第8話「兄の海亮、弟の天芳について語る」
──黄海亮視点──
海亮にとって天芳は「危なっかしい弟」だった。
幼いころの天芳は、海亮がびっくりするくらい、好奇心が旺盛だった。
まるで別世界からやって来たかのように、色々なものに興味を持ち、父や海亮を質問攻めにしていた。気ままにうろつきまわる天芳を心配して、父は白葉を従者につけた。
彼女が一緒にいることで、天芳は少し落ち着いたように思う。
そんな天芳は、生まれつき内力を身につけることができなかった。
本人は、それをかなり気にしていたようだった。
熱心に文字の練習をするようになったのはそのせいだろう。
『飛熊将軍』の子でありながら、武官にはなれない。そんな天芳は文官を目指すことにしたのだ。
それを理由に、海亮が弟を見下したことはない。
なかったと、思う。
天芳は、身体の弱い母──玉四に似たのだろう。
弟を非難することは、母を非難することに繋がるからだ。
「それでも私は……自分が天芳の上にいると思っていたのだろうな」
海亮は苦々しい口調で、つぶやいた。
今にして思い出せば、『黄家の長男は駿馬。次男は駄馬』といううわさを聞いて、自分はよろこんでいなかっただろうか?
『弟を侮辱するな』と言いながら、皆が自分を評価していることを、心地よく思っていたのではないのか……?
「……私は、なんと恥ずかしいことを」
自分の、人を見る目のなさに吐き気がする。
なにが『次男は駄馬』だ。
天芳は未来を見据えて、力を溜めていただけなのに。
それに引き換え、海亮は近くしか見ていなかった。
父に認められ、皆にほめられることを望んで、力をひけらかしていたのだ。
「そんな私を天芳は、藍河国の命運を左右する人物だと……」
さっきの天芳は、必死に海亮に訴えかけていた。
お世辞を言っているようには、見えなかった。
「内力を身に着けるのが『生きるか死ぬかの問題』か。私には、そこまでの危機感はなかったな。それが私と、天芳の違いなのかもしれない」
将来、天芳はすごい人物になるだろう。
そんな彼に兄として、なにをしてやれるのだろうか──
「父上にお願いがあります」
気がつくと海亮は、父の部屋を訪ねていた。
深々と頭を下げて、告げる。
「私は天芳に、武術の師匠をつけてやりたいのです」
「突然どうしたのだ? 海亮」
「考えを改めたのです。天芳が内力を身に着けたのなら、それを伸ばしてやるべきだと」
「それはわかる。しかし、天芳は独自の修行法で内力を身に着けておる。それを活かせる武術などあるのだろうか?」
「……そうですね」
海亮は、少し考えてから、
「父上から、王弟殿下に願い出てはいただけませんか?」
「王弟殿下……燎原君にか?」
「はい。王弟殿下は多くの武術家を支援していらっしゃいます。天芳が行っている導引法を知っている者もいるかもしれません。そういうお方ならば、天芳を指導できるのではないでしょうか」
燎原君は藍河国王の弟だ。
この国の宰相で、最高位の貴族でもある。
才能を愛し、多くの客人を支援していることでも有名だ。
その客人が諸国をめぐり、燎原君や王の情報源にもなっている。
そして、客人の中には、多数の武術家が含まれているのだった。
「父上がお願いすれば、燎原君から武術家を紹介していただくこともできるのではないでしょうか?」
「できぬことはない。だが、そこまでしなくてはならぬのか?」
海亮の父、英深は首をかしげた。
「内力を身に着けたとはいえ、天芳が武術を身に着ける必要があるとは思えぬが」
「私は天芳が、黄家の未来を左右すると思っているのです」
「黄家の未来を!?」
「そうです。ならば、最高の教育を与えるべきでしょう」
「大げさではないのか? 海亮よ」
「父上は、天芳が内力を身に着けることを想像しておりましたか?」
「……いいや」
「しかも町の市場で買った書物を頼りに、自己流で。そんな者がこれまで黄家にいましたか?」
「…………確かに、そうかもしれぬが」
「さらに言えば、天芳は星怜の心を解いてしまいました。それは私にも、父上にもできなかったことです」
「………………言っていることはわかる。しかし、わざわざ燎原君に頼むほどでは」
「母上には許可をいただいております」
「そうか! ならばよかろう!!」
英深はあっさりとうなずいた。
「玉四が同意しているなら、最初からそう言うがいい! わしが彼女の意見に反対するわけがなかろう!?」
「ありがとうございます。父上」
『飛熊将軍』黄英深。
武勇に優れた偉丈夫で、大槍を操る豪傑。
その彼が、無類の愛妻家だと知っているのは、身近な人間だけだ。
「すぐに燎原君に面会を申し出るとしよう。玉四と天芳のためなら手間は惜しまぬ」
「ありがとうございます。父上」
「では、星怜にも師匠をつけるか? あの子も内力は使えるのであろう?」
「星怜には家になじむ時間が必要でしょう」
というよりも、必要なのは天芳に甘える時間だろう。
先のことを考えるのは、まだ早い。
「必要があれば、彼女が自分から父上にお願いするでしょう」
「うむ。承知した」
そう言って英深は、にやりと笑って、
「しかし海亮よ。お前も成長したな」
「……私が、ですか?」
「お前がそこまで天芳のことを考えていたなど、わしは知らなかったぞ。天芳は知恵をしぼって内力を身に着け、海亮は強くて慈悲深い……か。すばらしいことだ。お前たちの結びつきがあれば、黄家は安泰だな!」
「は、はい。父上!」
豪快に笑う英深と、恐縮する海亮。
こうして、黄家の平和な時間は過ぎていくのだった。
次回、第9話は、今日の夕方くらいに更新する予定です。




