第86話「奏凰花、故郷から来た使者を出迎える」
──奏凰花 (小凰)視点──
「「「藍河国の王陛下の名において、奏真国のご一行を歓迎する!!」」」
北臨の中心部に、出迎えの者たちの声が響いた。
天芳が灯春の町に向かってから、数日後。
小凰──奏凰花は、祖国から来た使者を出迎えていた。
奏真国からやってきた、返礼の使者だった。
藍河国の厚意により、奏真国には鉱山開発と灌漑の技術者が送られることとなった。
奏真国の使節は、そのことに感謝の意を伝えるためと、打ち合わせのためにやってきたのだった。
凰花の目の前には、長い行列がある。
奏真国は全力で、藍河国に返礼をするつもりのようだ。
藍河国もそれはわかっている。だから燎原君は王宮にほど近い宿舎を用意してくれたのだろう。広い庭を持ち、使節の全員が宿泊できるほどの大邸宅を。
(さすがは燎原君だ。僕の故郷に、ここまでしてくれるなんて)
凰花は声に出さずにつぶやいた。
宿舎の前には文官や兵士たち、そして燎原君とその家族が並んでいる。
異国の使者を、藍河国の王弟直々に出迎えるのは、まさに破格の待遇だ。
それを平然と行ってしまうのが王弟、燎原君なのだった。
『友好の使者には、できる限りの歓迎で応じるものだ』
十数分前、燎原君は部下の者たちに、そんなことを言っていた。
その言葉に偽りはない。
宿舎は多数の使用人によって、徹底した掃除と、飾り付けが行われている。
使用人たちを指揮したのは凰花と、諸国の情報に詳しい燎原君の客人だ。
おかげで宿舎は一分の隙もないくらいに仕上がっている。
(やはり……藍河国は、桁違いの大国だよね)
凰花はため息をついた。
(宿舎の規模も、準備の入念さも、僕や天芳が奏真国に行ったときとは比べものにならない。藍河国にはそれだけの力があるんだ)
その藍河国が『滅ぶ』と言っている者がいることを、凰花は知っている。
彼女にとっては、たわごととしか思えないことを信じ、実行しようとしている者たちのことも。
凰花の朋友──天芳は、その事実に危機感を覚えていた。
だから天芳は戊紅族との友好についての意見を述べて、その使者として同行したのだ。
天芳の危機感は正しかった。
壬境族や『金翅幇』という組織の者は戊紅族を征服するために攻撃をしかけていた。
彼らの最終目的こそ、藍河国を滅ぼすことだった。
天芳の言葉がなければ、戊紅族は壬境族の配下となっていただろう。
そうなれば近い将来、藍河国と壬境族の戦が起きたとき、ガク=キリュウが兵を率いて攻めてきていたかもしれない。そうならなかったことを幸いに思う。
天芳の行動が、未来の危機を消し去ったのだ。
そんな朋友のことを、凰花は素直にすごいと思う。
彼は戦いの中で、多くの人を助けている。ノナ=キリュウにカイネ=シュルト──彼女たちを救うことで、ガク=キリュウや戊紅族の心をつかんでしまった。
天芳はなによりも、人を見ている。
──できれば彼の見ているものの中に、自分──奏凰花がいてほしい。
そんなことを思ってしまう凰花だった。
(本当は僕も天芳と一緒に、雷光師匠を探しに行きたかったな)
王族であることを歯がゆく思うようになったのは、いつからだろう。
母が藍河国にいたころは違った。凰花は、母が求める理想の人間になろうと努力していた。奏真国の人質として、立派に振る舞うことだけを考えていた。
凰花の心と、王女としての立場は一致していた。迷うことなどなかった。
なのに今は、『早くお役目が終わらないかな』なんて考えてしまう。
本来なら、奏真国の使節を迎える役目を命じられるなんて、大変な名誉のはず。
感動で涙を流していても、おかしくはないのに。
(……どうしてしまったんだろう。僕は)
凰花がそんなことを考えていると──
「──ようこそいらっしゃった。奏真国の使者どの」
不意に、燎原君の声が響いた。
その声に応えるように、奏真国の行列が停止する。
馬車の扉が開き、着飾った女性がゆっくりと降りてくる。
「王弟殿下直々のお出迎えとは……なんと、恐れ多いことでしょう」
紫色の旗袍を身にまとった女性が、一礼した。
美しい女性だった。
つややかな栗色の髪。髪を飾るのは紫水晶の簪だ。あれは奏真国の山で獲れたものだろう。藍河国の技術者はすでに奏真国に入っている。その者が山の調査中に発見して、奏真王に献上したのだ。
彼女はそれを加工したものを身につけてきた。
藍河国が見いだしてくれたもので身を飾ることで、感謝の意味を示しているのだ。
「奏真国の第一王女、奏紫水と申します。お出迎えありがとうございます。王弟殿下や、多くの方々に歓迎の声に、この胸は高まるばかりです。本当にありがとうございます」
女性は艶っぽい表情で周囲を見回し、また、礼をする。
彼女の色香にあてられたのか、邸宅の前に並ぶ兵士がため息を漏らす。
奏真国の使節の代表、奏紫水。
彼女は奏真国王の長女で、凰花の異母姉だった。
「奏真国よりはるばる来てくださったことに、感謝する」
燎原君が礼を返す。
「心ばかりではあるが、宿舎と食事を用意させていただいた。長旅の疲れを癒やしていただければ幸いである」
「お心遣いに感謝いたしますわ。王弟殿下」
「準備には、奏真国からの客人である翠化央どのもご助力くださった」
名前を呼ばれた凰花は、慌てて拱手する。
もちろん、この場での凰花は男装している。
それでも、目の前にいる異母姉は、凰花に気づいたようだ。
紫水は凰花に優しい目を向けて、微笑む。
燎原君は続ける。
「奏真国の方々を迎えるのに不足はないと自負している。もしもご不満な点があれば、遠慮なくおっしゃっていただきたい。できるかぎりの手を尽くそう」
「不満など、あろうはずがございません」
奏紫水は、あでやかな笑みを浮かべた。
「藍河国の方々のご配慮に、なんの不満がありましょうか。感激に打ち震えるばかりでございます。どうか、国王陛下にお礼を申し上げる機会をお与えください。感謝の言葉と礼物を、一刻も早くお届けしたいのです」
「陛下への謁見は明日を予定している。構わぬかな?」
「もちろんでございます」
奏紫水は、旗袍の胸を押さえて、一礼する。
「この奏紫水、両国の友好のために一命をかける所存です。もしも非礼がありましたら、ご遠慮なく罰してくださいませ。藍河国の友好国として、我が国が、今後とも良い関係であることを願っております」
そうして奏真国の一行は、燎原君が用意した宿舎へと足を踏み入れたのだった。
「──ねぇ凰花。王弟殿下のことを教えてくれない?」
宿舎で落ち着いた紫水は、ふと、そんなことを言った。
「お年を召されていると聞いていたけど、そうでもなかったわね。まだまだ男盛りって感じ。あの方と色々な意味で仲良くなれば、奏真国の利益にもなると思うのよねー」
「……姉上」
「王弟殿下はあなたの正体を知ってるんでしょ? なんであの方の前でまで男装してるのよ。女らしく振る舞ってみるのはどう? あなた、正体はかわいいんだから」
「燎原君は諸国に名高い方ですよ。かわいいとか、そんなの関係ありません」
「まぁ、男の子と付き合ったこともないくせに、知ったふうなことを言うのね?」
紫水は苦笑いして、肩をすくめる。
それから、妖しい笑みを浮かべながら、凰花を手招きする。
凰花が近づくと、紫水は、彼女の手を取って、
「あなた、藍河国で武術を学んでいると聞いていたけど、お肌は綺麗ね」
おもむろに、凰花の腕をなではじめた。
「陽に当たって黒くなってるかと思ったけど……つやつやのすべすべじゃない! どうやってこんなに綺麗な肌を保ってるの? 私は毎日2時間はお肌の手入れをしてるのに……あなたほどの肌つやはないわ。あなたはどうやって、こんなきれいなお肌を……?」
「……あ、あの。姉上?」
「若いから? いえ、凰花は私と2つしか違わないわよね。なのにこのすべすべの肌! つややかな髪! どういうこと!? あなたはどんな美容法を!?」
「そんなことを言われても困ります。姉上、なでないで。放してください!」
美容法と言われても心当たりはない。
あるとすれば……天芳と一緒にやっている『獣身導引』や『天地一身導引』くらいだろう。
あれには身体の『気』を活性化させる効果がある。凰花の肌がつやつやなのは、それが影響しているのかもしれない。
もっとも、紫水に導引のことは、説明できないのだけど。
「やっぱり食べ物? それとも水? 私も藍河国で暮らせば、この肌つやを手に入れることができるのかしら……?」
「……姉上は、お変わりないようですね」
食いつかんばかりの勢いに、凰花は思わず後ずさる。
(やっぱり、姉上は苦手だ)
紫水は、悪い人間じゃない。
権勢欲は強いけれど、それは王家に生まれたものの宿命のようなものだ。
味方を増やして身を守るという処世術でもある。
別に、おかしなことではない。
もって生まれた美しさを究めようとするのも自然なことだ。
紫水は『美は女性の武器』と割り切っているだけ。
それもまた、彼女の処世術だ。別に問題はない。
困るのは紫水が、凰花に同じことを勧めてくることだ。
奏真国で暮らしているときは大変だった。
凰花の母は、彼女に『男子のようであること』を望んでいた。
凰花もそうなるように努力していた。
なのに紫水は凰花の髪に簪をつけたり、服にこっそり装飾品を結びつけたりしていた。凰花に似合いそうな、かわいいものを。
それが母に見つかるたびに大騒ぎになっていた。
紫水にとっては好意でも、凰花の母にとっては『正妻の子の嫌がらせ』だ。
荒れる母をなだめるのが大変だったのを覚えている。
そんな紫水は、一緒に暮らしていたときよりも美しくなっている。
凰花より2歳年上なだけなのに、色香漂う大人の女性だ。
けれど──
「……凰花。あなた……変わった?」
紫水は、不思議そうな顔で、そんなことを言った。
「以前は私を見て、物怖じしてなかったかしら?」
「あ、はい。そうかもしれません。姉上の色香が……少し、怖くて」
「今は私をまっすぐに見ているわよね。どうしてかしら?」
「どうしてと言われても……」
以前は、女性としての魅力にあふれる姉が、怖かった。
紫水の白い肌と大きな胸は、常に男性の視線を引きつけていた。彼女から漂う色香は、凰花にはよくわからないもので、恐れの対象だった。
あれから紫水は成長している。
色香も魅力も、以前より増している。
なのに、迫力や圧迫感を感じない。
以前は『姉上のような人を傾国の美女と言うのかもしれない』なんて思っていただけど……今の凰花の目に映る紫水は、普通の美女だ。
『きれいだ』とは思うけれど、それ以上ではない。
傾国の美女は、他にいるような気がする。
たとえば──
──自然で、飾らず。
──それでいて人目を引きつけてしまうような。
──化粧もなにもしないのに、野生の色香を持っているような。
──今はまだ蕾だけれど、成長したら絶世の美女になるような……。
(…………天芳の妹さん?)
一瞬、柳星怜の顔が頭に浮かび、凰花はあわてて頭を振る。
星怜は天芳の、かわいい妹だ。
彼女が天芳に惹かれているのは知っているけれど、傾国の美女なんかではないはず。
なのに──
どうして星怜が、紫水以上に魅力ある女性だと感じてしまうのだろう。
どうして『星怜と比べれば、紫水は普通の美女』だと思ってしまうのだろう。
「……凰花。やっぱり、あなた変わったわね。男性と情でも交わしたの?」
「じょう!? ちょ、ちょっと、姉上!?」
「あ、その反応は違うわね。じゃあ、肌でも見せた?」
「姉上! なにをおっしゃるのですか!?」
凰花はあわてて反論する。
「僕が男性の前で肌を見せるわけがないでしょう!? 僕は、藍河国では男性で通しているのですよ!?」
「そうだったわね。凰花が人前で服を脱ぐわけないか」
「そうです! あのときは天芳もみんなも目を閉じていて──」
「ん?」
「……なんでもありません。それより姉上、お仕事の話をしましょう」
この話を続けるのはまずい。
そう考えた凰花は、話を切り替える。
「応接役として申し上げます。燎原君から、姉上にはできるだけ便宜を図るようにと言われています。必要なものや、藍河国でやりたいことがあったらおっしゃってください」
「ふふ。ありがとう。凰花」
紫水は凰花の髪を撫でた。
姉にこうされるのは嫌いじゃない。
むしろ、いつもこんな感じならいいと思う。
色香よりも、母親のような雰囲気を感じる。
紫水には男性をまどわす美女よりも、そちらの方が向いているんじゃないかと思うくらいだ。
「やりたいことか……だったら、奏真国に帰ったときに、殿方に自慢できるような体験がしたいわ」
まぁ、口を開くと台無しなのだけど。
「藍河国にあって、奏真国にはないものってないかしら?」
「藍河国にあって奏真国にはないもの、ですか?」
「できるだけ大きなものがいいわ。話を聞いた人がびっくりするくらいの」
「………海は、どうでしょうか?」
最初に浮かんだのは、それだった。
北臨の町からは、東に向けて大きな街道が伸びている。
その途中で分岐点があり、北に向かえば灯春の町に、東に向かえば海に出る。
海までの距離は、それほど遠くない。
奏真国からの使者が観光をするには、ちょうどいい距離だ。
「海は巨大な水たまりで、その向こうには異国があると言われています。奏真国に海はありませんよね? 姉上が海を見て、そこで色々な体験して帰れば、皆に自慢できると思うのですが」
「まぁ、それはいい考えね!」
紫水は目を輝かせ、凰花の手を握った。
「すごいわ凰花! どうして、すぐにこんなことを思いつくようになったの?」
「……いえ、それは」
凰花は思わず視線を逸らした。
言えない。
まっさきに浮かんだのが、灯春の町に向かった朋友のことだなんて。
彼が戻ってくるとき、まっさきに出迎えたくて、海に向かう街道を選んだなんて。
「ただの思いつきです。ただの」
「でも、奏真国の使節全員で行くとなると、移動が大変よね。私と凰花と、数名の侍女と……少数の護衛を連れていくことにしましょう。出かけるには藍河国の許可も必要よね? 同行される方もいるかもしれないわ。その手配はどうするの?」
「僕が、藍河国の人と話をしてみましょう」
「王弟殿下にお願いするの?」
「その前に、他の貴家の意見を聞く必要があります。まずは……僕の朋友の家の方に相談することにします」
天芳は言っていた。
『困ったことがあったら、黄家を頼って欲しい』『星怜には、小凰の力になるように言っておく』と。
星怜は最近、黄家の社交の仕事をしている。
藍河国の貴家の情報にも詳しいだろう。
なにより、彼女は燎原君の末娘の友人でもある。
奏真国の使節が海を見に行くことについて、意見を聞けるかもしれない。
もちろん、凰花が直接、燎原君に願い出ることもできる。
ただ、燎原君は大人物すぎる。
無茶なお願いでも、表情ひとつ変えずに引き受けてくれる可能性が高い。
だが、それに藍河国の高官たちがどう反応するかわからない。
わがままを通したと思われて、不興を買うおそれがある。
まずは黄家の人たちに、それとなく話を振ってみる方がいいだろう。
天芳も『黄家を頼って欲しい』と言ってくれたのだし。
彼が帰ったきたとき、その話で盛り上がることが、できるかもしれないし。
(……仕方ないよね。姉上が海を見たがってるんだから)
仕事だから仕方がない。
決して、私情を挟んではいない。
そんなふうに言い訳をしてから、凰花は紫水の前から退出した。
それから凰花は、黄家に使者を出した。
奏真国の使節の応接担当として、黄家の──柳星怜の知恵を借りたい、と。
そんなことを文に託し、凰花は星怜に会う約束を取り付けたのだった。
次回、第87話は、次の週末に更新する予定です。
書籍化の作業も進んでおります。
イラストレーターさまの情報など、公開できるようになりましたら、こちらか「活動報告」でお知らせする予定でおります。ご期待下さい!
それでは、これからも「天下の大悪人」を、よろしくお願いします!




