第89話「黄天芳と玄冬里、壬境族の土地に向かう(1)」
──天芳視点──
『渾沌の技』の修行をしたのは1日だけだった。
できるだけ早く、壬境族の穏健派に連絡をする必要があるからだ。
穏健派と藍河国が接触したという事実は、ゼング=タイガへのプレッシャーになる。
奴は藍河国の支援を警戒して、本気で穏健派を攻撃できなくなる。
だから一刻も早く、俺たちは穏健派のもとに向かう必要があるわけだ。
出発までの1日、俺は『渾沌の技』の『万影鏡』の修行をした。
実践派の雷光師匠と、理論派の秋先生の指導を受けながらだった。
雷光師匠は俺の『気』が強くなってることをほめてくれた。あと、本人も『万影鏡』の型を試してみたがってた。『これは天芳と化央だけの技です。それに姉弟子は、怪我のことを考えてください!』って、秋先生にむちゃくちゃ怒られてたけど。
『万影鏡』とは「まわりのすべてを映し出す技」だ。
技の使用者は、自分を鏡のように変化させる。
鏡は、まわりのものを映し出すことができる。
それは鏡が、まわりにあるものすべてを捉えているということを意味する。
だから『万影鏡』の使用者は、周囲のものを映し出す──というか、まわりの状況すべてを把握することができる。
そんなことを、雷光師匠と秋先生は言っていた。
ふたりは「万影鏡はおそらく、究極の防御のための技だ」と言っていた。
『渾沌の技』は『四凶の技』の中では、最後に編み出されている。
それで他の『三凶』から身を守るための技が記されているのだろう、と。
正直、助かる。
今回の仕事は、壬境族の穏健派にスウキ=タイガの書状を届けることにある。
戦う必要はまったくない。必要なのは、身を守るための手段だ。
俺の『五神歩法』に『万影鏡』の技が加われば、戦いを避けやすくなる。
それに冬里さんの点穴の技もある。
力を合わせれば、安全に役目を果たせると思うんだ。
「それじゃ、ふたりの役割を再確認するよ」
修行を終えた日の夜、雷光師匠は言った。
「天芳に冬里くん。これから君たちは夫婦になる。天芳は壬境族に名前が知られているから、朱陸宝と名乗ること」
「冬里は天芳のことを『宝さま』と呼びなさい。それなら、違和感もないと思う」
秋先生は、雷光師匠の言葉を引き継いだ。
「冬里は天芳の妻で、修行中の遍歴医だ。天芳は──」
「見習いの商人ですね」
藍河国と壬境族は敵対しているけど、個人レベルでは交易が行われている。
それぞれの領地でしか獲れないものがあるからだ。
壬境族の土地では良い馬が育つし、良質な羊毛が獲れる。
逆に藍河国で産出する布や陶器、茶や医薬品は、壬境族にとって貴重品だ。
商人なら、おたがいの領地を行き来することができるんだ。
もちろん、目立たないように壬境族風の格好をする必要はあるんだけど。
「商人なら、壬境族の領地に入っても問題はない。そうだね、スウキくん。レキくん」
雷光師匠はスウキ=タイガとレキ=ソウカクの方を見た。
スウキ=タイガはまっすぐに雷光師匠を見返して、
「おっしゃる通りです。父のもとにも月に数回は、藍河国から商人が来ていましたから」
彼女は、きっぱりとうなずいた。
「父が藍河国との和平を求めたのもそのためです。藍河国の豊かさと、その技術はあなどれない。敵対するのは得策ではないと、よく言っていました。ですよね? レキ」
「…………うぅ」
「どうしたのですか? レキ。返事をなさい」
「はい。お嬢さま」
「こら。返事をする相手は雷光さまや天芳さまでしょう? みなさま目を見てお答えしなさい」
「あの……お嬢さま」
「なんですか? レキ」
「自分まで……変装しなければいけなかったのですか?」
「あなたは敵に顔を見られています。変装しなければ道案内はできませんよ?」
「……で、ですが、他に方法はなかったのですか?」
「ありません。これが最良の手段です」
「…………あ、あぅ」
「しっかりなさい。これからはその姿に、慣れてもらわなければ」
「…………は、はいぃ」
レキ=ソウカクは真っ赤になって、うつむいてしまった。
俺が雷光師匠と秋先生から指導を受けている間、冬里さんとスウキは、レキを変装させていた。
レキは俺たちの道案内をしてくれる予定だ。
彼は道にも詳しいし、比較的安全なルートも知っている。
それに、俺たちが穏健派の村に入るための仲介役でもある。
問題は彼が、敵に顔を見られていることだ。
だからしっかりと変装をする必要がある。
その結果、レキには女装してもらうことになったのだった。
「かわいいですよ。レキ。誰が見ても正真正銘の女の子です」
「……うぅ」
「気に入りました。事が終わったあとも、ずっとその姿でいるのはどうでしょう?」
「かんべんしてください。お嬢さまぁ……」
レキは真っ赤になって、うつむいてる。
彼が着ているのは、壬境族の女性の衣裳だ。スウキが着ていた服をアレンジしている。
身につけているアクセサリは、灯春の町で買ったものだ。
髪を飾って、かわいい感じに仕上げている。
その結果、レキ=ソウカクは見事に女の子の姿に変身している。
彼を知る人でも本人だとわからないと、スウキ=タイガは保証してくれた。
「レキのことは『ソウカク』とお呼びください。壬境族でもっとも人数の多い氏族の名前です。正体がばれることはないでしょう」
スウキは言った。
「レキは天芳さまと冬里さまの道案内役で……天芳さまの遠縁の親戚とするのがよいかと思います。その縁で、天芳さまが商売をする手助けをすることになったことにすれば、一緒に旅をする理由になりましょう」
「わかりました」
「レキは、旅の間は天芳さまのおそばで眠るようになさい」
「……え? ど、どうしてですか?」
「あなたは私の護衛役の男の子です。冬里さまと一緒のお部屋に泊まるわけにはいかないでしょう?」
「そ……そうですね」
「レキ。自分の役目はわかっていますね?」
スウキは真剣な表情で、レキの目を見つめた。
「あなたは女性の従者として、黄天芳さまと玄冬里さまに付き従うのです。そうして、おふたりと穏健派の村にご案内してください。いいですね」
「承知いたしました」
レキは深々と頭を下げて、
「レキ=ソウカク。一命を賭けて使命を果たします!」
「お願いします。レキ」
そう言って、スウキは俺と冬里さんを見た。
「黄天芳さま、玄冬里さま。どうか、よろしくお願いいたします」
スウキは俺たちの前で、平伏した。
「どうかご無事で。そして、穏健派の村へと書状を届けてください。争いを避けるためにも。壬境族と藍河国……両国の戦で犠牲者を出さないためにも、どうか……」
「わかってます。できる限りのことはするつもりです」
戦いになって欲しくないのは、俺も同じだ。
壬境族との戦になったら、矢面に立つのは俺の父上と兄上だからな。
なにより、穏健派がゼング=タイガの動きを封じてくれれば、『黄天芳破滅エンド』がひとつ減ることになる。
ゲームでの黄天芳の末路は『英雄たちに捕らえられて牛裂きの刑 (両腕を牛に結びつけて、牛をダッシュさせる)』『道に吊されて死ぬまで石をぶつけられる』『壬境族に滅ぼされた藍河国の街道で、轢死体になる』の3択だ。
最後のひとつがなくなれば──あとは、英雄たちにだけ気をつければいいことになる。
俺の人生も、かなり楽になるはずなんだ。
「冬里さん。大変な旅になるかもしれませんけど、よろしくお願いします」
「そんな堅苦しい言い方は、しないで欲しいのです」
冬里さんはそう言って、笑った。
「これから天芳さま……いえ、朱陸宝さまと名乗られるのですから、『宝さま』ですね。宝さまは、冬里を呼びすてにして欲しいのです」
「……わかりました」
「敬語もいらないのです」
「う、うん。わかった。冬里」
「はい! 宝さま!」
それから、俺と冬里は雷光師匠と秋先生に向かって、拱手した。
無理をしないこと、無事に帰ってくることを約束して──
翌日、俺と冬里とレキは、北に向かって出発したのだった。
次回、第90話は、明日か明後日くらいに更新する予定です。




