第80話「天下の大悪人、旅立ちの準備をする(1)」
雷光師匠は藍河国の北東にある町に向かっている。
町の名前は灯春。
海の近くの町で、交易が盛んな場所だ。
俺はゲーム『剣主大乱史伝』の地図を思い浮かべる。
確か灯春は藍河国の、北東の端にあったはず。
東は海。北は壬境族の土地だ。
雷光師匠は『藍河国は滅ぶ』という噂を流している組織を探しに行った。
だから人の多い町に行ったんだと思う。
そこで手がかりが見つからなければ、北に行くか、南に向かうはずだ。
でも……いくら師匠でも、一人で壬境族の土地に入るとは思えない。
となると、南に向かうはずだから……俺たちが街道を北に進めば、途中で出会えるかもしれない。
出会ったら、雷光師匠に『金翅幇』のことを伝えよう。
そうすれば師匠は、旅をする理由がなくなる。
俺たちと一緒に、北臨に帰ってきてくれると思うんだ。
そんなことを考えながら、俺は小凰の家を訪ねた。
小凰は今、小間使いの老人とふたりで住んでいる。
気のいい、おだやかな性格の男性だ。母親の親戚で、奏真国にいたころから護衛をしてくれていた人らしい。
彼女にとっては祖父のような存在だそうだ。
「これはこれは黄天芳さま。ささ、どうぞ中へ」
俺が門を叩くと、男性は快く屋敷へと招き入れてくれた。
「化央さま。弟弟子さまがいらっしゃいましたよ」
老人は優しい笑みを浮かべながら、奥へと声をかけた。
でも、小凰はなかなか出てこない。
しばらくして、老人は小さな声で、
「……お嬢さま。お客人を待たせてはいけませんよ?」
「わ、わかってるよ。もー!」
やがて、屋敷の奥から小凰が姿を見せた。
彼女は──女性用の服を着ていた。
以前に星怜が着ていたのと同じタイプの、いわゆるチャイナドレスだ。
小凰はいつも、髪を長い三つ編みにしているけど、今日はそれをほどいている。
ウェーブのかかった長い髪をゆらして、照れたみたいに笑っている。
「ど、どうかな。天芳」
「似合ってますよ」
「お母さまが国に帰ってしまわれたからね、自宅ではなるべく……女の子の服を着るようにしてるんだ。この服はお母さまが子どものころに着ていたもので、僕には少し、大きすぎるんだけどね……」
そう言って小凰は、胸のあたりに触れた。
女物の服を着た小凰を見るのは、一緒に奏真国に行ったとき以来だ。
やっぱりこっちの方が似合ってる。
いつか、小凰が気兼ねなく好きな服を着られるようになるといいんだけど。
「それで、今日はどうしたの?」
「海亮兄上から手紙が来たんです。おかげで、雷光師匠の消息がわかりました」
俺は事情を説明した。
雷光師匠が北の砦を訪ねたこと。
そこで俺の父上の黄英深と、兄上の黄海亮と会ったこと。
雷光師匠が灯春の町──この北臨から見ると北東の町を目指すと言っていたこと。
今から追いかければ合流できるかもしれないことを。
「そっか。雷光師匠は天芳のお父さんのところに行ってたんだね」
小凰は目を輝かせて、何度も書状を読み返している。
それから、書状をきれいに折りたたんで、俺の方に差し出した。
「ありがとう、天芳。知らせにきてくれて」
「ぼくは師匠を探しに行くつもりです。小凰はどうしますか?」
「もちろん行くよ。でも、この格好じゃ駄目だね。着替えてくるから、待ってて」
小凰は立ち上がり、俺に背中を向けた。
けれど──
「お待ちください。お嬢さま」
小間使いの老人が、彼女を呼び止めた。
「国元から書状が届いたのをお忘れですか? お嬢さまにはお仕事があるのですよ」
「……あ」
ぴたり、と、小凰が立ち止まる。
それから、彼女は振り返って、
「そうだった。奏真国から来る使者の応接を頼まれてたんだっけ……」
「奏真国から使者が来るんですか?」
「そうだよ。ほら、前に藍河国が、奏真国に技術者を送るって話があったよね?」
「ありましたね」
藍河国は、奏真国との友好関係を望んでいる。
だから奏真国に灌漑と鉱山開発の技術者を派遣することになったんだ。
「あの話が具体的になってきたからね。奏真国から返礼と、打ち合わせのために使者が来るんだよ。僕は、その人たちを手助けすることになっているんだ。奏真国には、藍河国の礼儀作法を知らない人もいるからね」
「そうだったんですか……」
そういうことなら仕方ない。
小凰は奏真国の王女なんだから。国の仕事が優先だ。
灯春の町はそれほど遠くない。徒歩で5日。『五神歩法』なら3日で着ける。
雷光師匠が移動していなければ会えるだろう。
もしも師匠が別の町に移動していても、行く先の手がかりくらいはわかるだろう。
「師匠はぼくが探し出してみせます。小凰はお仕事をしてください」
俺は小凰に言った。
でも、小凰は不安そうな表情で、
「あのね、天芳」
「はい。小凰」
「できれば……誰かと一緒に行ってくれないかな?」
小凰はぺたん、と床に座り、俺を見上げながら、言った。
「僕の知らないところで、天芳が危ない目にあうのは嫌なんだ。だから……秋先生に同行してもらうのはどうかな?」
「秋先生にですか?」
「雷光師匠と秋先生は、ふたりとも仰雲師匠の弟子だよね?」
「そうです。雷光師匠は武術の、秋先生は医術の弟子でしたね」
「学んだことは違っても、姉妹弟子なんだよね。だったら秋先生も雷光師匠に会いたいんじゃないかな?」
「確かに……そうかもしれません」
雷光師匠と秋先生は、仰雲師匠の教えを受けた者同士だ。
他の者には聞かせたくない話もあるかもしれない。
となると、北臨から離れた場所でふたりを会わせるのがいいのかな……。
「一理あります。さすがは小凰です」
「そ、そうかな?
「ただ、秋先生は『五神歩法』を使えません。雷光師匠に追いつけないかもしれないんですけど……いえ、馬を使えばいいですね」
「うん。確か天芳の家にも馬がいたよね?」
「何頭かいますよ。星怜がいつも、楽しそうに話をしてます」
「そっか。妹さんは動物好きなんだっけ」
「動物の方も星怜が好きなんです。よくなついてます」
「その馬を借りるのはどうかな? 馬に乗って移動すれば、体力を温存できるよね? 普段は馬に乗って体力の消耗を抑えて、いざというときに『五神歩法』を使ったらいいんじゃないかな?」
「なるほど」
「とにかく、一人で行かないでよ。天芳になにかあったらと思うと……心配で、僕の仕事が手につかなくなっちゃうからね……」
小凰はじっと、俺を見てる。
彼女が心配するのもわかる。
俺と小凰は、これまでずっと一緒に行動してきた。
雷光師匠の試験を受けたときも、燎原君の『お役目』を果たしたときも、戊紅族の村を訪問したときも一緒だった。
そして、俺と小凰はいつも、協力して強敵を倒してきた。
別行動を取るのは、今回が初めてだ。
だから小凰は、俺のことを心配してるんだろう。
「わかりました。一緒に行ってくれるように、秋先生にお願いしてみます」
俺は小凰に向けて拱手した。
「心配してくれてありがとうございます。小凰」
「当然だよ。僕は天芳の朋友なんだから」
小凰は照れた顔で、そんなことを言った。
「朋友同士は家族以上の関係なんだからね。天芳になにかあったら、僕は、自分が一緒にいかなかったことを一生後悔するだろう」
「……小凰」
「だから、無事に帰ってきてね。天芳」
「わかりました。小凰も、お仕事がんばってください」
「うん。ありがとう」
「困ったことがあったら、黄家に相談してください。ぼくからもみんなに、小凰の力になってくれるように頼んでおきますから」
星怜も母上も白葉も、小凰のことは知ってる。
それに武術の世界では、兄弟弟子は家族同然だ。黄家のみんなもそれはわかってる。俺の姉貴分……いや、兄貴分の小凰が困ったときは、進んで力を貸してくれるはずだ。
「それに、星怜は燎原君の娘の夕璃さんと仲良しです。星怜を通して、夕璃さんの力を借りることもできると思います。星怜には、ぼくからちゃんと話をしておきますね」
「うん。ありがとう。天芳」
小凰はそう言って、俺の手を握った。
そんな俺たちを、小間使いの老人は優しい目で見ている。大事な孫を見るような顔だ。
この人なら小凰を支えてくれるだろう。
そんなことを思いながら、俺は小凰の家を後にしたのだった。
お待たせしました。第3章を開始します。
次回、第81話は、明日か明後日くらいに更新する予定です。




