第71話「天下の大悪人、帰郷の準備をする(6)」
──天芳視点──
数日後、戊紅族の砦に、藍河国の兵士たちがやって来た。
燎原君が送ってくれた支援部隊だった。
「事情は、炭芝どのとガク=キリュウどのからうかがっております」
部隊の隊長は言った。
炭芝さんたちは彼らと出会い、情報交換をしてから藍河国に向かったそうだ。
たぶん、今ごろは北臨の町に着いているころだ。
やってきた部隊の隊長は、秋先生と話をした。
秋先生は友好使節の副使を務めているからね。
正使の炭芝さんが不在の今、責任者は秋先生なんだ。
そんなわけで、秋先生を仲介役として、支援部隊と戊紅族との間で、話し合いが行われた。
俺と小凰も立ち合うことになった。
その方が戊紅族の人たちが安心すると言われたからだ。
「天さまたちは、戊紅族の友だち、です」
俺の隣で、族長の娘のカイネ=シュルトが言った。
「恩人で、尊敬できる人たち。だから、一緒にいて」
「承知しました」
「ありがとう、ございます。カイネ、うれしい」
……感謝してくれるのはいいんだけど。妙に距離が近すぎるような。
カイネは俺の隣にちょこんと座り、ぴったりと寄り添ってる。
まるで子猫がじゃれついてるみたいだ。
「天さまの側は、いごこちがいい」
「そうなんですか?」
「落ち着く。すぅ……」
カイネは目を閉じて、寝息を立て始めた。
その様子を見ながら、小凰は、
「……ノナさん」
「は、はい。なんでしょうか。化央さま」
「カイネさんが、天芳になついているように見えるのですが」
「はい。ほほえましいですね!」
「カイネさんは族長の娘さんなんですよね。高貴な身分なのに……いいんですか?」
「カイネさまは、重い使命を背負っていらっしゃいますから」
ノナ=キリュウは言った。
重い使命……それは『渾沌の秘伝書』の巫女という役目のことだ。
カイネのキーワードがなければ、『渾沌の秘伝書』は解読できない。
だからカイネはそれを覚えて、次代へと引き継ぐ使命があるんだ。
「その他のことは、できるだけ本人の自由にさせると、族長さまはおっしゃっていました」
「確かに族長さまは、微笑ましいものを見るような顔をされていますね……」
俺たちは広間の隅に座り、秋先生たちの話を聞いている。
族長は時々、振り返ってこっちを見てる。
カイネが俺にくっついてるのを見ても、なにも言わない。
というか、すごく優しい顔をしてる。
……秘伝書を守る巫女の使命は大変だからね。
他のことは自由にさせる、というのは本当みたいだ。
「あのね、天芳」
「どうしましたか? 師兄」
「急に『獣身導引』の『猫のかたち』をやりたくなったのだけど」
「会議中ですよ!?」
「……うぅ」
「あ、もしかして、戦いの後だから『気』の調整が必要なんですか?」
「……そ、そうだね。そうかもしれないね!」
「後で時間があるときにしましょう。師兄」
「うん。わかった。後でね」
なぜか俺の隣に移動してから、うなずく小凰。
そんな小凰を見ながら、ノナは目を輝かせてる。彼女は小凰から、目が離せないみたいだ。
ノナは「化央さまの貴公子のようなお姿に魅せられました」と言ってたからね。
化央……つまり小凰のことが、気になって仕方がないんだろうな。
「──では、支援部隊はしばらくの間、砦に滞在されるということで」
「──我々は戊紅族の方々をお守りするように、燎原君から命じられております」
「──すでに藍河国に臣従すると決めた身です。異論はございません」
俺たちが話をしている間にも、打ち合わせは進んでいる。
支援部隊の人たちは、燎原君の部下だからか、話が早い。
戊紅族の人たちも、秋先生や藍河国の人たちを信頼してる。
だから、話はすぐにまとまっていく。
──壬境族の再侵攻に備えるため、支援部隊は砦に滞在する。
──藍河国の許可が出たらすぐに、街道沿いに別の砦を作る。
──介州雀と、壬境族の兵士の一部は、藍河国へ連行する。
──残りの壬境族たちはここに残し、労働力にする。
──友好使節の者たちは、準備ができしだい藍河国に帰る。
──そのときに賓客として、カイネとノナを同行させる。
打ち合わせの結果、そんなことが決定したのだった。
「玄秋翼どの。黄天芳どの。翠化央どの。どうかカイネとノナのことを、よろしくお願いいたします」
戊紅族の族長は、深々と頭を下げた。
支援部隊との打ち合わせが終わったあと、俺たちは別の建物に移動した。
メンバーは、俺と小凰と秋先生。
戊紅族の族長と、カイネとノナ。この6人だ。
「『渾沌の秘伝書』も、あなた方なら正しく使ってくださると信じております」
「信頼に答えられるように努めます」
「我が祖国と、父母の名にかけて」
族長の言葉に、俺と小凰は拱手する。
「秘伝書を紐解くのは、藍河国に帰ってからにするべきだね」
秋先生は言った。
「重要なものだからこそ、落ち着いた環境で調べるべきだ。まずはカイネどのとノナどのを藍河国に送り届けて、ふたりの暮らしが一段落してからにしよう。雷光の手も借りなければいけないからね」
「雷光師匠が旅に出たのは、とある組織について調べるためでした」
俺は、師匠の書状を思い出しながら、言った。
「師匠は『藍河国は滅ぶ』という噂を流している組織を探すと言っていました。でも、その組織の正体はもうわかっています。そのことをお伝えすれば、すぐに戻って来てくれると思います」
「天芳の言う通りだ」
秋先生はうなずいた。
「藍河国に帰ったら、雷光の消息を調べて、すぐに書状を送ることにしよう。もしかしたら、すぐ近くにいるかもしれないからね」
「はい。先生」
「僕も、雷光師匠に会いたいです」
「そうだね。状況を考えると……できるだけ早く、彼女と連絡を取るべきだ」
そう言って秋先生は、戊紅族の族長の方に向き直る。
「というわけですので、我々は明日にでも出発しようと思います」
「承知した。玄秋翼どの」
「カイネどのとノナどのの身柄は、この玄秋翼が責任をもって預かります。『渾沌の秘伝書』も、命をかけて守ることを誓いましょう」
「うむ。戊紅族一同は、あなた方を信頼しておりますぞ」
族長はまた、深々と頭を下げた。
それから彼は、カイネとノナの方を見て、
「カイネとノナも、身体に気をつけるのだよ。向こうにはガクどのがいるから大丈夫だとは思うが……異国に行くのだ。不安もあろう。わからないことがあったら、秋どのや黄天芳どの、翠化央どのを頼りなさい」
「はい。お父さま」
「カイネさまは、私がお支えします」
「私は、お前たちの帰る場所を守っているからね」
族長はカイネとノナの手を取った。
「次に帰るときまで、健やかでいておくれ。それが私たちの願いなのだから」
「はい。お父さま」
「承知しました。族長さま」
「長旅になる。ふたりとも、社の近くにある湯を使い、身を清めていくといい」
最後に族長は、そんなことを言った。
首をかしげる俺と小凰に、秋先生は、
「ああ。この近くに吹鳴真君を祀るための社があるのだよ。社の側には、真君が開いたという言い伝えの温泉が湧いているそうだ」
──そんなふうに、説明してくれた。
「戊紅族は長旅に出る前に、そこで身を清めていく風習があるんだよ」
「よければ黄天芳どのと翠化央どのも、湯に浸かっていってください」
秋先生の言葉を、族長が引き継いだ。
「あなた方は『渾沌の秘伝書』を受け継ぐ方々だ。吹鳴真君も、あなた方が湯に浸かることをお許しくださるでしょう。むしろ湯に浸かることで、真君との縁を結ばれるのがよいかと」
「カイネは、賛成。巫女として、全面的に、許可」
「男の方同士、気兼ねなくご一緒されるといいと思います」
「「え?」」
俺と小凰は顔を見合わせた。
……男の方同士って? あ……そっか。
戊紅族の人たちは、小凰──つまり、翠化央が男の子だと思ってるんだもんな。
だから一緒に温泉に入ってください、ってことか。
「……どうしよう。天芳」
小凰は困ったような顔で、俺を見てる。
でも、困ってるのは俺も同じだ。
小凰の正体は隠す必要がある。でも、俺と小凰が一緒に湯に浸かるのは無理だ。
だからといって温泉に入るのを断ったら、戊紅族の人たちは気を悪くするかもしれない。
吹鳴真君との縁を結ぶことを拒んだことで、『渾沌の秘伝書』の伝授にも支障が出るおそれもある。
……だとすると、ここで取るべき手段は──
「小さな温泉。一人ずつしか入れない」
「ご一緒に行って、順番に入られるといいでしょう」
──と、思っていたら、カイネとノナが言った。
秋先生は、全部わかっていたような顔で、肩をすくめてる。
「「…………ああ……そういうことですか」」
俺と小凰のセリフが重なった。
戊紅族の秘伝の温泉は、一人用。
俺と小凰が一緒に行って、順番に入るように、ということらしい。
「カイネは……お風呂場で、天さまに髪を洗って欲しい」
「カイネさま!?」
「天さまと一緒にいると、落ち着く。安らぐから。髪をじゃぶじゃぶしてもらったら、気持ちよさそう」
「カイネさま。いくらなんでも、それはやりすぎです」
「……そう?」
「我慢なさってください。カイネさまは、このノナがお世話しますから」
「…………うん。今回は、我慢する」
「藍河国の皆さんにご迷惑をかけてはいけませんよ。カイネさま」
腰に手を当てて言い聞かせるノナ。
カイネは……ぼーっとした顔で、うなずいてる。
族長はやっぱり、微笑ましいものを見るような表情だ。
本当に族長は、俺たちのことを信頼してる。
だから、安心して、カイネとノナを預けてくれるんだろう。
俺も、その信頼に応えたい。
戊紅族は藍河国の味方になってくれた。
ゲーム『剣主大乱史伝』では壬境族の側についていたガク=キリュウも、これからは藍河国の客将だ。
戊紅族の変化は『黄天芳破滅エンド』や『藍河国滅亡エンド』にも、影響を与えたはず。
それは族長や戊紅族の人たちが、俺たちを信じてくれたからなんだ。
俺は戊紅族に借りがある。
だから、カイネとノナが藍河国で穏やかに暮らせるように、俺も協力しよう。
じゃれ合うカイネとノナを見ながら、俺はそんなことを考えていたのだった。
その日の夕方、俺たちは戊紅族の秘湯に向かった。
場所は、砦から続く小道の先。
小道は途中で行き止まりになっているけれど、その先の森には、木々に小さな目印がついている。知らないと見逃すような、小さなものだ。
その目印に沿って進むと、石を積み上げて作った社が見えてくる。
戊紅族の守り神、吹鳴真君を讃える社だ。
その隣には竹で囲まれた空間がある。
広さは、ちょっとした小部屋くらい。
囲いの中には、1人がやっと入れるくらいの温泉と、小さな洗い場があったのだった。
ちなみに、ノナとカイネは先に温泉に入っている。
小道の途中で待っていた俺に、びしょ濡れのカイネが飛びついてきたのは、ついさっきのことだ。
ノナが必死に追いかけてきて、カイネの頭を拭いていた。
そのふたりは先に砦に戻り、出発の準備をしているはずだ。
俺と小凰は秘湯の入り口で、着替えを手にして立っている。
俺は小さな扉を開いて、それから──
「それじゃ小凰。お先にどうぞ」
──先に小凰に、お風呂に入ってもらうことにした。
「俺は社の方にいますから、なにかあったら呼んでください」
「……え?」
「その方が落ち着いて入れますよね?」
「いやいや。天芳がいてくれないと困るよ!」
小凰はあわてた様子で、
「カイネさんやノナさんが様子を見にきたらどうするの。カイネさんは好奇心旺盛だから……うっかり、中に入ってくるかもしれないよ。そしたら僕が女の子だってばれちゃう……」
「それは……ありそうですね」
「う、うん。だから天芳には、ここにいて欲しいな」
何度もうなずく小凰。
「というよりも……天芳なら、僕がお風呂に入っている間、側にいてもいいよ。天芳とは洞窟で、びしょぬれの状態で『獣身導引』をしたこともあるし、兄弟子と弟弟子は家族みたいなものなんだから……お風呂のとき、一緒にいても…………」
言いかけた小凰が、うつむく。
彼女は両手で頬をおさえて、
「ごめん……やっぱり無理かも」
「ですよね」
「おかしいな。あの時は平気だったのに……。どうして、恥ずかしいって思っちゃうんだろ。また胸が大きくなっちゃったからかな? 天芳はどう思う?」
「小凰」
「うん。天芳」
「時間もあんまりないですから、早めに入った方がいいですよ」
「……う、うん。そうだね」
そう言って、小凰は竹でできた扉を潜る。
そして──しゅる、と、帯をほどく音がした。
しばらくして、小凰がお湯をかぶる音が聞こえた。
「はふー」と、気持ち良さそうな声も。
温泉でお湯を浴びて、リラックスしてるみたいだ。いいことだ。
俺も小凰も、ずっと働きづめだったからな。
──藍河国を出て、戊紅族の集落に向かう途中で、ガク=キリュウと出会って。
──砦に潜入して、人質を助け出して。
──『四凶の技』の使い手の介州雀と戦って。
本当に、大変な旅だった。
最後に温泉に浸かって身体を休めることができるのは、よかった。
「天芳。そこにいるよね?」
「いますよ」
「いなくなったら嫌だよ?」
「どこにも行きませんから。安心して浸かっていてください」
「今、洗い場で脚を洗ってるからね。すぐにあがるから、待っていてね」
「わかりました」
「絶対だよ? これからお腹を洗うから。そしたら……」
「解説しなくていいですから。温泉を楽しんでてください」
「う、うん。わかった」
小凰がお湯に浸かる音がした。
「ふーっ」と、ため息が聞こえる。
「不思議だね。天芳」
小凰が、ぽつり、とつぶやいた。
「人質として藍河国に来て、北臨で正体を隠して暮らしていた僕が……遠くの山の中で、本当の自分をさらして……温泉に浸かっていられるなんて。こんなこと、少し前までは想像もしなかったよ」
「……ですね」
「あのね、僕は天芳にすごくすごーく感謝してるんだよ?」
「ぼくだって、小凰には感謝してますよ」
「わかってる。でもね、きっと僕の感謝の方が、ずっとずっと大きいと思う。天芳に出会わなかったら、今の僕はなかったんだ。そして、僕は今の、天芳の側にいる僕がすごく好きだよ。以前の……奏真国にいたときの僕よりも、ずっとずっと」
「…………なんだか、照れますね」
「あ、本当だ。天芳。耳たぶが真っ赤になってる」
「そんなことないですよ」
「いやいや、本当だってば」
「なんで小凰にわかるんですか?」
「え? だって、この壁、竹と竹のつなぎ目がゆるくて、指が通るくらいの隙間があちこちに…………」
じゃぶん。
小凰が、お湯の中に沈む音がした。
俺は竹の壁に背中を向けた。
……そういえば、この温泉って秘湯だもんな。
壁の手入れなんかしてないよな。秘湯──人が来ない温泉なら、目隠しの壁なんてあんまり必要ないし。壁に隙間が空いてることもあるよな。
「そ、そろそろあがるね! 天芳」
「わかりました。俺は壁に背中を向けてますからね」
「わかってる。それじゃ、次は天芳の番だよ?」
そんな感じで、俺は戊紅族の温泉に順番に浸かることになり──
その間、小凰は壁に背中をくっつけていて──
「……天芳」
「はい」
「壁の隙間から、なにか見える?」
「……真っ赤になった小凰の首筋が見えますね」
「おかしいよこの温泉! なんで外にいる方が恥ずかしいの!?」
「不思議ですね……」
──俺たちは壁越しに、のんびりと話を続けたのだった。




