第66話「天下の大悪人、帰郷の準備をする(1)」
その後、俺と小凰と秋先生は、砦の一室で休むことになった。
みんな、かなり疲れていたからだ。
秋先生は介州雀との戦いで怪我をしていたし、俺と小凰は壬境族の兵士を無力化するために、『天元の気』を使い続けてた。
回復するまで、しばらく休息が必要だ。
「天芳は、本当に大丈夫なのかい?」
白湯を飲みながら、小凰は言った。
「君は介州雀に『天元の気』を食われたんだよね? 身体におかしいところはない? できるなら、ぼくの『気』を天芳にあげたいんだけど……」
「大丈夫ですよ。心配しないでください」
これは本当だった。
疲れてはいるけれど、身体に異常はない。
これはたぶん、俺にもともと内力──『気』の力がなかったからだろう。
俺の身体は、内力がなかったころのことを覚えてる。
だから多少『天元の気』を失ったとしても、それは昔に戻ったのと同じなんだ。
日常生活を送るくらいなら、どうってことない。
「それより、秋先生の方が心配です。無理はしないでくださいね」
「ふふっ。私は医師だ。自分の身体の状態はよくわかっているよ」
秋先生は部屋に入ってから、さっさと自分の治療を済ませた。
それからずっと、介州雀から奪った書状を読みふけっている。
俺や小凰が声をかけても、生返事だ。
までも、これは仕方がない。
介州雀は、秋先生がずっと探し求めてきた仇敵だ。
あいつがなにを考えていたのか。
どういう意図で動いていたのか。
どうして、秋先生と冬里さんが襲われることになったのか。
秋先生は、それを知りたいのだろう。
「…………うん。書状の内容は、だいたいわかったよ」
しばらくして、秋先生は書状を畳んだ。
それから、俺と小凰の方を見て、
「書状に『窮奇』の技に関わる情報はなかった。あったのは、介州雀がとある組織と交わした約束事だ」
「約束事、ですか?」
「組織って……なんなのですか。先生」
「これは重要なことだ。君たちも知っておいた方がいいだろう」
そうして、秋先生は書状の内容について、語り始めたのだった。
介州雀は、とある組織の指示を受けて動いていた。
組織の名前は『金翅幇』。
その組織が大々的に『藍河国は滅ぶ』という話を、広めているそうだ。
『予言によると、やがて藍河国は崩壊し、乱世が来る』
『人々のためにも、乱世は素早く終わらせなければいけない』
『そのための力を集めなければいけない』
──書状には、そんな言葉が書かれていた。
介州雀が所属する組織『金翅幇』は、藍河国が滅ぶという前提で動いている。
そして、乱世を素早く終わらせるための力を欲している。
奴らが欲した力が『四凶の技』だった。
『戊紅族』への侵攻は、もっと先になるはずだった。
状況が変わったのは、壬境族最強の武将、ゼング=タイガが片腕を失ったことだ。
『金翅幇』はそこにつけ込んだ。
彼らは壬境族のゼング=タイガの耳に『隻腕でも最強になれる武術がある』とささやいた。
武術の秘伝書を奪い、ゼング=タイガに献上するという名目で、兵を借りた。
そうして、壬境族と介州雀は『戊紅族』の集落へと攻め込んできた。
武術の秘伝書『四凶の技・渾沌』を手に入れるために。
「ゼング=タイガが隻腕になったのが原因で、今回の侵攻が起こった……ということですか……?」
……ゼング=タイガの腕を斬ったのは、俺だ。
それが今回の侵攻のきっかけになったのなら……『金翅幇』という組織の計画を早めたのは、俺自身ということに……なるのか?
じゃあ、今回の事件の原因は、俺がゼング=タイガと戦ったことで──
「……自分のせいで『戊紅族』が侵攻を受けたなんて考えてないよね? 天芳」
不意に、小凰が俺の手を握った。
「もしそうだとしたら……違うよ。僕たちが壬境族の王子と戦ったのは、向こうが攻撃してきたからだ。僕と天芳は、藍河国の太子を守るために戦っただけだ。人々を守るために、奴の腕を斬ったんだ。取り逃がしたのは残念だったけど、僕たちは、できる限りのことをしたんだ」
俺に言い聞かせるみたいに、小凰は、
「それが『戊紅族』の侵攻に結びつくなんて誰にわかる?」
「……小凰」
「君が責任を感じているなら、それは……いくらなんでも考えすぎだよ」
小凰は俺の頬に手を当てて、じっとこっちを見てる。
「君はすごいやつだ。でも、すべての運命を変えられるわけじゃない。世の中は複雑怪奇なんだから。どんな出来事が起こって、人がどう動くかなんてわからないんだ。僕だって、君と出会うまでは、自分がこんなふうになるなんて思いもしなくて……じゃなくて!」
あわてて頭を振る小凰。
「未来になにが起こるかなんて、誰もわかりはしない。世の中に、あらかじめ決まっていることなんかなにもないんだ。雷光師匠の書状にそう書いてあっただろう!?」
「は、はい。小凰!!」
「だったら、そんな顔するんじゃない」
「そんなに変な顔をしてましたか?」
「してたとも、僕が普段、どれだけ君を見てるとごほんごほん!」
「小凰!? 大丈夫ですか!?」
「だ、大丈夫! それより秋先生。話の続きをお願いします!!」
小凰は口を押さえながら、秋先生に言った。
秋先生は……なんだか微笑ましいものを見るような顔をしてる。
それから、先生は書状に視線を戻して、
「では、続けよう」
また、説明をはじめてくれた。
秋先生が不審に思ったのは、『渾沌の秘伝書』を奪うために、介州雀が来たことだ。
奴は『四凶の技・窮奇』の使い手だ。
『金翅幇』が力を集めているなら、奴を失うわけにはいかない。
「もしかしたら『金翅幇』は、戊紅族に『渾沌の技』の使い手がいると考えたのかもしれないね」
それが、秋先生の推測だった。
『戊紅族』は仙人から、決して秘伝書を紐解いてはいけないと言われている。
彼らは一族あげて、その決まりを守っていた。
けれど、外部の者に、それはわからない。
強い技の秘伝書があれば、読んでしまうのが武術家の習性だ。
だから『金翅幇』は『戊紅族』に『渾沌』の使い手がいると考え、対抗するために『窮奇』の介州雀を送り込んできたのだろう──と。
でも、介州雀を失えば、『力を集める』計画は後退する。
それでも、今回の計画に介州雀が使われた理由は──
「『金翅幇』にはもうひとり、『窮奇』の使い手がいるそうだ。介州雀よりも、はるかに才能がある者がね。それは介州雀の縁者らしい。書状には『あのお方は見聞を広めるため、我らと共に大陸を巡るであろう』と書かれていたよ。名前を書かなかったのは、その者の正体を隠すためだろうね」
介州雀の縁者。
奴が所属する組織が預かっている、重要人物。
それはたぶん、ゲーム『剣主大乱史伝』の主人公、介鷹月だ。
そっか。介鷹月は『金翅幇』と一緒にいるのか。
しかも、旅をしているらしい。
壬境族のところにいるなら、接触のしようもあったんだけど……。
さらに、介鷹月は『窮奇』の技をマスターしている。
父親が『窮奇』の使い手なんだからな。伝授されていても、おかしくないよな。
でも、ゲームで介鷹月が『毒の気』なんてものを使ったことはないはずだ。
それはなぜだ? パラメータに表示されなかっただけか?
もしかしたら、ゲーム内の介鷹月は『四凶の技』をコンプリートしていたのか?
もっと強力な『四凶の技』があって、『窮奇』を使う必要がなかったのか?
それとも『毒の気』は、『窮奇』の能力のひとつでしかないのか?
……わからない。
とにかく、介鷹月に接触するのは危険だ。
介州雀を捕らえたことを知られたら、俺は主人公の敵になる。
というか壬境族の中では、俺はゼング=タイガの腕を切り落とした仇だからな……。
それに、俺の実力で、介鷹月に勝てるとは思えない。
介州雀に勝てたのは、秋先生のアドバイスと、小凰の力があったおかげだ。
うまく『天元の気』を流し込めればチャンスはあるけど……そもそも、介鷹月が『毒の気』を使ってるかどうかもわからないんだよな……。
ただ……できれば、彼の居場所だけでもつきとめておきたい。
あとは、俺ももう少し力をつけておかないと。
介鷹月と接触するのは、それからだ。
「書状でわかるのは、これくらいだね」
そう言って、秋先生は書状を机に置いた。
「いずれにしても、私の復讐は終った。もっと感動するかと思ったけど……そうでもないね。ただ、肩の凝る荷物をおろしただけ……といった感じだ」
秋先生は、長いため息をついた。
「いやいや、これで終わりじゃないな。冬里の傷を癒すことと、君たちに『天地一身導引』の秘伝を実行してもらうという仕事が残っている」
「『天地一身導引』の秘伝というと」
「……まさか」
「ああ。もっとも自然な状態で、『天地一身導引』をやってもらうことだ」
自然な状態というのは……できるだけ服を着ない状態のことだ。
その姿で、俺と小凰と冬里さんは、目を閉じて、『天地一身導引』を行う。
そうすることで、俺たちの『気』は高まり、『天地一身導引』の修行は完成する……らしい。
「勘違いしているかもしれないけど、別に身体をくっつけて導引をするわけじゃないよ?」
「……え?」
「……そうなんですか?」
「ああ。それぞれが部屋の四隅に立って、おたがいに背中を向けて、私の指示通りに導引をやるだけだ。もちろん、私は部屋の外にいる。ただ、問題は……4人いた方がいいことだね」
「4人?」
「どうしてですか?」
「それで東西南北の四方が揃うからだよ。それによって、天地を象った導引が完成するんだ。というわけで、天芳くんにお願いがある」
秋先生は俺の方を見た。
それで、先生の考えていることがわかった。
「もしかして……星怜を?」
「さすがに察しがいいね。そうだよ。星怜くんも参加してくれるように、説得して欲しいんだ」
秋先生はとてもいい顔で、うなずいた。
「こんな機会はめったにないんだ。『天地一身導引』の使い手が4人揃い、東西南北をかたどった究極の導引が実現するなんて。しかも、君たちは齢も近い。同年代の者同士だと、『気』の循環も進みやすいはずだ。これほどの条件が揃うなんて、大師匠──仰雲師匠だって予想していなかっただろう!」
「……そうなんですか?」
「もしかしたら、二度とないかもしれない。唯一無二の機会だ。だからぜひ、星怜くんにも参加して欲しいんだよ」
秋先生は目を輝かせていた。
仰雲師匠が編み出した導引の奥義だからな。伝授したいんだろうな。
うん。気持ちはわかる。
『天地一身導引』を学んでいるのは、俺と小凰と冬里さん。それに星怜。
星怜は、冬里さんから教わってる。
冬里さんは今、うちの実家に滞在している。
たぶん、毎日ふたりで、導引の練習をしてるんだろう。
冬里さんは優秀な指導者だから、星怜の技術も成長してるのは間違いない。
天地を象った導引だから、東西南北の4人がいた方がいいのはわかる。
だけど──
「星怜は人見知りです。服を脱いで4人で導引をするのに、参加してくれるとは思えませんけど──」
「……参加してくれると思うよ」
答えたのは小凰だった。
彼女は腕組みをして、難しそうな顔で、
「むしろ、誘わなかったら、後で怒られると思った方がいい」
「そうでしょうか?」
「あのね、天芳」
「はい。小凰」
「これは師兄としての助言だけど……妹さんが仮に、根に持つ気性の人だとしたら、絶対に誘った方がいいと思うよ」
星怜が根に持つタイプか……ってこと?
うん……そうかもしれない。
『剣主大乱史伝』の星怜は、恨みを忘れないタイプだった。
そもそも彼女が歪んだ理由は、叔父の柳阮に売り飛ばされたことだったんだから。
仮に、星怜にはないしょで『天地一身導引』の奥義をやって、それが星怜にとって許せないことだとしたら……今後10年以上は、根に持たれるかもしれない。
「わかりました。星怜に参加してくれるように頼んでみます」
「うん。それがいいと思う」
「よろしく頼むよ。天芳」
「はい。秋先生」
それで、話は終わりになった。
しばらくして、炭芝さんたちがやって来た。
彼は、介州雀や壬境族の兵士たちを投獄したことを教えてくれた。
これから彼らを尋問してから、処遇を決めるらしい。
「秋どのと天芳どの、化央どのは十分働いてくださいました。どうか、休んでくだされ」
そう言って炭芝さんは、寝所の用意ができたことを告げた。
今後の打ち合わせは明日。
今日はもう、休んでください、ということだった。
俺たちは、その言葉に甘えることにした。
そうして俺たちは、それぞれ用意された部屋に入り、眠りについたのだった。
次回、第67話は、明日か明後日くらいに更新できればいいなと思っています。




