、あとでお渡ししますね」
「感謝する。対価は……」
「いりません。あなたたちが味方になってくだされば十分です。宝さま……いえ、冬里の旦那さまも、同じことをおっしゃると思います」
そんな言葉を口にして、冬里の鼓動が早くなる。
胸を押さえながら、冬里は続ける。
「薬草はこの地でも採れます。近くの森の、黒い木の根元を探してみてください。葉先が黄色で、白い花が咲く草です」
「おどろいた。あなたは、この地の薬草のことまでご存じなのか?」
「宝さまが入手された資料の、うけうりなのです」
トウゲン=シメイから買い取った木簡には、さまざまな薬草の情報があった。
その中に、長老の身体に効く薬草のことも書かれていたのだ。
「貴公たちは、勉強熱心なのですな」
「はい。特に宝さまは……あなたがたを、理解しようと考えていらっしゃいます」
「それはわかっておるよ。わしは、あの方を信頼しておる」
衣服を整えながら、長老は身体を起こした。
「なんとなく思うのじゃよ。わしの夢の内容が変わったのは、あの方のおかげかもしれぬと」
「夢が変わった、ですか? もしかして占いの……?」
「そうじゃ。いや……これはあの方には語らぬがいいな」
長老は頭を振った。
「わしの占いはゼング王子を変えてしまった。同じように、占いの結果が朱陸宝どのを変えてしまうのがこわいのじゃよ。だから……今からする話は、妻であるあなたの胸のうちにとどめておいて欲しいのじゃ」
「は、はい」
冬里は真剣な表情で、うなずいた。
「お約束いたします。どうか、お聞かせください」
「お主たちが来る前にも、わしは占いを行った。そのときに、ふたたび四匹の獣が現れる夢を見た。じゃが、内容が変わっておった」
「……どのようにですか?」
「藍河国に敵対する獣が減っておった」
静かに、長老は告げた。
「以前は三匹の獣が、競って獲物を食らっておった。それが二匹になっていた。しかも他の一匹が、獲物を食らう二匹を止めようとしておったのじゃ」
「……それは」
「これがどういう意味を持つのか、わしにはわからぬ」
長老は続ける。
「お主たちがやってきたのは、その夢を見たすぐあとのことじゃ。もしかするとお主たちが、国の運命に関わっておるのかもしれぬ。それで話すことにしたのじゃよ」
「……宝さまと冬里が……ですか」
冬里も『四凶の技』の存在は知っている。
けれど彼女は『渾沌の秘伝書』については知らない。
知っているのは天芳と凰花が『窮奇』の使い手を倒したことだけだ。
(天芳さまたちが『窮奇』を倒したことで、なにかが変わったのですか……?)
長老はそれを、冬里の夫には言うなと告げた。
占いがゼング=タイガを変えたように、冬里の夫も変わるかもしれないから、と。
天芳とゼング=タイガは違う。
占いが天芳を変えるとは思えない。
けれど、相手は壬境族の長老だ。その言葉には重みがある。
だから──冬里は心を決めた。
(……冬里は、秘密を守ることにするのです)
天芳に隠しごとをするのは、申し訳ないと思う。
その埋め合わせをしよう。
天芳のために、なにより自分のために。
「それと、お主に対して感じたことなのじゃが」
ふと、長老は言葉を続けた。
「……お主と、お主の夫の近くに、いくつかの星が見えるのじゃよ」
「星、ですか?」
「うむ。今はふたつの強い星が、お主と、お主の夫の間に入り込もうとしておる。いや……もう入り込んでおるのかな? お主の夫は人望があるようじゃ。じゃが、その星たちは、お主と、お主の夫との仲を邪魔するかもしれぬ。その星が男か女かはわからぬのだが……む? どうした? 黙ってしまったようだが……」
「い、いえ。なんでもないのです」
頬を押さえながら、冬里はうつむく。
天芳と冬里の間にある、ふたつの星。
それが誰を表すのか──冬里にはすごく心当たりがあったからだ。
けれど、それは長老に話すことではない。相談することでもない。
冬里ががんばって、天芳との距離を縮めるしかないのだ。
だから冬里は、長老に拱手して、
「診察は終わりです。薬草のことは、レキさまにもお伝えしておきます。どうか、お大事にしてください。長老さま」
そう言い残して、冬里は長老の部屋を後にしたのだった。
次回、第94話は、明日か明後日くらいに更新する予定です。




